四
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シエラは脳みその中心部分が熱に犯されているような気分の悪さを堪えながら、見えたビジョンについて考えてみた。
浅黒い肌に、燃えるような赤い髪の毛。先日手紙で見たユクマニロ国王と同じような外見だった。
――てことは、今のは初代ユクマニロ?
元いた遺跡の中に自分が立っていることに気づけないまま、シエラは頭を押さえた。情報を整理したいが、どうにも気分が優れない。わずかにだが視界に靄がかかっているようだ。
「おい、大丈夫か?」
クラウドに肩を叩かれて、シエラはようやく周囲に目を向けた。そして、適合者の仲間たちが全員その場にいたことに気づく。
「…………」
数回瞬きをして、目の前にいるクラウドの顔を凝視する。クラウドは眉間に皺を寄せてシエラのことを怪訝そうに見下ろしている。
「きゅーん」
「イヴ……」
足元に寄ってきたイヴを抱き上げて、その温もりでようやくシエラの中に現実感が戻ってきた。
バイソンは日記を持ったまま呆然としており、まだ他の適合者たちも頭を押さえて少し休んでいる。シエラもそうだが、今回の日記が見せた映像は、今までよりもかなり強烈に脳内に響いた。特になにか大きなことがあったわけではないというのに、自我を薄くするほどまでに日記の意識が強かった。
ただクラウドはもう普通の状態に戻っているらしい。シエラが見る限り他の誰よりも元気そうだ。
シエラは小さく息を吐いた。
「ねぇ、結局さっきのビジョンって……」
「たぶん、戦争って言っていたから、ブラドワールが戦争に参加するあたりのことなんでしょうね」
どこか力なくラミーナが答えた。ユファが「私もそう思った。ただ……」と帽子のつばをくい、と下げる。
「これまでの情報……いや、イメージと言えばいいか。私は、今の八大国の現状や分かっている歴史の範囲から、ブラドワールという国は他の英雄たちとは完全に敵対していたものだと思っていた。……そういう意味で、ユクマニロの日記は意外だったんだ」
「正直、僕もユファさんと同じ気持ちです。……戦争に参加して秩序を乱したブラドワールは、七大国の敵となり、宝玉も回収された。……そう、思っていました」
シエラたちが学校で習うような歴史では、ブラドワールは大国の裏切り者扱いをされている。しかし、ユクマニロの日記の中で、ユクマニロはブラドワールを責めるようなことは述べていなかった。それは今までシエラたちが歴史の中で常識だと思っていたものが、正しくなかったということの証明になる。
「なぜ七大国が、二千年前の歴史研究を一部の研究者にしか許さないのか……少し、分かったような気がするわね」
そう言ったラミーナはちらりとユファを見た。ユファも小さく頷く。
「どういうこと?」
シエラは首を傾げた。
「七大国は、リディアたちの建国伝説と戦争勝者という二つを軸に成り立ったようなものだ。大国たる所以と言ってもいい。だが歴史を正しく紐解けば、必ずしもその伝説が良いことばかりではないと分かってしまう。それは国にとって不都合この上ない」
「つまり、国の存在を正当化するのにリディアたちの伝説っていうのはとても重要なわけ。真実がどうであれ、国民に信じさせることに意味があるの。だから、国は真実を隠して、綺麗な伝説しか一般人には教えないってことよ」
「でも、なんでそんなこと……」
「たぶん、神による統治からの独立をより正当化する必要があったんだろうな。八大国が成立する以前は、多くの村が対立していた。八大国はその村の集合体だ。しかも戦争で勝って負けた村を傘下にいれることで大きくなった。それを正当化するための大義名分として伝説はお誂え向けだったんだろうな」
