三
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――あれは、誰だろう。
真っ白な空間に、よく似た二人が立っている。
――よく、似た……?
その感覚がおかしいとシエラはすぐに気付いた。シエラから近くて遠い場所にいる"二人"の顔はおろか、体の輪郭さえ、シエラは正しく認識できていない。それなのに、なぜ似ているなどという感覚を持ったのか。
シエラは一歩動こうとして、体に違和感を覚えた。
目が正常に機能していないのか、自分の手のひらでさえも、輪郭が霞んでしまっていた。こんな近くにあるはずなのに、自分の支配下にあるはずなのに、体さえも意識とは乖離してしまっている。
それならばこんな自分の前に現れたあの二人は一体なんなのだろうか。
シエラは呆然とした心持で、よく分からない似た二人を眺める。二人はなにをするでもなく、シエラに背を向けてただ空間に存在している。目的もなく、ただただその場に"いる"のだ。
ふいに、右の片割れが動いた。彼が手のひらを差し出して息を吹きかけると、そこから風が生まれた。シエラの髪の毛がさらわれる。
そして彼が涙をこぼすと、そこから水がわきだし、シエラの足を濡らした。彼はそのようにしてものを生み出した。生み出されたものはそれぞれが彼の手を離れ、独自に進化を遂げていく。
シエラは水の冷たさを感じながら、はっきりとしない視界でそのさまを見ていた。目の前で起こることがすべて遠く、実感もない。これが夢なのか、それとも現実の出来事なのか、その判断ももはや問題ではなかった。
――なんで、こんなものを……。
シエラは自分に見せられているこの光景の意味を図りかねていた。
――私が見たって、なにも分からないし。
世界の神秘を解き明かしたいと思う人間が見たならば、もっと違う感情を抱いたのだろう。シエラはそんなことを冷え切った頭で考えた。
――分かる分からないじゃなくて、知る知らないの問題なのかもしれないけどさ。
実際、日記集めをするようになった今ではシエラたちの旅はそういうものになっている。知ったのちに何をするのか、それだけがシエラたちの取れる自由なのかもしれない。けれどそんな自由さえ、曖昧に消えていくだろう。
――ときどき、分からなくなる。……なんで、分からなくなるんだろう。
もっと単純に考えればいいはずだ、とシエラは自分に言い聞かせる。いま目の前にあるものも、そういうものなんだと受け入れれば良い。けれどそれができない。
シエラがそんなことを思っていると、今まで動かなかった左の片割れが振り返った。果たして本当に振り返ったのかは定かではないが、シエラの視界ではそう見えた。
左の片割れは、じっとシエラのことを見ている。見ているようだが、全く見てもいないようだ。心のないような虚ろさではないが、その瞳に真っ当な光は差し込んでいないらしい。それだけは分かった。
ふいにシエラは、自分が左手にロッドを持っていることに気付いた。もともと持っていたが意識になかったのか、それとも無かったものが現れたのか、とにかくシエラはロッドを持っていた。そう認識すると、突然視界が明瞭になった。体も自由に動く。
そのかわり、今までいたはずなのは二人は消えてしまっていた。
空間そのものに変化はない。真っ白だ。背筋が凍るほどに、白い。そして足元を濡らしていた水はいつの間にかなくなっている。
シエラはただ突っ立っていることのも馬鹿らしい、と一歩足を出す。どちらが前か後ろかも分からなくなるような空間だ。
――終わりも見えないしな。
そう思った瞬間、誰かの声が聞こえた。シエラは歩みを止め、耳を澄ます。
「――千年、眠りなさい」
綺麗なソプラノの透明な声が、言った。そして、シエラの目の前にうっすらと人影が二つ、現れた。
「――千年眠って、あなたの存在は"わたしたち"よりも一つ上の次元に到達するわ」
「けれど、覚えていて。千年眠ったあと、あなたは千年の孤独に耐えねばならない」
「もしかしたら、あなたのすることは無駄になるかもしれない」
「あなたは孤独に耐えきれずに、自らその身を滅ぼそうとするかもしれない」
「それでも、もし、もしあなたの望む未来が訪れたなら――」
「千年の孤独に耐えたあなたの力は、きっと、"彼"にも届く」
諦めたような、それでいて希望を託すような声音に、シエラは怒りを覚えた。覚えたけれど、怒ることは出来なかった。
