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リディア―世界の中で―  作者: 知佳
第二十二章
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三

 人から「奪う」という属性ゆえに、自らも失うばかりだった――なんて、哀れなのだろうか。

 ツヴァイは両の掌にのったキューブを見つめながら、笑みを浮かべる。半透明な中で、虹色の光線が不規則に動いている。存外、あっけない。そう思うほど、今手にしているものは、実感のないものだった。

「――さて、と」

 ツヴァイは振り返る。

「――残念、あなたはまた、間に合わなかった」

 知っている。目の前の男の逆鱗に触れる言葉を、理性を失わせる言葉を。経験としてではなく、知識として。

「――小娘が。知ったような口を叩くなよ」

 低く、呻くような声。グレイは奥歯を噛み締めた。

「知ってるのよ。えぇ、知っているの。紛れもなく、知っている。私の中の"種"が、私の中の"ヤマト"が、知っている。あなたの無力さを、あなたの無念さを。でも、私には関係のないこと」

 ふふ、とツヴァイは軽い足取りで宙を歩く。一歩、二歩、グレイに近づく。

「私とあなたは、悔しいけれど、きっと同類ね。だから、これは餞別よ」

「ふん、詭弁だね。いらないよ、そんなもの」

 グレイの瞳には、明確な殺意があった。ツヴァイはその瞳を見て、ますます笑みを深くした。歓喜。これはツヴァイのものなのか、ヤマトのものなのか分からない。けれど、他人の不幸に愉悦を覚えていることは確かだった。

「詭弁でもなんでも、いいじゃないの。あなたはこれで、最果ての地に辿りつける。……まぁ私としては、シエラまでもれなくついてきちゃうっていうのが、残念なところだけど」

 ツヴァイはキューブを手のひらの中でもてあそびながら、ゆっくりとグレイに向かって宙を歩く。

「……他人の知識や、他人の心を借りて、随分なご高説をどうもありがとう」

「あら、こんな小娘に言いくるめられるのが悔しい? でも、人間というのはすべからく他人を得てはじめて自己を形成するんじゃない? そういう意味では、みんな借り物をそれらしく飾っているだけだと思うけど」

