11 ルリカと初キッスと神異転化
◇
「ルリカ。俺、なんだか凄く胸がドキドキしてる! なんでだろう!?」
原作漫画の序盤のボスキャラになる予定のニゲラは、すこぶるご機嫌だ。
原作では、痩せ細り、見るからに体調が悪そうな姿だったけど、今は、原作ほどひどい状態ではない。やつれてはいるけれど。
というか、怪しい色気のある美人系イケメンである。
しかし、私の手をぎゅうぎゅう握ったまま離そうとしない。
このままでは窓から出られないので、そろそろ離してほしい。
「それで? 俺は君たちと一緒に行けばいいのかな?」
「は、はい。お願いします!」
「お願いするのは、むしろ俺の方だと思うけどね。なんせ、こんな地獄から連れ出してもらえるんだから。
それじゃあ、行こうか」
「え? もう? 何か持ち物は?」
「ここには、俺のものなんて何もないよ……」
少し寂しそうにそう言うと、ニゲラは一旦私の手を離し、窓から外へ出て来た。
「おっと」
「危ない!」
ニゲラがよろけたので、思わず支えた。
え? 意外と軽い。それに、体も細すぎる!
「……」
「……」
紫の瞳と目が合う。
ニゲラの紫の瞳が、一瞬だけ怪しく光った。
「あれ……なんだろう。君から、すごくいい匂いがする……」
「え?」
その瞳がだんだんと近づき、気が付けば唇が重なっていた。
「〜〜〜〜っ!?」
「あ、ごめん! 俺、何を……? どうしてもキスしたくなって……」
急いで離れたニゲラは、真っ赤になって慌てている。
その姿には、原作の序盤ボスとしての威圧感など微塵もなく、ただ可愛らしかった。
本当に彼が、序盤ボスになるのか?
「い、いえ……」
??? ……どういうことなの?
「何をしているの!?」
そこへ、鋭い声が飛んでくる。見れば、女中姿の若い女性がいた。
自己紹介の時に、私を睨んでいた三十代くらいの人だ。
マズイ、バレた! でも、この状況では何も言い返せない!
「彼女は最近、俺の世話を担当するようになった女中だ。名前は知らないけど」
と、ニゲラが耳打ちしてくる。
「あなた、今日入った新人よね? さっそく、ニゲラ様に近づくなんてどういうつもり?」
そう言って、女中は凄んでくる。
「えーと……」
あれ?
これ、ニゲラを連れ出そうとしている不審者に対する態度じゃないな。
むしろ──。
「ニゲラ様は私のものよ! あんたなんかには渡さないから!」
やっぱり、そういうことね。
「俺は君のものではないけど?」
「いいえ、あなたは私と一緒にいることが一番の幸せなのです! 自分の心に正直になってください!!」
「これは……」
『他人の話を聞かないタイプの人間だな』
「──うぐっ!?」
その時、その女中の様子がおかしくなった。
苦しみ始めたかと思ったら、体の至るところから木の枝が生え始める。
これは──。
『〝神異転化〟だ』
「ワタゲさん!」
人から神異に変わること。それが〝神異転化〟だ。
神異転化が起きる仕組みは定かではないが、一説には、強い負の感情が引き金になるとされている。
そうして完全に神異へ転じた彼女は、まるでファンタジー作品に登場する木のモンスター〝トレント〟が、着物をまとったような姿に変わった。
全身から伸びた枝には花が咲き、裾から見える足は木の根のようになっている。
目元は髪で隠れており見えないが、大きく裂けた口からは神異の核である目玉が一つ覗いている。
全身が木人間のように変わったその一方で、彼女の背中からは、三対六本の人間の腕が翼のように生えている。
「りにもよって、五行家関係者の屋敷で神異が発生するとは……」
私はお札を手に取り、魂力を込める。
「ワタゲさん、彼を連れて逃げてください!」
とりあえず、金縛りのお札を──。
「──っ!」
お札を投げた瞬間、術が発動する前のお札ごと、何かが私の左手を貫いた。
それは、神異化した女中が伸ばした木の枝のような指だった。
「ぐ……っ」
『ルリカ!』
痛みを認識する前に、右手で腰のホルダーから別のお札を抜き、〝風刃〟を発動させる。左手を貫いた枝を切断し、そのまま神異へ風の刃を飛ばした。
しかし、とっさのことで狙いを定められず、大したダメージは与えられなかった。
続けて、私たちを囲むように防御壁を張った。
『退避するか?』
「いいえ、神異が生まれたなら、放置はできません。ワタゲさんは彼を連れて先に行ってください!」
『できるわけないだろ。儂はルコウにお前のことを頼まれているんだ!』
『ニゲラ様、さあ、早くわたしと共に……』
神異になった女中が懇願する。
「……君には感謝しているよ。俺の世話をしてくれて」
ニゲラが口を開く。
「でも残念だが、君のことは愛していない。君と共にいることはできない」
『い、いやあああああーーーー!! なんでっ!? なんでよっ!? こんなに愛しているのに!!』
絶叫と共に、神異化した女中の足元から、無数の木の根が伸び、周囲の建物や木々に突き刺さる。
木の根は防御壁に阻まれ、私たちまで届かなかった。
「何事だ!?」
「ヒィッ、何よこれぇ!?」
「大丈夫か!?」
「ニゲラ!? なぜ外に出ている!?」
あちこちから声が聞こえる。
『人が集まってきたな』
「はぁ、……俺のせいで、こんなことになってごめんね」
ニゲラが謝ってくる。
本当にな、とは思ったものの、口には出さない。
「いえ、お気になさらず」
「お詫びに、彼女は俺が倒すよ」
「え? しかし……」
「大丈夫、さっき君から、十分な魂力をもらったからね」
「さっき……?」
先ほどの事故(?)キスを思い出して、私は顔が熱くなるのを感じた。
キスで魂力を奪ったんですか!?」
「奪ったというか、君の魂力が流れ込んできたんだ。俺もこんなのは初めてだよ」
「ええ……?」
やっぱりこいつ、序盤ボスの片鱗があるかも……。
ニゲラが手をかざすと、私たちの前に薄い氷の壁が現れた。
「俺が守るから、君の結界は解いていいよ。二人とも俺の後ろにいて」
「は、はい……」
『……』
私は、ニゲラの言う通りにした。
情けない話だが、左手に刺さったままの枝の断片が、痛くて仕方がないのだ。
これ、引き抜くのが大変だな……。
「では……」
ニゲラは、寝間着の帯に挟んでいたものを取り出し、それを投げた。
あれは……石? いや、水晶か? 濃い紫色の?