シエラの目の前に現れたうちの一つの人影は、レイルだった。もう一人は顔を見ることは出来ないが、腰まである銀髪の女性だった。
今の言葉は、おそらくレイルに向けられたものなのだ。彼女は測りきれないほどの時間を過ごし、ずっとずっと、ただ一人を救いたいと思ってきたのか。その事実を恐ろしいとも、バカだとも、美しいとも思う。
シエラには肯定も否定もできない。
ただ、彼女の決断はあまりにも悲しすぎる。
自分ひとりで全てを背負ったこと、なにより、そうさせてしまった周りの人間。腹が立つ、とシエラは歯を食いしばった。
けれども腹が立つのは、自分の無力さを感じさせられるからかもしれない。
シエラは目の前の、誰のものとも知れぬ記憶をただ見送る。見送ることしかできない。今ここで悲しんだとしても何も救われない。レイルを救いたいと思うのは、彼女のあの深い憂いを知ってしまったからだ。
彼女の心は、傷ついていた。シエラの及びもつかないほどに、他人を思って生きてきた彼女の心は疲弊していた。それはレイル本人さえ気付かないほど、小さな疲弊の積み重ねだ。
千年も独りだった彼女がその先に臨むのは、"好きな人"の幸せだ。レイルの心のエネルギーは、きっと他の誰よりも豊かで、きっと誰よりも悲しい。
シエラは、動かなくなった二人の影に、静かにロッドを翳した。シエラと二人の距離が遠ざかっていく。視界もだんだんと狭くなり、瞼が重くなる。
そして、シエラは目を覚ました。
シエラは背中にあたっているものから、自分が冷たい石畳の上に横たわっていることが分かった。その冷たさがシエラに突き刺さる。
シエラはふと、ロッドを持っていないことに気が付いた。
辺りを見回すと、ここは先ほどまでいた空間とは明らかに違っていた。太陽光はなく、薄暗い。ひんやりとした空気に、黒い石が敷き詰めれた、どこまでも広い空間だ。まるでここは裏側だ。
シエラは目を凝らした。すると、空間の奥、シエラの前方にかすかに光るものが見えた。シエラは立ち上がり、その光るものに一つの確信をもって迫っていく。
「――起きたか」
空間に溶け込むように、アン=ローゼンの声が響く。落ち着き払った穏やかな声は吸い込まれる。
シエラは咄嗟に身構える。しかしアンからは戦う意志が窺えない。
「これはお前に返そう」
そう言うやいなやアンはシエラに向けてロッドを放った。
「え、ちょ、ちょ、ちょ……!!」
シエラは慌ててロッドの落下地点に走った。緩やかな放物線を描き、ロッドはシエラの手の中に納まった。持ち手の棒が細いので折れないかと冷や冷やしたが、アンはそんなことお構いなしだ。
「そのロッドが鍵だった。……だが、もう必要ない」
その言葉に違和感を覚えたシエラは、アンの手元を見た。そこにはボロボロの冊子がある。
「それ……まさか……」
「リディアの日記だ」
瞬間、シエラはアンの目の前に立ちはだかる。
「返して」
シエラはアンにロッドを突きつけた。
アンは感情のない瞳でシエラを一瞥する。シエラは強く唇を引き結んだ。アンとは戦ったことはない。いや、一度だけ、一番最初、シエラはアンに宝玉を抜かれかけたことがある。勝てるイメージなど微塵もないが、勝てると思わなければ勝てない。
シエラはロッドを握りしめる。繊細そうなロッドだが、今は構っていられない。シエラはアンに向けてロッドを振りかぶった。アンは表情を崩さず、その場に立っている。当たる――その瞬間、ロッドは見えない壁によって弾かれた。
「ッ!!」
結界だった。アンを覆うように結界が張られていた。
シエラは反動で仰け反るが、すぐに態勢を立て直して左手を翳した。
「アクア・アロー!!」
シエラの体ほどもある巨大な水の矢が四つほど発生する。それは真っ直ぐにアンに向かって発射された。
――ラミーナに教わって練習してたんだから……!!
これならどうだとアンを見るが、矢は結界にぶつかって横に受け流されてしまった。
「その程度なら、話にならないな」
平坦なアンの声にシエラは歯を食いしばる。アンに届くには魔力密度をもっと高くして威力を上げなければならない。しかしこんな閉鎖空間ではリスクが大きすぎる。
「……残念だが、お前と遊んでいる暇はない」
アンの体が淡く消えていく。足元から透けていく。まずい、とシエラは魔力を練る。
「フレイム・アロー!!」
魔力を練っては発射、魔力を練っては発射を繰り返す。一つ一つの精度が低いならば数で勝負だ。しかし結界が崩れることはない。
――くそっ……!!
