三
シエラが神殿に戻り、身支度や食事を済ませたあと、適合者たちはリディアの日記とユファを真ん中にして集まっていた。
「さーて、それじゃシエラが頑張って手に入れてくれたコレの確認をしましょうか」
ラミーナの明るいハキハキとした声が響く。うん、とユファが頷いてページを開く。
「相変わらず白いねぇ」
「今回もなにか分かると良いがな」
呑気な物言いのサルバナと、珍しくそれに逆らわないクラウドの言葉に、シエラはじっとページをめくるユファの手を見つめる。
「おっ」
バイソンの期待のこもった声とともに、ようやく文字のあるページにたどり着いた。しかしそれは日記のかなり後半部分で、わずか数行でしかない。
しばしユファが黙読し、それからゆっくりと息を吐き出した。
「正直……よく、分からない。今まで以上に抽象的すぎる」
「どういうことですか?」
「とにかく、読んでみるぞ。……光の先に、扉が見える。その扉は、境界線となっている。ゆえに自ら開くことはない。こちら側から開けるしかない。けれど開ければ最後、全ては飲み込まれ一つになってしまう。甘言に惑わされてはいけない。もし自分で選んだのなら、その扉を開け。戻らぬ覚悟が出来たなら、光はただそこにある」
ユファが読み終わると、途端に静寂が訪れた。恐る恐る口を開いたのはウエーバーだった。
「これは……忠告、でしょうか」
「たしかに抽象的ねー。扉、境界線……。どこかの場所を言っているのかしら」
うーん、とウエーバーもラミーナも考え込んでしまった。バイソンは表情を特に変えていないが、少し緊張感が抜けてきている。
「ほかに読めるページはないのか?」
クラウドが尋ね、ユファはパラパラと日記をめくるが、シエラの目から見ても読めそうなページは皆無だ。
「うわー、進展なし?」
シエラが胡坐をかきながらロッドを杖のようにしていると、ふいにロッドの玉の部分が光った。
「!?」
「うわっ、なんだそれ!?」
「びっくりしたー」
シエラは玉の部分を覗き込む。青く澄んだ玉の中は雨のあとの川の中のように濁っており、何を伝えたいのか目をこらしてもよく分からない。
「どうしたっていうんだ」
クラウドが玉の中を覗き込むため、体を支えようと手を出した瞬間、突然リディアの日記が光った。
「今度はなに!?」
リディアの日記は光り出すとともに一人でにページがめくれ始め、日記の真ん中で止まった。そして文字が浮かび上がり、光が収まっていく。
「なんて書いてあるの?」
ユファは目で文字を追いかける。
「……アルベルトとフェリックスが戦うことは避けなければならない。戦えば、どちらかが命を落とすことは火を見るよりも明らかだ。宝玉の色は濁っていない。けれど影が見える。根の深い影だ。なんとかアルベルトとフェリックスを止めなければ……」
そこでユファは言葉を切った。これが今読める最大なのだろう。そしてシエラより先にバイソンが首を傾げた。
「アルベルトとフェリックスって誰だ?」
「初代ナルダン国王と、初代ブラドワール国王よ。アルベルト=ナルダンとフェリックス=ブラドワール。これが二人のフルネームね」
「なるほどなぁ。で、これって二人が戦うっつってるけどよ」
「おそらくですけど、ブラドワールが戦争をしかけたときのことではないでしょうか……。ユクマニロの日記でも、ブラドワールと戦うことは不本意であるようなことがありましたし」
「あぁ、その可能性はありえるな」
「しかし、宝玉の色というのは……」
ちらりとユファはコトノは見やる。
「宝玉が絆によって色づくのは前にもみせた通りじゃが……濁るのは初耳じゃな」
コトノはそう言って肩を竦めた。
「あとは、根の深い影ってどういうことかしら。なにかの比喩だろうけど……」
「でも見えるって言ってるよ」
「まぁ、見えるってのも言葉のあやかもしれないよ。ただ、シエラの思う通り、比喩じゃなくて本当に"影"だったりしてね」
「結局よく分かんねぇなー」
うーん、とバイソンが唸ったところで、ウエーバーがぽんと軽く手を叩いた。
「せっかくですし、ここで今までの日記を少し確認しませんか?」
「……そう、だな。もしかしたら何か進展があるかもしれない」
ユファはラミーナに視線を送り、ラミーナが魔法陣の中から日記を取り出した。
「さて、と」
今まで手に入れたガイバー、ダリアミ、ユクマニロの日記を並べる。すると、ガイバーの日記が明滅しはじめた。そして先ほどのリディアの日記のように、一人でにページを送り始める。
「どういうこと?」
「分からない、が、なにはともあれ……」
ユファが開かれたページに躍り出た文字に目を落とす。じわりじわりとインクが染み出てくるように現れる文字たちに視線が集まる。
