一
****
「――ぬぬぬ……」
「あー、シエラ。違いますよ」
コナ村を出発した一行はディアナの首都フランズを目指して歩いている。今は既にディアナの国土内であり、マフィオという街に向かっていた。
「……あぁ、何っ、何なのっ!?」
「逆ギレかよ。つか、本当にセンスねぇな」
「うっさい!! クラウドは黙ってて!」
シエラはクラウドに噛み付いた。うまくいかない事など日常茶飯事ではあるが悔しくないわけがない。シエラは今ウエーバーに頼み、魔法を基本から教えてもらっているのだ。分かりやすいお手本つきで。しかし、中々上手くいかず、苛立ちは限界を越えていた。
「だから、まず掌に神経を集中して魔力を練るんです。イメージです、イメージ!」
流石のウエーバーも問題児のシエラに手を焼いているようで、本人に至っては頬を膨らまし拗ねている。
「ったく、何ガキに指導されてんだか……」
隣を歩いてるクラウドはシエラに溜め息を吐くと、馬鹿にするに様に手を翳す。
「こんなの、俺でも出来る」
ボッと炎が出現し、ゆらゆらと揺れている。魔力を炎に変えるというのは基本中の基本であり、故に魔法を使う上で重要だ。シエラはそれを見た瞬間、何かがブチッと切れる音を聞いた気がした。
「……うざ」
クラウドの炎を一瞥すると、シエラはぼそっと呟く。勿論、クラウドに聞こえるように。
「あぁ!? てめぇ、人が見本を……」
「はいはい!! そこまでっ。いい加減にしないと、二人とも疲れますよ?」
一番年下のウエーバーに言われ、シエラもクラウドも黙り込む。流石に大人気ない。しかもウエーバーは十四歳。シエラは十六歳で、クラウドは十七歳。年上の面子も何もあったものではない。
「……じゃぁ、シエラは集中して見てて下さいね」
「はーい」
歩調は変わること無く歩いていくが、僅かに手が光ったと思うと、ウエーバーは一瞬にして巨大な炎を出現させ、器用にそれを宙に浮かせ回転させている。
「分かりましたか? 今手に魔力の渦が出来たの」
「全っ然。でも、凄いね!! ウエーバーってさ、何か万能っていうの? 魔法で何でも出来ちゃうんだね」
「シエラ、聞いてます? 嬉しいですけど、話無視しないで下さいね?」
笑いながらどんどん話を逸らすシエラに、ウエーバーはがっくりと肩を落とし溜め息を吐く。前を走っていくシエラの背中を見つめながら、同情の意を込めてクラウドはウエーバーの肩に手を置いた。
シエラは二人のやり取りを肩越しに眺めながら、小さく唇を尖らせた。
――私だってできるもんならクラウドみたくババッと炎の一つや二つや三つ出してやりたいわよ!!
キィー、とヒステリックな怒りを内心でクラウドにぶつける。正直精度という点さえ差し引けば、シエラとて炎は出現させられるのだ。ただそれは夥しい数であるという事を除けば、到底“魔法”と呼べるかも怪しいようなものなのだ。つまり、中身の伴わない粗悪品の大量生産という事である。
シエラが落ち込んでいると、いつの間に追いついたのかクラウドとウエーバーが「まぁまぁ」と苦笑いをしていた。
「――いいですか? シエラの場合魔力が有りすぎるのに、それをコントロールする技術が無いから、持て余してるんです」
「そんなにズバッと言わないでよ。真面目に凹むから」
ウエーバーの魔法講座に正直うんざりし始めたシエラではあるが、ここで茶々を入れると後が怖いので黙っておく。
「低級魔法に使用する魔力の量としては、肉眼で見えるギリギリが目安です」
「ギリギリねぇ。……う〜ん?」
首を捻りながらもシエラは懸命に掌に神経を集中させる。しかし、その集中は森のざわめきにより途切れてしまう。
「な、何っ!? 気味悪いよ」
鳥達が木々から一斉に飛び立ち、風が凪ぐ。森の中の道を通っているため、昼前とは言え少し不気味だ。
「……妙だな」
「そうですね。まるで、何かに怯えているような」
クラウドとウエーバーが警戒すると、辺りの空気は途端に緊迫したものへと豹変し、シエラは肩を縮める。
まるで昨日魔物に襲われたときのようだ。ピリピリと肌を刺す緊張感に、シエラは背中に冷や汗が流れるのを感じる。
「っ! 危ねぇっ!!」
「……え?」
キーン。シエラの耳朶にクラウドの声が聞こえ、次いで金属音が響く。クラウドが咄嗟に何かを弾き落としたのだとシエラが分かったのは、足元に突き刺さるそれを見たからだ。