シエラがまたロッドを振りかぶろうとした、その瞬間。
「――……ほんと、相変わらず魔力バカなだけなんだから」
久しぶりに聞いた、聞き覚えのある声とともに、水色のツインテールが視界の端で揺れた。そしてアンの結界が光の矢に貫かれた。
「ッ……!!」
日記を持っていたアンの左腕を、矢が掠めた。日記がアンの手から零れ落ちる。
「久しぶり、シエラ」
「なんで、なんで…………なんで――ツヴァイがここに?」
張り付いた喉からは、情けないことにそれしか言うことができなかった。どこから現れたのか、ツヴァイはどこかで見たことのある緋色のマントをはためかせて優雅に立っている。
アンさえも彼女の存在に目を丸くしている。
「貴様は、誰だ……」
アンがツヴァイを睨む。睨まれた方のツヴァイはにこりと愛らしい笑みを浮かべ、数歩前に躍り出る。
「はじめまして、アールフィルトの化身さん。あ、化身より憑坐って言ったほうがいいのかな? とにかく、会えて光栄です。ふふ、私はツヴァイっていうの」
「ふん、とんだ女狐だな。攻撃しておいて、会えて光栄とは、どの面を下げて言っているんだか」
「あら、ごめんなさい。でも、許してね。私もあなたにその日記を奪われるわけにはいかないの」
そう言ってツヴァイはアンに近づきながら魔力を練っている。シエラでも分かる嫌な魔力だ。アンも態勢を整え、神経を集中させている。
わずかな沈黙。張りつめた空気。二人の視線がぶつかり合う。先に動いたのはツヴァイだった。彼女の手が動いた瞬間、無数の光の矢が発射された。
「チッ!!」
アンは落とした日記をすぐさま回収し、走り出す。そして幾重にも結界が張り巡らされた。
「お、さっすがー!!」
ツヴァイは笑いながらも矢を出し続ける。結界とぶつかり、破壊し、またぶつかり、破壊する。それを繰り返している。するとアンが左手を翳した。彼女の額に刻まれている紋様が発光する。
次の瞬間、ツヴァイの立っていた空間が歪んだ。そこには何もないはずなのだが、空間が捻じ曲がったのが分かった。
「へぇ、結界作るだけじゃないんだ!!」
じゃあ私も、とツヴァイは足に魔力を貯め、一気にジャンプした。そして空を縦横無尽に駆けるようにしてアンに迫る。アンはツヴァイの周囲に結界を展開させ、彼女が近づいてこないようにする。しかし、それに苛立ったらしいツヴァイが、魔力を込めて思い切り結界を蹴った。すると、結界にヒビが入り、粉々になった。
「シエラみたいな下手くそならいざ知らず、私にその程度の結界は無意味なのよ」
いまさりげなくバカにされたが、それはこの際置いておこう。それより、シエラはこの状況に全くついていけていない。そもそもなぜこの場にツヴァイがいるのか。あの緋色のマントは一体なんなのか。いやどこかで見たことがあるのだが、全く思い出せない。
――ほんと、なんでツヴァイがここに!?
ここは首都アレンダからも離れており、しかも一般人が立ち入る用事もないような神殿だ。学生であるツヴァイが来るような場所ではない。しかもアンと戦う理由もないはず、だ。
しかしそんなことを悠長に言っている場合ではなかった。目の前に起きていることこそが真実であり、現実なのだ。
――あぁもう頭痛くなってくるよ……。
それにあの緋色のマント、見た記憶はあるのだが思い出せない。シエラはゆっくりと記憶の糸を辿る。ルダロッタに着く前の旅の記憶を探る。砂漠の船旅、ゼインの格闘大会、禁断の森、アンたちとの戦闘、フランズ。瞬間、シエラの脳味噌に衝撃がはしった。まるで雷に打たれたかのような衝撃に、シエラは顔を上げた。
――そうだ!! そうだった!! あのマント、ディアナの図書館にいた偽館長が着てたやつと同じなんだ……!!
