五
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日記を回収した次の日、シエラはアスナの家の裏手にある牧場を少し下ったところにある沢にいた。水面を見つめていると、段々心が落ち着いていく。ユクマニロの日記はなんとか死守出来たが、刺客たちのやり口のせいで後味が悪い。
それにユクマニロの日記の内容も気になる。ブラドワールに対する思いは、決して歴史に伝わっているようなものではなかった。そのことが更なる疑問を募らせている。ユクマニロはブラドワールを友だと言っていた。しかし敵対はお互いの立場的に仕方ないもののように捉えていた節もあった。シエラには理解できない。
物事は単純ではないとこの旅を通して身に染みてきているはずなのに、どうしても割り切れない。クラウドがビルダに言い放ったように、大切なものどちらか一方のみを選ぶことなどできない。守りたいものは全部守りたい。
ビルダに言わせればそれがガキだということだが、それでもシエラは自分はガキの道を選ぶんだろう、と漠然と思った。
ふと沢のせせらぎの中を見れば、水草の陰になった場所に小魚たちが群れを成していた。小さな渦が出来ている流れの中で小魚たちはちょろちょろと尾ひれを動かしている。
白銀の鱗の小魚たちは水草と戯れながら、シエラの目の前を自由に通り過ぎていった。
その様子を眺めていると、水面に影が差した。シエラはなんとなく誰か察しながらも、ゆっくりと振り返る。
「なにしてんだ」
「……特に、なにも」
シエラはまた水面を見つめる。あまりはっきりとは覚えていないが、ナールを出発する日に見た夢についても思考を巡らせた。
あれは、一体誰だったのだろうか。荒れ果てた大地に立つ、二人の騎士。どちらも苦しそうに戦っていた。何かを振り切ろうとしながらも、振り切れない思いに駆られながら必死に剣を交えていた。強い決意を持ちながらも、心のどこかで悲しんでいた。
最後に勝った男は「許すな」と言っていた。
何を許すなと言ったのか、シエラはもう思い出せなかった。なぜ自分があんなに必死に二人を止めようとしたことさえ、思い出せない。自分のものではないような意志に動かされた、そんな感じだった。
そんな事を考えながら黙り込んでいると、後ろに立っていたクラウドがシエラの隣に腰を下ろした。
「……ユクマニロの日記か?」
穏やかな声で尋ねられ、シエラは素直に頷いた。
「俺も、気になってる。奪われたディアナとナールの日記がどうか分からねぇが、ユクマニロの日記が……全部白紙だなんてよ」
シエラは昨日のことを思い出した。
アスナと合流したシエラたちは、彼女とともにここまで戻ってきた。それからユクマニロの日記の解読に入ろうとしたが、全てのページが白紙だったのだ。今まで手に入れたガイバー、ダリアミの日記は数ページでも読める部分があった。それなのに、ユクマニロはあれだけ鮮烈な映像を見せておきながら、文字での情報を与えてはくれなかった。
コトノも完全にお手上げで、しかも彼女は移動の術による力の使いすぎで、イヴの中で眠り続けている。バイソンの体調を整えるために今日はアスナの家に世話になるが、明日からはロベルティーナに向けて出発する。
「……ねぇクラウド。昨日、今まで回収した二つの日記の情報を整理したじゃない? その時に、ダリアミの日記で、リディア、ナルダン、ブラドワールは喧嘩してたって書いてあったよね」
「あぁ、あったな」
「私少し考えたの。最初は喧嘩してて仲が悪くても、こうして長く一緒にいると……」
「そうだな」
シエラが全てを言わなくても、クラウドも分かってくれた。シエラは安心して話を続ける。
「だから、たぶん、ブラドワールは本当は他の七人を裏切ったんじゃないと思うの」
「……それは、どうだろうな」
「なんで?」
「裏切りをどう捉えるかにもよると思う。俺はユクマニロの映像を見て、たしかにブラドワールが他の七人を裏切って戦争に与したようには思えなかった。だけど、立場による決裂は起きてた。当時の適合者たちが英雄って祭り上げられて、八大国っていう国の長になっちまったんなら、もう個人では動けない。最大多数の幸福のために動かないといけなくなってくる。それがたとえ、かつての仲間たちと違う道を行くことになったとしてもだ」
「……うん、それは、なんとなく想像できる」
「ブラドワールとしては裏切ったなんて思ってないかもしれねぇ。けど歴史はどうだ。なんで七大国は今に至るまでずっとブラドワールと敵対してるんだよ。少なくとも、ユクマニロ個人は違ったとしても、他の適合者や七大国全体にはブラドワールの行為は裏切りに見えたかもしれねぇ」
「……じゃあ、クラウドは、ブラドワールは裏切り者だと思うの?」
「どうだろうな。まだ情報が少ないのは確かだ。ただ今の俺個人としては、裏切りだとは思えねぇな」
「そっか」
