一
「いやぁ、なんかこうやって自分たちの足で歩いて町を目指すのも久々だな!!」
クォーツの町を目指しながら、バイソンは楽しげに笑う。その笑顔がやけに眩しく、シエラは思わず目を細めた。
三日前、バイソンの故郷を出発したシエラ達はロベルティーナ王国にあるクォーツという町を目指して歩いている。アスナの家を発つ前日の夕方、ロベルティーナ王室から正式な報せが届いた。
日記は王城の地下神殿ではなく、ユクマニロと、ロベルティーナの首都アレンダの中間に位置する、クォーツという町の地下神殿にあるとのことだった。そしてそれを聞いて驚いたのは他でもシエラだった。
なにせクォーツという町は、シエラの母方の祖父母の家がある場所なのだ。小さい頃はよく訪れたが、祖父母が亡くなって以来全くといっていいほど行かなくなってしまった。そんな昔の思い出だけが詰まった場所にリディアの日記があるのかと思うと、シエラは不思議な気持ちでいっぱいになる。
そんなことを考えながら、シエラは久々に感じる足の疲労感に、なぜだか笑みが浮かんだ。コトノの能力のおかげでシエラたちは日記回収において、自分たちの足で大きな移動することはほとんどなかった。しかし今コトノは力が使えない状態だ。連日の能力の使い過ぎが祟ったのだろう。すっかりコトノに移動を任せてしまっていたが、本来ならばシエラ達は自分たちの足で歩かなくてはならない。
――すっかり鈍ってるなぁ。
旅を始めた当初はシエラも体力がなく、馬車に世話になることがしばしばあった。しかし適合者が全員揃う頃には、一日歩けるほどの体力もできていた。それがコトノに移動を任せるようになってから、長距離の行軍はしていなかった。体力は落ちていたが、不思議と気分は良い。
「ちょっとバイソン、それ昨日も言ってたわよ」
ラミーナが肩を竦めた。バイソンは前を歩きながら「そうかぁ?」と呑気に笑っている。
「でも、もうすぐクォーツって町に着くんだろ?」
「えぇ、そろそろのはずです。バイソンさんの故郷のミトラが、ロベルティーナに近い場所で良かったですね」
地図を広げながら、ウエーバーが周囲を確認する。今はずっと街道を一直線に歩いている。時々商人の馬車とすれ違うが、あとは人通りはほとんどない。
「一昨日とかは馬車をロベルティーナまで出してくれる大きな街まで歩いたけど、昨日は一日馬車で移動だったし、なんだかんだ人の足だと時間がかかるのよねぇ」
そう言ってラミーナは大きく伸びをした。こき、と肩から音が鳴る。シエラは思わず笑った。
「きゅーん?」
足元を歩くイヴが首を傾げるようにシエラを見上げた。シエラは「なんでもないよ」とイヴに笑ったまま答え、そして鼻先を掠めた花の香りに顔を上げた。
自然と歩幅が大きくなっていく。そしてシエラは走り出していた。
その様子に他の適合者たちは驚き、シエラの後を追いかけた。
シエラは街道から逸れて林の中に入っていく。香りが次第に強くなり、シエラは胸の高鳴りを抑えられないまま、その場所に向かって走っていく。ほのかに甘く、それでいて爽やかな香り。シエラの脳裏に優しかった祖母の顔が思い浮かばれる。
そして林を抜けた先に――。
「――はぁ、はぁ……」
真っ白な花が、一面に咲いていた。シエラは上下する胸に手を当て、その花のそばに近寄る。決して大きくはない真っ白な花びらに、黄色い雄しべ、地面から空に真っ直ぐ向かって生えている健気な花は、シエラのよく知ったものだった。
「――アレンソウ」
アレン草。シエラは祖母が大切に育ててきた思い出の花の匂いに眩みそうだった。決して香りの強い花ではないというのに、シエラは息が詰まる思いだった。
「おい!」
追いついたクラウドがシエラの肩を掴む。シエラはその衝撃で我に返った。
「どうしたんだよ……って、ここは?」
一面に咲いた花に気付いたクラウドが目を見開く。
「ここ、私のおばあちゃんの家の裏にあった林だと思う。……もうずっと来ていなかったから、たぶんだけど」
そう言ってシエラは屈んだ。
「この花、アレン草って言うの。おばあちゃんが好きだった花。一度は、絶滅しちゃったらしいんだけど」
「絶滅した花が、なんでここにあるんだよ……?」
クラウドはあたりを見回しながら顔を顰める。
「ずっと、おばあちゃんの家に種が保存されてたんだって。魔法で氷漬けにされたものが、家の地下にあったんだって」
「一体誰がそんなことを」
反射でクラウドは呟いていた。シエラもそのことを疑問に思い、幼い頃祖母に聞いたことがあった。シエラは記憶の糸を手繰る。
「なんでも、ご先祖様にこの花がとても好きな人がいたんだって。その人が、魔法で種を残したんだろうって、おばあちゃんは言ってた」
「たしかに命に直接干渉することは出来ないからな。……でも、そんなことをするまで花を残そうとするなんて、そんなに良い花なのか?」
なんでもない、そこらへんにありそうな花だけどな、とクラウドは口をヘの字に曲げた。
「私もね、そう思った。でもこの花、夕方になると花びらがなぜか真っ黒になるの」
