六
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「――ここは……?」
シエラは掠れたその声に弾かれ、バッと後ろを向いた。窓際のベッドの中で。ユファはもぞもぞと動き出している。
「おはよう、ユファ。……良かった」
ほっと胸を撫で下ろし、シエラはゆっくりとベッドに近づいていく。ユファはまだ状況が分からないらしく、きょろきょろと辺りを見回している。
「ここはダリアミのお城の近くにある宿屋。ユファはあれから二日間寝てたんだ」
「……そうか。私は――」
記憶を辿っているのか、ユファはどこか遠いところを見つめている。ユファはゆっくりと自分の顔に触れ――そして、彼女は自分が眼帯をしていない事に気づいた。
「シエラ、私の眼帯は……ッ」
「あ、えっと、今までユファがしていたものはボロボロになっちゃってて……」
あのエリーザとの戦いでユファの眼帯は、最早ただの布切れになってしまっていた。シエラは「ちょっと待ってて」と言って、そばにある引き出しをあさり出す。
「あ、あったあった!」
シエラは見つけたソレをユファに渡す。
「普段ユファがしているものとは大分違うけど。一応、眼帯」
ユファは手渡されたそれを見やった。普段彼女がしている黒いものではなく、怪我や病気の人が使う白いものだった。ユファは無言でそれを右目につける。
「……シエラも、見たのだろう?」
私の過去の映像を。淡々と紡がれた言葉に、シエラは逡巡したのち小さく首肯した。ここで嘘をついても何も始まらない。
「……嫌ってくれて構わない。軽蔑でも何でもしてくれて構わな――」
「バカなこと言わないで!!」
ユファの言葉を遮るように、シエラは叫んでいた。真っ直ぐにユファを見つめれば、彼女は穏やかな顔で眉根を寄せている。
「気持ち悪いと思わないのか? いるかも分からないような存在の声が聞こえるのだぞ?」
「……だってユファはユファじゃん!! それ以外のなんでもないよ!」
この思いが届けばいいと、シエラはきつくきつく拳を握り締めた。シエラ以上に、ユファはきっと今まで色々なことを“諦めて”きたんだろう。あまりにも多くの事に絡め取られて、彼女は狭間で葛藤を続けながらも、諦めてきたんだろう。でもそれはシエラも同じだ。だからこそ、伝えたい。
「ユファはこんな私に普通に接してくれた。優しくて、冷静で、頭が良くて、時々天然で、サルバナといがみ合ってて……」
「シエラ……」
「それにね、私ユファのこと凄いって思った。だって他の誰にも出来ないことじゃん。その、なんだっけ? ロディなんとか? ってやつ」
シエラが一気にまくしたてるように言い切ると、ユファは俯いて黙り込んでしまった。どうしよう、とシエラはうまくない口を必死に動かそうとする。
「そ、それにクラウドも言ってた! “俺たちは、ちゃんとユファのこと認めてる”って!! それじゃダメか? って」
「……彼が、そんな事を?」
「言ってた、言ってた!」
一生懸命自分の思いを伝えようとするあまり、シエラは段々興奮気味に話し出した。
自分でも少し息を整えようとしたとき、「ちょっとあんた、ユファが起きたんなら言いにきなさいよ!」とラミーナに拳骨を落とされた。
「いったぁあぁぁ!?」
突然の衝撃に、シエラは思わず頭を押さえて飛び上がる。
「ちょ、ラミーナ!? 痛い、今の本気で痛かった!!」
「あら、ごめんなさい。……あんた達も入ってきなさいよー」
ラミーナはシエラの抗議の声を適当に横に流すと、扉に向かって声をかけた。すると、ゾロゾロと部屋に男連中が入ってくる。
「よ、ユファ! 目が覚めたんだな」
「バイソンさん、少し声の大きさを……」
「おはようユファ。君の愛らしい顔を二日ぶりに見れて良かったよ」
「……お前、寝起きの人間にもソレかよ」
一気に部屋が賑やかになる。シエラもだが、それ以上にユファが一番驚いているらしい。
「あんた、傷はもう痛まない?」
ラミーナに顔を覗きこまれ、ユファはビクッと肩を揺らす。しかしすぐに冷静になると、一度咳払いをした。
