15 ◆イソトマと後悔
◆◇◆
「ああ、魂桃が食べたいのう」
婿取山の主は、傍らに横たわるイソトマをよそに、誰に言うでもなく呟いた。
「こん……とう……?」
息も絶え絶えに、その言葉を繰り返すイソトマ。
婿取山の主に魂力などを散々絞り取られ、もはや身動きすらままならない。
「そうじゃ。妾は人の食べ物も口にできるし、甘味も好きじゃ。だが、それでは魂力を補えぬ。
我ら神異が魂力を得るには、人間か魂桃を喰らうしかない」
「……」
「人間と契約する方法もあるが、あれは互いを唯一の相手と認めなければ成立せぬ。妾は、多くの男を味わいたいからな。
まあ、妾のように人間の男から得る方法もあるが……」
「う……」
婿取山の主が指先で肌に触れると、イソトマは甘く呻く。
「それでも、得られる魂力はほんの僅かじゃ。喰った方が早い」
「──っ」
少し強めに指先で弄ぶと、イソトマはそれに耐えるように、身を震わせた。
「じゃが、魂桃なら甘く美味い上、魂力まで補える
しかし忌々しいことに、魂魂桃の木は、どこも対策局の管理下に置かれておる。桃の木はどれもこれも、対策局が管理しておる。安易に入れることはできんのじゃ」
「〜〜〜〜っ」
思わず、イソトマに触れていた指先に力が入る。
イソトマは、その感覚に仰け反った。
全身をガクガクと震わせながら、身を捩る。
体内に入れられた、婿取山の主の端末の影響か、イソトマの体内では、苦痛さえも快楽へと変換されてしまうらしい。
「だから、採りに行ってもらおうと思う。ああ、イソトマに取りに行ってもらうわけではない。もっと屈強で、戦い慣れた奴を使う」
そう言って婿取山の主は、イソトマに口付ける。
「……っ」
ギリギリまで魂力を吸い取られ、イソトマは意識を手放した。
◆
「……っ」
目を覚ました時、婿取山の主はすでに部屋からいなくなっていた。
「イソトマ様、湯殿の準備ができました」
いつものように、イソトマ付きの使用人であるムベが起こしに来た。
「ああ……」
イソトマは虚ろな目をしたまま、気のない返事をする。
湿った布団から抜け出し、ふと姿見が目に入る。
昨夜の悍ましい行為の跡が、至る所に残っていた。
(ここに来て、どれだけの時間が過ぎたのだろう……)
ここには、カレンダーや時計はない。いや、どこかにはあるのかもしれないが、少なくとも、イソトマの目に留まる場所には、どちらも置かれていなかった。
最初の一カ月ほどは、メモ帳などに記帳してここに来た日数を数えていたが、それ以降は諦めた。
もはや、この迷い家から生きて出ることが絶望的だからだ。
湯船から上がり、身支度を整えると、イソトマは掃き溜め小屋へ向かった。
以前、ムベに教えてもらった、病気や怪我を負った者や、婿取山の主の端末が体に合わなかった者が捨て置かれる場所だ。
婿取山の主は彼らを喰おうともしないため、ここでただ死を待つしかない。
小屋は、収容される者の症状によって分けられていた。そのうち、婿取山の主の端末が体に合わなかった者が集められる小屋には、イソトマの友人であるウメキがいた。
すでに骨と皮ばかりの姿になっているが、まだかろうじて生きている。
それでも腹だけは妊婦のように膨れ上がり、時折、その中で何かが蠢いていた。婿取山の主の端末が、異常増殖しているらしい。
ウメキと同じ状態の者はほかにも数人おり、病気や怪我で死を待つだけの者とは違い、どういうわけか婿取山の主は、彼らを死なない程度に生かし続けていた。
どうやら、何か使い道があるらしい。
イソトマは、そんな彼の面倒を見ていた。
ここには、ここには一日に一度、世話係がやって来るが、それ以外は放っておかれている。
もう一人の友人、南風トキオは炊事場で働き、男たちの食事を用意する仕事にやりがいを見いだしていた。すでに、この地での生活にも馴染み始めているようだ。
イソトマの心だけが、取り残されていた。
そんなイソトマは、もはや意識もなく、ただ生きているだけのウメキを世話することで、なんとか心を保っていた。
彼の体を清め、服を替える。
ウメキは食事を受け付けないので、僅かな水を口の端から流し込む。排泄は、ほとんどない。
ウメキは、生きていること自体が不思議な状態だった。
病人の世話をするなど、以前のイソトマには考えられないことだった。
世話を終えても、ウメキの状態に変化はない。
今日もウメキが意識を取り戻すことはなかった。イソトマは沈んだ気持ちのまま、掃き溜め小屋を後にした。
◇
母屋に戻ると、屋敷内が少し騒がしかった。
何かと思い、ムベを捕まえて事情を聞く。
「男たちが、魂桃狩りへ向かうことになったのです」
「それがなぜ、そんなに騒がしいんだ?」
そういえば、寝所で婿取山の主がそんなことを言っていた気がする。
「命懸けだからでございます」
「どういうことだ?」