シエラは立ち上がった。
「それで、朝になるといつの間に戻ってるんだよね」
林の向こうから他の仲間たちが走ってきているのが見える。シエラは全員に向けて大きく手を振ると、クラウドの手を引っ張って歩き出した。
「あ、おいこら!!」
なんだよ、とクラウドは眉根を寄せる。シエラは「いいからいいから」と花畑の外郭を歩きながら、記憶をなぞる。
「みんなが休めるとこ、心当たりがあるの!!」
ついてきて! とシエラは仲間たちに向かって大声をだした。
それからシエラは更に林を突っ切って行き、小さな坂を下る。人気の少ない開けた場所には、ぽつんと小屋が立っていた。
シエラは小屋の前で立ち止まり、ラミーナ達を待った。彼女たちはシエラに追いつくと、訝しげに小屋を眺める。
「ちょっとシエラ、急に走り出したと思ったらこの小屋はなに?」
「私のおばあちゃんの家への入口」
「え、ここがですか? というか入口って?」
シエラが胸を張って言うと、ウエーバーがきょんとした顔で首を傾げた。
シエラはにやにやしたまま扉を開く。小屋の中には小さなテーブルが置かれて、そこには花瓶に生けられた花が一輪挿してあった。床には薄い生地のカーペットが敷かれている。それ以外は何もない、少し埃っぽい空間だ。
シエラ以外の適合者が首を傾げるなら、シエラはゆっくりとテーブルを元の位置から横にずらす。そしてカーペットをめくった。すると床には薄らと切れ込みのような線があることに気付く。
「もうおばあちゃんもおじいちゃんもいないけど、ここはお母さんのお姉さん、つまり伯母さんが管理してくれてるんだけど……」
シエラはなんだか昔に戻ったような気持ちで、いそいそと床の切れ込みに指を滑らす。そして小さく呪文を唱えた。
「うわっ!」
ウエーバーが思わず声を上げた。ぐらり、と床が揺れた。そして切れ込みのあった部分がゆっくりと開く。観音開きのようになると、そこには地下へと続く階段が顔を覗かせていた。
「……これは?」
ユファが一歩踏み出し中を覗き込む。
「おばあちゃんの隠し工房……みたいな?」
「隠し工房?」
「うん。まぁ入れば分かるよ」
そう言ってシエラは手招きして小さな階段を駆け下りて行く。不安に思いながらも、クラウド達はシエラの後を追う。適合者が全員階段の通路に入ると、自然と観音開きだった床が閉じた。しかし不思議と暗くはない。誰も魔法で灯りをともしているわけでもないのに、目は周囲の狭い空間を認識できている。
ふとあたりを見やれば、壁の中に埋め込まれている石がほのかに青く光っているのだ。シエラは小さい頃の記憶を頼りに階段を下りていく。それと同時に、シエラの脳裏にツヴァイの顔が思い出された。祖母が生きていて、よくこの場所に来ていたあの時期が、一番楽しくもあり、一番苦しくもあった。そして、今思えば境界だったのかもしれない。
シエラは最後の数段を勢いよく駆け下りた。そして目の前に現れた木造りの扉に手をかける。シエラは後ろを振り返り全員がいることを確認してから、扉を開いた。
「じゃーん!」
シエラの明るい声とともに、目の前が開ける。
洞窟を開いた祭壇のような場所だった。王城の地下にある空間に少し似ている。しかし、ここは先ほどの通路と同じように石が淡く青色に光っている。そして中に一歩足を踏み入れ、クラウド達は思わず声を上げた。
「なんだこれ……?」
「疲労感が……飛んでいく……?」
「うおっ、なんかみなぎるって感じだな!!」
シエラも自分の中に魔力と体力が湧き上がってくるのを感じながら、息を吐き出した。足の疲労感も和らいでいた。
「……これ、一体どういう仕組みなの?」
ラミーナは周囲を見回し、光っている石に触れた。まるで石は温もりを持っているかのようにラミーナの体温に自然と交わり、そして強い魔力の波動を彼女に流していく。
シエラも同じように石に触れながら「私もよく分からないんだよね」と苦笑いをした。
「小さい頃不思議に思っておばあちゃんに聞いたときは……なんだっけ、この石が魔力を蓄積できるもの? とかなんとか」
「そんなすごいものがなんであんたのおばあちゃんの家にあるのよ」
呆れたようにラミーナは溜め息を吐いた。するとラミーナは、俯いていて目を閉じているユファに気が付いた。
「……どうかしたの?」
ラミーナの問いかけに、ユファはゆっくりと瞳を開いていく。
「……ここは、精霊の声がよく聞こえる」
そう言うと、彼女は空間の奥に見える小さな祠に歩いて行った。ユファが祠に向かうと、途端に石から蛍のような光が生まれてユファの周りを囲んでいく。
ユファは光に囲まれたまま祠の前に立ち、そっと目を閉じた。シエラ達も固唾をのんで見守る。一体どのように精霊の声がユファに聞こえているのかは分からないが、シエラたちはその荘厳な雰囲気に押し黙るしかなかった。シエラは背中に汗をかいていることに気付き、そして手がかすかに震えていた。
――なんか、ちょっと元気になりすぎた……?
