王の言葉(7)
星河の撮影スタジオは明るい照明に満ちていた。
ビビアンがクリエイティブディレクターを務めるライフスタイルブランドの新キャンペーン撮影だった。
スタッフの動きを静かに見守る彼女の横に、賀雲舟が歩み寄ってきた。
「今季、悪くないんじゃない」
「まあね。今までで一番いいかな」
モニターを囲む夫妻の横を、スタッフが遠慮がちに通りかかる。
「うちの奥さんは、クリエイティビティの女神だから」
雲舟はスタッフに向かって、満足げに言った。
いつもの惚気だ。
スタッフは笑いながら頭を下げる。
ビビアンは冷めた目で夫を一瞥し、ため息を小さく吐いた。
「……余計なこと言わないで」
「本当のことだろ」
雲舟は肩をすくめ、満足そうに撮影を少し眺めたあと、
「じゃあ、俺は次の打ち合わせがあるから」と言い残してスタジオを後にした。
ビビアンは夫の背中を見送りながら、静かに目を細めた。
撮影の合間、控室のソファに腰を下ろした彼女の脳裏に、ふと昔の記憶が蘇った。
数年前、星河がまだ急成長の最中だった頃。
プロモーションキャンペーンの打ち上げで知り合った後、
何度目かの飲み会で、雲舟が彼女に近づいてきた。
「うち、近くなんだ。飲み直さない?」
ビビアンにとって、それは特別な誘いではなかった。
成功した男が少し調子に乗る。
モデルとして、そういう夜はいくらでもあった。
そのまま彼の部屋へ行き、ワインを少し飲んで、
あっさりと体を重ねた。
翌朝。香港の光がカーテンの隙間から差し込んでいた。
ビビアンは白いリネンを胸元まで引き上げ、ベッドの端に腰掛けた雲舟の背中を見ていた。
筋肉質というより、どこか少年のように薄い肩。
「コーヒー、ある?」
「たぶん」
「たぶんって、自分の家でしょ」
雲舟は答えず、床に落ちていたシャツを拾った。
それから、思い出したように振り返った。
「あの動画さあ」
ビビアンは目を細めた。
「どれ」
「最初のやつ。キャンペーンに上げてたやつ」
「ああ」
「すげえよかった」
彼は、あまりにもあっさりと言った。
「ただの美人の動画じゃなかった。
君、光の使い方がうまい。あれ、分かってやってるだろ」
そして、ビビアンの目をまっすぐに見て、言った。
「正直、惚れた」
ビビアンは、笑うつもりはなかった。
けれど、少しだけ口元が動いた。
「最低ね」
「どこが」
「人をベッドに連れ込んだ翌朝に、動画の話から始めるところ」
「大事な話だろ」
「あなたにはね」
これまで何人もの男が彼女の「美しさ」を愛でてきた。
しかし、彼女の「見せ方」を、こんなにもストレートに、
しかも朝のベッドの上で褒めた男は、初めてだった。
それが、彼女の中で何かを静かに溶かした。
撮影スタジオに戻ったビビアンは、モニターに映るキャンペーン画像を眺めながら、小さく息を吐いた。
あの朝から、すべてが変わったわけではない。
ただ、少しずつ、賀雲舟という男の危うさと純粋さに、
彼女は惹かれ続けている。
「女神、か……」
ビビアンは小さく呟き、苦笑した。
夫は相変わらず、彼女を「才能」として愛している。
それが、彼女にとって一番厄介で、一番心地よい部分でもあった。




