王のアルゴリズム(3)
週明けの朝、啓文は総裁室の前でスタッフに呼び止められた。
「周部長、賀総は本日の予定をすべて延期されました」
「延期?」
彼女は周囲を一度見て、声を落とした。
「本土のご実家に戻られています」
啓文は一瞬、言葉を失った。
香港に移ってから、賀総が故郷に帰ったという話は一度も聞いたことがなかった。
小鹿家族との和解はようやく成立したところだが、
未成年保護の強化と再発防止策の実装については検討すべき内容が山積みだ。
こんな唐突な帰省は予想外だった。
―――それなら、俺は何のためにいるんだ。
答えられなかった問いが頭をよぎる。
「……何か、あったんですか?」
そう尋ねたのは、スタッフのほうだった。
スタッフは不安げな色を浮かべ、啓文を見上げる。
啓文は小さく笑みを作り、窓の外に広がる香港の摩天楼を見た。
霞んだ空の向こうに、本土がある。
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中国・広東省の内陸部。
香港・西九龍から高速鉄道で数時間揺られ、ようやく着いた地方都市は、
記憶よりも少しだけ色褪せ、しかし同時に少しだけ新しくなっていた。
昔ながらの低層の家並みの間に、新しい高層マンションが何棟も突き立っている。
しかしそのいくつかは、建設途中で止まったままだった。
鉄骨が錆び、青い防護ネットが風に煽られてはためいている。
駅前の商業施設は半分だけテナントが入り、残りはシャッターが下りたまま。
夜になると、広場の照明がぼんやりと灯り、若い子たちが集まってくる。
賀雲舟は親が暮らす高層マンションのベランダに立ち、煙草をくわえた。
深圳、広州でエンジニアとして働き、星河を創業した後。
資金調達が本格的に決まったタイミングでまずやったことは、「地元で新築マンションを買うこと」だった。
親を古い団地から新築マンションへ移す——それが彼にとっての、目に見える成功の形だった。
当時としてはこの街で最高クラスの物件。
今でも広々としたリビングは暖房がよく効き、台所も明るい。
近所で「雲舟は出世した」「親孝行だ」と噂され、両親は鼻が高いはずだ。
夜が深まるにつれ、彼は一人で駅前の広場へ向かった。
広場の中央で、一人の少女がスマホを三脚に固定して音楽を流し始めた。
派手なダンス曲。
周囲にいる同年代の少女たちが、画面を覗き込みながら興奮した声を上げる。
「いま何人?」
「四百超えた!」
「投げ銭きた、百元!」
「マジ?もう一回やって!さっきのあの動き!」
少女は照れ笑いを浮かべながら、もう一度同じ振り付けを繰り返す。
画面を流れるコメントが、こちらからでもかすかに読めた。
「かわいい」「もっと笑って」「投げ銭したよ」といった文字が、次々と流れていく。
賀総は煙を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
止めることもできる。
声をかけて、「そんなところで何やってんだ」と言うこともできる。
しかし、声をかけたとして、自分は何を伝えたいのか。
あのころの自分が同じ言葉を投げかけられたところで、きっと何も変わらなかっただろう。
彼は煙草を地面に落とし、靴底で丁寧に踏み消した。
「どこも変わんねえな」
独り言のように小さく呟いた。
香港も、ここも。
きっと小鹿の街も。
そして、自分が作り上げた星河も——。
少女たちの笑い声が、夜の広場に響く。
賀総はベンチの背もたれに深く体を預け、星の見えない空をじっと見上げた。