銀色の輝くナイフは深く地面に突き刺さっており、クラウドが弾かなければ確実にシエラは死んでいた。クラウドは鋭い視線で殺気を放ちながら、周囲を見回す。そして重い空気を保ったまま口を開く。
「おい! 隠れてねぇで出て来い!!」
威嚇のように剣を一薙ぎすると、クラウドの半径一メートルほどには一瞬にして先ほどと同様のナイフがびっしりと突き刺さっていた。
「――ったく、易い挑発に乗ってんじゃねぇよ」
そう言ってシエラたちの目の前に現れたのは、着物を大胆に着崩した美女と呼べる部類に入る女性だった。美女は紫紺の髪をなびかせ、鋭い――というには鋭すぎる――目つきでシエラたちを睨んでいる。
「いいじゃねぇか。それに回りくどいのも嫌いなんだよ」
「まぁまぁ、二人とも落ち着いて下さいよ」
気がつけば、完全に囲まれていた。シエラたちが三人なのに対し、相手は四人。袖からナイフをちらつかせた深緑色の瞳と髪の少年や、穏やかに微笑んだ茶髪の青年。そして一番目立つのが金髪を束ね、化粧をしている女性だった。
「お前ら、何者だ?」
「殺す相手に、名乗っても無意味だろっ!!」
深緑の髪の少年は訊ねたクラウドに飛び掛り、シエラは騒然とする。激しい金属のぶつかり合いに、恐怖が芽生えた。しかし、シエラにも身の危険は迫っている。まだ相手は三人。しかしこちらは二人。不利といえば不利だろう。
「あ〜もう、ジルちゃんだけズルいわぁ」
金髪化粧女性は横目に深緑髪の少年――彼が恐らくジルなのだろう――とクラウドを眺めながら、つまらなさそうに溜め息を吐く。
「はぁ。女とガキには興味ないのよねぇ」
「死ね。いっぺん地獄に落ちて来い。そして石ころにでも生まれ変わってろこのオカマ野郎」
「ショコラ、口が悪いですよ。あなたは女性なんですから、もっと言葉遣いに気をつけるべきです」
「グラベボ。あまりとやかく言うものでは……」
「フォーワード、甘やかしてはいけません。ショコラに教養がないのは仕方ないとしても、僕たちまでそう見られるのは心外です」
グラベボと呼ばれた茶髪の青年はいつの間にか後ろにいた、黒髪に無精ひげを生やした男性を窘めた。ショコラと呼ばれたのは紫紺の髪をした色っぽい美女で、ビルダというのは金髪化粧女性――オカマと言われていたので女性か怪しいが――のことだろう。
彼女たちが騒いでいる間に、逃げてしまおう。囲まれてはいるが、今ならば逃げられそうだ。シエラとウエーバーはアイコンタクトを取り一つ頷くと、進行方向に向かって走り出す。
「ミスト・カーテン!」
ウエーバーが右手を翳せば、たちまち辺りは霧に包みこまれる。シエラ達が走り去った場所からだんだんと濃霧になっていく。
クラウド達の刃を交わす金属音も聞こえなくなった。
これならば逃げ切れる――そう、思った。
「――ったく。人の話しの途中に逃げてんじゃねぇぞ。つーか、本気で逃げられるとか思ったワケ?」
目の前には、いつの間にかショコラがおり不機嫌そうに頭をかく。その仕草一つ一つに殺気が篭っており、目つきも鋭い。
「……どっちから、殺されたいか?」
「アホ。半殺しよぉ。殺すのは用済みになってからってアールフィルト言ってたじゃなぁい」
気が付けばビルダというオカマ達まで、シエラの目の前に立ちふさがっている。ぞくり、と背中に悪寒が駆け抜ける。
「アールフィルト……原初の神?」
すると、ぽつりとウエーバーが呟いた。しかしシエラには全く意味が分からない。
「そっちのガキは、少しは頭がイイみたいねぇ」
ビルダは捕食動物のように目を鋭くさせながら、ウエーバーをじっと見つめる。その隙のない視線に、シエラは息をすることすらままならなくなってくる。
ウエーバーは右手に魔力を集中させながら、深く息を吸い込んだ。
「面倒な事になりました。シエラ、少し下がっていて下さい」
「わ、分かった」
緊迫したウエーバーの雰囲気に、シエラは従う事しかできない。二三歩後ずさり、それからゆっくりとウエーバーから距離を置き、近くの木陰に隠れる。
「おいおい、お前一人であたしら相手にするつもりかよ」
舐めてんじゃねぇぞ。
怒気と殺気の籠った恐ろしい声だ。シエラはショコラという人間が放つ威圧感を全身で感じながら、ウエーバーの背中を見守る。