小さく相槌を打つと、シエラ自身不思議な気持ちになった。いつもクラウドとは軽口ばかり叩き合っていて、こんな真面目な話をしたことなどなかった。シエラが考え込むと、すぐにクラウドは下らないとか辛気臭いとか言って、背中を押していた。
「……なぁ」
クラウドがシエラを窺うように声をかける。
「なに?」
シエラはそれがおかしくて、小さく笑いながら彼の顔を覗き込む。クラウドは深く眉間に皺を刻んで、言い難そうに口を開閉している。そして、小さく息を吐き出して、川を見つめながらゆっくりと言葉を紡いだ。
「……グレイ=ジェルドのことだ」
グレイ。その名を聞いて、シエラも水の流れに視線を戻した。
「……私も、クラウドとは話さないといけないと思ってたの」
シエラはダリアミの日記を手に入れたあと、適合者全員に対して、グレイが夢で語っていたことを伝えた。彼が二千年前に一度死んで、そして五百年前に再び生を受けた存在であるということ。荒唐無稽な話だと一蹴されてしまうかと思ったが、その時、仲間たちは皆真剣にシエラの話を聞いてくれた。全員が「あのグレイならありえる」と、納得してくれた。しかしあまりにも証拠不十分な話だったため、しばらくその話は保留するということになった。
しかしシエラは、クラウドとは共有しなければならない"秘密"がある。
「……レイルのことだろ」
「うん。やっぱり、クラウドも考えた?」
「当たり前だ。……どうしたって、考えるさ」
クラウドは目を細めた。表情の険しさが消えることはない。
「レイルがあの男と幼馴染で、二人とももう死んでいる。……レイルが思念体ってことは、あの男も思念体っていう可能性が高い」
「そうだね。それでレイルは、グレイを助けたいと思っている」
ふと、クラウドの中にある考えが浮かんだ。
「……もしかしてレイルは、あの男を助けるために思念体になったのか?」
「どういうこと?」
「あの男はレイルの存在を予想外のもののように言っていた。てことは、あの男はレイルの存在を知らなかったってことだろ。でも、レイルはあの男を助けるために禁断の森にいると言っていた。つまり、レイルはあの男が思念体になったことを知っていた必要がある」
「そっか。じゃあレイルはグレイが思念体として何かするって分かってたから、思念体になってあの場所にいるってことか……」
「あくまで仮説だけどな。思念体になるのに、ある一定の死んでいる時間が必要だとするなら、あいつが五百年前にもう一度生まれたっていうのも辻褄が合う」
「確かに」
それと、とシエラはもう一つ気になっていたことを話す。
「グレイってリディアたちのこと凄く詳しいじゃない? 私の勝手な想像だけど、もしかしたら、レイルの言っていたもう一人の幼馴染って……」
「リディア、じゃないかってか?」
クラウドに先を奪われ、シエラは目を丸くした。
「俺も、それは思った。ナールでヴィセトニアの詩について教えてもらったときに、タパニ教授が言ってことがあったろ」
「うん。聖玉を割ったかもしれない男のことだよね。……私も、タパニさんがリディアと同郷の男って言ったとき、グレイのような気がしたの」
『玉を割りし狼は、暁の空に望み、それは咆哮となる』――ナールの図書館で出会ったヴィセトニア族の詩の一節を、タパニはリディアと同郷の青年が聖玉を破壊した、と解説した。
「あの男がリディアと幼馴染で、一度聖玉を破壊するまでに至っているなら、あいつの不可解な言動は、自分の体験に基づいたもんだってことになる」
「なんていうか、生きた化石っていうか……二千年前のことを全部知ってる人が生きてるって、変な感じだよね」
乾いた笑いが青空の下に響く。雲はゆっくりと流れていく。
「……あの男が、リディアとレイルの幼馴染だった。んで、ナルダンを毛嫌いしている。それにラミーナの姉貴の言葉から察するに、あの男の目的は世界の改変だろ。……一体、二千年前に何があったっていうんだ」
「……レイルに、会いたいな」
ぽつり、とシエラは呟く。禁断の森でシエラとクラウドが生き延びれたのはレイルのお蔭だった。そして、今まさに彼女の存在をきっかけに何かが分かりそうな状況になっている。あの時はお互いに何も分かっていなかった。グレイのことについては何も話さなかった。
「レイルと話せば、きっともっと色々分かりそうなのに」
「……そう、だな。だが、日記を集めきるまでは難しいだろうな」
「とにかく、集めていく日記の中からもっと色々知っていかないとだよね」
刺客によって持ち去られてしまったディアナとナールの日記も取り返さなければならない。そして残ったロベルティーナ、ナルダン、ブラドワールの日記は刺客よりも早く手に入れなければならない。
「……ねぇクラウド。私ね、時々怖くなるの」
「どうしたんだよ急に」
ぎょっとしたようにクラウドが慌てだす。
「べ、別に急にじゃないんだから……!」