「あぁ、問題ない」
「そ、なら良かった。まだもう一日は安静にしてなきゃダメだけどね」
そう言って苦笑いをするラミーナはなんだかお姉さんでありお母さんだ。シエラはいつも通りの賑やかさに、ゆっくりと肩の力を抜いた。ユファは少し何かを考えるような素振りをすると、つと顔を上げる。
「……そういえば、ダリアミの日記は?」
「ここにあります」
ウエーバーは一歩前に出ると、ユファにダリアミの日記を差し出した。ユファはそれを受け取ると、慎重に表紙を開く。
「……解読する前に、少しだけ、私の話をしてもいいか?」
か細い声で、喉を震わしながらユファは尋ねた。シエラ達はお互いの顔を見合わせ――。
「うん、聞きたいな」
穏やかな顔で微笑んだ。ユファはそれを見て、恥ずかしそうに、けれど嬉しそうにはにかんだ。
「――私は、生まれつき右目が赤かったそうだ。それでも両親は私の事を捨てることなく、育ててくれた。ただ、やはり他人の目ばかりはどうしようもなかった。両親は二人とも優しい人たちだったから、誰のせいにすることも、私を責めることもしなかった」
シエラは神殿で見たユファの過去の映像を思い出す。あの時映像と共にユファの思いも伝わってきていたから、よく分かる。
「逃げるように、何度も引越しをした。その度にちゃんと学校にも行かせてもらった。……ただ、もう両親も精神的に参ってしまっていたんだ」
父と母から笑顔が消え、いつしか口喧嘩ばかりになっていた。
――そして、あの事件は起きた。
「あの日のことを、私はよく覚えていない。気がつけば“声”に導かれていた」
「……その声って、もしかして」
「あぁ。きっと、“精霊”の声だったんだろう。……そして、遺跡に逃げ込んだ私は、そこである一人の男性に出会った」
過去の映像で、最後に出てきた人のことだろう。ユファを見つけ、必死に彼女のことを助けようとしていた人だ。
「幸か不幸か、私を助けた男性は考古学者だった。……そこで初めて、自分が“ロディアゼル”と呼ばれる存在だと知った」
その時、ユファは一体何を思ったのだろう。
当時を思い出しているのか、ユファは悲しみと怒りと諦めを孕んだ瞳になっている。
「……そして私は、彼の弟子になったんだ。初めは、ロディアゼルである自分が他に生きていける道はないと思ったからだ。でも、今は違う」
凛とした瞳で、ユファはシエラ達の顔を見回した。
「私は考古学者である事に誇りを持っている。……そう思わせてくれたのも“師匠”のお陰なんだ」
ユファは枕元に置かれている、いつも被っている黄緑色のキャスケットに手を伸ばす。そういえば前にユファは、ゼインの大会でこのキャスケットを破かれそうになり激怒していた気がする。
「ユファ、その帽子って……?」
「あぁ、これか。これはその、師匠から貰ったんだ。初めて一人前だと認められた印に……」
「そっか。じゃぁそれはユファの宝物なんだね」
「……そう、だな。私にとって大切なモノだ」
良かった、とシエラは思った。両親を失った後も、彼女には彼女を大切にしてくれる人がいたのだ。“一人ぼっち”ではなかったんだ。
「へへ、なんだかすっげぇイイ話聞いちまったな!」
バイソンは照れたように鼻の下をこすりながら、ニッと笑う。太陽のように明るいその笑顔に、シエラ達もつられた笑った。
「……ありがとう。こんな話を聞いてくれて」
「ううん。むしろ、話してくれてありがとう」
ユファもきっと怖かったのだろう。それでも、こうして話してくれた。それがたまらなく嬉しい。
「……さて、ではダリアミの日記を解読しようか」
「おいおい、大丈夫か? まだ病み上がりなんだぞ?」
「このぐらいは平気だ。……それに、私たちには時間がない」
緩んでいた空気が、一気に引き締まる。フランズにグラベボが現れ、ダリアミにエリーザが現れた。恐らく、残りの場所にも刺客は必ず現れるはずだ。
「きゅーん」
すると、イヴが部屋に入ってきた。その後ろにはコトノもいる。彼女は神妙な面持ちで「その通りじゃ」と頷いている。
