一
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長い回廊を歩き終えたシエラは、クラウド達とともに元いた祭壇の広間に戻ってきた。
「シエラ……!!」
ウエーバーがエリーザの攻撃をかわしながら表情を明るくした。
「よっしゃ、これで全員揃ったな!!」
バイソンはフォーワードに思い切り拳を叩きこむ。
「どうやら目的も果たせたみたいだね」
サルバナはユファの持つ日記に微笑む。
エリーザとフォーワードは顔を見合わせ、後ろに下がった。シエラ達から大きく間合いを取りながら、観察するような目つきで睨みつけてきた。
「ロベルティーナの適合者が無事ということは……」
「アン様……!!」
エリーザが拳を握りしめる。小刻みに震える体からは怒り以上の悔しさのようなものが見てとれる。
「……さて、どうする。あんたらの主の状況を確認したいってんなら、ここは退いてもらおうか」
クラウドが二人に向けて剣を突きつけた。フォーワードはそれに対して表情を変えることはないが、エリーザは眉間に皺を寄せた。しかし決断は迅速であった。
「……アン様のもとに行かせてもらうわ」
エリーザはフォーワードに視線を投げ、シエラ達が今しがた来た道を奥へ奥へと走り出した。
「……良かった」
消えていく二人の背中を見つめながら、シエラは胸を撫で下ろした。
「さて、それじゃさっさとここから出るか」
「そうね。日記も回収できたし」
「あ、このロッド……」
祭壇に戻したほうがいいだろうかと思い、シエラは祭壇を見る。その瞬間、脳裏に稲妻のようにレイルの顔が映った。
――また、レイル……?
途端に心臓がうるさくなった。血が巡り、体が熱くなる。息が上がりはじめ、背中から衝動的ななにかが這い上がってくる。涙腺さえ儘ならない状態に、シエラは歯を食いしばった。
「シエラ……?」
そんな彼女に気が付いたウエーバーは、慌てて近寄り、シエラの肩に触れる。
「どうしたんですか? どこか痛いんですか……?」
大きな瞳がシエラを覗き込む。柑子色の双眸の中に映り込む自分の姿さえ、シエラには不確かさを感じさせた。
「……行かな、くちゃ」
震える唇で紡いだ言葉に、適合者全員が怪訝な顔をした。心にいるシエラでさえ、そうだ。心と体があまりにも離れてしまいすぎていて、脳味噌が焼け付きそうだった。
「おい、しっかりしろ。行くってどこに行くんだよ」
クラウドに腕を掴まれ、他の適合者の面々に声をかけられる。けれど耳には膜が貼られてしまったかのようだった。
――こんなの、私らしくない。
シエラはロッドを両手で持ったまま思い切り振り上げた。クラウドやバイソンが止める間もなく、シエラはそれを振り下ろす。
地面にロッドの装飾の玉が叩きつけられる――誰もがそう思った瞬間、ロッドが光を放った。
適合者たちは全員飲み込まれ、そしてそれとともにシエラを縛る糸も消えていた。一瞬の浮遊感を感じながらも、誰もが目を閉じた。
そしてシエラは目を開け、ついで口も開けた。
「うわ、雨!?」
「それよりいきなり森なんですけど!!」
「なんだこれどうなってんだ!?」
そして一気に入ってきた仲間の声に、シエラは飛び上がった。雨だ。空は真っ黒な雲に覆われている。そして何より鬱蒼とした森の中に移動していた。
「ここは一体どこなのだろうか……」
「おい、あれ……」
クラウドが何かに気付いた。彼の指さす方を見れば、建物らしきものが見える。神殿だろうか。シエラたちは雨をしのぐためにもそこに歩き出す。
森はやけに静かだった。雨に濡れた土のにおいに満ちており、鳥の羽ばたきさえ聞こえない。
神殿に向かって歩いていくと、段々とシエラはこの森が異様な雰囲気に包まれていることに気が付いた。そしてその異様さは、いつか感じたものと同じであった。
シエラはクラウドを盗み見る。彼は気づいているのだろうか。ここがどこで、ここに誰がいるのかに。
シエラの本能以上に、理性が警鐘を鳴らしている。
そして森の木々が開け、神殿の前の小さな広場に出た。最初に声を上げたのは、誰だったか、あるいは全員か。崩れた柱のそばに、胸をナイフで一突きにされた女性が横たわっていた。
流れるようなウェーブの赤銅色が山の裾のように広がり、その合間を縫うように血の川ができていた。しかしその表情はどこか穏やかで。
この惨状に、シエラとクラウドはただただ顔を歪める。
「これはいったい……」
ウエーバーの困惑した声に、シエラはなんとか意識を留められた。
「とにかく、このほとけさんを俺たちが見つけたのも何かの縁だろ」