ユファの言葉に、シエラは頭がパンクしそうだった。どれだけ今まで自分が何も考えずに生きてきたかを痛感する。たぶん、シエラたちが適合者にならなければ一生知らなかったことなんだろう。
「まぁ、詳しいことはまた後にしよう。早くここから出ないと、敵と鉢合わせてしまうかも」
「そうですね」
「バイソン、あんたしっかり日記持ってるわよね?」
「おう」
バイソンの少し力のない返事に、シエラはちらりと彼の顔を盗み見た。元気がないというか、何かを感じ取ったのか、どこか神妙な面持ちだ。
サルバナが階段に向かって歩き出そうとすると、その階段の奥から足音が聞こえてきた。しかも、鼻歌まじりだ。
シエラたちは身構える。
瞬間、どこからともなく風が起こり、シエラたちを襲う。強い衝撃波に皮膚がビリビリと悲鳴を上げた。
「はぁ~い、お久しぶり」
上がり調子の語尾と男性的でありながら少し高めの声に、シエラは顔を顰めた。
階段の影から姿を現したのは、ビルダ=アイミアとショコラ=イルディーだった。そしてビルダの腕の中には、ぐったりして意識を失っているらしいアスナの姿がある。
「おい、てめぇ……!!」
咄嗟にバイソンが一歩踏み出して叫んだ。ビルダは薄っすらと笑みを浮かべながら、アスナの頬を撫でた。
「ごめんね~バイソンちゃん。悪いとは思ったけど、あんたたちが遺跡に現れたときから見張ってたのよ~。ビルダちゃんたちも、バイソンちゃんたちと戦うのは骨が折れるから、出来るなら戦わないで日記が欲しいの」
「下衆が……!!」
クラウドが切っ先を二人に向けて吐き捨てる。するとショコラがはっ、と鼻で笑った。
「なんとでも言えよ。こっちは日記さえ手に入ればそれでいいんだから」
その言葉とともにバイソンの歯が擦れる音がした。バイソンは「わりぃ。サルバナ、ちょっとこれ預かっててくれ」と日記を渡した。
「あらぁバイソンちゃんやる気?」
「……アスナは関係ねぇだろ」
「関係ないっていうなら、遺跡案内なんてさせたらダメなんじゃない? 守るなら最後まで責任持たないと~」
そう言いながらビルダはショコラにアスナを預ける。バイソンはその様子を目で追いながら、少しずつ歩くペースをあげて二人に近づく。そして走り出した。目標はショコラだった。
「人質を簡単に渡すわけないでしょ!」
しかし目の前にビルダが現れ、バイソンに向けて踵を落とす。バイソンはかわしながら、ビルダの空いた脇目掛けて拳を振るう。
ビルダはそれを避けると、身体を捻ってバイソンの顔面に蹴りを入れようとする。バイソンはそれを腕で受け止め、ビルダの足を掴んで思い切り投げた。
バイソンはその勢いのままショコラの元に走る。しかしすぐにビルダの拳が飛んできた。
「しつけぇな……!!」
「あら、それはお互い様じゃないかしら……!!」
拳の軋む音が聞こえてきそうな激しいぶつかり合いに、シエラは思わず口を開けた魅入ってしまっていた。
しかし、耳元でイヴが叱るような鳴き声を上げ、シエラは慌てて周囲を見回した。
「……あいつら、ほんと最悪ね」
ラミーナの呟き声が聞こえたと思ったときにはもう彼女はショコラに向かって突っ込んで行っていた。ショコラはアスナを左腕に抱きかかえたまま、右手をラミーナに向けた。
ショコラが右手を突き出した瞬間、風が起こり衝撃波がラミーナを襲う。
ラミーナは咄嗟に柱の影に隠れた。
「おいおい、人質がどうなってもいいのかよ」
ショコラの声が木霊する。ユファとウエーバーがそれぞれ顔を見合わせ、ショコラの死角になる柱に隠れた。
「死角に隠れてなにするつもりか知らねぇけど、そんなことしても無駄だぜ」