「各部族ごとの結束は集まり、いまや村は国となった。部族の掟は国の法律にかわり、我々を中心に大きな国がまとまりつつある。しかしそれは一つではなく、様々な思惑が絡んでいる。東の果ては特に土地を巡る争いが絶えない。鉱山をめぐり、肥沃な大地をめぐり、水源をめぐり、自由を手に入れたものは私欲に走る。レゾナ族やティルセリア族の動きが特に気になるが……」
それからユファはゆっくりと、何かを思い出すかのように虚空を見つめた。
「……以前、ヴィセトニアの記述を見つけたときに、レゾナ族とティルセリア族の名前があったんだ」
「あの本にも、ナールの北東の部族での諍いについて書いてあったわね。地理的に、東の端というのは間違ってないし……」
「つまり、あの本の記述は二千年前についてである可能性が高いってことですよね」
ナールの国を訪れたとき、図書館の地下資料庫で見つけた本。その中には『玉を割った狼』という詩が書かれていた。そしてそこには、いまガイバーの日記に書かれていたような部族間の争いというものについても記述されていた。
「なにはともあれ、もしかしたら……僕たちは今まで築かれてきた、ブラドワールという国のイメージを変えなければならないかもしれないですね……」
どこか皮肉げに呟いたウエーバーの顔には、影が落とされていた。シエラはうーん、と腕を組む。
「なんだっけ、こういうの。百聞は一見に如かず? だっけ。イメージもなにも、私全然ブラドワールのこと知らないから。やっぱ実際見てみないと分からないんじゃないかって思うんだけど」
リディア達を裏切って戦争をした。物語の中ではそうなっているが、最早そんな単純な問題ではなくなっている。いや、世界に蔓延している神話と云っても過言ではないだろう。七大国という大きすぎる歴史の中に消されてしまった真実かもしれない。しかしそれはあくまで社会の中での問題であり、シエラにとっての問題ではない。
「シエラの言う通りだな! 俺も、実際に自分の肌で感じらんねーと、ちょっと納得できそうにねーわ」
そう言ってバイソンはにかっと笑った。無骨な手がガシガシとその真紅の柔らかい髪の毛を引っ掻き回す。そして小さく呟いた。
「仲間と家族なんて天秤にかけらんねぇよな……」
この呟きはシエラには聞こえなかった。誰の耳に届いたかは定かではない。あまりにも小さな言葉は、日記の光に飲まれていた。
「今度はダリアミの日記だな」
開かれたページに、ユファは少し疲れたように目を落とす。
「……我々は、運命の冷罵を感ぜずにはいられなかった。いや、我々というよりも私だ。ブラドワールという存在はあまりにも輝かしすぎた。彼が持つ、自らを破壊してでも進もうとするその非凡さに、我々は旅の中でハッキリと気付いていたはずだ。彼がもつ求心力、人を惹きつける魅力は、我々が身をもって知っているはずであった。なんという皮肉だ。我々は彼を知りながら、彼という人物を、彼を利用としようとする輩のもとに帰してしまった」
「今度もまたブラドワールの話ですか」
「……ブラドワールって男は、まさに"英雄"的な男だったんだな」
ふいにクラウドが漏らした。
「それはどういう意味でだい?」
なにかサルバナは突っかかるように尋ねる。クラウドはわずかに眉をひそめた。
「まぁ、時代が時代だろ。神に支配されていたような時代に、国というものをまとめるのに、ブラドワールって男はあまりにもぴったりだったんじゃねぇのかと思ったんだよ。非凡な人物ってことは、それだけ非凡なことを成し遂げられる。それを周りが期待する。そうやって祭り上げられて、英雄ってのは生まれるんじゃねぇのか」
本人の意志ではなく、押し流される空気のままに、民衆の願いや希望、果ては欲望をその身に体現し、突き動いていくしかない。文武を以て人心を掌握していく。
「それは、たしかにそうかもしれない。……では彼は、民衆の期待によって死んだということになるが」
「さぁ、それはまだ分からないよ。彼の立場は最終的には自分の部族や国に属したかもしれないが、これだけかつての仲間に影響を与えたんだ。彼自身の思いってやつを聞いてみないことには分からないんじゃないかい」
「けれど、いまユファさんが言った民衆によって死んだというもの、一つの視点じゃないですか? ……すくなくとも、僕は結果論でいうならばユファさんは正しいと思います」
苦し気に言葉を吐き出したウエーバーに、サルバナは不敵な笑みを浮かべつつ、「そうかい」と頷いた。
シエラは少しいつもとは違う意味で肩身の狭いような気分だった。クラウドは思い悩むことがあるのだろうか、眉間に深い皺を刻んでいる。それにしても、彼が先ほどのように意見を言うのは珍しい。
わずかな沈黙ののち、今度はユクマニロの日記が光り出し、ページを送り始めた。
「どうやら次を読めってみたいだね」