バイソンは悲痛な面持ちで、彼女の亡骸に手を合わせる。それにならうようにほかの面々も手を合わせていく。しかしシエラとクラウドだけはそれが出来なかった。
いったい誰が、彼女を――。
シエラはゆっくりと、レイルの体に触れた。涙が一筋、零れ落ちた。色々な気持ちが溢れだす。温もりのない彼女の体に、涙が止まらなくなった。
「――シエラ」
その時、レイルの体からふわりと何かが現れた。
シエラは目を大きく見開く。その場にいる誰もが呆気にとられ、現れた「彼女」を見つめることしかできない。
「シエラ」
「レイル……」
かすれた声で、シエラは名を呼ぶ。目の前で優しく笑うレイルは、以前この森にさまよったシエラとクラウドを助けてくれた彼女そのままだった。
「シエラ、クラウド……来てくれたのね」
「うん、来たよ。……でも、どうして?」
その先を言うことは出来なかった。シエラはレイルをじっと見上げたまま、彼女の言葉を待つ。
「……彼が、会いに来てくれたの。でも、分かり合うことも、止めることもできなかった」
「……その結末が、これなの?」
「そう、ね。……でもまだ、終わっていないわ。私は思念体よ。肉体の有無は、関係なくなってしまっているの。彼は、私を完全に殺したと、そう思ってるでしょうね。さすがの彼も、思念体を殺したことはないみたい」
そういってレイルは笑った。どこか晴れ晴れとしたその表情に、シエラは狼狽する。しかしその笑顔はすぐに真剣な顔つきに変わった。
「シエラ、あなたは……」
「……ねぇ、レイル、少し、話をしても、いいかな?」
ずっと会って確かめたいと思っていた。確かめなければならないと、思っていた。シエラはレイルが淡く頷くのを確認して、クラウドの手を握った。彼はぎょっとしたようにシエラを見たが、その手が震えていることに気づき、目をつむった。
「ねぇ、レイル……あなたの幼馴染は、グレイと、リディアよね」
シエラの問いに、クラウド以外の適合者がざわつく。しかし、彼らは口を挟まなかった。
「……えぇ、そうよ」
レイルはただ穏やかに首肯する。
ずっと聞きたかった言葉は得られた。彼と彼女と、そして目の前の女性が、今ようやくしっかりとした糸でつながれた。
「それじゃあ、レイルはグレイを助けるために……そのために、思念体になったんだね」
「……そうね。私は、彼を救いたいと思っている」
静かに落とされた言葉の重さに、シエラは瞼が熱くなった。
「……どうやったら、レイルはあの人を救えるの?」
シエラの問いに、わずかに逡巡したレイルは、どこか困ったように淡く微笑んだ。
「……私は、グレイの対になる"核"で出来ているの」
「核?」
「えぇ、核。核は、私を思念体たらしめているものなの。……そうね、きちんと、はぐらかさずに思念体について、私について話をしましょう」
そう言って、レイルはシエラたちに手招きをして、神殿の中へと導く。雨に打たれたシエラたちの体は冷え切っていた。レイルは神殿の奥まった広間のところに行き、そしてシエラたちに上を見るように指し示した。
そこには"世界"が広がっていた。壮大な一枚の絵が、さらに奥へ奥へと続いている。中央には顔のよく似た――全く同じと言ってもいい――二人の人物が向かい合っている。
よく似た二人が、いまのシエラにはやけに引っかかった。
シエラたちは冷えた体を温めるために火を焚き、崩れた柱や瓦礫を椅子の代わりにして腰を殺す。中央の棺と祭壇にはレイルが立っている。
「まず、思念体の話をする前に、少しだけ、この場所の話をしましょうか」
レイルは天井に広がる絵画の中央を指差す。向かい合うよく似た二人に視線が集まる。
「あれは原初の神、アールフィルトとローディラルト。二柱の神は双子であり、天地創造の能力を持っていた。けれど不幸なことに、二人は同じ女神を愛してしまう。愛された女神の名はフィンディア。そして彼女は、満月の夜、この神殿の前で殺された」
「殺された……?」
「そう。双子の寵愛を一身に受けた彼女は、リリィという女神に嫉妬のあまり殺されてしまったの。もともとこの禁断の森は、フィンディアが作り出した特別な森だった。リリィはフィンディアを殺したのち、この森を自らが生んだ、後に魔物と呼ばれる存在で埋め尽くしたわ」
外から聞こえる雨の音が、どこか叩きつけるような強いものに変わったような気がした。
「けれど、双子はそれを許さなかった。フィンディアの聖域に、リリィの子である魔物も、その魔物が持つ魔力も、立ち入ることは許されなかった。だからこの森は魔力をもつ存在を受け入れないの」