「えぇ、そうですよ。彼女は戦闘慣れしていませんから、手出し無用で願います」
「はっ、紳士気取りかよ」
「いえいえ、紳士気取りいいじゃないですか。……まぁ、僕たちに通用はしませんけど」
「グラベボ……」
いつの間にか、また人が現れた。先ほどもいたパーマ茶髪の青年だ。グラベボと呼ばれた青年は、薄く笑みを浮かべてウエーバーを隈なく“観察”している。
「でもでもぉ。あんたら二人、口調かぶってるわよぉ?」
「黙って下さいビルダ。緊張をそぎ落とされると僕の士気が下がります」
「あっそ」
指摘されたグラベボはビルダを笑顔で威圧する。ビルダは大した興味もなさそうに相槌を打つと、きょろきょろと辺りを見回し出す。
「それにしても、ほんとまだガキしかいないわけぇ? ビルダちゃん、もっと大人の男がいないとやる気出ないんだけどぉ~」
「ならそのままやる気が出ないままくさばってろ……!!」
ショコラは思い切りビルダに拳を振りかぶった。ビルダは「ちょ、危ないじゃない!!」と叫びながらもしっかりとその拳をかわす。
「あぁもう騒がしいですね」
呆れた声でグラベボはビルダ達を睨みつける。ウエーバーはそんな彼らに溜め息を吐く。
「……フレイム・フレア」
静かな声と共にウエーバーの指から炎が発射される。鋭く燃え盛る軌跡は、容赦なくグラベボ達に襲い掛かった。しかしそれがグラベボ達に当たる事はなかった。魔法陣がウエーバーの魔法を阻む。激しく燃え盛る炎は、魔法陣とせめぎあっている。
「凄い……」
木陰に隠れながらその様子を見ていたシエラだが、あまりにも高次元の魔法に感嘆の言葉を漏らす。
ウエーバーの魔法の腕は今朝のクラウドとの戦いで目の当たりにしたばかりだ。その彼の魔法を魔法陣で防いでいる彼らもまた、只者ではない。
――いや、てかまぁ、この状況になってる時点で只者じゃないか。
シエラは内心でそんな風に思いながらも、吹き出る冷や汗を止める事ができない。
すると、今度は後方から金属のぶつかり合いが再び聞こえてきた。クラウドだ。ジルと呼ばれた少年と戦っている。その剣戟の速さは、シエラの肉眼では捉えるのが精一杯。
――それにしても、あのジルって人、なんかクラウドに似てるような……?
ジルも深緑色の髪や瞳をしているからかと思ったが、シエラの予想はそこに端を発しているわけではない。もっと具体的な、顔のパーツやその人の雰囲気などだ。
シエラは首を捻りながら、クラウドとジルの戦いに意識を向けた。双方一歩も譲ることなく、剣と剣がぶつかりあっている。
「はっ、てめぇ結構やるじゃねぇーか!! ナルダンの男なだけあるってワケか!!」
「そりゃどーも」
軽業師のように身軽な動きでジルは刃を振るう。だらんとした彼の服の袖で武器はよく見えない。チラチラと刃だけが見え隠れしている。
ジルは地面を強く蹴った。弾道のようにクラウドに突進してくる。クラウドは上段からきた斬撃を弾き返すと、下から切り上げた。ジルはそれを間一髪でかわすと、振り上げた左足でクラウドの鼻先を掠めた。
「チィッ!!」
クラウドは掠めた鼻頭を乱暴に撫で付け、後方に下がったジルを思い切り睨んでいる。
「……てめぇのその武器、ジャマダハルだな?」
切っ先を向け殺気を迸らせながらクラウドは尋ねる。ジルは口笛を吹き、「ご名答」と言って犬歯を覗かせて笑った。
「ジャマダハルだが、こいつは魔力をよく通すんでなぁ。斬撃もお手のモンよ」
「その様だな」
仏頂面のままクラウドは剣を構えなおす。眉間に皺は益々深くなっていっている。
対するジルは、子供のように無邪気で悪戯っぽい表情でクラウドと向かい合っている。彼は戦いの最中も、まるで鬼ごっこをしている幼子のようにどこか残酷な純粋さを垣間見せている。
「……さて、お楽しみはここからだぜ」
ジルは腰を落とし、獲物を狙う捕食者のようにクラウドから視線を逸らさないでいる。
緊張感が高まっていく。シエラは木の幹に爪を立てた。クラウドも両手でしっかりと柄を握った。二人の闘志がぶつかり合う。ビリビリとした空気が、辺り一体を包み込む。
「行くぜ――!!」
ジルが走り出した。クラウドもそれに応えるように走り出す。
刃がぶつかり合う――!!