「そうかい。じゃあ君の飾りつけは随分とまた陳腐なものだから、もう少し恥を知った方がいいと思うよ。年長者からの助言だと思っておくといい」

「それはどうも。お生憎、私、そんな目上を敬う子じゃないの」

 一歩ずつ近づいてくるツヴァイを、グレイは侮蔑の表情で見つめる。

「たとえ君が"ヤマト"の力を持っていても、それは所詮"種"でしかない。君の中に芽吹き、あらわれるのは、所詮ヤマトだ。それは君じゃない」

「忠告のつもり?」

「言っただろう、年長者の助言だって。他人からの借り物でずっと生きていけるほど、君は無自覚なのかい」

「……どういう意味よ」

「ヤマトの力を、己の力だと過信するなということだよ。過ぎたる力は、それだけ影響を及ぼす。君は一体、その力のためにどんな代償を支払ったんだい?」

 そこで、ぴたり、とツヴァイが立ち止まった。それまでかろやかだった顔は、心なしか剣呑だ。

「そうか、やはり、そうか」

 グレイは一人納得して、くるりと背を向けた。

「その番人の力、一体どんなことに使うのかは知らないが、精々、気を付けることだね」

「…………ふん、余計なお世話よ」

 ツヴァイは虹色の光彩を一瞥し、ひらりとマントを翻した。

 グレイは背をむけたまま、遠目にかろうじて見える、岬の家に指を向ける。足元に魔法陣が浮かびあがり、一瞬の浮遊感の後に、元いた岬に戻ってきていた。



「――グレイ」

 シエラは、ロッドを片手に、どこか打ちひしがれたような男の顔に、違和感を覚えた。グレイはシエラを見たあと、すぐその隣にいるランティアとアハトを見る。

「――君たちの目的は済んだだろう。さっさとここからいなくなれよ」

 静かな声で、グレイはそう言った。

 アハトは微動だにすることなく、視線だけをグレイに向けている。その鋭い眼光には、人間としての、なにか、大きな悲しみの影が見え隠れしていた。

「私と君は、目的こそ異なっているが、さて、それほど違わないようにも思えるのだ」

「なに、たった二言三言話しただけでもう知った気でいるのかい」

「……いや、今のはただの独り言だと思ってくれ」

 そう言うと、アハトはランティアに声をかけ、背を向けた。ランティアは少し歩き、シエラを振り返った。何か言いたげな顔に、シエラは思わず笑った。

「先輩。あなたは、ちゃんと見送って、できるなら、そばにいてあげて下さいね」

 それは、シエラによって祈りや願いにちかいものだった。そしてそんな風に思える自分がどこかおかしく、それを言われたランティアの意外そうな顔も、なかなか爽快だった。

 ランティアは「生意気言うな」と、それだけ言った。

 そして岬には、ただ静かな波の音が聞こえるだけだった。

 しばしの沈黙のあと、グレイはゆっくりとシエラに近づいた。そして、海に突き出したすぐそばにある林に向かってナイフを投げた。

「出ておいで、セイスタン」

「え……?」

 林に視線を向けると、木々の隙間から、ジル=セイスタンが姿を現した。

「アンにちゃんと伝えておくんだよ。俺は、いや、"俺たち"はこれから、封印の地へ向かう」

 俺たち、とグレイが言った。シエラは、ぎょっとした。

「君たちを利用したこと、俺はちっとも後悔していない。君たちが俺を憎もうと、そんなことはどうでもいいよ。けれど、君たちには関係あるだろうから、もし、俺を追って、止める気なら、それ相応の覚悟をもってくることをオススメするよ」

「けっ。なにを偉そうに。それはこっちの台詞だっつーの」

 グレイは笑いながら、シエラの腕を引っ張った。

「逃がさないぜ」

 ジルは脚に魔力をこめ、一直線に駆けだす。

「もうすぐ転移魔法でアンがここに来るんだろう。でも、ここは戦いにふさわしくない」

 グレイはジルの攻撃を受け流しながら、シエラを抱えた。

「ちょ!」

 シエラは抵抗しようと腕を掴んだが、途端に体から力が抜けてしまう。

「なにこれ……」

「おい魔力バカ女! ちっとは抵抗しろよ!」

 ジルに罵倒されるも、口も動かせない。

「チィ、グレイ、てめーの"ドレイン"か!」

 グレイはジルの蹴りを避けながら、どんどん海に近づいていく。

「さて、そろそろかな」

 瞬間、地面が大きく揺れた。

「ッ!!!!」

 地を揺らし、世界を揺らす。そして海が轟音を立て、波が荒れ狂う。

 ――なに、これ……!!

 海が割れていく。シエラには、そうとしか形容できない光景が目の前に広がっていた。まるで道を創るかのごとく、海の水が割れていく。

 そして、ちょうど岬の先端、海を臨む部分に、複数の大がかりな魔法陣が浮かび上がっていた。

「クソが!!」

 ジルが叫んだ。ジル一人では、グレイは止められない。

 ジルのジャマダハルがグレイの髪をかすめた。グレイは蹴り上げた右足でジルを後方に吹き飛ばす。魔力のこもった力同士では、ジルはグレイに敵わない。

 グレイがジルにむけて灼熱の焔を放つ。しかし、それは、見えない壁によって阻まれた。

「――そこまでだ、グレイ」

 ガラスの弾けるような音とともに、少女は舞い降りた。

「――やぁ、久しぶりだね、アン」

 そこには、アン=ローゼン、そして、クラウドをはじめとした仲間たちがいた。

 グレイはアンの創った結界を弾くと、そのまま魔法陣のそばに立った。 

「シエラ!!!」

 名前を呼ばれ、シエラは口を動かした。けれど、うまく声は出なかった。それでも、彼らの顔を見て、シエラの心はふっと軽くなった。

 アンは一歩前に出て、毅然とグレイを見据える。

「貴様の野望、ここで打ち砕かせてもらおう」

「そうかい、それは残念だ。どうやらご期待には沿えない」

 アンの視線を意に介さないような不遜な態度で、海を見やる。

「ようやく、ここまで来たんだ。祝福してほしいくらいだよ。二千年のこの悔恨の旅路は、ようやく、終わりを迎える。そして、世界は生まれ変わるんだ」

「世界を変えるのは、貴様の歪んだ妄執ではない。今を生きる、民のためであればこそだ。グレイ、貴様は、ここで斃れるんだ」

 空気がひりつく。クラウドは剣を抜く。バイソンは腰を落とし、拳を握る。

「――どうしても、俺を止めるというのなら、精々やってみるんだね」

 瞬間、グレイの足元に無数の魔法陣が現れた。

 その魔力の圧力に、その場にいた全員が動けない。

 そして、魔法陣からは、無数の獣が――魔物が、現れた。

「グレイ、貴様ッ!!」

「――君たちが、俺を止めうる存在ならば、最果ての地で見えるだろうね」

 お別れだ。

「――シエラ!!!!」

 クラウドの叫び声と、グレイの横顔と、とてつもない浮遊感に、シエラの意識はそこで途絶えた。



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