ショコラは右足を大きく踏み鳴らした。瞬間、地面が大きく揺れた。そしてシエラたちに衝撃波が迸る。
「ユファさん!!」
ウエーバーが衝撃波を避けるように大きく飛びながら合図を送る。ウエーバーとユファはほぼ同時に詠唱を開始した。
「チェインバインド!!」
ショコラの足元、壁際から鎖が飛び出す。ショコラはアスナを抱えたまま鎖から逃れようと地面を蹴った。しかし左足を鎖に縛られ、一瞬の隙のうちにショコラの体は動けなくなっていた。
「チッ」
忌々しそうにショコラは鎖を引っ張る。しかし二人がかりで作られた鎖は魔力密度も二人分だ。純粋な腕力では破ることは難しい。
「ちょっとショコラ!! ちんたら遊んでんじゃないわよぉ!!」
バイソンの相手をしているビルダが茶化す。ショコラは「てめぇこそ遊んでんじゃねぇよ!!」と苛立った声を上げる。そしてジリジリと距離を詰めてくるウエーバーたちを睨んだ。
「この程度であたしを抑えたと思うなよ」
「思ってませんよ。だから……」
ウエーバーは右手を横に引いた。ショコラを縛る鎖がきつくなり、首にも鎖が伸びた。ショコラは顔を歪める。
「舐めんなよ……!!」
ショコラが魔力を練った。小刻みに彼女の体が震え出す。少しずつ振動は大きくなり、魔力が最高潮に達した瞬間、衝撃波が彼女の周りで爆発した。そして鎖がバラバラに砕ける。
「手や足だけじゃなく、全身から衝撃波を……」
「いいから早く日記を渡せよ」
「さて、どうしましょうか」
アスナとショコラが一緒にいる以上、攻撃系の魔法は使えない。迂闊に攻撃でもしてアスナを傷つけてしまうわけにはいかない。
一方バイソンとビルダは、相変わらず肉弾戦が続いている。
バイソンはかなり頭に血が上っているのか、普段のような余裕はない。拳に余計な力が入り、ビルダには攻撃が届いていない。ビルダはそんなバイソンの様子を楽しんでいるかのように軽やかな動きをしている。
「ねぇバイソンちゃあ~ん? それ本気ぃ?」
ビルダはバイソンの拳を受け止め、自分の左手で掴んだまま笑った。バイソンは左手で殴ろうとするも、それも掴まれてしまう。二人は力を出し合ったままだが、動きが止まった。
「あの人質の子、そんなに大事なの? ならなんで連れてきたの? ビルダちゃんたちは関係ない人間に手を出さないと思った?」
煽るような口調でビルダはバイソンに問いかける。バイソンは歯を食いしばって黙り込む。吊り上がった目は普段のバイソンの温厚さを覆い隠している。ビルダはにやりと不敵な笑みを浮かべた。
「あぁもうその顔たまんない……!!」
バイソンの蹴りがビルダの横腹を襲う。ビルダはもろに食らい思い切り吹き飛んだが、すぐに態勢を立て直してバイソンに殴りかかる。
「バイソンちゃんってばムキになってるのねぇ」
「…………珍しく、自分が怒ってるって自覚はある」
「へぇ」
「俺は長男だ。チビたちを叱ることもあるし、親父にドヤされることなんてしょっちゅうだった。……けど」
そう言いながら、バイソンは指に巻きつけている包帯を取り払っていく。そしてナールで新調した革の厚いグローブをはめる。
「こんなにハラワタが煮えくり返ってんのは、初めてかもしれねぇ」
瞬間、バイソンはビルダの後ろに回り込んでいた。
「!?」
ビルダは反応が遅れた。間一髪バイソンの拳を籠手で受け止める。しかし数十メートル後方に飛ばされていた。
「まだまだぁ!!!!」
バイソンは地面を蹴ってさらに第二撃を叩きこむ。遺跡の石でできた壁に大きなヒビが入った。
「……魔力武装使うなんて卑怯じゃなぁい?」
「ははっ、お前だって普通にできるだろ」
「まぁね~」
ビルダは壁際でバイソンの拳を数センチ避けた状態で、顔を歪めた。
