真亜子は淫魔と出会う
小鳥遊真亜子はギャル谷のことを思い出して、小さく笑みを浮かべた。
迎えに来た撮影スタッフの女性が怪訝な顔をした。
「どうしたの? ご機嫌そうだけど」
今からの撮影は念願のテレビCMだ。真亜子の経歴で言えば奇跡の大抜擢。そして、ここからさらに飛躍できるよう仕込みは済んでいる。
製薬会社のCMから新たなキャリアを拓いて、この能力で成功を手にする。それしか、ゴミだめのような世界から抜け出す方法は無い。
「ううん、なんでもないです」
真亜子はにこりと微笑む。そして、女性マネージャーの瞳を覗き込んだ。
この人は、女の子が好きな女性だ。本人は気づいていないが、同性の友人にそれ以上の何かを求めている。
真亜子は人を見抜く。それは、残酷な世界を生き抜くために身に付けた異能とも言えた。
真亜子にとって、ギャル谷こと刈谷先輩は気に入らない女だ。
いつも誰かから頼りにされていて、弱味なんて何も無い。自分の意見を言うし、一人になっても不安なそぶりを見せない。
この人がいると、周囲をコントロールできない。まるで天敵のような女。
小鳥遊真亜子は幼いころから周りの人々を操作してきた。
見た目が可愛いこと、言葉、仕草、表情、自らという人間の持つ資質だけで人を操る。
両親、隣人、友達、教師、その全てをコントロールする。
幾つかの大きな失敗を経て、真亜子の今がある。その過程において父は自殺した。大きな失敗だったけれど、それはそれで必要な犠牲だと真亜子は思っている。
失敗があったからこそ、今の真亜子は完全になった。
撮影スタッフの女性が言葉を続けていた。
時間、カメラマンが誰か、テレビ関係者も見に来ているとか、モデル出身から女優になった人と同じだとか、聞き流して適当に真亜子は回答する。彼女の喜ぶ反応は分かっているから、それなりの言葉を添えておく。
「あ、前の撮影の時、よかったって言ってくれて嬉しかったです。年上の女性から褒めてもらえてとっても嬉しかったんです」
脈絡が無い回答だというのに、それだけで撮影スタッフの女性は舞い上がった。感涙すら浮かべるほどに、嬉しそうだ。
撮影スタッフの女性にとって、真亜子は天使のような女の子。あと何度かこれをやれば、たとえ殺人現場を見られたとしても、彼女は真亜子を庇うだろう。それどころか、彼女は無実だと信じてくれるに違いない。
人間とはそういうものだ。執着があればあるほど、見たいものしか見ない。
撮影現場のスタジオに到着して皆に挨拶。
真亜子を抜擢した芸能事務所のプロデューサーもそこにいた。四十歳くらいの品の良い紳士である。仕事と引き換えに、一晩だけ身体を好きにさせてくれと言うので寝てやった相手だ。
「プロデューサーさん、おはようございます」
「小鳥遊さん、来てくれて嬉しいよ。今日は後で時間を貰っていいかな」
真亜子はほんの一瞬だけ考えた。損得で言えば、あと一度くらい寝ても得に傾く。
「ええ、大丈夫です」
「よかった。ではまた後で」
CM撮影はスムーズに進んだ。
真亜子は人の望む姿を演じることに長けている。監督はとても喜んでおり、テレビ関係者の受けも上々だ。
真亜子は刈谷先輩のことを思い出す。
コントロールできないから、潰すために人気モデルの翔太クンを差し向けた。彼は女癖が悪いし、悪い連中とも付き合いがある。刈谷さんは翔太クンに興味があると、少し囁いてやるだけでよかった。
結果として、翔太クンは人前でボコボコにされたあげく、翔太クンのケツ持ちをしていたチンピラはギャル谷に原付で引きずり回される結果になってしまう。
「真亜子ちゃん、そこで笑顔。美味しいもの食べた時みたいに」
真亜子は笑う。それは、どこかぞくりとするほどに妖しいものだ。ギャル谷を、刈谷先輩を思い浮かべての笑みは、そうなった。
カメラマンが止めようとするのを監督が制した。製薬会社のCMに使えるかは分からない。だけど、最高の画だと監督は確信する。
「よかったよ、これでオーケー!」
監督の声を聞いていたのに、真亜子の笑みは消えない。
