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リディア―世界の中で―  作者: 知佳
第二十章
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146/159

二

****


「あれは、まだ、俺が人間だった頃の話だ。無力で、無垢だった時代。世界は神が治め、俺のいた村も例外ではなかった。いや、かろうじてまだ神に統治されていなかった。そんな束の間の幸せがあった。その束の間の幸せの中で、俺は、レイルは、そしてリディアは、共に育った。けれど、ある日――悪魔がやってきた」

「悪魔?」

「ふふ、俺にとってはね。侵略者たる神は、俺にとって魔物以上に悪魔らしいものに見えたよ。奴らに目的なんてなかった。達成すべき理想なんてものは持ち合わせてなかった。ただただ、退屈から抜け出すためだけに人間の世界に踏み入ってきた」

「世界各地に、神がいたってこと?」

「そういうことだ。やつらは人の世界に七つの拠点を置いた。七柱の神がそれぞれ勢力を広げ、誰が一番になるのか……そんな下らない陣取りゲームをしていたのさ」

「つまり、あなた達のいた村もその陣取りの一つだったのね」

「実に無意味だろう。奴らは飢えのために戦うのでも、信念のために戦うのでもない。奴らはね、暇つぶしに俺たちの生活を台無しにしていたんだ。そしてそれを顧みることはない」

「けど、じゃあなぜリディアは神の国に行くことになったの?」

「それも一つの暇つぶしに過ぎない。当時神の国は最高神が力を失ったがために、無秩序だった。人の世に干渉した七柱の勢力の他に、ルダロッタに残った神がいた。そいつらは七柱に干渉しない代わりに、人間を本国に送ることを要求したんだ」

「どういうこと?」

「言っただろう、暇つぶしだって。人間を見世物にしてやろうって魂胆だよ。しかもただの人間じゃつまらないから、魔法を使える人間をね」

「なにそれ……」

「腐った考え方だよ。だけどねシエラ、それは人間側からしてもメリットのある申し出だったんだよ」

「……どういう意味」

「当時魔法が使える人間はさ、異端だったんだ。人間でありながら人間ではなかった。これがどういう意味をもつか、どういう状況をもたらすか……君ならよく分かるだろう?」

「そう、ね。分かる。分かってしまう」

「俺が生まれた二千年前より二百年ほど前、本来ならば世界は分かたれていなかった。神も人も魔物も、みな等しくそこにあった。けれどね、愚かしくも神は争いを起こした。本当に、退屈だったというそのただ一点においてのみ、彼らは動く生き物らしい。そんな下らない理由で、神は魔物と争った。殺して、殺して、殺し尽くした。何も魔物だけじゃない。神も、人も、自然も、心さえも。――そうして、世界は一度滅んだ」

「……一度滅んだ、か」

「おや、なにか心当たりでも?」

「以前、ルダロッタでコトノにその映像……記憶、なのかな。それを見せてもらったことがあると思う。本当に世界は荒れ果てていた。でも、それを聖玉で……」

「そう。そこで聖玉の登場というわけさ。世界は壊れた。美しくない。だから元の美しい世界に戻したい……壊したのは自分たちだろうに、一体どこまで愚かなんだろうね」

「聖玉がエゴで出来たって……本当に、そういうことだったの?」

「そうさ、そういうことさ。そして聖玉に適合できる人間を探す目的も兼ねて、神は特殊な人間を集めた」

「じゃあ、リディアが神々に選ばれて世界を救うように言われたって伝説は……」

「都合の良い幻想といえるだろうね。選ばれたのは確かだけれど、彼女に拒否権は無かった。狭い檻の世界で、リディアは、あの子は、選ばざるを得なかった……ッ!!」

「グレイ……それじゃあ、あなたは……あなたの目的は……」

「俺はねシエラ。憎いんだ。憎くて憎くてたまらないんだ。虚偽と欺瞞で塗り固められたこの世界が。そうやって世界を塗り固めた神という存在が。憎くて憎くて、たまらないんだ」

 そこでようやく、グレイの言葉が途切れた。シエラは震える右手に視線を落とした。

 虚偽と欺瞞に塗り固められた世界。

 世界の土台が間違っていると言ったグレイ。

 コトノに見せられた過去のロディーラの姿。

 シエラの中で今までの全てが巻き交ぜられていく。

 一度滅んだロディーラを再生するために、神は聖玉を作った。そして聖玉に見合う人間を選ぶために、人々を神の国に連れて行った。そうして集められた人間の中から、リディアが選ばれた。

 こんな身勝手な話は、聞いたことがない。

 息が苦しい。考えるだけで胸が詰まる。

 風通しはいいはずなのに、空気が淀んでいるかのようだ。

「聖玉はね、何もそれそのものが世界の均衡を保っているわけではないんだ。聖玉は"鍵"なんだよ」

「か、ぎ? 聖玉が?」

「そう。扉を開くための、鍵だ。門、と言ってもいいのかもしれない。その扉の向こう側には、全てを飲み込む口が待っているんだ。普段は引きこもっていて出てくることはないけれど、一度開けば全てを飲み込むような大きな力が眠っている。世界を制御しているのは、そいつなんだよ」