「けど、ビルダちゃんってば魔力量そんなに多くないから、あんまり使いたくないのよねぇ」
「そう、かよ……!!」
バイソンは容赦なくビルダの顔面めがけて拳を振り下ろした。
「――でも、そんなこと言ってる場合じゃないみたい」
両足に魔力を集中させたビルダが、バイソンとは十メートルほどの距離をとっていた。
ビルダは一度肩の力を抜く。目を閉じ、息を吸う。纏う空気は清涼。静かに敵を射ぬく。魔力が手足に集中していく。バイソンも神経を研ぎ澄ます。息を吐き、余計な力を抜く。手足に集まった魔力には、常人にはない力が宿っている。
そして二人は無言のまま再び激しくぶつかり合った。
シエラはいつもとは違う様子のバイソンに一抹の不安を抱きながら、アスナへと視線を向ける。
相変わらず彼女はぐったりとした様子で、顔は青白い。ショコラは彼女の脇の下に手を通すようにして、彼女の体を支えている。
「それにしても、こんな地下で戦うには相性最悪ね」
「片や一撃破壊の暴力に、こなた衝撃波ですからね。しかもこっちは人質までいるなんて……」
「仕方がない。こうなったら全員でやるしかない。シエラ、クラウド……それとサルバナ」
柱の影でショコラの様子を窺っていたラミーナ、ウエーバー、ユファがシエラ達を呼ぶ。サルバナは「俺もかい?」と顔を顰めた。
「当たり前だ」
「コトノは戦わないの?」
ちらりとシエラがコトノを見れば、彼女はなんともやる気のない顔をしていた。
「生憎、移動に力を使いすぎたようじゃ。もう動くのも億劫じゃ」
「げっ、ここでまさかのチャージ切れ!?」
「シエラ、たまには御主が戦いで頑張るのじゃ」
コトノはそう言うとイヴの中に隠れてしまった。シエラはがっくりと肩を落とす。現状打破のキーになるかもしれないとこっそり思っていただけに拍子抜けだ。
「ま、じゃぁコトノに言われたシエラ。あんたの魔力の活躍の出番がやってきたわよ」
「え!?」
「シエラ、よろしくお願いします」
「ほんとに!?」
いやでもなにもこの場面じゃなくても良くない!?
シエラは全員の顔を見回した。ラミーナが何か企んでいそうな笑みを浮かべていたが、何も見なかったことにしよう。
ラミーナはシエラ、クラウド、サルバナを指差した。
「これから結界魔法を組み立てるわ。あの女の衝撃波に耐えれるレベルの、それなりの結界よ」
「でもどうやって?」
「結界の形成事態はあたしとウエーバーでやるわ。全員があの女を囲むように結界の支柱になりながら、魔力を注ぐの」
「それだと人質救出は誰がやるんだい?」
「あんたの腕を信じるわ。クラウド」
「当たり前だ。人質斬るなんてヘマやるつもりねぇよ」
クラウドは柱の影からショコラを窺う。アスナを盾にされたら剣で戦うのは危険すぎるが、ここは肉弾戦に持ち込むしかない。
「陽動は私がする。全員一気に分散して円状になってくれればいい」
ユファが数珠を構えた。
「で、私は?」
活躍しろと言われたが、いまいち要領を得ない。ラミーナはシエラの額を小突いた。
「あんたの無尽蔵魔力を結界に流し込みなさい。コントロールは気にしなくていいわ」
「……分かった」
シエラは首肯する。こうなったらラミーナとウエーバーを信じてやるしかない。有り余った魔力でどうにかなる現状なら、どうにかするしかない。
「結界であの女を封じたら、クラウドは人質をお願いね」
「ユファさんとサルバナさんは支柱として両サイドを固めてください」
「あぁ」
シエラ達はそれぞれ顔を見合わせあい、そして柱の陰から飛び出した。
「……作戦でも考えたんだろうが、無駄だっつーの」
ショコラは左手を翳した。すかさずユファが左から矢を放つ。ショコラは腕を動かし、矢に衝撃波をぶつける。
「行くわよ!!」