「残念なことに、いよいよ時間がない。残りの鍵は五つ。あやつらも待ち構えておるじゃろうし」
「それに、ディアナの日記も奪い返さないといけませんし……」
「まぁ、あやつらの狙いは日記そのものではないとは思うんじゃが。ただ、これ以上奪われるワケにもいかぬ」
コトノの言っていることは最もだ。アン達の狙いは、シエラ達がその身に宿している宝玉だ。そういえば、アン達の目的も未だに分かっていない。
「……ところでダリアミの適合者よ。その日記、読める部分はあったか?」
「あ、あぁ。……今回は日記の中盤に文字が残っていた」
コトノは「そうか」と呟くと、顎をしゃくった。どうやら読め、という事らしい。ユファは息を吐き出し、それから文章を読み上げ始めた。
「――神の国より出でて数日。どうにもまだこの“宝玉”というものに慣れる事ができない。
姫はこれ以上のモノと適合したと思うと、どうにも不安である。七つの試練を終え、封印の地に赴けと言われたものの、どうにも見知らぬ者たちとの旅というのは不思議だ。ただディアナ嬢とユクマニロ青年の口喧嘩はどうにも見てて和む。時々呆れて開いた口が塞がらぬこともあるが。それに比べ、姫とナルダン青年、それとブラドワール青年の喧嘩というものは手のつけようもない。これでは封印の地へと辿りつくどころか、七つの試練を乗り越えられるかも不安である。けれど彼らとの出逢いは僥倖だ。力の意味を、意義を、存在の意味を、意義を問い続けてきた私にとって、彼らのような同胞の存在は答えに辿りつくための大きな手がかりとなる。たとえ見世物のように檻の中に入れられていたとしても、彼らの存在は私には光って見えたのだから。それにしても今日はいつも以上に精霊たちが騒がしい。まるで何かを恐れているかのようだ」
ユファはそこで言葉を切った。
「……今読めるのはここまでだ」
やはり長文を一気に解読するのは疲れるらしい。シエラはユファにコップに入った水を手渡す。ユファはそれを一気に飲み干すと、ふぅと小さく息を吐き出した。
「今の文章、姫というのは……リディアの事でしょうか?」
「あぁ。前にも文献でリディア姫と書かれたものを見た事がある」
「リディアってお姫様だったの?」
シエラは首を傾げた。彼らについての出生など、詳しいことは一般的には知られていない事の方が多い。だからシエラが知らないだけかと思ったのだが、ユファは首を横に振った。
「いや、恐らく違うだろう。二千年前については分かっていない事が多いから、絶対ではないが。姫というのは、彼らの中でリーダー的存在だったという意味を込めているのだと思う」
「なるほど。それにしても、なんか喧嘩ばっかりしてるみたいだったね……」
「ほんとだよな。しかも男同士じゃなくて女と男なんだな」
シエラとバイソンは顔を見合わせて「あはははは」と笑う。するとクラウドに「おいそこ和むな」と突っ込まれた。
「重要なのはそこじゃないでしょ。リディアは宝玉以上の“何か”と適合したって言ってたじゃない。そこよ、そこ」
ラミーナに指摘され、シエラとバイソンは納得しつつ頷く。はぁ、と呆れたように溜め息を吐かれてしまった。シエラは気を取り直す。
「今の私たちに受け継がれている宝玉は七つ。ブラドワールが持っていたとされる宝玉はシエラ、あんたが持ってる。ってなると、リディアが持っていたその“何か”はどこに行ったのかしら?」
「……そもそも、それも玉なのだろうか?」
「コトノは何か知らないの?」
「知らぬ。……ただ、もし玉であると仮定するならば、候補が無いこともないのぉ」
「えっ!?」
顎に手を当て、深く考え込むようなポーズをとるコトノに、全員の視線が注がれる。コトノは俯いたまま「……聖玉じゃ」とだけ呟いた。
「宝玉以上の何かと言われば、それぐらいしか思い浮かばないしのぉ。可能性としてはありえなくもないじゃろ」
「確かに。……でも、なんで? 伝説だとリディアが従者七人に宝玉を授けたってあるじゃん。しかも従者と旅をして聖玉は創ったって」