「どういう、意味なの。封印の地に眠っているのが聖玉で、それが世界の均衡を守っているんじゃないの?」

「いいや、それは違うんだよシエラ。確かに聖玉は封印の地にある。けれど、本当に封印しているのは、別のものなんだ」

「……なんとなく分かったけど、でもそれって鍵と宝箱を同じところに置いてるってことでしょ? なんだか間抜けじゃない?」

「それもそうだ。聖玉は人の手に余るから、封印の地ぐらいでしか管理できない。……まぁだからこそ、宝玉なんていう二重のシステムになっているんだろうね」

「あ、そっか。宝玉は聖玉を唯一制御できるものだから……」

「一人では聖玉に至ることはできない。聖玉を開くための宝玉は、今となっては適合者にしか扱えない代物だからね」

「……そういえば、リディアの日記にも扉がどうとか、覚悟が出来たらどうとか書いてあったような」

 不意に思い出したことを口にすれば、グレイの目つきが変わった。

「リディアが? 日記に?」

「うん、確か。なんかよく分からなかったけど、扉が境界線だとかなんとか。一度入ったら戻れない扉だから覚悟しろみたいな言い方してたな」

「そう……か。そうか、レイルの言ったことは、あながち間違いじゃなかったのか……」

「え、なに?」

「いいや、なんでもない。なんでもないんだ」

「……あなたは、随分と悲しい顔をするんだね」

 シエラのその言葉に、風がざわめいた。カーテンが揺れる。

 グレイは慈愛に満ちたような顔で笑っていた。

「そうだよ。俺は悲しいんだ。悲しいなんて、もう、通り過ぎてしまったはずなのに、ずっと染みついて消えないんだろうね」

「たぶんもう、あなたは自力で止まれないんだね」

「……どうして?」

「だって、月日が経ち過ぎた。あなたは自分を責めすぎた。きっとあなたは、目的を達成することでしか、止まれない。ううん、達成しても止まれないかもしれない。もっと突き進むだけなのかもしれない」

「はは、ははははッ」

 グレイの乾いた笑いが響く。

「シエラはさ、自分のルーツって知っているのかな?」

「私の……ルーツ?」

「君個人、そしてロベラッティという家のルーツさ」

「……知らないけど、それが一体なんなのよ」

「いやなに、知っておいて損はないだろう。君の母方の家はかなり古くから続く家っていうのは知っているね?」

「逆になんでそれを……」

「それはいまは置いておくよ。さて、その古い家柄だけど、もうかれこれ二千年になるね。ひっそり細々と生きながらえてきたみたいだ。そしてその始祖は、ある王国の始祖につながっている」

「王国の……始祖?」

「そう。――八大国が一つ、ロベルティーナ王国が第一代国王、リディア=ロベルティーナ、そしてナルダン王国が第一代国王、アルベルト=ナルダンこそが、君の始祖だ」

「え――?」

 時が、止まった。

 脳味噌が火花を散らした。

 目の奥が痛い。

「どういうこと――?」

「なにって、簡単なことだろ。リディアとナルダンの子どもが君の家のはじまりってことだよ」

「う、そ。なんで、そんな、知らない、うそだ……」

「そうは言ってもねぇ。本当のことだよ。旅を終えた後、二人は結婚したんだよ」

「で、でも! じゃあ今のロベルティーナとナルダンの王家は……」

「ナルダンは兄の血筋で、ロベルティーナは妹の血筋さ。まぁ不運なのは、二人とも英雄として担ぎ出されてしまったからね。ブラドワールが戦争を起こしたとき、ナルダンは自国に戻らざるを得なかった。二人の子どもはリディアの祖母によって育てられた。ひっそり、こっそり、王位に関わらないように身を潜めていた」

「どうして……そんな……」

「それが英雄として担ぎ出され、個人の幸せを失った女の子の、唯一最後に託した望みだったんだよ。娘だけは、どうか巻き込まれませんようにってね」

「もしかして……アレン草は……」

「そう。リディアが愛した花だ。……君も城で会った、宝玉泥棒の男の子がいただろう。あの子は俺が育てたんだけど、あの子の名前もアレンなんだよ」

「じゃあ、おばあちゃんの家の地下にあんな祠があるのも、ラミーナがそれを見て隠すように言ったのも……」

「二千年、よく君の家は血を絶やさなかった。貴族でさえ生き残るのが困難な時代さえあったというのに。五百年前、俺も目覚めたときに君の家の血が続いていることには驚いたよ」

