表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
断罪された令嬢は蛮族の第一夫人になりました  作者: 九葉(くずは)


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/10

第6話 篝火

 草原が燃えているのかと思った。


 地平線まで篝火が続いている。炎の列が、夜の草原を橙色に染めている。空気が煙と獣脂と焼いた肉の匂いで満ちていて、どこからか太鼓の音が聞こえる。低くて、腹の底に響く音だ。


 ヴァルグ族の冬至大祭。

 年に一度、周辺の友好氏族も集まる部族最大の行事。


 到着から七ヶ月目。初冬。


「セラフィナさん、東の焚き火台の薪が足りません」

「バイカル族の族長が到着しました。席は——」

「子どもたちが馬の柵を壊しました」

「肉が焦げてます」


 四方から声が飛んでくる。

 祭りの運営を仕切るのは第一夫人の仕事だと、ユーリヤに押し付けられた。いや、任されたと言うべきか。


「薪はナディアに手配を頼んで。バイカル族の族長はガルドの右隣に。子どもたちはユーリヤに任せて。肉は——誰が焼いてるの」

「ナディアです」

「……火を弱くして、と伝えて」


 ナディアの料理は味つけだけでなく火加減も荒い。


 走り回りたいところだが、体力がない。だから椅子に座ったまま指示を出す。前の人生では国際会議のロジスティクスを回したことがある。四百人規模のカンファレンスに比べれば。いや、比べるものではないか。あっちには火も馬も太鼓もなかった。


