五
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ナールの神殿を出てから二日。戦いの疲労とフォーワードの薬を浴びたせいか、サルバナは熱を出していた。彼の体調が戻るまでは、シエラ達は宿でそれぞれ体を休めることにした。
「ちょっと散歩に行ってくる」
シエラは同室のラミーナとユファにそう告げると、イヴを連れて部屋を出た。
ナールの神殿を出てからというもの、適合者一行の雰囲気は重たい。ナールの日記をフォーワードに奪われたことではなく、もっと違うことが原因だろう。シエラも薄々は気づいてる。
――サルバナの腕の、あの赤いアザは一体なんだろう……。
フォーワードとの戦いの最中で見えた、サルバナの右腕に刻まれた赤いアザ。そして彼の、底冷えのするような魔力から生じた魔法。
――それだけじゃない。ラミーナの血に、あの神殿の"闇"は反応してた。あれは、すごい不気味だった……。
シエラはイヴを抱きしめた。人で賑わうナールの町の中で、シエラはただ足を動かす。ぐるぐるとあの日の光景が脳裏に浮かび、どうしようもない恐怖が忍び寄ってくる。それはサルバナの狂暴化した魔力に対して感じた、圧倒的恐怖によく似ていた。
――サルバナが怖いわけじゃない。でもあの魔力は怖い。私なんて一飲みされて、存在を全部消されてしまいそうな……そんな魔力だった。
シエラが他人の魔力に恐怖するのは、これで二回目だろうか。グレイ=ジェルドの圧倒的な力ともまた違う、底のない闇のような魔力を、あの時のサルバナは使役していた。
そんな事を考えながら、ふとシエラは周りを見た。
「きゅーん?」
大人しくシエラに抱き上げられていたイヴが、初めて鳴いた。シエラは引きつった笑みを浮かべる。
「ごめんイヴ……迷子になったみたい」
気が付けば大通りから外れた道に来ていたらしい。住宅街のような場所にきていた。どこか落ち着いた雰囲気の通りだが、見知らぬその場所にシエラの頭はパニック状態に陥った。
「と、とにかく大通りに出ればなんとかなるよね!?」
「……きゅーん」
シエラはとりあえず今来たであろう道へと引き返す。暫く歩くと、なんとか人の賑わいのある道へと出れた。
――結構歩いたな。私どんだけボーッとして歩いてたんだ……!
なんとなく見た事のある景色に少しだけ安堵する。今の状況で慣れない町とはいえ迷子になるなんて、ラミーナに知れたら拳骨ものだ。
――それは嫌だなぁ。
想像してぞっとした。
――前にクラウドと一緒に殴られたときは、ほんっとうに痛かった……。
「きゅーん」
「ん?」
イヴがタイミングよく鳴いたので、シエラは視線をイヴに向けた。イヴは何やら前方を向けと言わんばかりだ。シエラはイヴの視線を辿るように前を向く。
「げっ、クラウド……」
別に会いたくなかったわけでもないのに、口からはそんな言葉が出ていた。
「なにが"げっ"なんだよ」
しかもすぐそばにいたせいか、聞こえてしまったらしい。彼はくるりとこちらを振り返った。しかもいつもの仏頂面が三割増しになっている。
「い、いやぁ~別に? そ、それよりクラウドも散歩?」
シエラは冷や汗を流しながら、慌てて彼の隣に並ぶ。もちろんいざという時のために、イヴは抱きしめたままだ。
「散歩……まぁ、そんなところだな。なんだか落ち着かなくてよ」
「そっか。……実は私も」
クラウドも何か思うところがあるらしい。
あ、やばい暗い雰囲気になる、とシエラが思った瞬間「あれ、君たちってサルバナと一緒にいた……?」と後ろから声をかけられた。驚いて振り返れば、そこにはルチアーノがいた。お互い目を丸くしている。
「まさかこんなところで会うなんて」
ハハハとルチアーノは軽快に笑う。シエラは驚きながらも、チャンスだと思った。
「あ、あの! ルチアーノさん……いま、ちょっとだけでも時間ありますか?」
「お前急に何を!?」
クラウドの驚いた声はこの際無視する。
「おや、可愛いお嬢さんの頼みとあらば時間なんていくらでも作るよ」
サルバナの友人だけあってさすがの対応と言いたいところだが、今は生憎乗っかっている余裕はない。シエラの真剣な眼差しに、ルチアーノも何か感じたらしい。真剣な表情になり「じゃあ、そこの喫茶店にでも入ろうか」と言って歩き出した。
その背中を追いかけながらクラウドは小声で「おい、何するつもりだ」とシエラに尋ねる。
「なにって、クラウドも気になるでしょ。……サルバナの、あの腕のアザとか」
「だからって、それを本人のいないところで……」
「でもこのままウジウジしてるのも嫌なの。……少しでも、きっかけにならないかなって」