ラミーナとウエーバーが走り出す。シエラはラミーナの後を追いかけた。ユファは矢を放ち続けたまま、ショコラの左側に位置をとる。サルバナはバイソンとビルダの戦闘に気を配りながらショコラの右側に立つ。
「チッ……!!」
ショコラは大きく左足で地面を踏み鳴らした。ドン、という音とともに衝撃波が地面を伝ってきた。それぞれユファ、サルバナ、ラミーナ、ウエーバーに迸ってくる。
「早いけど軌道がバレバレなのよね!!」
ラミーナは仕返しとばかりに同じように地面を踏み鳴らす。ラミーナの魔力が地面を伝い、ショコラの衝撃波とぶつかりあった。二つの力はぶつかりあい、相殺される。
「ウエーバー!!」
「はい!!」
ラミーナとウエーバーの足元から魔法陣が現れる。
「させるかよ!!」
「フレイム・アロー!!」
「!!」
ショコラが動こうとした瞬間、ユファの詠唱が響いた。ショコラの回りに炎の矢が展開される。すぐにショコラも衝撃波を放つ。その間にラミーナとウエーバーは詠唱を始めた。ユファ、サルバナの足元にも同じような魔法陣が浮かび上がる。
「バインド・アルター!!」
それぞれの魔法陣から青色の膜が出現する。それは急速に拡大し、ショコラの回りを覆い尽くす。シエラはラミーナとウエーバーの中間に立ち、結界に触れる。そこから魔力を流していく。イメージは薄く、しかし強く、破壊のためではなく守るための盾。
「こんな結界……!!」
ショコラはアスナを乱雑に地面に寝かせ、思い切り魔力を練り上げる。
「風起こり、塵が舞い、辻に通りて七つの目。羽翮、玉条、霊刹――アンデュレイト・プロメネード!!」
ショコラの人差し指から、高密度の魔力が一気に放出された。一点集中の魔力砲とでもいうべきものだった。激しく結界にぶつかり、反射したことで火花が散っている。しかしショコラはお構いなしに破壊魔法を発し続けている。
「負けるかぁぁあぁぁああぁぁあぁぁ!!!!」
シエラも負けじと魔力を結界に注ぎ込む。穴が開きそうな壁に次々と補強の木材を打ち付けていくように、乱雑に、しかし圧倒的質量を供給していく。
ショコラは右手から魔法を放ったままで左足を踏み鳴らした。
「ウェーブ!!」
瞬間、結界を作っているラミーナとウエーバーに衝撃波の刃が地面を伝って向かう。
「邪魔はさせないよ」
サルバナの声とともに、衝撃波が消滅する。ショコラが一瞬サルバナを睨む。ラミーナとウエーバーはその僅かな間で一気に結界を縮小する。さすがのショコラも魔法を消す。ショコラのみを取り囲むように結界が小さくなった。
「しまった……!!」
先ほどアスナを地面に寝かせてしまったことをショコラは後悔した。彼女の手を掴もうとしたが、間に合わなかった。結界がショコラとアスナを分断した。すかさずクラウドが走り込んできてアスナを抱き上げる。
「アスナ!!」
バイソンの安堵の声が響く。
クラウドがアスナの体を抱いた瞬間、異常な軽さに違和感を感じた。
しかしそれもつかの間。
「クラウド――!!」
つんざくシエラの悲鳴に、クラウドは反応が遅れた。振り向いたときには、目の前に血しぶきが飛び散っていた。
アスナの喉元には、小さなナイフが突き刺さっていた。そこから真っ赤な液体が漏れだしていた。温もりはない。クラウドは自分が感じている違和感を口にしようとした。したが――間に合わなかった。
「アスナ……!!!!」
バイソンの、獣の呻きのような声が空間を切り裂いた。ナイフを投げたのはビルダだ。ビルダは冷め切った顔でバイソンを見下している。ショコラは結界の中で「バカが……」と呟く。
「ビルダ、てめぇ……!!」
「なぁに、人が死んだくらいで」
「人が……死んだくらい……だと?」