この世界の誰もが知っている常識的伝説だ。クラウドはどこか困ったように「伝説ってのは、必ずしも真実を伝えているとは限らない。ほぼ虚構って事もありえるんだよ」と言った。
確かに実際のところ、真実に近づけば近づくほど、伝説とはかけ離れていっている。
「それにさっき仲間のことを“見知らぬ者たち”ってダリアミは書いてあったわよね。しかも神の国を出て数日よ」
「つまり、これでリディアと適合者達が出会ったのが神の国ってのは確定だな」
「やっぱり、リディア達もガイバーのように神によって連れてこられたのでしょうか……?」
前に読んだガイバーの日記では、ガイバーは神によって連れてこられたと書いてあった。状況的には、神が人間を支配していた時代なのだからあり得ないことも無い。
「ま、その可能性は高いね。見世物のように檻の中に入れられていた、って書いてあったし」
「……なんかさ、別にリディア達は世界を救おうとしてたって感じはしないよね」
ぽつり。思わず思ったことをそのまま言ってしまった。空気が固まり、シエラは慌てて自分の口を塞ぐ。今更塞いでも遅いのだが。すると、コトノが一人だけクツクツと堪えるように笑い出した。殺しきれていない笑いが、静寂を保つ部屋に響く。
「え、コトノ……?」
「すまぬすまぬ! あははは、いや、やはり御主の考えは面白いの!」
「……バカにしてる? それとも褒めてる?」
「褒めておる、褒めておるとも!!」
そう言いながらも笑いを収めないコトノに、シエラはしかめっ面になる。前にも似たようなことがあったが、その時もコトノは笑い続けていた。
「……ふぅ、笑った笑った。いや、なに、思わず驚いてしまってのぉ。シエラ、たまには勘が鋭いではないか」
指先で目尻に浮かんだ涙を拭いながら言うコトノに、シエラは「たまには、は余計だし」と言い返す。
「では御主たちに、私の知っている事を話すかのぉ」
「え……?」
今度は別の意味でシエラ達は固まった。コトノは人をおちょくるような笑みを浮かべたまま、何かを知っていると言わんばかりだ。
「……コトノは、何を知っているの?」
恐る恐るシエラが尋ねる。なんだかこれを知ってしまったら、本当に深みに嵌まって抜け出せなくなりそうだ。不気味な予感を抱きながらも、それでも好奇心は止められない。シエラは言葉を促すように、身を乗り出していた。コトノは一度咳払いをする。
「前に、聖玉はエゴによって創られたと話したのを、覚えておるか?」
シエラ達は頷く。ルダロッタにきてからすぐに、荒廃したロディーラの過去を見せられた。その時に彼女は聖玉のことを「己の欲求の為に作らせたもの」と言った。
「あれはな、言葉のままなんじゃ。聖玉は世界を救う為に創られたワケではない。……我らが種族と、魔物との戦争によっておかしくなった世界を、元に戻すためのものなんじゃ」
コトノは嘆いている。悔恨と言ってもいいかもしれない。百年前に生まれたという彼女は、直接リディア達やその戦争があった時に生きていない。それなのに、彼女は悲しみに暮れている。
「別におかしいままでもいいが、眺めるなら美しい方がいい。――奴らは、その程度の認識で聖玉を作ったのじゃ」
「どういう事……? 奴らって誰?」
うわ言のように言うコトノに、シエラは膨れ上がった恐怖心を胸に抱きながらも詰め寄る。コトノは窓の外に視線を向けた。
「……奴らとは、当時の我が同胞達の事じゃ。聖玉はやつらからしては遊び道具に過ぎぬ。人間を使い、“聖玉”という遊びを一体どこまで面白くできるのか――奴らは、そのために聖玉を創った」
「ちょ、ちょっと待って!!」
思わずラミーナが声を荒げて話を遮った。彼女の感じている動揺は、今この場にいる全員の動揺だ。
「それじゃ、本当に伝説はただの作り話って事よね? 神たちに利用されたリディア達の話を、奇麗事に塗り替えただけって事じゃない」
ラミーナの言う通りだ。それならば、本当にシエラ達が旅をしている理由がなくなってしまう。いや、もしかしたら“伝説”を更に後世にまで伝えていく、という意味では大事な旅かもしれないが。