謎は解けた。しかしそれと同時に違う事実にも気付く。
――ってことはつまり、あの緋色のマントを着ているってことは……。
ウソだ、とうわ言のように言葉が勝手に出て来た。
しかしその仮定を立ててしまえば、ここにツヴァイがいることにも些か納得もいく。ごくりとシエラは唾を飲み込んだ。
――ツヴァイが、アークの一員……。
なぜ、どうして、いつから、そんな疑問が一気にシエラの中に生まれた。
――もう……ダメだ。これ以上はパンクする。
受け入れるしかない。目の前にあることを、認めるしかない。そうするしか、今のシエラには選択肢が残されていない。今は彼女が敵か味方かを感がるよりも、第三勢力の介入が起きているのだと、個人ではなく集団として捉えるほうがよさそうだ。
シエラはロッドを握りしめた。
――このタイミングで現れたってことは、ツヴァイにも、なにか意図があるんだ……。
心も頭もぐちゃぐちゃだが、冷静さを失くしてはいけない。自分がこの場で何をすべきか、自分がどの立場にいるのかを忘れていけない。シエラは自分に言い聞かせる。
アンとツヴァイは一進一退の攻防を繰り広げている。ややツヴァイが優勢のようにも見えるが、アンの結界は今のところ完全に破られていない。戦いは膠着状態、持久戦になっている。
――こうなったら……。
シエラはロッドの先端に魔力を集中させる。アンとツヴァイの激しい戦いに割って入るための鋭い一撃、その一撃をイメージする。ただし大きすぎる魔法は遺跡を破壊しかねない。それでは他の空間にいるであろうクラウドたちにも危険が及ぶ。それは避けなければならない。
とにかく二人の動きを止めて日記を奪うしかない。アンにもツヴァイにも日記を渡すわけにはいかないのだ。
シエラは先端に貯めた魔力に対して"剣"のイメージを付与する。鋭く、強く、二人の間を切り裂くモノ。シエラはそのイメージを保ったまま二人を見据える。
丁度ツヴァイが空中で跳び、アンに突っ込んでいこうとしている。
――今だ!!
シエラは思い切りロッドを振った。魔力が放たれる。一直線に迸る魔力の先にはアンとツヴァイの二人がいる。シエラは走り出した。
先に気付いたのはツヴァイだった。彼女は間一髪、空中で宙返りをして魔力を避ける。そして魔力はそのままアンの結界に直撃した。びりびりと空間が揺れる。
アンは結界をさらに強くしようと右手を翳す。しかし、一枚目二枚目の結界は一気に貫かれ、三枚目も間もなく崩れた。四枚目が火花を散らしながら消え、魔力は五枚目と激しく衝突する。
「チィッ!!」
アンがもう一枚結界を作り出そうとした。シエラは叫んだ。
「まだまだぁ!!!!」
追い打ちとしてもう一撃魔力を叩きこむ。ついでにツヴァイにも牽制として水の矢を放った。どうせすぐかわされて終わりだろうが、なによりはマシだと言い聞かせる。
そしてシエラはアンの結界に向かって突っ込んだ。魔力がまさに最後の結界を破ろうとしている。そこにシエラは魔力を込めたロッドを突き刺した。
「……!!」
アンが僅かに息をのむ音が聞こえた。それと同時に結界が消えた。
シエラは右足をバネにしてアンに手を伸ばす。すべての動きがスローモーションに見え、シエラの手が近づくのと同時にアンの周囲に結界が構成されていく。
――間に合わない……!!
