六
「グレイ=ジェルド」
絶望を連れて来た男に、シエラ達は体をこわばらせる。
崩れた柱にもたれながら、グレイ=ジェルドは微笑んでいる。その微笑みは全てを受け入れた女神のように艶やかで淑やかだ。しかしシエラ達は感じている。彼の瞳の奥に隠された絶望の色を。シエラ達にとってグレイは死神だ。
「やぁ、適合者たちは久しいね。元気そうで何よりだ」
笑みを崩さぬままグレイはのたまう。本当に、久しい友人に会うような声音で物言うこの男に、シエラは冷や汗が止まらない。
グレイはゆっくりと視線を動かし、結界の中で戦うコトノを凝視した。そしておもちゃを見つけた子供のように無邪気に、歯を見せて笑った。
「あぁ、噂には知っていたけれど、あれが今の最高神か。なるほど、魔物どもが騒ぐのも無理はないか」
傑作だね。
グレイはひとりごちて、それからおもむろにコトノの方に向かって歩き出した。シエラ達含め、アンもグレイの様子を見守っている。グレイは結界のそばまで行くと、右足を上げた。一体何をするのかと思えば、グレイは魔力を練った足で結界を蹴った。
「!?」
グレイの膨大な魔力で蹴られた結界は大きく波打った。それに驚いたのかコトノはおろか、魔物七体も動きを止めた。
「貴様、何のつもりだ」
今までまともに言葉を発さなかった魔物が、グレイに問いかける。グレイは肩を竦めてみせた。
「お前たちが間違えるのも当然だけれどね、そこの最高神はミコトじゃあない。よく似ているが別の神だ。"パンドラの箱"の鍵は持っていないよ」
「黙れ。貴様とて我らの邪魔をするなら殺す」
グレイの言っている内容はシエラ達には要領を得ないものだったが、魔物たちはグレイの言葉を理解してなお、従うつもりはないらしい。するとグレイは冷ややかな目を魔物たちに向けた。
「君たちがこうして人間の領土に足を踏み入れてパンドラの鍵を探せるのは、俺のおかげだよね? それとも、今すぐ国に帰るかい?」
グレイがそう言えば、魔物たちは黙り込んだ。
「良い子たちだ。ありがとう。それと、俺は少しそこの神と話がしたいんだ。君たちはもう休んでくれて構わないから」
微笑みグレイの口調は依頼ではなく命令だった。魔物たちは黙り込んだまま、大人しく魔力の粒子となった。そしてアンが結界を解除すると、彼女の持つ札の中に戻って行った。
コトノは黙したまま、眼下のグレイを睥睨する。
「どうも、はじめまして。最高神……ええっと、名前はなんだったかな」
「コトノじゃ。で、御主がグレイ=ジェルドとやらか」
「そうだよ。それにしても驚いたなぁ。君は本当にミコト達にそっくりだ」
グレイが感心してコトノの顔を見上げていると、コトノは苛立ったらしく右手をひねった。空気が揺れる。グレイは首を右側に傾けた。するとグレイのちょうど真後ろの地面が抉れた。
「危ないなぁ」
「ふん。腐れ外道が」
「言うねぇ。俺たちは初対面だっていうのに……」
「あぁ、"私達"は初対面じゃな。しかし、御主は随分と知ったような口を利くではないか」
「そうだね、俺は二千年前の亡霊のようなものだからね。ミコトを知っているせいか、君のことも知った気になっているのかもしれない」
「自覚がある割に随分勝手なことをするのじゃな」
「自覚があることと、それを抑制できるかは別問題だよ。けれど、そうだね、君はミコトの性質よりも、ヤマトの性質が強いらしい」
ヤマトという言葉に、コトノは顔を顰めた。
「御主は……なぜヤマトから核を貰えた?」
グレイの瞳の奥に映るコトノの顔は、強張っている。グレイはゆっくりと自分の両手を眺めた。
「……俺もあいつも、理不尽さに耐えられなかったんだ。自分の大切なものを奪われることに、自分の真心を貫けないことに――俺たちは、耐えられなかった。俺たちは似たもの同士だったんだ。向いている方向こそ真逆だったけれど、俺たちは似ていたんだ」
「では、ヤマトも御主も世界を壊すつもりなのじゃな」