そして──。
「『凍てつく刃よ、敵を穿て』!」
神異化した女中に手を翳しながら、ニゲラが唱えた。
『ぎゃああああーーーー!!』
投げた水晶が爆ぜると共に、巨大な氷の刃が、まるで水晶のクラスターのように地面から次々と突き出す。
その無数の切っ先が、木のような彼女の肌を切り裂き、貫いた。
さらにニゲラは、剣の形に形成した氷刃で、彼女の口内にある目玉を突き刺して破壊した。
『──』
彼女の体から黒い煙が立ち上り、神異と化していた体が元の人間の姿へ戻る。
しかし、それも一瞬のことで、人間に戻った肉体も黒い煙となって消え、あとには真っ黒な骨だけが残された。
真っ黒な骨は、人間が神異転化した証だ。
その骨が墓に納められることはなく、すべて対策局によって処理される。
理由は、その骨から新たな禍津祠や神異が生まれる可能性が高いからだ。
同時に私の手に刺さったままだった彼女の枝も消滅した。
痛い思いをして抜くことがなくてよかった〜。
「ルリカ、大丈夫か?」
「はい。治癒のお札貼っておきますので、二、三日で治ります」
治癒のお札で自動的に直してもらう。〝天賦〟の方の治癒魂術を使ってもいいが、今は時間がないので、応急処置だ。
ん? 少し、目眩がするかも? 怪我の影響か?
……まあ、勝利宣言するまでは保つだろう。
『あとは、禍津祠だな』
「そうですね」
人間が神異になった場合でも、禍津祠はある。
その処理方法は、通常の禍津祠と同じだ。
「それじゃあ、私は祠を探してきますね!」
『儂はここに残って、現場を保全しておこう』
「ニゲラさんはどうしますか?」
「君と一緒に行くよ」
「分かりました。……あ」
「どうしたの?」
「足! 裸足じゃないですか!」
「靴がないからね」
「ついでに靴も探しましょう。一応、結界のお札を両足に貼っておきますね! 結界で足の裏を保護できますから」
「う、うん。ありがとう……」
「ついでに、ニゲラ君に合うサイズの靴も探しましょう!」
「……うん!」
ニゲラは、とても嬉しそうに笑っている。
その後、ニゲラが禍津祠の気配を探り、彼女の部屋にあるのを見つけた。
使用人たちはすでに逃げたらしく、彼女の部屋には誰もいなかった。こちらとしては幸いだった。
ニゲラが始終ニコニコしていたのが気にはなるが……。
「『恋怨杏主』は討伐しました! こちらの勝ちです!!」
勝利宣言も完了し、禍津祠も消滅した。
これで一安心。──そう思った途端、急に全身から力が抜けそうになる。私は倒れないよう、そっと壁に手をついた。
「ルリカ?」
ニゲラ君が、支えてくれる。
「大丈夫です。ちょっと疲れただけですから。ニゲラ君の靴、探しましょう」
そして、ニゲラの足に合うサンダルを見つけた頃、門の辺りが騒がしくなった。
屋敷の外に出ると、対策局の方々の姿が見えた。
「神異対策局遠津木県南支部です! こちらで神異の気配を感知しました! 中を改めさせていただきます!!」
ルコウさんの声だ。
それ以外にも、複数人の気配がする。
「なんだ、お前ら!!」
家人と言い争う声も……。
「ルリカ? ルリカ!?」
ルコウさんの声を聞いて気が緩んだ途端、視界が暗くなり、膝から力が抜けた。
誰かに抱き留められた気がするが、相手を確かめる余裕はなかった……。
★神異化した女中さんの名前はアンズです。




