一
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「あんた、帰還した方がいいんじゃない?」
廊下を歩いていたショコラは、後ろからかけられた言葉に立ち止まった。
「……るせーよ。お前には関係ない」
振り向かず、それだけ返す。
ショコラは、怒りでもなく、ただどこか無力感に苛まれていた。
アン=ローゼンによる、一時的な作戦の中止。そして明かされた真実と、適合者たちの本音。これらは、ショコラの気持ちを鈍らせるのには十分だった。
そしてそれを見透かしたように、ビルダはショコラを鼻で笑う。
「お人よしね。あんたは王子の派閥の人間で、王子の手足なんだから。アールフィルトが任務遂行を中断した時点で、この部隊から離れるべきでしょうよ」
「……ふん、お前こそどうなんだよ。王党派としちゃ、今回の任務次第で勢力図がひっくり返るぜ? それに、下手すりゃ八大国って肩書からも抹消されるかもな」
「あらぁ、言うわね。狸じじいたちの思惑なんか知ったこっちゃないわよ。……ビルダちゃんは、どうせただの駒なんだから」
「それを言うなら、あたしも同じ……」
ショコラが自嘲気味に笑えば、ビルダは意外そうな声をあげた。
「ほんとにそう思ってるわけ? そりゃ、王子の周りはそうかもね。でも、王子本人は違うわよ」
「……てめーに何が分かるんだよ」
「分かるわよ。だって王子の瞳が、そう語っているのだから」
「……お前に、そんなこと言われるなんてな」
「ビルダちゃん、恋多い女だから。いや、男かしら。……とにかく、迷っている暇はないわよ。あんたの推測通り、下手をすればあたし達は全員抹消される。アールフィルトだって例外じゃないわ。王党派ですら、奥の宮の存在をよく思っていないの。第一、もうアールフィルト一人しか残っていないんだもの。こんなところ、いずれ消されるわ」
「――おや、随分と面白い話をしていますね」
足音もなく、ひらりと男は現れた。
「グラベボ……」
ショコラの前方にある角に立ちながら、決して表情は見えない。壁にもたれながら、背を向けている。
「あら、中立派のおでましね」
「科学の申し子たちは、政治が自分たちの研究に影響しない限りは口を出しませんよ」
「そういって王子とも仲がよろしいのはどこのどなたかしらねぇ」
「マイセンとは学院の友人ですよ。いや、兄とも思っています」
「ふん、てめーみたいな性根の腐った弟君、マイセン様には必要ないんだよ」
「おや、手厳しいですね。……と、冗談はこれぐらいにしましょうか。ショコラ、二度は言いません。あなたは今回の件から降りなさい」
「……なんでてめーに言われないといけねーんだよ」
「マイセンの友としての願いでもあります。そして何より、マイセン本人の意志です」
「……マイセン様の?」
グラベボから予想外の言葉を聞き、ショコラは二の句が継げなかった。
「……いいですか、ショコラ。我々は手足なんです。いくらでも替えの利く、便利な手駒なんです。けれど、それは国にとっての我々です。個人としてのあなたは、そうではないんです」
「それを、いうなら、侯爵の地位を持ってるグラベボ、お前こそ、そうだろう。……ただの男爵家の、それも、後ろ盾のないあたしとは、それこそ雲泥の差だ。それに、個人としてのあたしなんて、もうとっくに、この世にはいないんだよ」
ショコラは深い胸の内側から絞り出すように、グラベボとビルダに語った。
三人とも立ち尽くしたまま、壁に背を預けながら、視線を合わせない。
「今回の作戦は、正直、一か八かの勝負でした。いえ、そもそも上層部は、いつでも我々を斬って捨てる算段をつけていた。万が一上手くいけば、ブラドワールという国の地位が変わる。それは願ってもないことですが、そんな夢のような話に縋っている人間ばかりじゃない。だから、いつでも切って捨てられる駒を用意した」
「そうね。そうしてそれぞれの思惑から、ビルダちゃんたちは選ばれた。この作戦の根本が、グレイ=ジェルドとかいう魔術師の思惑によって動かされているとも知らずに」