「ヤマトの奴はどうかな。俺にはもうあいつの声は聞こえないから、本当のところは分からない。けれど、俺もあいつもエゴイストなんだ。自分の目的の末に世界が壊れようとも……きっと、迷わないだろうね」
波の立たない水のように穏やかに、グレイは言う。決して大きくない声。穏やかで、どこまでも澄んだその言葉は、シエラ達の耳にも届いていた。誰もがグレイとコトノに釘付けだった。
けれどシエラは、グレイの澄んだ言葉にあったどうしようもない汚濁が許せなかった。
「――世界を壊すっていうのは、他人を踏みにじるってことでしょ」
踏みにじられて、踏みにじられて、軽んじられて、異物化されて、ボロボロになっていく。シエラの味わったものなど生ぬるい苦しみだったのかもしれない。しかしシエラは、そうやって人に踏みにじられることに、最早耐えられなかった。
「あなたは他人に踏みにじられてきたんでしょ。なのに今度は自分が踏みにじるの? どうして踏みにじったり踏みにじられたりしないといけないの」
子供だと、現実が見えていないと、そう言われるのは覚悟の上だった。世の中そんなに甘くない。シエラも分かっている。しかし黙っているわけにもいかなかった。
「グレイ、あなたが壊そうとしているのは、みんなが持つ世界の土台なんだよ。どうしてその土台を壊そうとするの」
シエラの問いかけに、グレイは小さな女の子を見るような、慈しみを篭めた瞳をした。
「その土台が間違っていたのでは、みんな安心して暮らしていけないだろう。今はその土台が間違っていることを認識している人間がいないんだ。だから知っている俺が正すんだよ」
「どうして、その土台が間違っているっていえるの。間違ってるってなに?」
「リディアを犠牲にして成り立った世界は、異常なんだ。神のエゴで生まれた聖玉に支配された世界なんて、おかしいとは思わないかい?」
神のエゴ、聖玉。その言葉は、ルダロッタに着いたときにコトノからも聞いた言葉だった。神のエゴによって作り出されたものがシエラ達を縛っている。
――確かに旅を始めるとき、私は勝手に適合者に選ばれることも理不尽だと思った。でも、でも、いまは……。
グレイの言葉に、シエラは二の句が継げない。
「君たちはまだ子供なんだ、なにも分からなくても仕方ないよ」
すると、シエラの隣にクラウドが並んだ。
「確かに俺たちはガキだ。けど、あんたも十分ガキだぜ。自分がされたことを、今度は他の人間にやろうって魂胆なんだからな。あんた自分のことエゴイストって言ったけど、よく分かってんじゃねーか。あんたはエゴイストだ。子供みてーに自分のわがままを押し通そうとしてる」
鞘からクラウドは剣を抜いた。グレイの顔が、怒りとも悲しみとも分からないようにくしゃくしゃになって、僅かに口許が上がっている。その瞳の色は容易く判断できるものではなかった。
「いいよ、君は君だ。君がそう思ったなら思えばいいさ。俺は勝手に宝玉をもらうだけだ」
グレイの纏う空気が危うくなる。殺気ともいえぬ圧倒的存在感が、シエラ達を押し潰そうとしている。クラウドは抜いた剣の切っ先を真っ直ぐにグレイに向けている。
クラウドとグレイがぶつかり合う――そんな一色触発の空気の中、先に動いたのはアン=ローゼンだった。
彼女は空気のように何気なく、一瞬にしてグレイとクラウドの間に割って入った。悠然と立っているが、彼女の眉はわずかに吊り上がっていた。
「グレイ……貴様の言葉が貴様の本音ならば、貴様の今までの全てはリディアのためだったというのか?」
アンの問いかけの声は平坦なようでいて、かすかに震えていた。口唇の震えのせいか、それとも握る拳の強さのせいか。アンの心に反して、グレイはただただ澄んだ湖面のような顔をしていた。
「あぁ、そうだよ。俺の全ては、いつだってリディアのためにある。けれどアン、勘違いしないでほしい。俺にとってリディアはとても大切な人だ。そして彼女たった一人の犠牲で成り立った世界は、果たして本当に俺たちの世界なのだろうか。大多数の幸福のために、たった一人の少女が全ての咎を背負う必要があったのだろうか。そしてその犠牲を犠牲として認識せずに、傲慢にも七大国は繁栄を続けている。これを悪といわずになんという? 理不尽に搾取される苦しみを知っているのは、ほかならぬ君だろう?」