アンの空間が閉じられる。諦めかけたそのとき、アンの背後にツヴァイが現れた。彼女の唇が動く。
――あ・り・が・と。
次の瞬間、ツヴァイの蹴りがアンの脇腹にきまっていた。アンの体が左に数メートルとんだ。
つかむ先を失くしたシエラは顔面から地面に突っ込んだ。なんとか直撃は免れたが、膝を思い切り打ち付けた。
「ざーんねーんでした」
ツヴァイの明るく皮肉たっぷりの声が頭上から降ってきた。
「ほんとお間抜け。でもおかげで助かっちゃった」
そう言ってツヴァイは倒れ伏しているアンに近づき、その傍らに落ちている日記を拾い上げた。アンは気を失っているらしく、反応はなかった。
「ふーん。これがリディアの日記なんだぁ。なーんにも書いてないって本当だったんだ。……ま、いっか」
ツヴァイはボロボロの日記をしげしげと眺めたあと、小さく何事かを呟いた。うまく聞き取れなかったが、その呪文のあと、日記が僅かに光り出した。
「なにを……!!」
立ち上がってツヴァイに近づこうとすると、鋭く睨みつけられた。嫌悪と殺気の込められたその瞳に、シエラは動けなくなる。
「そう、良い子ねシエラ。……邪魔をしたら殺すわよ」
猫撫で声でツヴァイは笑う。
本気だ。ツヴァイはシエラが一歩でも動けば殺す気でいる。情け容赦なく、首を刎ねるだろう。
日記は淡い光を放ったままだ。そして、一瞬強く明滅した。その瞬間、一つのビジョンが見えた。あまりにも一瞬の出来事で、シエラは息を忘れた。しかし、そのビジョンの中にいた人物が誰なのかはわかった。顔ははっきりと見えなかったが、それでも分かった。
――どうして、レイルが……。
額から汗が零れ落ちる。乾いた喉が引きつる。指が震えた。
やはりレイルに会わなければならない。会って聞かなければならないことがたくさんある。
シエラが考えている間に、いつの間にか日記の光は収まっていた。
シエラはツヴァイの様子を窺う。彼女には今のビジョンはどう見えたのだろうか、どう捉えたのだろうか。そもそも彼女は何の意図をもって呪文を唱えたのか。
しかし、ツヴァイ本人はどこか要領を得ていないような顔をしている。そしてしばらく何事かを考えたあと、シエラに視線を向けてきた。
「――……いらない」
「は?」
突然のことにシエラは反応しきれなかった。ツヴァイはシエラに向かって日記を投げた。
「え、ちょ、ちょっと!!」
――なんでアンもツヴァイもモノを投げるのよ……!!
直接渡されても薄気味悪いのだが、なんでもほいほい投げないでほしい。シエラは内心でそんな恨み言をたれる。
シエラが日記を受け取るとツヴァイは大きく伸びをした。
「あーあーもう疲れちゃった。ほんっとサイアク。ていうか、こんな形であんたと顔をあわせるなんて」
「……なんかツヴァイ、少し会わない間にキャラ変わってない?」
「そう? まぁ、先輩もいないしね」
「相変わらずあの陰険メガネが好きなんだね」
シエラがそんな軽口をたたくと、ツヴァイがにっこりと笑った。
「もーシエラったら。……次それ言ったら首落とすからね」
「………………気をつける」
目が据わっていた。笑顔ではあるが瞳にはあやしい光が宿っていた。シエラは口を閉ざす。
「ふん、まったく。あんたとこんな所で呑気に話している暇なんてないのに」
はぁ、とツヴァイは溜め息を零し、それから倒れているアンを一瞥した。
「アールフィルトの力を持ってるクセに、あの程度なんて。そこの女もあんたと同じで宝の持ち腐れね」
ひどく残念がるような言い方をしたあと、ふふん、と楽しそうに鼻を鳴らした。
「まぁいいわ。じゃあねシエラ。精々頑張って世界を救ってね」
「ちょ、ツヴァイ……!!」
シエラが引き止める間もなく、ツヴァイの体は透明になって消えてしまった。唐突すぎる展開にシエラは開いた口が塞がらなかった。
「もう……なんなのよ」
シエラの呟きが響く。
一度肩の力を抜いて脱力する。とにかく、とシエラは出口がないか辺りを見回す。ここにはアンに連れてこられたので出口が分からない。仕方がない、と奥へ奥へと壁伝いに歩き始める。
出来ればエリーザとフォーワードには会いたくない。もし遭遇したら折角手に入れた日記が奪われてしまう。さて、どうしたものかとシエラは思案した。
考えながらシエラは奥へ奥へと進んでいく。進むほどに薄暗さが増していき、喉元に言いようのない気持ちがせり上がってきた。子供ではない、と自分に言い聞かせる。
せめてロッドと日記だけは離さないようにとシエラは気を引き締める。カツカツと一人分の硬質な靴音だけが空間に響く。
――本当に、出られるの……かな。