 サーシャが走ってきた。頬が赤い。


「セラフィナさん、ルグ族の商人が来年の交易について話したいって」

「祭りの最中に商談?」

「遊牧民はそういうものらしいです」

「……イレーネに繋いで。商談はあの人の方が上手い。私は——」


 足元で何かに裾を引かれた。


 見下ろすと、ユーリヤの孤児の一人だった。五つくらいの女の子。名前はリーナ。目が大きくて、いつも鼻の頭が赤い。


「セラおねえちゃん、あのね、おほしさまがね、おちてきたの」

「落ちてきた?」

「あっちに。きらきらしてた」


 篝火の火の粉だろう。


「後で一緒に見に行こうね」

「うん」


 リーナが走っていった。


 サーシャが、その背中を見ていた。


「セラフィナさん」

「何」

「……私にも、こういう居場所を作ってくれたの、セラフィナさんですよね」


 声が小さかった。祭りの喧騒に紛れそうなくらい。


「場所を作ったんじゃないわ。あなたがもともといた場所に、名前をつけただけ」


 サーシャは何も言わなかった。ただ帳簿を胸に抱えて、少しだけ笑った。

 笑うと年相応に見える。この子はまだ二十歳なのだ。




 祭りが深まるにつれて、喧騒は緩やかに酔った笑い声に変わっていった。太鼓の音が遠くなり、篝火の数が減り、子どもたちは天幕に帰された。


 私は大きな篝火の傍に座っていた。足が重い。一日中動き回って、いや、座り回って指示を出し続けた疲れが、全身に溜まっている。


 隣に、ガルドが座った。


 いつ来たのか分からなかった。足音を立てない男だ。あの体格で。


 しばらく、二人とも黙っていた。

 篝火が爆ぜる音だけが聞こえる。火の粉が上がって、夜空に消えていく。リーナが見た星は、これだったのだろう。


「祭りは、親父が好きだった」


 ガルドが言った。


 前触れもなく。篝火を見たまま。声は低い。いつもより、少しだけ。


「先代が?」


「ああ。毎年、準備を全部仕切ってた。俺は、手伝わされるのが嫌で、馬に乗って逃げてた」


 想像してみた。少年のガルドが、馬に乗って草原を駆けている。

 少しだけ、笑いそうになった。


「母は俺が生まれてすぐに死んだ。親父が一人で育てた」


 篝火の炎が、ガルドの横顔を照らしている。金の瞳に炎が映っている。


「二年前に死んだ。戦で。俺が隣にいたのに、守れなかった」


 声が平坦だ。感情を消しているのではない。感情の乗せ方を知らないのだと思う。この人は、悲しみも怒りも、全部同じ声で話す。


「戦うことしかできない。交渉も、帳簿も、祭りの準備も、何一つ。親父は全部やってた。俺には、何もない」


 何もない。

 この男が。大陸最強と呼ばれる男が。


「母の形見がある」


 唐突だった。


「銀の首飾りだ。親父が持ってた。『お前の番が見つかったら渡せ』って、遺言で」


 番。部族語で「魂の伴侶」を意味する言葉だ。


「まだ渡してない。誰にも」


 篝火が爆ぜた。

 大きな火の粉が上がって、夜空に吸い込まれていった。


 私は何を言えばいいか、少し迷った。

 慰めの言葉はいくらでも思いつく。前の人生で、そういう言葉を職業的に使ってきた。でも、この人に職業的な言葉を使いたくなかった。


「あなたの父上は、誇りに思ってると思いますよ」


 ガルドが初めてこちらを見た。


「戦えるだけじゃなくて、頭を下げて、人に任せることもできるでしょう。交渉は私に任せた。帳簿はサーシャに。情報はイレーネに。護衛はナディアに。全部、あなたが任せた」


 言いながら、自分でも少し的外れかもしれないと思った。慰めになっているのかどうか分からない。


「それは弱さじゃないです。信じて託せるのは、強さです」


 ガルドが目を逸らした。

 篝火の方へ。


 横顔の、耳の縁が赤い。

 火のせいだろう。この距離で篝火に当たれば、耳が赤くなるのは当然だ。


 しばらく、何も言わなかった。

 篝火の音と、遠くの馬のいびきだけが聞こえる。


「……祭り、うまくいったな」


「おかげさまで。ナディアの肉だけ焦げましたけど」


「あれはいつもだ」


 笑ったのだろうか。口の端が動いた気がしたが、確信はない。この人の笑い方を、私はまだ知らない。




 天幕に戻ると、イレーネが待っていた。


 手に、封書を持っている。


「あなた宛てに届いたわ。うちの情報網を経由して。差出人は、ヴァレンシア公爵」


 父。


 封を切る手が、少しだけ震えた。


 手紙は短かった。父らしい、飾りのない文字が並んでいる。


 ——娘を守れなかった不甲斐ない父を許してくれ。だが、調べは続けていた。


 同封されていたのは、数枚の紙だった。神殿への不審な金の流れを追った調査記録。断片的だが、方向ははっきりしている。

 聖女。神殿。金。


「お父様……」


 声が詰まった。

 守ってくれなかった、と思っていた。見捨てられた、と思っていた。

 でもこの人は、あの広間で黙らされた後も、一人で戦っていたのだ。不器用に。言葉ではなく、帳簿と記録で。


 ああ、そうか。私と同じだ。


 涙は出なかった。出し方を忘れている。代わりに、手紙を丁寧に畳んで、胸元にしまった。


「使えそう?」


 イレーネが聞いた。声は事務的だったが、目は少しだけ柔らかかった。


「まだ断片的。でも、方向は見えた。裏取りが必要」


「ナディアの旧知に当たってみましょうか。王国の裏社会に繋がりがある人がいる」


「お願い」


 イレーネが頷いて、天幕を出ていった。


 一人になった。

 手紙の角が、胸元で少しだけ固い。


 父の文字を思い出す。癖のある筆跡。右上がりで、横線が長い。小さい頃、この字で書かれた手紙を受け取るのが好きだった。

 いつから嫌いになったのだろう。嫌いになったのではなかった。期待しなくなっただけだ。


 天幕の外で、風が鳴った。

 祭りの余韻が遠くに残っている。誰かが歌っている。部族の歌だ。歌詞はまだ全部は分からない。でも、旋律は覚えた。


 寝る支度をしようと立ち上がった時、天幕の布が揺れた。


 風ではない。


 外に、影がある。


 人の形をした影が、天幕のすぐ傍に立っている。


 声を出す前に、別の方向から金属音がした。低く、短い音。


 ナディアの声がした。抑えた、鋭い声。


「動くな」


 影が動いた。

 ナディアが動いた。


 私は天幕の中で、息を止めていた。

 毛皮のコートの襟を、無意識に握っている。


 草原の夜が、一瞬で冷えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