グレイのもっともらしい言葉に、アンは不快そうに眉根を寄せる。
「貴様の言うことが甘言だというのは分かった。……いや、貴様のいうことには真実も含まれている。だから性質が悪い。貴様は歪んでいる。貴様が咎められるべきは、その思想ではなくその手段だ」
「へぇ。では、俺はどんなあくどい方法を用いたっていうんだい?」
「我らが王をたぶらかし、そして私達を利用した」
その言葉に、刺客側の空気が凍り付いた。特にビルダ、ショコラ、グラベボの三人の視線が剣呑なものへと変わった。・
「たぶらかした? 俺が?」
「そうだ。貴様は人がひた隠しにしていた心を引きずり出し、自分ではなく"私達"に世界を壊させようとしている」
アンの声はいつものように淡々としている。しかし、シエラ達にもはっきりと分かった。アン=ローゼンという少女は、紛れもなく、今まさに"怒っている"のだ。
「私は貴様という人間を疑いながら、それでも利用してやろうと思っていた。けれど、違った。貴様はずっと私を、私たちを利用していた。こんなに腹が煮えくり返っているというのに、私の心には蓋がされている。母が、父が、死んだのでさえ、貴様の思惑なのだろう。私が喜怒哀楽を失ったのも、貴様の思惑なのだろう」
アンという一人の少女の糾弾は、果たしてどこまであの化け物に届いているのだろうか。シエラはきつくロッドを握る。
「貴様は身勝手だ。どの口で私の父母の死を悼み、私を憐れんだというのだ。心の奥底ではほくそ笑む悪魔が、一体どの口でもって私のことを憐れんだ……ッ!!」
瞬間、グレイの頬を一陣の風が傷つけた。彼は穏やかに微笑んだままその傷を受け入れている。アンは眼の下に皺をつくり、顔をわずかにくしゃくしゃにして、口角だけを上げてみせた。
「だからこれで、もう終いにしよう」
アンが右手を翳す。彼女の額にある紋様が光りはじめ、グレイの周囲の岩が盛り上がっていく。それは次第に人のカタチを模していく。そして顔のない岩の人形たちが二十体ほど現れた。グレイよりもはるかに大きいそれらは、優に三メートルはあるだろうか。
「なるほど。アンが俺を殺したいのはよくわかったよ」
岩の群れがグレイを襲う。グレイの体が岩に呑み込まれて見えなくなる。しかし、シエラ達は肌で感じていた。彼が内包する――深く昏い魔力の奔流を。
次第に岩は砂へと姿を変え、その砂はグレイを中心とした渦に巻きあげられ、上空で一つの巨石へと集約される。
「けれどね、君には……向いてないことなんだよ」
グレイの石はアンに一直線に飛んでいく。そこにジルが割って入り、その石を魔力の籠った足で蹴り飛ばした。
「おっと、そうそう、そっちにはジルがいたんだった」
思い出したようにグレイが目を丸くすると、ジルは音もなくジャマダハルを服の袖から出すと、グレイに目がけて駆けだした。それに続いてビルダ、ショコラも飛び出す。しかしグレイは微笑みを崩さない。
「あぁ、届かない」
その嘆息は誰に向けたものだったのか。彼の溶けてしまう言葉とともに、上空から無数の火の粉が降ってきた。空間が一気に熱を帯びた。シエラ達は慌てて散り散りに火の粉から逃げる。
「俺の言葉も、願いも――みんなみんな、届かない」
グレイの瞳は、この場にいる誰もを捉えていなかった。虚空にある一点を見つめ、ただただ神殿の中に火の粉を降らしている。
ラミーナやウエーバー、グラベボ、エリーザらが水の魔法を発動させるが、それはあまりにも無力だった。そしてアンが結界を張り巡らし、足元からは水を生み出し、地面に降り注ぐ火を無効化している。しかし神殿の中が火の海になるのは、時間の問題のように思われた。
シエラはロッドを強く握る。
――何も出来ないのは、嫌だ。私はこんなにも、グレイを許せないでいるのに。こんなにも、仲間を救いたいと思っているのに……!!