刈谷先輩だけは思い通りにならなかった。
悔しいという気持ちは無い。不思議なことに、真亜子の中で彼女だけは特別であるという納得があった。だから、友達を連れて来たのには驚いた。
中二病のオタクに見えたけれど、怖いくらいにキレイで金のかかった和服を着ていた特別なひとのおともだち。
髑髏と彼岸花の柄は下品すぎる。チンピラが好むブランドのシャツにありそうなデザインなのに、良質な仕立ての本格和装と彼女の美しさが合わさって、違和感はなかった。むしろ、品があるようにも見えてしまう。
気に入らないヤツ。真亜子はそう思った。
「真亜子ちゃん、これで終わりよ。すごくよかった」
撮影スタッフの女性に言われて、真亜子は現実に戻る。
「あ、お疲れ様です。すっごく緊張しました」
数時間で撮影も終了して、帰ろうとしたところでプロデューサーさんがやって来た。
「真亜子ちゃん、今日もよかったよ。今日は今後のことも含めて、色々と話をしたかったんだ」
「えっ、本当ですか」
「ああ、到着したら詳しく話すよ」
プロデューサーは上機嫌な様子だ。
絵に描いたようなイケオジ。モテそうな中年男。
真亜子はこいつとの夜をほとんど覚えていない。大きな不快感はなかったから、そんなに悪いヤツではないという評価だ。
何か言いたそうにしている撮影スタッフの女性に手を振ってスタジオを後にする。それからプロデューサーの車に乗ることになった。
車内でのプロデューサーは口数が少なかった。FMラジオの音が流れていて、中年はラジオが好きなのだなと真亜子は思った。
車は首都高へ進む。どこに連れて行かれるのだろうかと、少しだけ考えた。どうせ、夜景がきれいなホテルだろう。
シートにもたれかかっていると、うつらうつらして眠りに誘われる。いつしか寝入っていた。
真亜子はブウウウンという冷蔵庫のモーター音のようなものを聞きながら目を覚ました。
車のシートではなく椅子に座らされている。高級な造りのオフィスチェアだ。
「あれ、ここは」
「寝入っていたから、起こさないように運んだよ」
プロデューサーは隣に立って真亜子を見下ろしていた。
真亜子は辺りを見回す。
どんな想像ともかけ離れた光景が広がっていた。
地面はコンクリートで、周囲には蠕動する内臓のような何かが植物のように根を張っていて、何かの映画で見た怪物の巣のような場所だ。
「あの、ここって、何かの撮影場所ですか? ホラー映画とかの」
「ははははは。そう見えるのは仕方ないことだね。ほら、前を見て、社長がお会いしたいそうだよ」
プロデューサーが指さすのは椅子に座る真亜子の正面だ。
「ひっ、なに!?」
大きすぎて、最初はそれが何か分からなかった。
フロアの半分を占めるほどの、あまりに巨大な虫がいた。
真亜子は知らぬことだが、その姿かたちはシロアリの女王蟻に似ている。蟻の上半身、下半身からは蛆虫のようになっていた。
頭の部分は人間の女のような顔をしていた。しかし、それはどこか作り物めいており、虫が人のマスクを被っているような、歪な違和感があった。
蠕動する蛆虫のような腹が、ブウウンという異様な音を立てている。
『小鳥遊真亜子、あなたにお礼を言わねばならない。だから呼んだのよ……』
怪物は、人の言葉を発した。その声もまた、人のものとは思えぬ響きがある。ライブハウスのスピーカーのような、腹に響く低音があった。
「なに、これドッキリですか!? ねえ、そうですよね、お化けじゃなくて、ほらカメラとか」
真亜子の問いかけに対して、プロデューサーは笑みを浮かべた。
「信じられないのも無理はない。あの御方は、我が事務所の社長で、淫魔の女王だよ。さあ、何も怖いことはしないから、ご挨拶なさい」
真亜子はプロデューサーから何かを読み取ろうと頭を回転させる。だけど、彼の目からは何も読み取れない。まるで、虫を見ているように、何の感情も読み取れなかった。
すうっと真亜子は息を吸い込む。
