王と宰相(8)
小鹿の事故の後、星河本社では連日、取締役会、法務、IR、ナスダック上場準備のアドバイザーを交えた臨時ミーティングが続いていた。
謝罪では弱く、反論すればさらに燃える。
原因が確定しないうちに責任を認めても、否定しても危険だった。
賀雲舟に求められていたのは、事故と自由と責任のあいだに置く、
曖昧で正確な言葉だった。
しかしそれは、彼が最も不得手とする領域でもあった。
香港の夜景が足元に沈むような高層マンション。
雲舟が自宅に戻ると、妻・宋薇安がソファに座ってタブレットを見ていた。
裸足の白さが、目を引く。
ビビアン・ソウ。
世間ではこちらの呼び名の方が通りが早い。
元々は無名モデルだったが、いまはライフスタイル系ブランドのクリエイティブディレクターを務めている。
彼女を見出したのは、他ならぬ賀雲舟だった。
星河がまだこれほど巨大になる前、
#一秒入鏡
「日常の一瞬を映画にする」
というキャンペーンで、ビビアンの投稿した短い動画が雲舟の目を強く引いた。
彼女は魅力的に笑うだけではなく、光のとらえ方、歩き方、視線、カメラとの距離感を、本能的に理解していた。
雲舟はそこに「見せ方」の才能を見抜いたのだ。
キャンペーンの打ち上げで知り合い、交際し、香港上場後に結婚した。
世間は、典型的な「IT長者とトロフィーワイフ」の夫婦だと見ている。
ジャケットを脱ぎかけると、ビビアンがタブレットから目を上げずに言った。
「今日は、総裁の格好をしていたのね」
「打ち合わせだったから、ジャケットを着ただけだ」
冷蔵庫から炭酸水を取り出しながら答えると、妻は背中越しに静かに続けた。
「それを世間では、総裁の格好と言うのよ」
一口飲んで振り向くと、ビビアンがようやく顔を上げた。
「あなた、また作り手の論理で話したのね」
雲舟は動きを止める。
「間違っているか」
ビビアンは少し間を置いて、淡々と言った。
「間違っていないわ。でも今のあなたは、作る側だけではないのよ」
雲舟は無言で妻を見つめた。ビビアンは画面を指で軽くスクロールしながら、静かに言葉を続けた。
「あなたはあの子を“クリエイター”として見た。
でも、あの子の親は、娘として見ている」
香港の夜景が、ガラス窓の向こうで冷たく輝いている。
ビビアンはタブレットを膝の上に置き、夫をまっすぐに見上げた。
「作り手として美しい言葉は、親にとってはただの言い訳に聞こえるかもしれない。
あなたはまだ、そのことに気づいていない」
ビビアンは、星河が見つけた人間だった。
だからこそ、その言葉は賀総の中で、どこにも逃げ場を持たなかった。
賀雲舟は炭酸水の缶を軽く握りしめたまま、結局、何も答えられなかった。




