27 ◆クロバとお誘い
◆◇◆
「──うぅ」
早苗鳥クロバが目を覚まし、その目に真っ先に飛び込んできたのは高い天井だった。
(ここは……体育館?)
「──うぐっ!?」
次に襲ってきたのは、酷く生臭い匂いと、口の中に残る不快感だった。
口の中の不快感は、気を失う前に吐いたからだと思い至る。
(……ああ、悪夢じゃなかったんだ)
目の前には、気を失う前に見た光景が広がっていた。
体育館の中には屋代のようなものがあった。
その前には血でできた池が広がり、その周囲には死体が囲いのように積み上げられていた。
屋代の階の前には、巨大な蛙のような化け物が、目を閉じながら鎮座していた。
頭に王冠、首元にはフサフサのマフ、背中には、赤いマントのように広がる蝙蝠の羽があり、トカゲのような長い尻尾を、体に巻き付けている。
その大きさに相応しく、蛙の王様といった出で立ちだ。
クロバは体育館の隅に寝かされていたらしい。
(なんで、悪夢じゃないんだろう……)
そんなことを考えていると、声をかけられた。
「お目覚めですか? クロバ君」
声の主を見ると、キョウがいた。
本人曰く、クロバの新居の近くに住んでいるお兄さんだ。
クロバの家族が亡くなったあと、クロバが近くの公園で悩んでいたときに出会い、何故か仲良くなったのだ。
「水でも飲みますか?」
キョウがペットボトルの水を渡してくる。
学校の自販機で売っているやつだ。この学校は周囲にコンビニもスーパーも無いため、自販機が設置されている。
「あ、ありがとう、ございます……」
喉が渇いていたし、吐瀉物の味が口の中に残っていて気持ち悪いので、ありがたく受け取った。
ペットボトルを開け、口をゆすいだあと、残った水を半分ほど一気に飲んだ。
それでもやはり、悪夢は覚めなかった。
血濡れの屋代に鎮座する蛙の主は、二人に興味がないらしい。
「……こうなった理由、知りたいですか?」
「え?」
「すべてはね、君のためなんですよ。早苗鳥クロバ君」
「僕の……ため?」
「ええ。君は私たちの仲間になれる可能性を持っているんだ」
「あなたたちの、仲間?」
「そうです。クロバ君は、神異という存在をご存知ですか?」
「は、はい」
神異は昔から何故か日ノ本皇国にだけ存在する、神でも妖怪でもない〝何か〟だ。
禍津祠というある日いきなり発生する祠から生まれ、人を襲う。
神異を倒しても禍津祠を駆除しないと、また発生してしまう。
そして、禍津祠の発生理由は未だによく分かってはいない。
人間と共存できる種類もいるが、大抵は人間を喰らう危険な存在だ。
神異を倒し、禍津祠を駆除するには、魂力と呼ばれる特殊な能力を持つ人間でないとできないらしい。
この国に住んでいるなら、誰でも知っていることだ。
なにより、クロバの父以外の家族は全員、神異に殺された。
「それでは、人間が神異に転化できるということは知っていますか?」
「え? えーと、聞いたことがあるような気がします……」
たしか、婿取山の主が元人間だったという噂を聞いたことがあった気がする。
「クロバ君には、その可能性があります」
「……」
(神異になる? 僕が?)