あまりにも唐突なレイルの話に、シエラたちはみな呆気にとられる。それに彼女が嘘を吐いているとは思えない。これは事実なのだろう。いや事実かどうかが問題なのではなく、そうであると考えることに意味があるのだろうか。概して神話とはそのようなものなのだろう。
「……そうか、少し、私は納得がいった」
しばしの沈黙の後、ユファが顔を上げた。
「どういうこと?」
シエラだけでなく、みなユファの横顔を窺う。彼女は、どこか遠くを見るような顔をした。
「以前、シエラとクラウドが禁断の森に迷い込んだとき、私達は森の外にある大きな門にたどり着いた。そこには、『十五の夜に消えし魂、ここに眠る』と書かれていた。……あの時には意味が全く分からなかったが、あれは、そのフィンディアという女神のことだったんだろうな……」
「そういえば、そういったものもありましたね」
どこか愁いを帯びたウエーバーの声音に、シエラも少し伏し目がちになる。
満月の夜に殺された女神の森――。ここがそんな場所で、殺された悲しみに双子の神が罰を与え、それが今でも残っているというのだから、まるで時間が止まってしまっているようだ。きっとここは少しも変わることなく――否、きっとここは変わらないことを望まれた場所なのだろう。
「……ここはね、外界との関わりを断ち、しかもそうしてきたことで神の力との親和性も高いの。そうして私はここで、千年眠ったわ」
千年。千年とは、どんな時間だろう。その時間を想像するには、シエラたちはまだ小さすぎる。
シエラはちらりとクラウドの横顔を盗み見た。いつもと変わらないぶっきらぼうな表情は、少しだけ張りつめていた。彼はいま、何を思い、何を考えているのだろうか。その奥にいるサルバナは、妙に達観したような瞳をしてレイルのことを見ている。
「……私はね、そう、リディアとグレイと同じ村で育ったの。三人同い年で、一緒に育った。穏やかな日々で、私はリディアに憧れながら、グレイに恋をしていた。体が弱くして、二人の背中に隠れてばかりの私は、リディアが連れていかれてしまったとき、何も出来なかった。グレイが彼女を追いかけようとしたとき、何も出来なかった。……リディアが世界を救うと決めたとき、私は彼女の言葉を聞くだけだった。そんな決断に抗おうとしたグレイを、私は止めることができなかった」
レイルの言葉の端々には隠し切れない後悔が見えている。自分の無力さを肯定してきた過去と、それでも未来を変えたいと今の孤独を選んだ、彼女のそのアンバランスな強さがにじみ出ていた。
「二千年前、魔法は特別だった。魔力なんてもの、私達人間にはない概念だった。そして神という存在もまた、私達には遙か彼方からの異邦人だった。異物すぎて理解なんて出来なかった。……でも私は、"声"が聞こえてしまった」
「声?」
「そう、声。私と同じ、過去の自分を恨み、今に戸惑い、未来を変えたがっていた、そんな神の声が聞こえたの。……本当に、ある日を境に、夢の中で声が聞こえてきたのよ。そして、私と声の主の夢がつながった」
レイルの話に、シエラは以前アンやグレイ、コトノと夢で出会ったことを思い出した。
「その声の主は、ミコトという女神だった」
「ミコト……?」
どこかで聞いたことがある名前だった。シエラは適合者の面々の顔を見回す。顎に手を当てて小さく唸っていたラミーナが、ぽっと顔を上げた。
「思い出したわ。コトノが言っていた、二千年前の最高神よ。ほら、あの日記の」
「そうだ!!」
合点がいった。
「レイルは、最高神のミコトっていう女神の声が聞こえて……それで?」
「そのミコトはね、双子の神だったの。……私がミコトの核を半分もらい、そしてグレイは弟神の核を半分もらっているの。双子の核は、もともとは一つ。だから私とグレイは、思念体においては"きょうだい"ということになるの」
きょうだい、の響きの中には、なにか喜びとも悲しみとも区別のつかない思いが混じっていた。
「それで、その核ってのは一体なんなんだ?」
「……そう、ね。簡単にいえば、人間でいうところの"心臓"ね」
「心臓……」
「そもそも、神というのは、アダムの樹という大樹から生まれるの。人とは生まれ方からして違うの。その大樹が作る実に、"核"があれば神が生まれ、無ければ彼らの食事となる」
「なんか想像できねぇな」
「神とは、元来そういうものよ。すでにそこにあるものなの。そして核とは神を神たらしめているもの。私達人間が母親の胎内で育つのと同じように、神もまた核によって育つ。神の生命活動を維持するのは核なのよ。核が滅びなければ彼らは本当の意味での"死"を迎えることはないわ」