「えぇ、そうよ。これが戦争じゃなくて良かったわね。その子の亡骸が無下にされることはないわ」
「そういう問題じゃねぇんだよ!!!!!!」
バイソンはビルダに殴りかかった。ビルダは頬に一発まともに食らう。しかし、魔力の籠っていない普通の拳に、ビルダはわずかによろめいただけだった。
「あら、人質が殺されるのが嫌だったら大人しく日記を渡してれば良かったのにね」
「……」
「バイソンちゃんは選んだのよ。自分の使命と、あの子の命、どっちが大切か。あなたは使命を選んだってことよ」
「……違う、俺は――」
「違わないわ」
ビルダの責めるような声が木霊する。シエラ達は何も言えない。
「日記と人質を交換しなかった時点で、バイソンちゃんは覚悟しなきゃいけなかったの。子供じゃないんだから、自分の望むもの全部手に入るなんて思ってないでしょ?」
「…………」
バイソンが黙り込んでしまう。
シエラが口を開こうとした瞬間、ビルダに風の斬撃が飛んだ。ビルダはそれを魔力を込めた拳で薙ぎ払った。
クラウドだった。
「――その人は、思ってんだよ。本気でどっちも手に入れようとしたんだ」
クラウドはアスナをゆっくりと地面に寝かして、そしてビルダに剣を突きつけた。
「そんで、それは俺たち全員同じだ。誰一人、諦めたりしねぇんだよ」
「ガキが何を偉そうに……」
ビルダは苛立ちの眼差しをクラウドに向ける。クラウドは剣を構えたまま、言葉を続ける。
「あぁ、ガキだよ。だからなんだってやれそうな気がすんだよ。それに、てめぇが大人だっていうなら随分な小細工使ってくれるじゃねーか」
クラウドは足元に寝かせているアスナを一瞥した。
「これ、どんな仕組かは分からねぇけど、本物のアスナさんじゃねーよ」
クラウドのその一言に、空気がざわついた。バイソンは大きく目を開き、顔を僅かに引きつらせた。
ラミーナとウエーバーが駆け寄り、横たわるアスナの体に触れる。ラミーナがゆっくりとアスナを抱き起こした。
「……なにこれ、軽いじゃない」
「これも、血じゃないですね……まるで赤い水みたいだ」
ラミーナとウエーバーも困惑している。ビルダはその様子を黙ってみていたが、観念したように息を吐き出した。
「もうお芝居もここまででいいかしらぁ」
「どういうことだよ……!?」
バイソンはビルダに詰め寄りかけ、なんとか踏みとどまった。
「どうもこうも、そこの剣士くんが言った通りよぉ。その人質はダミー。アールフィルトの力を使って創ったまがい物よ」
「なんでそんなこと……」
「言ったでしょ。バイソンちゃん達と戦うのは骨が折れるから嫌だって。こっちも戦わないで日記が手に入るならそれに越した事はないのよ」
でも、とビルダは笑った。
「本気のバイソンちゃんと戦えて、ビルダちゃんは楽しかったけどね」
あまりにも無邪気な笑顔に、バイソンは怒りを通り越して脱力した。
「……じゃあ、本物のアスナは無事なんだな?」
「ビルダちゃんたちは一切手を出してませーん」
「その言葉、信じていいんだな?」
「ビルダちゃんたちは、アールフィルトの命令で関係ない人間に手を出せないもーん」
あっけらかんと言い放つビルダに、ショコラが舌打ちした。
「人質がダメで日記回収もまだだっつーのに、てめぇはなにヘラヘラしてんだよ」
「あらぁ、結界の中で吠えるなんてあんたらしくないんじゃなぁい?」
「壊せるならとっくに壊してるっつーの」
ショコラは結界を蹴るが、壊れることはない。
「バカみたいに魔力流し込みやがって」
ショコラはシエラを睨みつけた。鋭すぎる眼光にシエラは思わず小さく悲鳴を上げた。
「ったく、仕方ないわねぇ」
ビルダがショコラに近づこうとすると、ラミーナ、ウエーバー、クラウドが身構えた。
「なによ、ビルダちゃんたち撤退したいんだけど」