「我々は、神異である主様の下僕です。外界へ出れば、我々も神異に加担する敵と見なされることがあります。
そんな我々が、対策局の管理下にある魂桃を奪うとなれば、死人が出ても不思議ではありません」
「そん、な……」
自分の意思とは無関係に、人々の敵にされている。その事実に、イソトマは衝撃を受けた。
イソトマは高校卒業後、婚約者である青春院ルリカと結婚する予定だった
その後は対策局へ入局し、何不自由ない人生を送るはずだった。
しかし、己の浅はかさが招いた結果は、人生そのものを潰すものとなった。
動揺を抱えたまま、イソトマは自室へ戻った。
湿った布団は綺麗なものと交換されていた。
(そういえばルリカには、対策局への入局が決まったことを伝えていなかったな……)
卒業旅行という名の腕試しで功績を挙げた上で、改めてプロポーズし、その時に伝える予定だったのだ。
対策局に勤めることは、地方では誉れとされている。
そして、何より今までのことを謝りたかった。
(もう、それすらできないのかもしれない……)
ふふと見ると、文机の上に簪が置き忘れられていた。
婿取山の主の忘れものだ。
イソトマはそれを手に取ると、その鋭い先端を首元に突き刺そうとした。
「──っ!?」
しかし、簪の先が首に触れる寸前、腹の中で何かが蠢き、イソトマは手から簪を落とした。
「〜〜〜〜っ」
腹の中でそれが蠢くたびに、得も言われぬ痺れが、イソトマの背筋を駆け上がる。
それに耐えきれず、イソトマは蹲った。
もはや、自死さえも許されないらしい。
◆
そして翌日、選抜された部隊は準備を整え、迷い家を後にした。
人数は五人。
筋肉質で腕っぷしが強く、なおかつ死んでもいい男たちが選ばれた。
中には、婿取山の主に挑んで敗北した、元退異師や元魂術師だった者もいるらしい。
外に出ても、逃げることはできない。
彼らの体内にも、イソトマと同じく、婿取山の主の端末が入っている。余計なことをすれば、それは爆発し、宿主を死に至らしめるだろう。
「はたして、何人が生きて戻れることか……」
ムベは、彼らを憐れむように呟いた。
◆
部隊が出発した翌日の夜、魂桃狩りへ向かった男たちが戻ってきた。
戻ってきたのは二人だけ。残る三人は死んだらしい。
そのうち一人は、満身創痍だった。
男たちの衣服は所々、赤く染まっていた。
一体何があったのか。
「恐らく、魂桃を手に入れるために、その身を犠牲にしたのでしょう。いわゆる自爆ですね」
「そんな──」
ムベの答えに絶句する。
「三人もの犠牲を払って手に入れたのが、魂桃一つだけというのも、なんとも皮肉です……」
「……」
「ですが、彼らにとっては、これが唯一の救いだったのかもしれません。彼らは死によって、ようやく自由になれたのですから」
「自由に……」
「彼らにも家族や恋人がいましたが、何らかの理由で婿取山に来たばかりに、すべて失いました。
もはや帰ることができないのなら、〝死〟だけが彼らに残された救いなのです……」
「救い……」
「さあ、部屋に戻りましょう」
ムベに促された、その時だった。
「イソトマ様、主様がお呼びです」
別の使用人がイソトマを呼びに来た。
今夜も相手をしなければならないらしい。
「……分かった。身支度を整えてから向かう」
◇
婿取山の主のもとへ向かうと、そこには、豪華な食事が用意されていた。
他の婿たちも全員揃っていた。
いずれも整った顔立ちだが、婿取山の主の好みが広いのか、全員違うタイプの男たちだった。
その顔ぶれを見て、今宵は複数人で相手をさせられるのだと理解した。
それなら負担は分散されるが、他の男の裸を見るのは嫌だなと、イソトマはぼんやりと思った。
「ああ、来たか。適当に食っていてくれ」
イソトマの姿を認めた婿取山の主は、そう言って、イソトマを席に座らせた。
食卓には、山で獲れた魚や猪の丸焼き、どこから採ってきたのか分からない果物、それに山盛りの白米が並んでいた。
かなりの量だが、残った料理は使用人たちが食べるため、問題はないらしい。
「ふむ、手練れを五人も送ったというのに、手に入ったのは一つだけか……」
婿取山の主は、男たちが命を懸けて得た成果に不満らしい。
「まったく、使えん奴らじゃのう!」
そう吐き捨てると、男たちの犠牲など意にも介さず、魂桃にかぶりついた。
それを見ていたイソトマは、怒りが燃え上がるのを感じた。
しかし、今の彼には婿取山の主に対抗する力はない。
(今のオレに、彼女へ対抗する力はない。ならば、婿取山の主も利用するまでだ!)
ただ気に入られただけの〝婿〟ではなく、彼女を側近として支える〝夫〟に選ばれれば、その能力の一部を借りることができる。以前、ムベがそう言っていた。
生き延びるため、そしていつか彼女へ牙を剝くために……イソトマは、この地で成り上がることを決意した。