「でも、そんな、なにかの間違いじゃ……」

「間違いじゃない。現に、君はリディアのロッドを神殿で手に入れたじゃないか。あれはロベルティーナの一族のみが使える代物だからね」

「じゃあ、もしかして、時々宝玉が私に呼びかけるときにロベルティーナって呼ぶのも、まさか……」

 そう呟いた瞬間、グレイの纏う空気が剣呑なものになった。

「――シエラ、それは見逃せないな。宝玉が君に呼びかけるだって?」

「え、うん。本当に時々だけど、何度かあったの。ロベルティーナ、お前の望みはなんだ、って……」

「へぇ。それは困ったな。まさか、宝玉越しに接触してきていたなんて……」

「どういうこと? なんなの?」

 シエラはパニックに陥っていた。こんな重大な秘密が明かされるとは思っていなかった。額から汗が噴き出してくる。

「……少し、話しが逸れるけど、いいだろう。君のルーツだ、話してあげよう。いいかいシエラ、君に話しかけてきたやつは、聖玉の扉の向こう側にいる化け物だ。その名を――ローディラルトという」

「ローディラルト……?」

「そう。元は神だった存在だ。今や神という種族の枠を保っているかは定かじゃない。今のあいつはただ一つの魂の欠片を貪る悪魔だ」

「ただ一つの魂を貪る……?」

「ローディラルトは、アールフィルトと双子の神だった。アールフィルトは、いいね? アンの力の源になっている原初の神だ。この双子の神は、悲しくも同じ一人の女神を愛してしまった。しかし、その女神は殺されてしまう。女神の名はフィンディア。殺したのはリリィという女神だった」

「それが一体……」

「殺されたフィンディアは、その魂を二つに分けた。一つはローゼンに、そしてもう一つは、ロベルティーナに」

「な、によ、それ……。そんなこと、本当かどうか分からないじゃない」

「いいや、これは真実だ。証拠に、アールフィルトはローゼンの血に力を与えている。つまりシエラは、ロベルティーナの血を引く君の本当のルーツは、フィンディアだということになるんだ」

「だから何なのよ?」

「ローディラルトはね、フィンディアの魂を集めているんだ。そしてそれに連なるものを守ろうとする。つまり、シエラに宝玉を介して呼びかけるのは、君がフィンディアに連なるものだからだ」

「……理由は分かったけど、それの何かまずいことでもあるの?」

「あるよ。おおありだ。言っただろう、ローディラルトは悪魔だって。奴はね、フィンディアの魂を集めるために手段を選ばないんだ。聖玉の向こう側にあいつが封印されているのは、そうしなければ世界が滅ぶからだ。あいつは魂を持つものやそれに連なるものを扉の向こうに引きずり込んでしまう」

「それって……リディアが日記で言っていたことって、そのローディラルトのことだっていうの?」

「そうなるね」

 グレイは落ち着き払った声で、コーヒーを啜る。

 シエラは何だか話が壮大になり過ぎて疲れてしまった。

 すると、グレイが遠くの海を見つめながら、ぽつりと呟いた。

「――ねぇシエラ。こんな狂った世界で、これ以上君が適合者をやる意味って、あるのかい?」

 消え入りそうな呟きは、シエラの心に深く刺さった。

 狂った世界。

 適合者。

 意味。

 矛盾を孕んだ世界。

 魂を集める化け物。

 自分のルーツ。

 ルーツ。ルーツ、自分の原点。

 原点とは一体何だったか。

「――そもそも、私が適合者になった意味なんてないよ」

 いたって平坦に、シエラの喉から声が出た。

「私は、“世界”を救いたいんじゃない。私は、ただお母さんとお父さん、それにファウナ王女を救いたいと思って旅に出た」

 もう遠い記憶のような、あの日の事を思い出す。自分が旅に出ると決めた日。ファウナの涙が、確かに自分を動かした。

「旅を続けて、みんなと出会って、私の世界は広がった。――ねぇグレイ、私の世界っていうのは、私の大切な人たちそのものなんだよ」

 シエラの茶色に澄んだ両の目がグレイを捉える。グレイの中で面影がシエラと重なる。

「きっと誰もが、そんな小さな世界を守りたくて仕方がないんだよ。大きな世界全てなんて、人間の両手に収まるわけがない。たとえ私が、そのローディラルトっていう化け物に食われるのだとしても、それに怯えて、今更意味なんて問いかけても、それこそ無意味だよ」

 シエラの瞳は、揺らぐことはなかった。そしてその瞳に映るグレイの口許が、不意に、悲しげに歪んだ。彼は何か言葉を吐き出そうと口を動かし、眉間を寄せて、皺を刻んだ。しかし、彼からはなかなか言葉は出てこない。そうして逡巡の後、グレイは顔を覆い隠した。

「――あぁ、そうか。きっと君も、同じような気持ちだったのかな」

 吐き出された言葉は、しんとした空間に吸い込まれる。彼の呟きは、誰に向けてのものだったのだろう。シエラはそれを知りながらも、そっと目を閉じた。

「――本当に、なんて愚か」



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