――ううん、でも旅の意味は、ルダロッタでコトノに出会った時点でもう無いも同然だった。
聖玉が無ければ世界が消滅する――それならば、聖玉の存在しなかったかつての世界はどうなるのか。そう、ルダロッタでコトノに言われた事を思い出す。聖玉は良い状態を留めておく力。今の世界に災害がないのも、聖玉のお陰。
――……違う。無いわけじゃない。“世界の崩壊”を食い止める事から、“今ある均衡を守る”事に変わったんだ。
この考えは退嬰的かもしれない。それでも、シエラ達はやらなければならない。
コトノはラミーナの言葉に「……確かに、そうではある。だが、それが全てではない」と緩やかに首を左右に振った。益々話しが分からなくなる。ラミーナもさすがに眉間に皺を寄せている。
「リディア達がただ利用されて終わったというのは間違いじゃ」
「……どうして、そう言い切れるんだい?」
今まで黙って話を聞いていたサルバナが、真っ直ぐにコトノを見つめた。コトノは少し困ったように笑う。
「私の記憶の根底に、これ以上の事は残っておらぬが……それでも、分かる。少なくともリディア達がただ利用されていたのなら、奴らによる世界の統治はもっと長くなっていたであろう」
「……あ」
その時、ウエーバーが何かを思い出したように声を発した。視線が彼に集まる。
「あ、あの! 今思い出したんですけど……最初にフランズに立ち寄った際に読んだ文献で、確か、“英雄達は私たちを救ってくれた”と書いてあった気がします」
そういえば、とシエラ達はそれぞれ記憶を巡らす。するとユファが「手帳にメモがある」と言ってベッドから飛び出した。彼女は自分の荷物から手帳を取り出し、パラパラとページを捲る。
「……あった。あぁ、確かにそう書いてあった。そして、あの本の著者は、自分と同じく魔法を使う魔物に会いたい、とまで書いてあった」
「そういえば、独立運動うんぬんってのもあったな」
「……うわ、皆よく覚えてるね」
改めて自分の空っぽの脳みそを残念に思う反面、これでリディア達がただ利用されていたわけではないと分かり、嬉しく思う。
「とにもかくにも、リディア達は結局神たちに言われて旅を始めたって事だよね」
「そうだな。今のところ、唯一それが確実に信じられる結論だ」
不確定要素がまだたくさん残っている。多分、これから英雄達の日記を手に入れ、こうして解読していく度にシエラ達は頭を抱えるんだろう。
「今は、一歩ずつ着実に進むしかないよね」
焦っても答えは見つからない。それなら、一つずつ何が信じられる情報なのか確かめていけばいい。シエラは仲間たちの顔を見た。
――大丈夫。これからだってやっていける。
シエラがほっと一息吐こうと肩の力を抜くと、おもむろにバイソンが手を上げた。
「そういえばよー、さっき聞いてて思ったんだけどよ。……精霊たちが騒いでるって、ダリアミは言ってたんだよな? それってよ、ダリアミもそのロディアゼルってやつだってことか?」
言われてみれば確かに。シエラはユファを見やる。彼女はもう一度文献に目を通し、ゆっくりと頷いた。
「初代ダリアミ国王――つまり、リディア達と共に旅をした“ダリアミ”は、ロディアゼルだ。これは他の文献にも残っている。そして――」
「現国王のダリアミもロディアゼル……ですよね?」
続けて言ったウエーバーに、ユファは首肯する。
その時、ラミーナとウエーバーがゼインの大会中にロディアゼルと言ったのはダリアミ国王についてだったと、やっとシエラは思い出す事ができた。
「ダリアミの王家は代々、ロディアゼルの力を遺伝している。……とはいえ、ロディアゼルの人口は本当に少ない。歴代国王でもロディアゼルは三人ほどだと聞く」
「へぇ。ところでユファ。精霊が騒がしいってどんな感じなの?」
先ほどのダリアミの日記で書いてあったことだ。この現象がどんなものなのか単純に興味があるし、彼らの状況が分かるかもしれない。ユファは眉根を寄せて「……表現するのは難しいことだが」と前置きをする。