「……おそらく、王とその側近、上層部は知っていたんでしょうね。グレイという男が唆し、情報を与えていたことを。そうしてその計略にのり、我々が利用するつもりが、逆に利用されていた」
「あの野郎は、ハナからどうでも良かったんだ。ブラドワールという国がどうなろうと。今回の作戦でうまくいって八大国としての地位を取り戻そうと、失敗して国として崩壊しようと。あの男は、今のあたし達になんて目もくれず、ずっと過去を見てやがるんだ。そして、マイセン様をも利用した……」
「ショコラ、馬鹿なことは考えてはいけませんよ。もう作戦は白紙に戻ったのですから、あなたは部隊から降りる、それだけでいいんです」
諌めるような口ぶりのグラベボの横顔を、ショコラはじろりと睨み上げた。
「主の恥辱をそそがない部下が、どこにいるっていうんだよ。グレイ=ジェルドの企みが、たとえ最早あたしに関係なくとも、あたしが動く理由は変わらない」
「いいえ、違います。ショコラ、あなたは動くべきではない。動いてはいけない。マイセンの友として、あなたを行かせるわけにはいかない」
グラベボはゆるゆると首を横に振る。けれどショコラの瞳の険は変わらない。それどころか、自分の主の友だとのたまう男の口を、引き裂いてしまいたい衝動さえあった。
「マイセン様は、優しいから、一時でも情を交わせば、あたしみたいな、駒にだって、心を砕いて下さるんだ。けれど、あたしはそれに自惚れられない。あたしは駒だから。だから、唯一できるのは、あの人のために戦うことなんだ。それしかできなんだ」
「……ショコラ」
グラベボは、このどうしようもなく愚かな同胞を、どこかで愛しく、歯がゆく感じていた。彼女の願う男の幸せを握るのは、誰でもない彼女自身だというのに、目の前の女はそれに気づかない。気付いていながら、否定する。擦れ切れた自分自身にはそのような価値はないのだと、己のことを無碍にしている。
それ故に、グラベボはショコラを止められない。きっとこのまま、目の前の女は死に向かうのだろう。そしてそれはグラベボ自身もだ。好奇心は猫を殺すとはよくいったものだと舌を巻く。きっとこのまま、世界の真理に近づくために、危険を冒し、死ぬのだろう。
自分が死ぬことが変わらないのなら、せめて目の前の女は生かしたい。なぜグラベボはこんなにもショコラに生きてほしいのか、最早分からなかった。友のためだというのか。友のために、自分はそこまでやる男だったのか。グラベボは自分でも分からない感情に、ただじっとショコラを見やった。
「俺も、作戦から降りるつもりはありません。結局、聖玉とは何であるか、宝玉とはどんな力なのか、魔法とはなにか……俺の科学者としての疑問の答えは、この戦いの先にしかありません。だから、俺は戦います」
さぁ、ならばお前はどうする。そう問うようにグラベボはショコラを、そしてビルダを見た。
ショコラは一歩前に進んだ。その瞳は、その唇は、強い意志を切り取っていた。
「あたしは、戦う。マイセン様のために。マイセン様の望む国のために。あの方の行く手を阻むものは、誰であろうと、あたしが倒す」
上々だろう。ショコラとグラベボの言葉を聞いたビルダはうっすらと笑った。
「……いいわよ、ビルダちゃんも付き合うわ。それがきっと、ビルダちゃんの答えになるから」
未来になど道はなく。けれど進めば何かあるとかすかな希望に縋ってきた人生だった。ビルダは、それでも、と心の中でつぶやく。
――それでも、あなたに勝る希望はなかった、と。
思い描いた少女の顔は、すでに遠く。在りし日の記憶に支えられ、ここまで歩んだ道だったけれど、それももうここまでらしい。
ビルダは、あまりにも美しい諦観だと我ながら感心してしまった。
その瞳には、過去しか映らずとも、未来に願いを託さずにはいられない。
――あぁ、これが、私の辿りついた答えだったのかもね。
ただただ、ただ、ビルダは微笑んでいた。
久々の投稿&2019年初投稿です。