終わりが見えない通路は、気が遠くなりそうだった。敵に遭遇することももちろん恐ろしいが、この空間に一人取り残されることも耐えられそうにない。
――後ろ向きになっちゃダメだ。……絶対、出口はある。
大丈夫、と呟く。言うと、不思議と元気が戻ってくる。思ったよりも落ち着きを取り戻せたことに驚いた。
そしてそのおかげか、いまの状況を冷静に振り返ることもできた。
――いくら刺客とはいえ、六対二じゃそんな簡単にはいかないはず。大丈夫。すぐに遭遇するようなことはない。
よほどのことがない限り、クラウド達が負けることはない。互角に渡り合うはずだ。シエラは一つ頷いた。それから、自分が手に持っているロッドを見た。
――このロッド、ずっと持ってるけどなんなんだろう……。
勢いそのままに持ってしまっていたが、これは遺跡に返した方が良いのだろう。そう思っていると、ロッドの上部についている玉が突然光り始めた。
シエラは驚いて素っ頓狂な声を上げた。恐るおそる玉を覗き込むと、そこにはなんとクラウドたちの姿が映っていた。
「えっ!?」
どういうことだ。シエラは目をむいた。そこにはクラウド、ラミーナ、ユファが走っている姿が映し出されている。斜め上からのその映像にシエラは首を傾げた。しかしこれは折角のチャンスである。利用するほかない。シエラはクラウドたちの走っている場所に意識を集中させる。
いまシエラがいる薄暗い通路と同じ程度の暗さの場所を走っている。壁の素材も同じ黒い石のようだ。案外そばにいる可能性が出て来た。それにメンバーが三人ということは、残った三人がエリーザとフォーワードの相手をしてくれているのかもしれない。
シエラはロッドを頼りに歩き出す。ロッドは光を放ったままなので、灯のかわりになってくれている。
そしてしばらく歩いていると、どこからか声が聞こえた。
――……ラミーナ?
シエラは顔を上げた。だんだんと足早になっていく。
「ラミーナ!!」
気づけば叫んでいた。
「シエラ!」
すると、闇の中からしっかりと声が聞こえた。もう大丈夫だ。シエラはもう一度名前を呼んだ。
「シエラ……!」
ユファの声とともに、光に三人の姿が照らされた。クラウド、ラミーナ、ユファの顔を見て自然と口角が上がる。
「シエラ!」
「良かった……」
シエラの体が力が抜けた。へなへなと床に座り込む。ぎょっとした三人が駆け寄ってきた。
「大丈夫か?」
ユファが膝を折ってそっとシエラの肩に触れる。
「怪我はないか?」
「うん、平気。どこもなんともない」
シエラはへらりと笑う。体はどこも問題はない。ただ頭と心はぐちゃぐちゃだった。
クラウドはちらりとクラウドを見た。レイルについて話したいことがたくさんある。ここに来る前、バイソンの故郷でも話したばかりだというのに、もう話さなければならないほど、今日は色々な情報が出て来た。
しかし一度話したい欲求を抑え、シエラはユファにリディアの日記を渡す。
「これはリディアの……?」
「うん、なんとか手に入れられた」
本当の経緯を話すと長いので今は黙っておく。
「そういえば、アン=ローゼンは? あんたあいつに連れていかれたじゃない」
「あー……」
ツヴァイのことを話さなければならないのだが、今話しても混乱するだけだろう。
「詳しくは後で話すけど、今はまだ気絶しているはず」
そう言うと、クラウドがどこか納得したように頷いた。
「なるほど、気絶か……」
「どうかした?」
「いや、俺たちに張られていた結界が解けたのはそのおかげか、と思ってな」
「それで今はバイソン、サルバナ、ウエーバーが刺客二人の相手をしているわ」
「とにかく、早く合流しよう。シエラ、立てるか?」
ユファにそう言われ、足に力を入れるが、うまくいかない。すると目の前に手が差し出された。
「ほら、つかまれ」
仏頂面のクラウドがシエラの目の前に手を出している。
「……なんだよ」
「いや……ありがと」
シエラはクラウドの手を握った。
「い……っ!?」
そのとき、バチッと電流のようなものがはしった。クラウドとシエラは茫然として互いに目を瞬いた。今の電流はまるで宝玉が互いの存在を否定しあったような、そんな痛みだった。
「二人とも、大丈夫?」
ラミーナが固まった二人の顔を覗き込む。
「……あぁ、大丈夫だ」
クラウドはハッとしたように頭を振り、今度はシエラの手をしっかりと取った。力強く引っ張られ、シエラは立ちあがる。今度は電流ははしらなかった。
「行くか」
クラウドは彼らが今まで来た道へと歩き出す。シエラはその背中を見つめ、ゆっくりと息を吐き出した。