「つまり、その核を持っているレイル、あんたも核がある限りは生き続けるってことなのか……?」
クラウドの言葉に、レイルは静かに頷いた。
「えぇ。思念体とは、そもそも核が目覚め、肉体を持たなくてもよくなった神のことなの。私はミコトと強く共鳴し合い、彼女の核の半分をもらった。……そして、思念体になったの」
「ちょっと待って。いまあなた、肉体のない神を思念体だって言ったわよね……? それだとさっきまで肉体を持っていたあなたは……」
「そうね、不完全な思念体よ。けれど、肉体の生命活動が止まってしまった私は、厳密には人間でも神でもない。長い時間を生きる中で、残るのはこの肉体になった目的だけ……。いわば、思いだけなの」
レイルは自分の手のひらを掲げてみせた。シエラたちが囲む薪の炎がはぜる。
「……だから、ミコトは、私たちのことを"思念体"と呼んだ」
炎に映し出された影が揺れる。レイルの背中に影は伸びていない。レイルはシエラ達の真ん中にある棺にゆっくりと腰かけた。
「私は千年眠り、そして千年を孤独に生きた。その孤独が、彼の救いになれるのなら……悲しくはなかった。ただただ過ぎる時間に、記憶が擦り切れてしまった。それでも、私は自分の願いだけは手放せなかった」
透き通るような声が薄暗い神殿の中に響く。シエラ達の伸びた影が天井にまで映し出され、双子の神がちらちらと蠢いている。
「レイル」
シエラは立ち上がり、彼女の前に行く。
「まだ、あなたがグレイを助ける方法はあるの?」
「……私は、そう信じている。けれどねシエラ、あなたはあなたの思うままに戦えばいいのよ」
そっとレイルの手がシエラの頬に触れる。しかし感触はない。だが温もりは残っている。彼女の笑みにシエラは涙腺が緩くなったのが分かった。
「ありがとう、シエラ。あなたは私にとっての希望よ。……それに、あなたは適合者だけれど、そうである以上に良い仲間に出会えたのね」
レイルは適合者たちの顔を見回した。最後にラミーナを見て、笑みを深くしたのはなぜか分からないが、それも一瞬のことだった。シエラはレイルに抱きしめられる。
「シエラ。少しだけ、私に力を貸してくれないかしら?」
「……うん、いいよ」
シエラが頷くと、ラミーナとユファ、ウエーバーが僅かに難色を示した。
「ちょっとシエラ……!」
しかしそれを制したのはクラウドだった。彼は無言のまま、鞘に収まった剣でラミーナの動きを封じた。
「……分かったわ」
ラミーナはふぅと息を吐き出し、浮いた腰を下ろした。
「ごめんなさい。でも、ありがとう」
薄緑色の淡い、まるで蛍のような光にレイルが包まれていく。彼女の体が半透明になっており、下半身から消えていっている。
「レイル……?」
「……私はずっと、あなたのそばにいるわ」
「うそ、なんで……だって思念体は……」
「……大丈夫、私はまだ、死ぬわけではないわ。ただ少し、眠るだけ」
まどろみの中にいるように、穏やかにレイルはシエラに触れる。シエラは淡い光の中に消えていくレイルが、視界の中で滲んでしまっていることが悔しくなった。ぐっと手の甲を目にあてた。
「私自身どうしたいのか、まだ分からないけど……でも、やれることはやりきってみせる」
「大丈夫。大丈夫よシエラ。だってあなたは――」
その言葉の続きは光の中に飲み込まれて溶けてしまった。まだかすかに残る光は、小さく明滅をくり返し、シエラの周りを飛んでいる。
「……きゅーん」
その時、今までずっとおとなしかったイヴが鳴いた。どこかシエラを気遣うようでいて、なにかを訴えかけるような声だった。シエラはイヴを抱き上げた。
「ごめん、みんな。レイルとの約束は、私の勝手。だから、みんなは……」
シエラの消えそうな声はクラウドの溜め息によってかき消された。
「お前の勝手は今に始まったことじゃねぇだろ。それに、これは俺たちの旅だ。グレイも、レイルも、俺たち全員の問題だ。……そうだろ?」
「そうね。クラウドの言う通りだわ」
「あぁ、全くだ」
「細かいことはよく分からねぇけどよ、でも、大切な思いってのはちゃんとあるべきだろ?」
「大丈夫です、僕たちがいるんですから」
「……まぁ、旅に困難はつきものというからね」
「きゅーん!」
ぶっきらぼうな物言いだが、シエラは肩の力が抜けたのが分かった。ここしばらくずっと感じていた焦燥感が、いまではどこかに消えてしまっていた。
――けれど、なにか私達は、レイルから大きな秘密に近づけたんじゃないかな……。
グレイのことであり、リディアのことであり、世界全てに関わる、そんな秘密の予感がする。そして雨脚の強くなる音は、しっかりとシエラの耳に届いていた――。