サルバナは肩を竦める。
「……今度は、ブラドワールのことではないようだ」
ユファの驚いた声に、全員の視線が集まった。
「あの日を境に、アルベルトの様子が明らかにおかしくなってしまった。自責の念か、後悔か、あるいは別の何かか。以前のような落ち着き払った顔をしているようでいて、その実なにかに怯えているようだ。リディア嬢も、アルベルトほどではないが、どこか様子がおかしい。……みな、私もふくめて、どこかしら変化はあるだろうが、やはりあの二人の心には……」
そこでユファの言葉は途切れた。
アルベルト=ナールの変調。あの日を境に。シエラはその時ふいにいつか見た映像を思い出した。
「お前より生きることを、絶対に許すな」
いつか夢で聞いた、噛み殺したような声がシエラの耳に木霊する。そしてシエラは、胸が射抜かれたような気がした。あの曇天のしたで相対した騎兵は――。そんな、まさか、あれは夢だ、そんなことがあるわけがない。
シエラの中でぐるぐると仮定と否定が渦巻いていく。
けれどあの夢を思い出そうとすればするほど、先ほどのリディアの心も、ユクマニロの心配も、シエラの中で辻褄が合ってしまう。夢の中の彼らは、互いに眉をひそめ、唇を噛み、その表情からはただやりきれない思いが溢れていた。あれほどの悲しみを、懊悩を抱えた人間がそういるとは思えない。あれは誰もが持ちうる葛藤であるが、あの二人の運命はあまりにも非凡であった。
シエラ本人ですら気付かないうちに、シエラは二人のことを当たり前のことのように理解していた。それは無意識であり、彼女ならざる彼女である。
そしてシエラは、視界の隅に居る向かい側のクラウドに意識をそらした。深緑の瞳は、いまは何を思っているのかは分からない。けれど、その瞳にシエラは泣きたくなった。旅をはじめ、クラウドと出会い、彼を見るたびに感じて来た懐かしさ、愛おしさがある。しかし、シエラはその思いに「ちがう」と首を振った。
――これは"私"じゃない。この気持ちは、"私"が持っているものじゃない。誰かの心だ。宝玉を通じて、私に誰かの心が……。
自覚した瞬間、シエラは歯を食いしばった。
――ダメだ。あの夢も、さっきの思考も、たしかに"答え"なのかもしれない。でも、私のものじゃない。あれは真実であって、私の答えじゃない……!!
シエラは言葉を発さない仲間たちを見回し、ゆっくりと息を吸い込んだ。
「みんな、私思ったんだけど。……この手に入れた情報をどう捉えるかは、いますぐに必要なこと?」
唐突なシエラの問いかけに、全員が目を丸くした。コトノはどこか面白そうに口許を緩めている。
「えーっと、シエラ……?」
ウエーバーが恐る恐るといった感じで上目遣いにシエラを窺う。
「だから、分からないことをいま早急に考えるべきかって。うーんと、なんていうか、いまは情報を手に入れても、なるほど、そうか、って受け入れるだけでいいんじゃないかって思うの」
「と、いいますと?」
「なんか、いや」
「は?」
シエラの言葉に、今度は全員が首を傾げた。
「いやってお前、子どもじゃないんだから……」
クラウドが呆れたように諭しにかかったのが分かったので、シエラは先に畳みかける。
「いやっていうのは、考えることじゃなくて、前に進めなくなることなの! 考えに引っ張られすぎて、目の前の大切なことを忘れていいのかってこと!」
真実を知ることは大切だ。けれどそれ以上に、知ったあとでなにを選び、どう行動するかが重要になってくる。この旅の中で何度も思ってきたことだが、今まさにそれを繰り返さなければならない。
「私達が二千年前のことを知ろうとしてるのは、"いま"を間違えないためでしょ。立ち止まって考える時間は必要だけど、そろってないパズルのピースでなにが分かるの? 少なくとも私は分からない」
「お前な……と、言いたいとこだが、まぁ、一理ある」
怒気をはらんだクラウドの顔が、一瞬で穏やかなものになる。それだけでシエラは胸が軽くなった。
「なるほど。シエラの言いたいことは分かった。……たしかに、揃っていないパズルのピースでは、答えの出しようもないな」
一番歴史的知識のあるユファの賛同に、少しだけ場の空気も明るいものになっていく。
「……僕たちの、いまやるべきこと、ですか」
「こうなりゃさっさとナルダンに行って日記を手に入れるしかねぇな!」
「そう、バイソンの言う通り!」
一気呵成。シエラはバイソンの言葉に乗っかる。
「きゅーん!」
「イヴに言われたら仕方ないね」
サルバナがイヴを抱き上げ、喉元を撫であげた。
「さて、と」
ラミーナが腰を上げ、全員の顔を見回す。どこか晴れやかな表情で、ニッと口角を挙げた。
「じゃあ、いっちょナルダン向かいますか!!」