シエラはロッドにありったけの魔力を篭める。コントロールは頭の外にあった。何かしなければならないという気持ちだけが、体を動かしていた。
「グレイ……ッ!!」
シエラは叫ぶ。
「頭を冷やしなさい……ッ!!!!」
ロッドの先端から一直線に、上空にいるグレイに向かって水が発射される。巨大な奔流がグレイを襲う。その瞬間、火の粉が消えた。グレイは逡巡したのち、右手を翳した。すると、シエラの放った水の奔流は真っ二つに割れ、勢いを失って雨を降らせた。グレイが何をしたのかシエラには分からなかった。しかし、隙は作れたらしい。
「後ろがガラ空きだ」
クラウドとジルがグレイに斬りかかる。雷を纏った二つの鋭い刃がグレイの背中を切り裂く。しかし、その瞬間、二人は空中で動きを止めた。――否、止められていた。
「昨日の敵は今日の友、ってやつかい? ――けれど、あぁ、届かない」
二人は指一本動かせないまま、そのまま壁に叩きつけられた。そしてその壁面の岩が動きはじめ、二人の体を飲み込んでしまう。
「クラウド……!!」
シエラは駆けだそうとして、不意に自分の足が動かないことに気付いた。まるで石になってしまったかのように、重く、皮膚が地面に引っ張られている。
「う、そ……」
それはシエラだけではなく、全員が動けなくなっているようだった。
「動けなくても……!!」
ウエーバーが魔力を練ろうとすると、彼の顔がわずかに引きつった。それはラミーナやユファ、サルバナも同じらしい。一様に顔が歪んでいる。
「……魔力を、喰われてる」
サルバナの発した言葉に、グレイが拍手を送った。
「ご明察。そう、俺はいま君たちの魔力を喰っている。文字通り、ね。君たちの魔力は俺の魔力になる。けど、なにも無尽蔵に喰えるってわけじゃない。俺の魔力の上限が満たされるまでしか喰えない」
「つまり、さっき大量に火の粉を降らせたから、そっちの魔力は腹ペコってわけかい」
「うん、その通り」
グレイはゆっくりとサルバナに近づいていき、彼の鼻筋をなぞった。
「君は聡い子だね。ゼログランで魔力が歪んでいなければ、もっと素晴らしかったのに」
「お生憎様」
グレイはにっこりと微笑み、そしてサルバナの足元の岩がせり上がり始め、彼を飲み込み始めた。その痛みに、普段は表情を崩さないサルバナが、苦悶に顔を歪めていた。
「サルバナ!!」
シエラが叫ぶ。グレイの視線が彼女に集中した。背筋が凍るほどの、深い翳りのようなものがシエラを射抜く。
――逃げ出したい……なんて一瞬でも思ったのが情けない。
シエラはかろうじて動く指先でロッドを握る。グレイはゆっくりとこちらに近づいてくる。しかし、シエラの視界は突然現れた背中でいっぱいになった。
「それ以上足を動かすのは御主のためにならぬよ」
コトノは真紅に染まった瞳でグレイを睨む。
「あぁ、君は動けたのか」
「ふん。生憎じゃがあの程度の術で縛れる私ではないの」
「そうかい、それは残念だ」
グレイは心底残念そうに溜め息を吐く。そんなグレイを尻目に、コトノは腰を落とし、息を深く吸う。
「グレイ=ジェルド。御主の望みは、あまりにも歪んでおる。いや、二千年前の我が同朋たちと同じ、といえば良いか」
「へぇ?」
わずかにグレイの顔が歪んだ。
「自分の欲求を満たすために他人を巻き込み、玩具にする。まるで子供と同じじゃ。何千何百と生きようが、その心が磨かれて楽になることはない」
コトノの言葉に、グレイは唖然とした表情をしてから、我慢できなくなったように腹を抱えて笑い出した。
「まさか神って種族からそんな言葉が聞ける日が来るなんて思わなかったよ。君たち神ってやつはさ、目の前にある退屈に我慢できなくなって快楽ばかり追い求めるアホばかりだと思っていたけど、どうやら君は違うらしい。非常に、非常に"人間的"だ。そうか、君は精神の充足を、成長を望むのか。幼児的万能感に満たされた人生は嫌なのかい?」