シエラがそう思っていると、ユファがくるりとこちらを振り返った。その表情は険しい。シエラは思わず居住まいを正した。
「シエラ、すぐにここを出よう。あまり長居しては、きっとシエラの体に毒だ」
毒という言葉にシエラは口許を引きつらせた。体の芯が熱くなり、指先にまで血が巡っているのをはっきり感じる。汗が噴き出てくるが、今はそれよりも何か大きな問題があるような気がしてならない。
「シエラ」
今一度ユファに強く名前を呼ばれ、シエラはようやく足を動かした。祠の左手の奥にある窪みに手をあて、ゆっくりと押す。壁が動き出し、違う空間が顔を出した。シエラは全員に向かって視線を投げかけ、部屋の中に入る。続いてクラウド達も部屋の中に入る。中は薄暗く少し埃っぽい。人が暮らしているとは思えない、生活感のない空間だった。ただ最初に入った小屋とは違い、ベッドや食器棚、大人数が座れるテーブルとイス、その他もろもろの生活用品が揃っている。
「ここは……?」
ウエーバーが窓から外を窺う。そこは人気のない林の中ではなく、まばらながらも民家が並んでいた。
「おばあちゃんの家。あの小屋から祠でつながってるの」
ぐったりした様子でシエラは手近にあった椅子に腰かける。
「きゅーん」
イヴがすり寄り、シエラはその毛並に触れて息を吐き出した。ユファが心配そうな顔でシエラの背中をさすった。
「それでユファさん、さっきシエラに言った言葉の意味は……?」
窓辺に寄りかかりながらウエーバーはユファに視線を投げる。彼女は口を開き、逡巡した。しかしすぐにあきらめたように肩を落とし、シエラを見やった。
「あそこはシエラも言った通り、魔力を蓄積できる石によって私達の力を回復させられる場所だ。だが、シエラのように体内魔力量が多く、かつそれを貯蔵できる肉体にとっては容量以上の魔力を強制的に注ぎ込まれてしまう場所だと言ってもいい」
「ん、つまりどういうことだ?」
「コップに入っている水で考えてほしい。シエラのコップは大きくて、しかももともと二分の一の水が入っていて、一度にたくさんの水をコップに入れることができる。一方、私たちのコップはシエラのコップよりも小さく、水は入っていない。水も少しずつしか入らない」
「あ、じゃあ水を入れたらシエラの方が先に溢れちまうってことか」
「そういうことだ」
バイソンがすんなり理解している。クラウドたちから思わず「おぉ」という感嘆の声が漏れた。バイソン本人はその声の意味に気付いていないらしく、ユファに「それで?」と話の続きを促している。
「つまり、私達は長くいても回復するのは徐々にだから問題はないが、シエラの肉体には大きな負担になってしまう」
「でもユファ、この短時間でそんなことがよく分かったね?」
「……精霊たちが、教えてくれた。断片的でなかなかまとまりはなかったが」
平坦なユファの声が、それが本当なのだと告げている。しかし、先ほどからユファはどこか落ち着かない様子でシエラのことを見ている。シエラはその視線に気づかなかったが、クラウドだけはユファのその奇妙な様子に首を傾げていた。
シエラは腹から胸にかけて熱が集まっているのを感じながら、深く息を吐き出した。なんとかこの熱を逃がしたい。疲労よりは元気なはずの体が、今は体力が有り余りすぎて何かを壊してしまいそうだ。
「それにしても、あんたの家にあんな場所があるなんて、あんたの家って一体なによ?」
ラミーナは思ったままを口にしたようにつっけんどんに言ってシエラを見た。シエラは苦笑いしか返せない。
「私もよくは知らない。おばあちゃん曰く、ひっそり長く続いてるらしいんだけど、特にこれといって由緒ある家柄でもないんだって」
「ふーん。なんか、そうは思えないけど……」
ラミーナは怪訝そうに眉根を寄せる。すると、なにかを見つけたらしく奥の部屋に続く扉の近くに歩いて行った。ラミーナが立ち止まったのは本棚の前だった。