今までサルバナが何も話してこなかったのは、きっとタイミングがなかっただけじゃない。ずっと言いたくなかったことなんだろう。ラミーナも、ウエーバーも、ユファもそうだった。だからこれはサルバナ本人の口から聞かなければいけないことだ。
――でも、今のまま暗い気持ちでじっとしていたくない。
喫茶店に入り、人気のない窓際の端の席に座る。ルチアーノはコーヒーを頼むと、店員の女性にウィンクを一つ送った。シエラとクラウドは殴りたい気持ちをグッとこらえて、それぞれアイスココアとコーヒーを注文した。
「そういえば、二人の名前を聞いてなかったね」
「私、シエラ=ロベラッティです」
「俺はクラウド=ディワーディスです」
「シエラちゃんとクラウドくんか。よろしく。それで、シエラちゃんは俺に何を聞きたいのかな?」
「サルバナのことなんですけど……」
いざ言うとなると、妙に緊張してしまう。すると、ルチアーノが片手に制してきた。
「それって恋の相談だったりしないよね」
「あ、違います」
「うん即答で棒読みか。なら本当に違うだろうね。ごめんね、続きをどうぞ」
ごほん、と一度咳払いをしてからシエラは真っ直ぐにルチアーノを見つめる。
「ルチアーノさんは、サルバナの右腕について何か知っていますか」
瞬間、ルチアーノの顔から笑みが消えた。瞳の色が濁り、運ばれてきたコーヒーカップを凝視している。否、それさえも見ていない。どこか遠くの、ここではないどこかへと思いを馳せているらしい。
「……知っているよ。あぁ、俺はよく知っているとも」
ルチアーノは一口コーヒーをすする。
「でも、どうして俺に聞くのかな? 気になるなら、サルバナ本人に聞けばいいじゃないか」
正論が胸に突き刺さる。
「……言い訳にしかならないかもしれないですけど」
そう前置きしてから、シエラはぽつりぽつりと話し出す。
「私たちには敵がいます。サルバナは戦いで傷を負って、今は眠っている状態なんです。しかも、その戦いの中でサルバナは、普段の彼からは想像もできないような状態になって……なんていうか、私怖かったんです。サルバナの魔力が、あの右腕に潜んでいる力が――私は、怖かった」
「なるほど。だから、気になると?」
「……はい」
「クラウドくんは? どう思った?」
ルチアーノは責めるでもなく、興味本位といったような軽い口調でクラウドに視線を投げかけた。
「……俺も、初めてあいつのあんな魔力を感じて、正直驚いてます。けど、それ以上にずっと隠してたのが腹立つっていうか、信用してねぇのかって思いましたけど」
「ははは。……いやいや、そんな事はない。サルバナはもう十分、君たちを信用していると思うけどね」
「なら、なんで……」
「でも、腕のことは自分から進んで話すような事でもない。それに、信用していても、話したくない事の一つや二つあるだろう? まぁ、サルバナの場合は、癖のようなものだけれど」
そう言ってルチアーノは窓の外を見る。穏やかになった雑踏を眺めながら、彼は目を細めた。何かを思い出しているのだろうか。シエラは彼の横顔のその寂しげな影が、サルバナと同じだということに気付く。
「もしかして、ルチアーノさんもサルバナと同じ……?」
自然と口から言葉が出てきていた。ルチアーノは一瞬目を丸くしてシエラを見たが、すぐに穏やかな笑みを浮かべた。
「どうして?」
あまりにも穏やかな笑みに、シエラは開いた口が塞がらなくなった。
「……ごめんなさい、なんとなくです」
「はは、君は不思議だね。……意地悪しないで本当のことを言えばね、"当たり"だよ」
「当たり……?」
「そう、当たり。君の予想というか、君の直観はまさに的を射ているんだ。俺もサルバナと同じだからね……いや、同じと言ったらサルバナに失礼だな。彼は俺とは比べものにならない苦痛と才能を持っているから」
「苦痛? 才能? あの、サルバナの腕のアザって一体……?」
「おっと、少し喋りすぎたかな。ここから先の、本当のことはサルバナ本人に聞いてみな」
「……そうします。ありがとうございました」
「どういたしまして。大丈夫、君たちになら、サルバナもきっと素直に話すだろうから」
喫茶店でシエラとクラウドはルチアーノと別れ、宿に戻る事にした。結局サルバナの腕の本当の事は分からなかったけれど、少し気持ちは落ち着いた。
けれど、ルチアーノが最後にいった苦痛と才能という言葉が、どうにも引っかかる。サルバナのあのアザは魔力に関係しているのだろうけれど、それは何か大きな痛みを伴う、あるいは努力を伴わなければ得られないものということなのだろうか。