ケタケタと笑う悪魔に、コトノは深い皺を刻む。
「そうじゃ。私はどの神とも違う、一個体としてありたい。御主の言葉を借りるなら、そう、"幼児"から脱したいのじゃ」
「あははははっ。何千と生きる君たちには無理な話だよ。君たち種族ってやつは他人の痛みを理解できない! いつまで経っても君たちはそういう存在なんだよ」
「まぁ御主に理解されなくとも良いわ。さて、お喋りはここまでじゃな」
「そうだね、ここからは――」
「命を懸けて」
「本気で」
「殺し合いの時間じゃ――!!!!」
瞬間、二人が同時に飛び出した。グレイの目の前の地面が抉れ、コトノに容赦なく飛礫が襲い掛かる。しかしコトノは戸惑わない。
「邪魔じゃ!!」
咆哮とともに飛礫が吹き飛ぶ。
「ッ!!」
動けないシエラは二人の猛攻の煽りを一身に受ける事しかできない。
グレイのマントの影から無数の槍が飛び出す。コトノに向かって発射された無数のそれらは、ただの人間ならば太刀打ちできないものだった。しかし彼女は一本の槍を掴むと、その槍で他の槍をはじいていく。それだけではない。他の槍も掴むと、グレイ目がけて投げ返していく。瞬きする暇もないほどの応酬に、シエラはただただ息をのむ。
地を削り、空を引き裂き、互いを穿ちながらぶつかっていく。その姿はまさに、人ではなかった。
――このままじゃ、みんな巻き込まれて死ぬ。
この場でまともな意識を保っているのは、シエラと、かろうじてアンの二人だった。他は岩に押さえつけられ意識を失い、あるいは魔力を吸われて意識を失っている。しかしアンでさえ、体は動かせない。それにおそらく彼女も魔力を吸われている。遠目ではっきりとは分からないが顔は真っ青だった。
――どうにか、どうにかしないと……!!
そんな葛藤を抱えるシエラの耳に、ひと際目立つ轟音が入った。意識をそちらに向けると、瓦礫の上でぐったりと倒れるコトノがいた。
「コトノ!!!!」
そんな、そんなバカな。シエラは眼を見開いた。
煙幕の中からゆらりとグレイが姿を現す。いつになくギラついた瞳が光る。獣のように獰猛な雰囲気と危うさが彼から滲んでいる。
「あぁ、殺したい……殺したいけど、どうしようか」
薄く笑うその顔のおぞましさに、シエラは吐き気を覚えた。嫌悪感ではない。あまりにも理解しがたい彼の心の深い部分が、シエラの首を絞めつけるのだ。ガチガチとシエラの歯が音を立て始める。そしてそれに気づいたらしいグレイが大仰に手を広げてこちらにやってくる。
「あぁ、可哀そうに。大丈夫だよ、シエラ。怯えないで。君は殺さない。君だけは殺さないからね。大丈夫だ、大丈夫だよ」
白魚のような指がシエラの頬を撫でる。しかしそれは生き物の指には見えなかった。絡みつく蛇のようだとシエラは感じた。おぞましい何かが体を這い回るようだった。これが現実なのだと認識しながら、幻視の影は頭から離れない。
「あぁ、シエラ、シエラ。可哀そうな子。俺の愛しい子。俺は一度、ゆっくり君と話したいんだ。ねぇシエラ、俺と一緒に行こう?」
「……っぁあ」
恐怖だった。なぜこれほど恐怖するのかシエラには理解できなかった。理解を超えるほど、グレイに恐怖していた。言葉の発せないシエラに、グレイはうっとりと微笑む。
「そうか、じゃあ一緒に行こうか」
違う、いやだ。心はそう思うのに、痺れてうまく話せない。涙さえ零れないのは皮肉なことだと思った。
「ふふ、そうかそうか、早く行きたいか。でも、少し待ってね。いま、他の適合者から宝玉をもらってくるから」
瞬間、いよいよシエラの頭は真っ白になった。グレイはシエラを気にする様子もなく、アンの元へと歩み寄る。
――やめろ。
カツカツ。グレイの硬質な足音が響く。
――やめろ。それ以上、何もするな。
グレイが立ち止まる。アンの頭に手を伸ばした。
――やめろ!!!!
