一
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赤い絨毯の敷かれた大広間には、左右に伸びる中央階段と、細部にまで造形の施されたシャンデリアがある。
クラウドは剣を持ったまま、少女の訪れを待つ。
大きなクリーム色のソファには、ウエーバー、ラミーナ、ユファ、サルバナが腰かけ、バイソンはクラウドと同じくその場に立っていた。
傷はまだ少し痛むが、アン=ローゼンに渡された霊薬のおかげで大分癒えている。他の適合者たちもそれは同じだ。しかし、グレイ=ジェルドへの敗北と、シエラ、そして宝玉の喪失が拭えない傷となっていた。
――あの日から、もう三日か。
クラウドは、あの神殿の戦いからの日々が、あまりにも早く、そしてあまりにも恐ろしいものだった。思わず剣を握る手に力が入る。
――どうして俺はこんなに未熟なんだ……。
守れなかった仲間の、シエラの、あの顔が、脳裏に焼き付いて離れない。
「信じてるから」
――バカ野郎……。
あの時のシエラの声が、忘れられない。どうしてこんなにも胸を締め付けるのか、クラウド自身分からなかった。旅が始まって、最初に出会った仲間だから、ともに過ごす時間が長かったから、そんな理由では済まされない。もっと違う、もっと熱い感情の奔流だった。
「――随分と、怖い顔をしているな」
「……ッ!」
不意に、頭上から声がした。
中央階段の真ん中に立ち、ぬばたまの黒髪をなびかせたアン=ローゼンだった。ジルを除いた部下たちは、いつの間にかクラウドたちを取り囲むようにして大広間に立っていた。
アンはゆっくりと階段を下りて、一人用のソファに腰かける。
「ふん、居心地が悪いのはお互いさまというやつか」
アンは適合者たちからの視線を受け流しながら、クラウドを見た。
「ナルダンの適合者……クラウド=ディワーディスよ。改めて貴様に問おう」
アンとクラウドの視線が絡み合う。
「宝玉を失った今、貴様は自分は適合者であるといえるか」
静かな言葉だった。ラミーナとウエーバーはわずかに殺気立ったが、それも一瞬のことだった。
クラウドは、あの日の神殿での問答を思い出す。
「……俺たちは宝玉に選ばれた。体に宝玉がなくとも、その事実は、俺たちが死んだとしても覆らない。だから俺たちは――適合者だ」
「……それが、貴様の答えか。適合者である貴様らと私たちは依然敵ではある。が、グレイという共通の敵がいることは間違いない」
アンは問うようにクラウドを見た。
「……それが、俺たちの仲間を取り返す最短の道ならば」
「ふむ、当然だが、良い選択をした」
「ちょっとクラウド……!」
ラミーナが異を唱えようとすると、クラウドは片手で制する。
「ただし、それなりに情報は貰おう。それから、あんたにグレイにたどり着く算段があるのなら、って話だ」
クラウドの言葉に、アンはエリーザを呼ぶ。エリーザはローテーブルに大きな地図を広げて見せた。
「いいだろう。そうだな、まず、現在地だ。ここはブラドワールの首都マーゼ。貴様らがいた神殿はブラドワール王城地下であり、この屋敷は後宮の更に奥にある我がローゼンのものだ」
とん、とん、とアンが次々に指をさしていく。
「なるほど、じゃああたし達はかの有名な"奥の宮"ってところにいるわけ?」
ラミーナがわざとらしく言えば、アンは無機質に「そうだ」と相槌を打った。
「ふーん。……じゃああんたが、噂に聞く奥の宮の巫女の一族ってことね」
「奥の宮の巫女ってなんだ?」
バイソンが首を傾げると、アンは面倒くさそうに「そのあたりのことは、後で教えよう」と言い、地図に視線を戻す。
「そしてグレイがいるのが、ブラドワールから北西に向かった、革命の国フォーカスだ」
アンの指はブラドワールとナールに囲まれた小国家群の、海沿いの国を指す。
「フォーカス? ……なるほど、政府機能が革命で次々と変わる国とあれば、その混乱に乗じて潜伏しやすい、というわけですか」
「そうだ。そしてそれだけではない」
「どういう意味だ?」
「フォーカスは、封印の地に行くための要所なのだ。以前、グレイが言っていた。宝玉が揃い、番人が目覚めれば、海の道が開かれると」
「海の道……なんだいそれは」
「封印の地は、地図に載っていない場所にある。私達のいる本土からはかなり離れた島なんだ。しかし、宝玉が揃うと、封印の地から、このセルメク島を通ってフォーカスに一直線に道が開く。海が割れ、光の扉が現れるという。それを、海の道というらしい」