「精霊の声は、普段は囁きのように聞こえるんだ。ただ、ダリアミの地下神殿みたいな、歴史が“あり過ぎる”場所では精霊の声がとても心に響いてくるんだ。……恐らく、騒がしいとはそういう事だと思うんだが」
それに、とユファは付け加える。
「私は遺跡や神殿でしか精霊の声が聞く事ができない。以前あった老婆のロディアゼルは森の中など、人のいない所でしか聞こえないと言っていた。陛下はどうか分からないが、とにかく、ロディアゼルと一口に言っても精霊の声の聞こえ方は違うんだ」
「つまり、ダリアミの感じ方とあんたの感じ方は違うかもしれないってわけね?」
「そうだな。むしろそちらの確率の方が高いかもしれん」
「現段階ではダリアミの“精霊が騒がしい”がどんな状況かは判断ができないって事ですか……」
「でも、おんなじロディアゼルでもそんな風に違いがあるんだなー!!」
「あぁ、そのようだ」
ユファは少し困ったように笑った。それから「他に気になった事などはないか?」と、全員の顔を見回した。ラミーナやウエーバーは考えるような仕草を見せたが、バイソンは早々に「もうお手上げだー」と肩を竦める。
シエラは脳みそを引っ掻き回し、何か言わなければいけない事があったはずだと頭を回転させる。とても大事な事だったはずだ。
聖玉に関わるような、シエラの存在の根幹に関わるような、この旅を大きく左右するような、そんな大事な事があったはずなのだ。
――……そう、あれは夢の中だった。コトノやアンと会ったあの“夢”の中で、私は出会ってしまったんだ。
記憶に霞が立ち込め、明瞭に思い出すことができない。
深い悲しみがそこにあった事は覚えている。どうしようもない憤りがあったことも覚えている。信じたくないと思う気持ちも、はっきりとシエラの心に残っている。
だというのに、一体そこで自分は何をしたのかが思い出せない。
シエラが思い出そうと視線を彷徨わせていると、クラウドと視線がぶつかった。真正面から芯の通った眼差しに射抜かれ、思わず鳥肌が立つ。
「どうかしたか?」
「……いや、なんか」
言いかけて、やめる。この掴み所のない曖昧な記憶は、うまく言葉にする事ができない。
シエラが言いあぐねていると、クラウドが「……あの刺客とか、あの男のことか?」と眉間に皺を寄せた。
「あの男って……?」
「あいつだよあいつ。あの気にくわねぇ灰色男だ」
灰色男。クラウドがそう言った瞬間、ラミーナが笑い出した。
「あんた、それってもしかしてあのグレイ=ジェルドのこと? あははは、確かに灰色男よね!!」
「あの野郎は灰色男で十分だ。ったく、思い出しただけでも胸糞わりぃ」
――グレイ=ジェルド……。
そうだ、そうだった。彼だ。“夢”で出会ったのは、彼だった。
グレイだと分かった瞬間、一気にその時の記憶が蘇ってくる。会話や彼の仕草、表情、色んなものが思い出せる。シエラは震えそうになる体をどうにか抑え、深呼吸をした。
「シエラ……どうしたんですか?」
ウエーバーに顔を覗きこまれ「顔色が悪いですよ」と心配げに呟かれる。シエラは顔を上げ、仲間たちの顔を見る。
「……皆に、大事な話があるの」
伝えなければ。たとえ更なる混乱を招くとしても、伝えなければならない。
「どうしたのよ?」
「シエラ?」
仲間たちが、シエラの顔を窺う。
大丈夫、大丈夫。シエラは心を落ち着けながら、口を開く。
「今から言うこと、信じられないかもしれない。でも、聞いて欲しい」
シエラの真剣な気持ちがしっかり伝わったのか、場の空気が再び緊張感で満たされる。
イヴが愛らしい眼差しをこちらに心配そうに向けているのが横目に入った。小さく笑ってみせれば、イヴも何かを察してくれたらしい。シエラは深く息を吸い込んだ。
「――グレイ=ジェルドは、二千年前に一度死んでいるの」
そして再び、運命は加速した――。
魔法のiらんど掲載の第二巻分がこれにて終了です。次からはいよいよ最新更新分の第三巻の内容になります。




