10 ルリカと運命の出会い
◇◆◇
玄冬院ニゲラは、前世の日本で連載されていた、この世界の元になった漫画『東都神異録』に登場する、序盤のボスだ。
人間の母と神異の父との間に生まれた混血で、その分、魂力も多いし、強力な魂術まで使える。〝固有の天賦〟に関しては覚えていない。少なくとも、私が読んでいたときには、特に言及はされていなかった気がする。
単行本の方は読んでいないので、加筆修正分は分からない。
彼は、玄冬院本家の血筋ではあるが、当主の子供ではない。
当主の妹が、一族と契約している神異との間にもうけた子供で、公にはできないため、表向きは当主の実子ということにされた。
だが、正妻やその子供たちに疎まれ、哀れに思った側室たちに育てられた。
十四歳までは不遇な立場ながらも、それなりに幸せに暮らしたが、その年に養子に出されて、酷い扱いを受ける。
そして、詳細は不明だが、自分に優しくしてくれた人々が殺されたことで狂気に陥り、玄冬院家へ舞い戻って一族を掌握する。
序盤のボスとして、主人公たちの前に立ちはだかるのだ。しかも、まあまあ強い。
というのが、原作ニゲラなのだが……。
「本当に、行くんですか?」
「ああ。履歴書はちゃんと持ったか?」
「はい」
『面接の受け答えは?』
「なんとか」
「対策局の身分証は持っていけ。身分が証明できないと、保護対象に信用してもらえないからな。
だが、決して見つかるなよ? 対策局の者だとバレれば、何をされるか分からんからな」
「はい〜」
難しいことを言うなあ〜。
「それじゃあ、行ってきます」
「いってら〜」
『気をつけろよ』
二人は私を凍土家まで送り届けると、そのまま去っていった。
終わったら、迎えに来てくれるらしい。
まあ、今日は面接だけだし、大丈夫だろう。
◇
「ええと? 春湖ルリさん?」
「はい〜」
もちろん、偽名である。
住所も電話番号も、こういった潜入時に使う架空のものだ。
そのためのスマホも支給された。
「ふ〜ん、うちで働きたいのか〜」
「はい〜」
一応、求人は出ていたから、応募しても不自然ではないはず……。
ちなみに、面接を担当しているのは、この家の家令らしい。
三十代くらいで、少々やる気のなさが滲んでいる男性だ。
着物を着ているが、こちらの世界では着物が現代でも普段着として定着しているため、特に珍しい格好ではない。
「いつから、働ける?」
「え? 明日からでも……?」
「ふ〜ん。住み込みだけどいい?」
「はい」
「じゃあ、頼むわ。うちは三日働いたら三日休みだから、休みの日は家に帰ってもいいよ」
「それでは、三日分の着替えがあれば大丈夫ですね」
「そういうこと。仕事着はこちらで用意するから、あとでサイズだけ教えてね。寝間着もあるから、希望するなら貸すよ」
「分かりました」
「じゃ、明日の午後二時くらいにまた来てね」
◇
「というわけで、無事採用されました」
面接後、迎えに来てくれたルコウさんに、事務所近くのファミレスへ連れてこられた。
カバンの中に隠れている、ワタゲさんも一緒だ。
「お〜、良かった!」
『一応、スマホ以外の連絡手段も必要か?』
「それなら、伝令用のお札がありますよ」
「いいね。数枚もらっておこう」
「私以外にも、相手の顔と名前が分かれば誰にでも送れますので、いざというときに使ってください」
「ありがとう、そうさせてもらう」
私はルコウさんに、伝令用のお札を何枚か渡しておく。
これは、話した言葉を一時的に記録し、相手に届けることができるお札だ。使用者は指定していないので、魂力を込めて起動すれば誰でも使えるし、相手の顔と名前が分かれば、基本的に誰にでも送れる。
「それじゃあ、ルリカ、ワタゲ。頼んだぞ!」
「はい!」
『おう』
ファミレスの食事代は、ルコウさんが支払ってくれた。
◆
翌日、指定された時間に、再び凍土家に向かった。
ワタゲさんは子犬サイズになって、カバンの中に潜んでいる。
「本日よりお世話になります、春湖ルリです! よろしくお願いします!」
「はい、よろしくね。まずは自室に案内するわ。あ、自分の靴は自分の部屋で管理してね。たまに、勝手に他人の靴、履いていっちゃう人がいるから」
「はい!」
「荷物、少ないわね」
「圧縮袋に入れてきました!」
というのは半分嘘で、長居するつもりがないだけだ。
私の荷物は、普段使い用のリュックサック一つである。
女中長さんに案内されて、使用人寮に向かう。
「ここが、あなたの部屋ね。二時間経ったら迎えに来るから、荷物の整理して、着替えておいて。ベッドの下の鍵付きの引き出しに入れておいてね。部屋を出るときは戸締まりもしっかりしてね。たまーに、手癖の悪い人がいるのよね、うち」
その手癖の悪い人は、他人の靴を勝手に履いていってしまう人と同一人物なのだろうか?