アンの右手人差し指がすーっとフォーカスから北東に向かって伸びていく。
「しかも、グレイのフォーカスでの拠点は、海に面していて、この海の道が開く入口の岬なんだ。おそらく奴は、番人の目覚めとともに、封印の地に行く算段だろうな」
「それは……こちらとしてはかなり深刻な状況ですよね? しかもいつ番人が目覚めるのか、分からない状況ですし」
「あぁ。だから、セイスタンを向かわせた。あいつならグレイに気付かれても問題ないだろうし、隠密行動には長けているからな。海の道が開けたら、転移魔法で我々も向かう」
「方法は分かった。……けどよ、まだ納得いかない事がある」
クラウドはアンと、それからそばに控える刺客たちを見やった。
「お前たちは、何のために聖玉を望むんだ」
シエラを奪還し、宝玉を回収したところで、クラウド達とアン達の対立関係は依然変わらない。クラウドの問いかけに、アンは考えるように顎に手を当てた。どこか不安げなエリーザの視線を受けながら、アンはゆっくりと顔を上げる。
「私は、我が民のために、世界を是正することを願った」
「アン様……」
すまない、エリーザ。そう呟き、アンは語り始めた。
「我がローゼンの一族は、国家建設の折からブラドワール王家に仕える血脈だ。私達は王にのみ仕え、この先見の能力を以て国を危機から救ってきた。それが、このブラドワールという国に生きる者のためになると、国民の繁栄につながると、そう思っていたからだ」
アンは真っ直ぐにクラウドを見ていた。
クラウドも、真っ直ぐにアンを見ていた。
ナルダンという国に生まれ、ナルダンという国で育ったクラウドにとって、ブラドワールとの因縁は余りにも深いものだ。祖父のガイウスを発端とするジルとの因縁でさえ、ブラドワールとの争いであるザラミス戦争がきっかけだ。
そして、ブラドワールの日記に見せられた、あの記憶。
ナルダンという男にとって、ブラドワールという男は、あまりにも替えのきかない存在だった。
唯一無二。生涯をかけて二度と出会えない友であり、宿敵となってしまった男。
ナルダンの宝玉を持つ者として、クラウドには嫌というほど分かってしまった。大切な人の命を奪うことの苦しさ、虚しさ、残酷さ。
罪は背負えても、罰は与えられない。――それこそが、ナルダンにとっての罰だったのかもしれない。
二千年の時を隔てても、ナルダンとブラドワールの宿業が消えることはない。今もなお、溝は横たわっているのだ。
「そして私は、虐げられ、苦しむ国民を救いたいと思った。なぜ、二千年も前の禍根が、今を生きる民を苦しめるのか、私は疑問だった。そして、王も同じ思いだった。だから私はグレイのいう、世界をあるべき姿にするという言葉に、賛同してしまった……」
しん、と場に沈黙が下りる。けれど、物言わぬ怒りがウエーバーとラミーナから噴き出していた。
アンは二人に視線を向ける。
ラミーナは右手で額をおさえ、前髪を握っていた。
「……じゃあ、あたしの姉は、あんたと同じだったってわけ。グレイ=ジェルドの思想に賛同した結果、命を食い潰されて、実の妹に始末されなきゃいけなかったってわけ?」
口許にかすかに浮かんだ笑みと、歪んだ目元のしわが、深い影を落としている。
「分かってるわよ。あんたと、あの男の目的が違うってことは。あの男は、結局世界を壊したいだけよ。我が儘の通らなかった子どものように。あたしの姉が、そちらに加担していたことも、分かっているのよ。分かっているけど、認めたくないわよ。結局、あたしの姉が何のために死んだのか、あたしの姉のために、一体どれだけの人が死んだのか。ねぇ、アン=ローゼン、あんた、分かっているの? あんたの掲げた理想のせいで、誰かが苦しい思いをするっていうことが、どういうことか。あたしは、あんたに怒っているんじゃないのよ。あたしの姉のような人間が、いま、目の前にいて、姉のように無関係の人間を平気で巻き込んでいるっていうことに、怒っているのよ」
その言葉に、クラウドはウエーバーを見やった。
ウエーバーの顔は、俯いているためかよく分からない。ただ引き結ばれた口が、握られた拳が、彼のやるせない気持ちを物語っている。
「……僕は」
掠れた声で、汗を滲ませながら、ウエーバーは震える唇を動かす。
「僕だって、同じです。僕は、僕の王のために、僕が守るべき国の人のために、適合者になりました。そこはアンさん、あなたと同じだ。けれど、あなたは僕の国をひどく傷つけた。魔物という毒を、僕の国に持ち込んだ。これじゃあイタチごっこですよ。あなたは僕らを憎んで、僕たちはあなたを憎む。二年千前からちっとも変わらない」