必要なこと、相手が喜ぶこと。たとえ、相手が怪物でもそれは変わらない。相手が何を望み、何を期待している。そして、どうすれば最も高い利益を得られるか。
「社長さん、は、初めまして。小鳥遊真亜子ですっ、将来の夢は女優です!」
真亜子は仮面をかぶる。
『はははは、よい子よい子。私は長きに渡り世に潜んでいた淫魔の女王。真亜子の卵子によって、目的に達しました。我らの永劫かと思われた事業もここに終わりを迎えられます』
「い、いんま?」
『この時代であれば、サキュバスという名前なら分かるかしら?』
「えっと、エッチな悪魔みたいなのですよね」
『その認識で間違っていないわ。人間の精子と卵子を集めるため、私たちは永い時を費やしたのよ。優秀な人間の遺伝子が必要だったの。仏陀には袖にされたけど……』
淫魔の女王は楽し気に笑う。しかし、真亜子にはその笑い声は、作り物めいて聞こえた。どうやっても、本当の感情が読めない。
違う。彼らは本当のことしか言っていない。一つも嘘が無い。このような状況でも冷静に分析できる真亜子がたどり着いた結論がそれだ。
『真亜子ちゃん、緊張してなくていいのよ。あなたの身体から、たくさんのことを読み取れる。あなたの感情も、嘘も。……私たちはあなたに隠した目的とか、人間で言う真意なんてものは何一つ持っていないの。安心していいわ』
真亜子は戦慄いた。彼らをコントロールなどできようもない。自らの芯である特技が使えない!
動揺する真亜子にプロデューサーが語り掛ける。
「いきなりで混乱するのは分かるよ。真亜子ちゃん、今日は私たち淫魔が滅亡の未来を変える日なんだ。私たちにとって、キミは大切な人間だからね。ここに連れて来たんだよ」
プロデューサーの声は、人を落ち着かせるために計算して作り上げた周波数の音声である。それは、科学的根拠に基づいた淫魔の機能だ。
「プロデューサーさん、わ、わたし、何したらいいんですか?」
真亜子は怯えながらも、助かるためにそう言った。キブアンドテイク。利益を生じる関係の維持は、どのような状況でも命綱足り得る。
『真亜子ちゃん。あなたの遺伝子だけが一致するのよ。あなたには、私の最後の子供と一緒にいて欲しいの。それだけでいいの。さあ。もうすぐ産まれるわ。あなたたち人間が、様々な神話として語り継いできた【原初の人間】よ』
淫魔の女王。その蛆虫に似た腹が大きく蠕動した。卵管から何かが這い出してくる。生命の神秘とも呼べる光景ではあるのだが、あまりにグロテスクでもあった。真亜子は吐くまいと耐える。
卵管からひねり出されたものは、人間の姿をしていた。
産まれたばかりだというのに、すでに身体は成長している。年齢でいうなら、二十歳くらいだろう。
すらりと背が高く、顔つきは美しい。その顔は、特徴として日本人でも欧米人種でもない。様々なものが混ざりすぎていて、どのようにも見えない。どの人種が見ても、多人種との混血なのだろうと判じてしまう顔だちであった。
彼が目をぱちりと開いた。
彼がゆっくりと立ち上がるその姿に、真亜子は目を奪われた。
あまりにも美しい。
「あなたが、母だね」
彼の声は中性的で、男とも女とも、どちらにもとれる。
『ええ、あなたを生み出しました。私の識別名は既に失われていますから、あなたに名乗る名前はありません』
真亜子はそれを夢見心地で見守っていた。
なんという美しい存在だろうか。
見ているだけで頭の芯が心地よく痺れて、身体の中心まで熱くなる。
彼は、淫魔の女王が生み出した【原初の人間】には、完全な形で男性器と女性器が存在していた。そして、乳房すらある。だが、がっしりとした体つきは男性的だ。腰つきは女性的な丸みがありながら、力強く地面を踏みしめている。
男と女を兼ね揃えた両性具有。
『滅亡の運命をあなたが変えるのです。完全なる人間のあなたであれば、それが可能です』
淫魔の女王はこの日のために、長い時間をかけて人間から精子と卵子を集め続けた。
完全なる人間、幾多の神話に語られる【原初の人間】を再現するために、淫魔は人間と共にあったのだ。