「形成はこっちが有利なのよ。……ここで、あんた達二人を潰すのが賢い手だとは思わない?」
「そうねぇ。まぁそれが普通よねぇ。ふふ、あんた達はバイソンちゃんとは違って甘くはないみたいね」
ビルダは腰を落とし、拳を構える。再び緊張感で満ちる。じりじりと間合いを測りながら、クラウド、ウエーバー、ラミーナは魔力を練る。
「――なにしてるんですか」
張りつめた空気の中、穏やかで棘を含んだような声が響いた。
階段の影から姿を現したのは、グラベボ=ビーンだった。
「全く、撤退ぐらい速やかにやってくださいよね」
「なんであんたがいるのよぉ?」
「アールフィルトに命じられたからに決まってるじゃないですか」
グラベボは壁に寄りかかりながら、ぱん、と手を叩く。するとショコラの足元に赤い魔法陣が浮かび上がり、一瞬にして結界を破壊してしまった。
「なっ……!!」
「……さて、帰りますよ」
ビルダ、ショコラ、グラベボの足元に青色の魔法陣が出現した。そしてゆっくりと上昇を始める。
「ちょっと、待ちなさいよ……!!」
ラミーナが氷柱を発射させた。しかしすぐにショコラの衝撃波によって粉々にされてしまう。
「じゃあね~ん、また会いましょ」
ビルダの明るい声だけが、遺跡の中で強く反響した。魔法陣のかすかな煌めきと光の粒子が淡く溶けていく。
シエラ達は刺客たちがいなくなった空間で、小さく息を吐き出した。
誰も何も言わない。重苦しい沈黙に、シエラは居心地悪そうに身を縮める。こんな時いつも明るいバイソが、今回に限っては塞ぎ込んでしまっている。ちらりと盗み見れば、彼は力なく項垂れていた。
家族や仲間を大切にするバイソンにとってみれば、今回の人質の件はあまりにも精神的な負荷が大きかった。
何か言葉をかけるべきだろうか。シエラがそんな風に悩んでいると、バイソンは両手で自分の顔を叩いた。
バチン、バチン、という大きな音が響く。
「バイソン……?」
「あんた、なにしてんのよ……?」
全員が目を丸くして彼の行動を見守る。
「わりぃ、みんな!!」
勢いよく顔を上げた彼の頬を赤く腫れていた。
「頭に血が上って、全然周りが見えてなかった……。最年長なのに、冷静じゃなかった……」
「なに言ってんの。いいわよ別に。それにあんなことされてキレないわけないわ」
「そうだな。あそこでキレてこそのあんただろ」
「俺も、あぁいうやり口はスマートじゃなくて気に食わないからね」
「……それに、みんな無事だ」
「落ち込むなんてバイソンさんらしくないですよ」
「そうそう!!」
「きゅーん!!」
そっか、とバイソンは小さく笑った。
「それはそうと、早くここを出ましょう」
「そうだな。俺たちも色々整理しなきゃいけないだろう……」
そしてシエラ達は地下神殿を後にした。薄暗い神殿から出て結界を抜ける。すると、木陰から誰かが出て来た。
「バイソン……!!」
「アスナ……!?」
なんと、出て来たのはアスナだった。走ってきた彼女はバイソンに近寄り、ボロボロの彼をまじまじと見た。
「怪我……してるじゃない……」
「ほんとに……アスナか?」
「当たり前じゃない」
バイソンは、一つひとつを確かめるように、ゆっくりと、ゆっくりとアスナに手を伸ばした。そして、ダムが決壊したように彼女の体を抱きしめた。
「……良かった」
押し殺したバイソンの声に、アスナは困ったように微笑んだ。
「どうしたの……?」
アスナは華奢な体で精一杯バイソンを抱きしめ返す。普段"兄"な部分ばかり見ているシエラ達は、アスナの前で小さな子供のようになっているバイソンの背中を不思議な気持ちで見守る。
シエラは、なんだかあったかいな、と、そんな風に思った。