「ねぇシエラ、ここの本ちょっと見てもいいかしら?」
ラミーナが手に取ったのは背表紙のない少し大きめの冊子だった。
「面白いものなんてないと思うけど……」
一体何の本かシエラも知らないので、適当に顎をしゃくって促した。ラミーナはシエラの了承を得ると、パラパラと本を読み始めた。
シエラはそれを横目で眺めながら荷物のなかから水を取り出す。ぐいっと煽ればひんやりとした水が喉を通っていく。その感覚で少しは正常さを取り戻せた気がした。
「さて、それじゃあこれから遺跡に向かいますか……?」
窓の外の様子を窺っていたウエーバーが、恐る恐るといったふうに全員の顔を見回す。
「そうだな、なるべく早い方がいいだろう」
クラウドはすぐに頷いた。刺客が今度はどんな手を使ってくるのか分からない以上、シエラたちは後手に回るわけにはいかない。
「そうだ、たしか町の地図があったはず……」
そう言ってシエラは立ち上がり、ラミーナがいる本棚の横を通り過ぎて奥の部屋に入る。祖母の私室で、祖母が使っていた机の引き出しを開ける。すると綺麗に丸められた地図が顔を出した。シエラは部屋を出ると、ラミーナの顔がわずかに引きつっていることに気付いた。
「どうしたの?」
軽い気持ちで声をかけると、ラミーナは掴みかかるような勢いでシエラに読んでいた本を差し出した。
「あの場所、あんた迂闊に他人に見せたらダメよ……!!」
「えっ、えっ……!?」
突然のことに目を白黒させる。ラミーナはテーブルに本を広げ、全員に集まるように指示する。
「これあんたの家の、あの場所の取り扱いとか、色々魔術的なことが書いてあるみたいだけど……」
そう前置きして、ラミーナはシエラを睨んだ。
「あの場所、二千年近くあんたの家が管理してきた場所で、もう今じゃ見つからない石で出来てる超特別な場所って感じで書いてあるわ。他人の家のこととやかく言いたくないけど、あれ、もし国に知れたら大事よ」
「ん、なんで?」
「現代にはない素材ってことは、それだけ貴重ってことで、あんな魔力蓄積して回復できるなんて神業できるモンなら喉から手が出るほど欲しくなるに決まってるじゃない……!!」
ノンブレスで言い切ったラミーナの肩は上下に動いている。その気迫に気おされてシエラは思わずのけ反った。
「いや、でもうちに強盗的な人なんて入らないし、こんな田舎だし……」
「今まではそうでもこれからは分からないでしょ!! なんであんたの家がこんな代物管理してるかは置いといても、とにかく、迂闊に世間にさらしたら危険よ。軍事的に悪用する輩とか、高値で売ろうとする輩とか、よくない存在に見つかったら厄介よ」
「は、はい……」
「お節介だとは思うけど忠告はしたわ。……はい、じゃあ遺跡に向けての作戦会議でもしますか!」
この話は終わりだとばかりにラミーナが手を叩いた。全員彼女のペースに呆気にとられている。しかし、すぐに正気に戻ったユファがシエラに地図を広げるように促した。
「位置確認をしよう。……地図によれば、この家はほぼ村の中心にあるな。それで、遺跡はここから真東に一キロといったところか」
「そうですね。これなら二十分もあれば到着できそうですね」
「遺跡の前情報はあとは特になし……か。少し不安だが、これはもう出たとこ勝負になるしかねぇか」
「さて、じゃあ善は急げってことで……。シエラ、いけるかい?」
ちらりとサルバナに視線を投げられ、シエラは拳を握ってみせた。
「もうやる気満々って感じだよ」
戦いで自分が役に立てることは限られている。しかし今は魔力が異常にみなぎっているせいか、いつもより気持ちも少し大きい。
「よし、じゃあいっちょ行きますか!」
バイソンの太陽のような笑顔で、シエラ達はシエラの祖母の家を後にした。