「な、なんで……」
「我々は、常に仲間を求めています。それにクロバ君は、今の人生に満足していますか?」
「え?」
「家族に軽んじられ、学校ではいじめられ、家族は神異に殺されてしまいました。果たして、君にまだ、この世界への心残りはありますか?」
「それ、は……」
早苗鳥クロバは早苗鳥家の長男として育てられた。
だが、歓迎されてはいなかった。
何故なら、クロバは彼の父と昔の恋人との子供だったからだ。
元々は実母との二人暮らしだったが、実母の病が発覚し、彼女はやむなく血縁上の父親を頼ることになった。クロバが二歳の頃だった。
当時、父は現在の妻──クロバにとっての継母──と結婚したばかりで、異母妹も生まれたばかりだった。
当然、同居していた祖父母も大慌てだったが、DNA鑑定によって父との親子関係が証明されたため、仕方なく引き取られた。
当初は、母親が違うとはいえ男の孫ができて祖父母も可愛がってくれたが、納得がいかないのが継母だ。
命懸けで子供を産んだというのに、いきなり現れた夫の隠し子に戸惑い、優しくできなくても仕方がない。
しかも、祖父は農業経営のため、継母の実家から借金をしていた。
そのため、継母を蔑ろにはできなかった。
次第に、祖父母もクロバを冷遇し始め、妹のことを優先し始めた。
それでも、父だけは優しかったが、それを継母は良く思わなかった。
父は、クロバと顔を合わせるのを避けるようになった。
たまに会えば優しくしてくれるが、妻との関係が悪くなることを恐れていた。
クロバも始めは理不尽に悲しんだが、事情が分かってくると、納得せざるを得なかった。
家族の死後、クロバは父から、父と実母が学生時代から付き合っていた相思相愛の仲で、結婚も間近だったと聞かされた。しかし、継母が父を気に入ったことと、祖父が農業の資金繰りに苦しんでいたことから、二人は結婚直前に泣く泣く別れたらしい。
両親を早くに亡くした実母は、一人でクロバを産み育て、その結果無理が祟って病になり、死んでしまったのだろう。
その話を聞いて、父を憐れに思う一方で、親に逆らえなかった弱虫だとも思った。
すでに元凶たちは死んでいたため、どうにもできないのは少し残念だとも思った。
ほかの家族を失い、父と二人暮らしになった途端、父はクロバを気にかけるようになった。
クロバからしてみれば、迷惑なことこの上なかったが、せめて高校を卒業するまでは生活を支えてもらう必要があったので、我慢していた。
しかし、最近は父の行動の裏に、親子の情以上のものを感じ、気味悪く思っていた。
父が酔ったときに一方的に語ったところによると、クロバは父の昔の恋人、つまり実母によく似ているらしい。
本当に愛していた女性に似ている子供と、ほかの家族を全員亡くした父親。
クロバは身の危険を感じて、あまり家に帰らなくなった。
学校では、部活動中を除いて氷橋、冬隣、春寒の三人にいじめられるので、図書館や自宅近くの公園で時間を潰すようになった。
キョウと出会ったのも、その公園でだった。
(確かに、僕の育った環境は最悪だけど、果たして神異に転化するほどだろうか?)
キョウを見ると、ニコニコと優しげに微笑んでいる。
(きっと、こんな機会、二度とはないだろう。確かに、人ではないものになり、自由に生きるのも良いかもしれない。正直、心は惹かれる。でも……)
クロバは蛙型の神異に目をやる。
(あんな風になるのは、嫌かな……?)
「あの……」
「ん? なんだい?」
「人間から神異になるって、どうするんですか?」
「そうだな〜、普通は怒りや憎しみ、悲しみなどの強い負の感情を抱いた時に、禍津祠の元が近くにあれば、その強い感情をきっかけに人間が神異へと転化する。
でも、禍津祠の元なんて滅多に見つかることはないけどね」
「それなら……」
「でもね、〝裏技〟を使えば、より簡単かつ確実に、神異へと転化できるんだ」
「一体、どうやって……?」
「それはね」
「それは?」
キョウはニヤリと笑いながら言った。
「すでにいる神異を取り込めばいいのです」
「すでにいる神異を!?」
「はい。能力や性質は、神異由来のものになってはしまいますが、人間時代の記憶も感情も能力も引き継げますので、お得ですよね!」
「……」
(それじゃあ、僕が今、神異になりたいと伝えたら、僕が取り込むことになるのは……?)
クロバは蛙の神異に目をやり、身を震わせた。
(さすがに冗談じゃない!)
「もちろん、ご本人様の性質や能力に合った神異をご紹介しますので、ご安心くださいな」
(まったく安心できない!)
神異を取り込むというのが、どういったことなのかは分からないが、少なくともあの蛙の神異のようなモノを取り込むのだけは嫌だった。
「さて、どうします?」
キョウが笑顔で圧をかけてくる。
「そ、それは……」
(正直、神異になんてなりたくはない。あんな化け物になるなんてゴメンだ。だが、断ったところで、キョウさんは無事に僕を返してくれるのだろうか?)
すでに、多くの生徒や先生方が、蛙型神異の犠牲になっている。タダで返してくれるとは思えない。
「おや? まだ決心がつかない? じゃあとっておきの情報を。
クロバ君の家に、禍津祠の元を投げ込んだのは、君をいじめていたあの三人の男子生徒です」
「え?」
「禍津祠の元を一体どこで手に入れたのかは分かりませんが、まったく酷いことをします。
でも、神異になれば、憎い相手も簡単に殺せます」
「……っ」
(絶対に、この人が何か知ってる! キョウさんって本当にヤバい人だった!!)
そんなことを考えていると、轟音と共に体育館の出入り口が、扉ごと吹っ飛んだ。
何事かと、二人はそちらへ目を向ける。
「よーし、見つけたぞ、神異。さっさと首を差し出せ」
日本刀を携えた赤毛の女性が現れる。
同時に蛙型の神異が目を開いた。