「分かりました」
部屋は一人部屋で、ベッドと箪笥、机と椅子があった。
窓は一つ。
トイレや洗面所、風呂は共同。食事は朝昼晩、使用人専用の食堂でとるそうだ。
女中長さんの足音が遠のいたので、扉に鍵をかけて、ようやくワタゲさんをリュックサックから出すことができた。
『ぷはっ、狭かった!』
「大丈夫ですか?」
『大丈夫だ。これくらいで神異は死なん!』
「それじゃあ、敷地内の偵察は頼みます」
『ルリカも気をつけろよ』
「はい!」
ワタゲさんは小さい姿のまま、窓から出て行った。
「さて、私も頑張らないと!」
◆◇◆
「──!」
作業の手を止め、俺は不思議な気配に顔を上げた。
「……」
「どうかしましたか?」
監視役の男の使用人が声をかける。
コイツはことあるごとに当主にチクるが、暴力的なことはしてこないので、気にしなくていい。
この日は、どういうわけか作業室ではなく、自室で仕事をすることになったが、どうやら使用人に新人が入ったようだ。
新人の女中は、俺の魂力に当てられると、慄くか、言い寄ってくるかのどちらかだ。その影響に慣れるまでは、自室での作業となるのだろう。
血縁上の父が言うには、伴侶がいればそう言うのは無くなるそうだ。
俺にそんなものが、見つかるとは思えないが……。
しかし、この不思議な気配はなんだ……?
気が散って仕方がないのに、なんだか心が躍るというか、ソワソワした感じがする。
こんな感覚は、初めてだ……。
◇◆◇
「春湖ルリです! よろしくお願いします!」
「よろしくね〜」
「若いのにえらいね〜」
「……」
同僚の年配の女中さん方は温かく迎えてくれるが、若そうな方は無言で鋭い眼差しを向け、明らかに不服そうな様子を見せている。
まあ、若いといっても三十代くらいだが。
その後は先輩方について回り、仕事の説明を受けた。メモを取りながら、作業手順を覚えていく。
まず任されたのは、簡単な場所の掃除だった。
初日の仕事は、そこまで大変ではなかったけど、疲れた〜。
仕事を終えたあとは夕食をとり、お風呂を借りて、ようやく夜の自由時間となった。
家事って、大変なんだな〜。
まあ、教えてもらっても、すぐに出ていってしまうから、申し訳ないんだが。
『大丈夫か?』
ベッドに倒れ込んでいると、ワタゲさんが顔を覗き込んでくる。
「あ、ワタゲさん、戻ってたんですね」
『ああ』
「どうでした?」
『離れに、話に聞いていた人物らしい気配があった』
「では、深夜にでも?」
『そうだな』
どうやら、ここに長居しなくても済みそうだ。
◇
そうして、深夜になり私は部屋を抜け出した。
リュックサックも持ってきている。
『今日は満月か。隠れて動くには厄介だが……雲が多いなら大丈夫か』
「それなら、隠密のお札を使いましょう!」
『それ、効果大丈夫なのか?』
「存在感を薄くするだけなので、すでに見つかっている相手には効きません」
『……気休め程度にしておけよ?』
ワタゲさんによると、凍土家の周囲には、一応、神異除けの結界が張られているらしい。しかし、神異の侵入を妨げるだけの単純な結界で、侵入を察知して術者に知らせる機能はないそうだ。
一度入り込んでしまえば、屋敷の者に気づかれる心配はないとか。
どうやら、費用を安く抑えるために、そうなったらしい。
『もしかしたら、敷地内で神異が発生しても、気付かないかもな』
「念のため、ルコウさんにメールでお知らせしておこう」
五行家系の術師なら、そんな雑な仕事はしないから、野良術師にでも頼んだのだろうか?
『止まれ』
「!」
ワタゲさんの言葉に身を隠す。
見回りの使用人たちだ。
『──よし、行こう』
「はい」
そうしてなんとか、離れの近くまでやってきた。
「それで、なんと声をかけましょう?」
『は? ここまで来てそれか?』
「その、潜入のことで頭がいっぱいで、そこまで考えていませんでした……」
『普通に事情を話せばいい。相手もこんな家で搾取され続けたくはないだろう?』
「そうですね……」
そうして、意を決した時──。
「何やってるの?」
声をかけられた。
『!?』
「わっ!?」
思わず声を上げて、口を抑える。
「ああ、大丈夫だよ。この辺りには、普段から見回りは来ないから」
声がした方へ目を向けると、離れの窓が開いており、そこに誰かがいた。
雲の切れ間から、月明かりが降り注ぐ。
長い黒髪の、整った顔立ちの男性がそこにいた。
「わ、わ、どうしましょう、ワタゲさん! 心の準備が……!」
『お、落ち着け……そいつが、保護対象だ……』
「え!?」
私は居住まいを正した。
まずは、本人確認だ。
私は窓からこちらを見ている、その男性に近付いた。
「失礼ですが、あなたのお名前は?」
「俺? 俺はニゲラ。苗字は……今は凍土かな?」
本当に、ニゲラだ。原作漫画よりも若い印象だ。
とりあえず、私も自己紹介をしておこうか。
身分を明かしても、信用されなさそうな状況だし。
「お騒がせしてしまってすみません。私は長閑ルリカと申します!
こちらは、仲間が契約している神異のワタゲさんです。
私たちは、あなたを助けに来ました。一緒に来てくださいますか?」
さて、断られたらどうやって説得しようか?
「うん。いいよ」
「──え? いいんですか」
「うん」
そう言って、彼はニコニコしている。
「ええっと……いいんですかね? ワタゲさん」
何かの罠?
『まあ、本人が一緒に来ると言っているのなら……』
ならいいのか?
「じゃ、じゃあ、一緒にいきましょう! ニゲラ君!」
私は、ニゲラに手を差し出した。
苗字は玄冬院か凍土、どちらが良いか分からなかったので、下の名前だけ呼ばせてもらった。
「──っ! ……うん」
ニゲラは一瞬目を見開いたあと、私の手をとってとても嬉しそうに笑った。




