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リディア―世界の中で―  作者: 知佳
第十八章
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134/159

五

****


 丘の上、古びた防人の塔を背にしながら、一人の男が立っていた。ジャマダハルを手に、男は顔を俯かせながら風を受けている。

「――来たか」

 男はその双眸を前髪の隙間から覗かせた。低く唸るような声とともに、懐からナルダンの日記を取り出し掲げてみせる。シエラたちはそれを確認すると、さっと腰を落とした。

「雑魚に用はねぇ。ナルダンの適合者、てめぇだ。てめぇだけだ」

 その言葉に、クラウドは静かに剣を抜いた。すらりとした白銀の刀身が月夜に美しい。

「はっ、てめぇがその剣を持ってくるとはな」

 ジルはクラウドの剣を見ると、どこか納得したように呟いた。その表情にはどこか晴れやかささえ感じた。

「いいぜ、それでこそだ。それでこそ――殺す意味がある」

 身が震えるほどの殺気を迸らせ、ジルは笑っていた。その笑みはシエラに及びもしない次元のものだった。悲しみも恐怖も戸惑いもない、ただただ研ぎ澄まされた瞳だけが夜の静けさに溶け込んでいる。

 夜の風が冷たく身に染みる。ジルとクラウドの視線が交錯する。沈黙と、殺気。風が薙いだ。

 クラウドが飛び出す。白刃の煌めきとともに、ジルのジャマダハルとぶつかり合った。星と月の光のもと、二人の影が混じり合いながら反発を繰り返している。その一撃ごとに、己の存在を主張するかのようだ。

 ジルが穿ち、クラウドがいなす。クラウドが薙げば、ジルがかわす。風を斬る音が獲物を狙う。研ぎ澄ました刃の応酬が嵐のように吹き荒れる。二人の影は夜陰に紛れながらも際立っていた。星の光のもとにさらされる二人の顔は穏やかであり、獰猛であり、相反していた。矛盾した煌めきを孕みながら剣戟の音は木霊する。背の低い草を踏みつけながら、大地に根差すように、宙に舞う花のように、軽やかに、力強く、鮮明に焼きつく一の筋がぶつかり合う。

 シエラは二人の剣戟を見つめながら、ふいに胸の痛みを感じた。戦ってはいけない。戦ってはいけない。あの二人は戦ってはいけない。警鐘が鳴る。心が暴れ出す。シエラの心はここにあるのに、思いはどこか遠くにある。シエラは自分の胸を掴み、深く息を吐き出した。戦ってはいけない――否、戦わないでほしい。

 これは誰の願いだ。自分の願いか。それともお前の声か。誰の声だ。誰が為に願う。誰が為に声をあげる。

「――お前より生きることを、絶対に許すな」

 忘れていた声が聞こえた。悲しみの籠った、どうしようもない思いが、行き場を失って漏れてきた。

 シエラは息を詰まらせた。視界には今なおクラウドとジルの鮮やかな剣戟が映っている。まき散らした星のような二人の光が見える。そしてゆっくりと影が浮かび上がるようだった。曇天のもと、死臭を切り裂きながら鮮烈に駆け抜ける二人の男がいた。殺したくないと叫びながら、殺すことを選んだ二人の男の影が、光を覆い尽くす。

 ――違う。

 シエラは影を睨む。

 ――これは私の"世界"じゃない。これは私の心じゃない。

 影はある。けれどそれは今を飲み込めるものではない。どれほど鮮烈に生きたとしても、それはその人たちの記憶だ。シエラにとっての鮮烈とは、今目の前で戦っている二人に他ならない。似ていても同じではない。

 ――共感しろ、同情はするな。これは私の心だ。

 シエラがそう強く言い切ると、すっと影は鳴りを潜めた。

 金属のぶつかり合う音が空高く響きながら、クラウドの剣がジルを押した。後方に飛びながらジルは間合いをとる。クラウドは畳みかけるようにジルに剣を振りかざす。ジルは身を屈め咄嗟にそれをかわす。そしてそのまま足払いをし、クラウドが態勢を崩したところを上から斬りかかる。しかしクラウドもすかさずジルの腹を蹴りあげた。

「……そろそろ、かな」

 その時、隣にいるサルバナがふいに呟いた。

「おそらく、そうなるでしょうね」

 今まで黙っていた他のメンバーも同様に頷いている。

「次が、最後の一撃……か」

 バイソンのその言葉に、シエラははっと二人に視線を戻した。しかしすぐにバイソンたちに手を引かれクラウドから距離をとった。

 クラウドとジルは互いに牽制しながら距離を取り、構える。クラウドとジル、二人の魔力が可視化されるように渦が生み出され、二人を取り囲む。そしてクラウドの剣はバチバチと稲光を纏っていく。魔力濃度が高まる。ギリギリまで張りつめられたそれは爆発寸前だ。息が詰まる。ちりちりと空気が揺れた。

 神殿での戦いの再現だ。剣の折れたイメージがシエラの中で蘇る。しかし、それは本当に一瞬だった。クラウドの心は強く、とても真っ直ぐだ。彼は迷っても、自分で答えを見つけ出すことができる。だから不安はすぐに消え去った。

 そして――。

 ジルが駆けだしたのと、クラウドが剣を薙いだのは同時だった。ジルの体を風が包み込み、虎になる。クラウドの薙いだ剣からは稲妻が形を成して龍となる。

 夜空に嵐が立ちのぼる。風が吹き荒れ雷鳴が轟く。かげが際立つ。そしてふいに、花火のように苛烈に二人の姿が消えてしまった。

「クラウド……!!」

 シエラは思わず叫んで走り出していた。

「きゅーん」

 イヴも共に駆けだす。それを追うように他の適合者も走り出す。

 シエラが近づいて目を凝らせば、丘の上に倒れる二人がいた。どちらも満身創痍で、全員がボロボロだった。もう動けそうもない。シエラがクラウドのもとで膝を折ると、彼は視線だけ動かしてこちらを見上げた。

「きゅーん!」

 クラウドに気を取られていたシエラは、慌てたようなイヴの鳴き声に顔を上げた。そこには、アン=ローゼンが立っていた。音もなく気配もなく、夜陰に紛れるように、ぬばたまの髪を風にさらわせながら、彼女は立っていた。ちらりとシエラとクラウドに視線を向けるが、それはすぐにジルに向けられた。

「気は、済んだか」

 アンの声は平坦だったが、ジルはかすかに笑った。そして意識を失ったらしく、ぐったりとしてしまった。アンはジルの服の袂をあさり、そこからナルダンの日記を取り出す。シエラは息をのんだ。

「……これは、くれてやろう」

「え……?」

 一瞬、シエラはその言葉の意味が分からなかった。しかし、アンはそれ以上言葉を紡ぐことはない。彼女の足元にサークルが出現する。淡い光はジルとアンを包み込み、ゆっくりと足元から消えて行く。

「待って、アン」

 シエラはアンを呼び止めるが、彼女はその瞳を向けるだけだった。感情がないのではなく、ただどこまでも静かな湖のような、そんな顔で存在している。シエラはその穏やかさに、二の句が継げなかった。そして、丘にはシエラ達と、ナルダンの日記だけが、何事もなかったように取り残されていた。


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