歯を食いしばり、ウエーバーは何かを耐えるようだった。
憎しみか、怒りか、それとももっと別の何かか。
「僕は、アンさん、僕も、僕もあなた個人は恨めない。怒れない。そんな資格、僕にはない。けれど……」
この行き場のない思いを、どうすればいいのだろう。
その言葉はまるで水のように、この場にいる全員の心に染み渡った。
行き場のない思い。
誰しもが抱える澱のようなものを、どうやって解消すればいいのか。
二千年前からの禍根。宝玉という特権。大国であるという優越。アンは禍根の原因を憎むが、その行為を許せないウエーバーがいる。ラミーナがいる。しかしアンを憎んだところで、何も解決しない。原因の解決のために他者を搾取すれば、また誰かが搾取される。
誰もが行き場のない思いに縛られた、そんなとき。
「つまりよ、お前らは自分たちの生活のために世の中を変えたいんだろ?」
バイソンの、いつも通りの、それでいてどこか落ち着いた声が響いた。
「そんで、俺たちは宝玉を取り返して、聖玉を封印する。そーすると、世の中は今まで通りになる。……変わりたい奴と、変わりたくない奴がいる。で、なんで変わりたくないかって話だ」
バイソンは両手の人差し指を立てて、それぞれに見立てながら話し始める。
「変わりたい奴は、現状に不満があるから、変わりたいんだよな。変わりたくない奴は、現状に満足しているか、変わることが不安か、まぁ、理由はいくつかあるんだろうな」
普段と話し方が変わったわけでもないのに、今のバイソンには何か頼もしさのようなものを感じた。
「聖玉っていうのが、世界を変えられるようなすげぇ代物なら、俺たち全員まるっと幸せになれるようにできるんじゃねーの? どうやったら俺たち、喧嘩しねぇで済むんだろうな」
淡々と、それでいて普段の彼らしいどこか温かいような言葉だった。
誰もが幸せになれる方法。
その言葉に、クラウドは胸の奥が痛むのを感じた。
全員の幸福なんて、存在するのか分からないものに縋っていいのだろうか。全員の幸福を叶えることなんて、本当にできるのだろうか。
「……そうだ、そもそも、聖玉で一体何ができるんだ」
はたと、クラウドはその疑問に行きついた。
世界の制御なんて大それたことを言っているが、聖玉の持つ力とはそもそも何なのか。
「世界を制御できるほどの力と言っているが、そもそも聖玉とは何なのか。どうやって使うのかも知らないのなら、方法も考えようがないんじゃねぇのか」
「……確かに、それは一理ある。コトノも、聖玉はエゴのために創られたと言っていたし」
ユファは足元にいるイヴを抱き上げ、目線を合わせる。
「コトノ、そこにいるのだろう。聖玉について、教えてほしいんだ」
イヴはか細く鳴くと、ユファの手から抜け出し、少し離れたところに駆けて行った。広間の中央階段のそばに行くと、イヴの毛が逆立ち、体からは青色の光が発せられる。
ふわりと影のようなものが伸び、その中から白銀の御髪が溢れだす。色素の薄い肌が現れ、静かな湖畔のような瞳が開かれた。
「――……それで、御主たちが後悔せぬと言うなら、私は語ろう」
陰のある表情で、コトノは微笑んだ。
「それにしても、紛いものの小娘たちとこうして顔を合わせるとはの」
「ふん、その節は世話になったな」
「あの時は随分可愛がってやったというのに、棘のある言い方じゃの」
コトノとアンが視線を交わせば、剣呑な雰囲気が流れる。エリーザに至っては、アンの対して「紛いもの」と言った瞬間に、コトノに攻撃できるような態勢になっていた。
「まぁ、今は良かろう。それに、御主が本当にアールフィルトの力を持っておることは承知したからの。ローゼンの娘ならば、聖玉にも関わってくるし好都合じゃ」
コトノは手のひらをひらひらと振りながら、全員に向き直る。
「……今一度問うぞ。御主たちは、聖玉の真実を知りたいというのだな」
その瞳は、深い憂いを帯びていた。けれどクラウドは、最善の道を探さねばならなかった。多くを知り、何かを拾い、何かを選び、シエラへ辿りつかねばならなかった。
「――俺たちは、知ることを選ぶ。たとえそれが、どんな真実だったとしても、後悔はしない」
クラウドのその言葉に、コトノはそっと目を閉じた。
「いいだろう。人の子よ。己が命を使い果たせる愛し子よ。御主たちの尺度でもって、いかようにこの物語をはかるのか、その様を見せるが良い」
そして、コトノは語り始める。
はるか昔の、悲しくも愚かな、どうしようもなく絡まった糸と、その模様の有様を。