シエラもクラウドのそんな反応に慌ててしまう。普段軽口を叩き合っているだけに、お互い素直に話そうとするとなぜか妙な空気になってしまう。
シエラは咳払いした。
「旅がはじまってクラウドと最初に出会ったとき、魔物に襲われたじゃん? あれ、本当に怖かった。初めて生で見た魔物だったし、一人で心細かったし。もう無理って思った」
今思い出しても鳥肌が立つ。あの時クラウドがきて助けてくれなかったらどうなっていたのか、想像するだけで震えそうだ。
「それにアンたちと戦うとき、私はその場にいるのが精一杯だし、みんなは命がけで戦ってるのに……」
「気にするな……って言っても無理だよな」
「それに日記集めも……知りたいって思う反面、なんでだか怖いの。知ったら戻れないんじゃないかって。もう今までみたいになれないんじゃないかって。変なの。すごい知りたいって思うのに、知りたくないなんて」
「……別に、変じゃねぇよ」
励ますでもなく、嘘でもなく、当たり前のことを言うようにクラウドは呟いた。
「たぶん、それは俺たち全員が思ってることだ」
「クラウドも?」
「あぁ、思ってるよ」
小さくクラウドが笑った。シエラは目を丸くした。はじめて、かもしれない。
「なんだよそんな驚いた顔して。俺だってそんぐらい思うぞ」
拗ねたように言う彼がなんだかおかしくて、シエラは思わず吹き出してしまった。その様子にクラウドは「お前失礼だな」と毒づく。
「だって、私……クラウドが怖がるなんて、あはは、なんだか、すっごいおかしくて」
「お前俺のことなんだと思ってんだよ!?」
「えー」
シエラは腹をかかえたまま、少し考えた。しかし、考えなくともするすると口から言葉が出て来た。
「なんだろ、クラウドっていつも前見ててさー、何歩も前に進んでて、諦めるなんて言葉も知らなさそう。よくいえば真っ直ぐ。悪くいえば……バイソン以上のバカかもね!」
「お前にだけは言われたくねぇ言葉だな……」
クラウドは小さな溜め息を吐いた。
「……当然だけど俺だって人間なんだよ。未知への恐怖はある。けど、それは別に拒絶するようなもんじゃねぇだろ。受け入れるか拒否するかは個人の自由だけどよ。俺は少なくとも、知った上で今後のことは考えるべきだと思ってる」
「やっぱ、クラウドはバカだなぁ」
「はぁ? 今の俺の話聞いてなかったのかよ!?」
どこがバカなんだどこが! とクラウドは目を吊り上げてシエラを睨む。しかしシエラはそんなことお構いなしに「バカだよ、大馬鹿だ」と笑う。
「クラウドのどこがバカかというと、バカ正直なところだね。……私だって、頭では分かってるんだよ? でも、それを口にして実行できるかって言われたら自信ないの。でもクラウドは違う。当たり前のことのようにそうやって口にして実行しちゃうじゃん。……ほんと、大馬鹿だよ」
うらやましいなぁ、と小さく本音を零す。真っ直ぐに自分の心を
信じていられる彼だからこそ言える本音だ。
するとクラウドがシエラの頭を思い切り撫でつけてきた。髪の毛がボサボサになる、と文句を言おうとして、シエラはやめた。
照れた様に少し耳を赤くしつつも、顔はいつもの三割増しで仏頂面だ。シエラは声も出せなかった。
恥ずかしいような、嬉しいような、むず痒い気持ちがじわりじわりとせり上がってくる。顔が痒い、そんな錯覚に襲われてシエラは顔を隠した。
――なにこの雰囲気……!! どうしよう、どうしよう、どうしよう……!!
目を回しながら、シエラは必死で思考を巡らせる。しかし何も良い考えは浮かばない。シエラはこの雰囲気を変えようと、無理やり立ち上がった。
こんな感情は知らない。いま開いてしまったら何かがおかしくなってしまいそうで、シエラは背中に寒気がはしった。心なしか宝玉が"痛い"ような気がした。
その痛みに、シエラはハッとした。
どうして今まで忘れていたのだろう。この痛みは、決して忘れてはいけないものだ。この痛みは自分だけのものではない。そんな思いが胸の奥底から湧き上がってくる。隣にいるクラウドでさえ、この痛みを知ることはない。いくら言葉を紡いだとして、この痛みは伝えることはできない。
ふいに、"声"が聞こえた。
もうずっと、しばらく聞いていなかった"声"だ。なにを言っているのかは分からなかった。ノイズが入っていて、うまく聞き取れない。
シエラは振り払うように頭を振った。
「クラウド!」
突然大きな声で名前を呼ばれたクラウドの肩が小さくはねた。シエラは真剣な顔で彼を見つめる。
「な、なんだよ……?」
クラウドは眉根を寄せた。
シエラは大きく息を吸い込んだ。
「帰ろ!」
明るく大きな声だった。吹っ切れたようにシエラは笑った。クラウドは力が抜けたように項垂れる。
「……そうだな」
水面に光が反射し、クラウドの影が映りこむ。風が吹き、二人の髪をさらっていく。乾いた草の匂いに包まれながら、シエラは大きく息を吸い込んで歩き出した。