それに、ルチアーノのことも気になる。これは好奇心なのかお節介なのかシエラ自身分からない感情だった。それでも、あの時ルチア―ノが浮かべた穏やかな笑みは、あれは明らかな拒絶だった。他人に自分のやわらかい部分を踏み荒してほしくないという、ルチアーノの本音の表れだった。
考えを巡らしながら歩いていると、いつの間にか宿についていた。シエラ達が二階に上がると、「おぉ、丁度良いところに帰ってきたな」と部屋の扉の前にコトノが立っていた。
「コトノ!?」
「私もさっき来たばかりじゃ。なぁに、ちとシエラ、御主の髪結いへの術に時間がかかってしまってな」
ほれ、とコトノはシエラに髪ゴムを渡してきた。
「本来ならもう御主は自分でその力を制御できなくてはならないのじゃが、まぁ、今回は念入りに術をかけておいた。外部に漏れる魔力は以前よりも少なくなるはずじゃ」
「ありがとう、コトノ」
早速髪を結いなおすために、シエラは部屋に戻る。ラミーナとユファに声をかけるも、返事はない。不審に思いながらも、ひとまずは鏡の前に行き、髪を梳かす。手早くサイドアップにまとめる。
「よし!」
魔力を抑える術は、前のゴムが切れてしまったときに、シエラ自身にかけてもらってはいたので、そこまで何が違うというわけではないが、気持ちの上で少しだけ違う。
シエラがもう一度部屋を出てみると、隣の部屋の前でラミーナとクラウド、コトノが何やら話をしていた。
「あ、シエラお帰り。ちょっとこっち来なさい」
「どうしたの?」
「サルバナが起きたのよ」
「ほんと!?」
「えぇ、でも……」
「でも?」
「上の空っていうか、なんか変なのよ……」
「そっか……」
今はそっとしておいた方がいいのかもしれない。シエラがそう思ったとき、男子部屋からウエーバーが出てきた。
「あ、みなさん丁度良かった。サルバナさんが、話があるから集まってほしいそうです」
「分かったわ。あたしは下にいるユファを呼んでくるから、三人は先に部屋に入ってて」
ラミーナの言葉に首肯して、シエラ、クラウド、コトノは部屋に入る。ベッドには上半身を起こした状態のサルバナがいる。
「やぁ」
「サルバナ、寝てなくていいの?」
「あぁ、もう熱は下がったし、魔力ももう落ち着いてきたからね」
サルバナは笑ったが、いつものような精彩さがない。それからバイソン、ラミーナ、ユファもそろい、サルバナは全員の顔をゆっくりと見回した。
「わざわざ集まってもらってすまないね。どうしても、話しておきたいことがあってさ」
「そりゃ全然構わねぇけどよ、お前の方こそ大丈夫なのか?」
「あぁ、問題ないよ。話す程度なら苦もない」
バイソンの心配をよそに、サルバナは咳払いをしてから改めて全員に向き直った。
「いつかは話さなければならないと、思ってはいたんだけどね……この間の神殿での戦いで、あの男に魔力を暴走させられて覚悟を決めたよ」
サルバナの静かな声が部屋に響く。窓からは夕暮れの日差しが差し込み、誰もが彼の言葉を待った。
「今までずっと隠していたけど――俺は、俺はね、ゼログランの使い手なんだ」
瞬間、シエラ以外の面々の空気が変わった。
「ゼログラン!? もしかしたらって思ってたけど……まさか、本当に」
ラミーナの驚いた声に、シエラはひたすら首を傾げるしかない。クラウドやウエーバーでさえ、信じられないような顔をしている。
「ね、ねぇ、ゼログランって一体……?」
「この間王立図書館で大魔法使いフランについての話は聞いたわよね。フランは数々の魔法を作り出してきたけど、その中でも最も素晴らしく、最も危険だとされる魔法が"ゼログラン"なの」
「ラミーナの言う通り。ゼログランっていうのは、フランが作り出した最高にして最大の禁忌の魔法とされるものだ」
「でも、なんでそんなものをサルバナが……!?」
感情的になって大きな声を出すと、ユファに諌められた。シエラは乗り出しそうになった体をなんとかし押しとどめる。
「このナール王国ではね、ゼログランの使い手になることは最大の誉なんだ。ゼログランを使うには、魔力の適性があってね、訓練すれば誰でも使えるような代物じゃないんだ」
「つまり限られた人間しか手にできない特別な力ってことよね」
「あぁ。でもゼログランは強大な力を持っている。それを使える戦士が多ければ、ナールは戦争でも優位に立てる」
「じゃぁ、サルバナは戦争の道具ってこと!?」
シエラが怒りをぶつければ、サルバナは淡く微笑んだ。その笑みに、シエラは狼狽した。
「そうだね。国としてはそうだろう。けど昔の俺はそんな事考えてなかった。ただ単に、他人とは違う"トクベツ"ってやつになってみたかっただけなんだ」
少しだけ、俺の昔ばなしをしてもいいかな。
そうして、サルバナの話は始まった。