アンの額にある紋章が光りを放ち、アンの悲鳴が神殿に響き渡った。
――お願い、やめて……。
光が適合者の元に伸びて行く。クラウド、ウエーバー、ラミーナ、バイソン、ユファ、サルバナの体を貫いた。
――これ以上、なにもしないで……。
一条の光が繋がり合い、適合者の体からは美しく輝く宝玉が姿を現した。以前より、その輝きは増している。
「美しい。あぁ、忌々しいほど、美しい」
グレイは両手を差し出した。宝玉がグレイの周囲に集まる。そしてグレイは再びシエラのもとに戻ってきた。
「これらは君が持つにふさわしい」
そしてシエラの持つロッドに触れる。するとロッドの上部にある玉が輝き、宝玉と共鳴を始めた。眩さに目を奪われていると、六つの宝玉はロッドの玉の中に吸い込まれてしまった。そしてロッドの玉は六つの色が混ざり合い、不思議な色を持ち始めた。
「うん、素晴らしいね」
グレイは恍惚とした笑みのまま、シエラの持つロッドを愛おしそうに撫でて行く。そしてロッドの杖の部分に下りていき、ロッドを持つシエラの指を撫でて始める。
「さぁ、それじゃあ行こうか……」
ゆっくりとグレイに手を引かれ、シエラの足は動き出す。
行きたくない心とは裏腹に、足は自然と歩みを進める。その憤りを晴らす術を今のシエラは持たない。
――助けて、助けて……クラウド。
シエラがそんな風に願ってしまった瞬間だった。
「おい」
後ろから、息も絶え絶えに、二人の動きを止める声が聞こえてきた。
「おや、いつの間に」
それは、クラウドだった。岩に胸から下を埋め込まれ、ボロボロになりながら、右手に剣を握ったまま鋭い眼光でこちらを睨んでいる。
「そいつを……どこに、連れていくつもりだよ」
「どこだっていいだろう。もう君には関係のない話だ」
「関係ないわけ……ないだろうが」
クラウドは自由な右手でなんとか岩から抜け出そうともがく。
「そいつは、俺たちの大事な仲間だ。てめぇ、何の目的があるのか知らないけどよ、勝手に連れていくんじゃねーよ」
「ナルダンくんは、動けない体で随分偉そうだね」
すっと、グレイの眼差しが細められる。シエラはその瞳に、嗜虐的な色を感じた。
「あぁ、もう、君は、ここで殺してしまおうか」
グレイの指先が真っ直ぐにクラウドに向けられる。シエラは体の縛りを無視して、思わず彼の腕に縋りついた。
「シエラ?」
さすがにグレイも予想外だったらしく、目を丸くしている。
「お願い、グレイ。私なら、どうなってもいい。だから、クラウドには、他のみんなにはこれ以上手を出さないで」
「へぇ、随分殊勝なことを言うんだね」
「手前勝手な願いだって分かってて言ってる。甘ちゃんだって笑えばいいよ」
「いいやシエラ、笑ったりしないよ。君の願いは聞き入れよう。でもねシエラ、君にもそれなりの対価を払ってもらうよ」
その言葉に、シエラは笑ってみせた。
「いいわ、グレイ。あなたが私と約束してくれるのならね」
「もちろんさ」
「約束よ」
シエラはグレイの腕を解放する。そしてクラウドの方へと体を向け、親指を上げて掲げて見せた。
「私なら大丈夫!」
「バカ野郎……ッ!!」
クラウドの小さな罵声がシエラの心に響く。シエラは唇を引き結んだ。
「信じてるから」
それは、シエラからクラウドへの精一杯のメッセージだった。
「バカ野郎が……ッ!!」
クラウドの押し殺した罵声だけが、しんと神殿の中に響くのだった――。