瞬間、木々が大きくざわめいた。
「そこまでだ――セイスタン」
その一言で、静寂が訪れる。気がつけば、シエラのすぐ近くに少女が立っていた。
ジルはおろか、その他のショコラ達ですら動きを止めている。かと思えば、次の瞬間には声の主の下に立っていた。風に黒髪がさらわれ、シエラの視線をひきつける。陶器のように白く、滑らかな肌。まるで人形のようだ。彼女との距離は三メートルほど離れているのに、物凄く圧迫されているような気がする。
「……貴様が、適合者か」
「は? ……ラヴォ? え、何だって?」
聞きなれない言葉に、うまく呂律が回らない。少女は無表情のままシエラの胸を指差した。
「貴様の身の内には、宝玉が宿っているのだろう?」
ラヴォールの意味は分からなかったが、身の内という言葉から、恐らく少女は宝玉の事を言っているのだろう。シエラは一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに小さく頷いた。
「……それより、あなた達は一体何者なの?」
なんとか声が震えないようにするのが限界だった。正直、今すぐに逃げ出してしまいたい。
少女はじっとシエラを見据え、「ふむ、そうだな」と自分を囲んでいるジル達を見回した。
「……深緑の髪の男が、ジル=セイスタンだ」
「って名前教えるのかよ!?」
すかさずジルがツッコんだ。そういえば彼は最初に名乗る事を拒んでいた。少女がジルのフルネームを明かしたせいか、他の面子も顔を歪めている。
「それから紫髪の女がショコラ=イルディー。金髪のオカマがビルダ=アイミア。茶髪の優男がグラベボ=ビーン。黒髪の男がフォーワード=ティーンだ」
少女は何てこともないように次々と彼らの名前を明かしていく。
明かされた側の彼らは、先ほどよりも不機嫌になっている。自分達で名乗らなかった分、ここで言われたきまりの悪さもあるのかもしれない。
シエラはゆっくりと息を吸い込み、少女を見つめた。
「そして、私はアン=ローゼン。控えているのがエリーザ=クロブッファだ」
「ふふ、よろしく」
いつの間にいたのか分からないが、気がつけばシエラの目の前には金髪美女が立っていた。大きく開かれた胸元から覗く谷間が眩しい。エリーザという美女は腰のあたりまで伸びた美しい金髪をポニーテールにしており、それをなびかせながらアンという少女の元まで歩いて行った。
「それで、一体俺たちに何の用だってんだよ」
少し離れた所で、クラウドはアン達に剣の切っ先を向けている。
シエラはすかさず彼の方に向かって走った――が、辿りつくことはできなかった。目の前にはビルダが立ち塞がっている。ビルダは蠱惑的な笑みでシエラを見下ろしている。
アンはクラウドに視線を移し、今度は彼の胸を指差した。
「私たちの目的は宝玉ただ一つ。虐殺ではない。貴様らが大人しく宝玉を渡すというのであれば、命までは奪うつもりはない」
平坦な声音で淡々と言うと、アンは自らの額に触れた。そこには、蒼色の謎の紋章が刻まれていた。
「私はアールフィルト。原初の神。貴様らの宝玉を正しく導く者だ」
シエラは抗議の声を発したかった。それなのに恐怖と緊張で喉が張り付いてしまって、掠れた声にならない声しか出てこない。
すると、クラウドから更に強い怒気が溢れ出てきた。
「はいそうですか、って渡すワケねぇだろ。何が命までは奪わないだ。そんな胡散臭い信憑性ゼロの言葉、信じると思うか?」
「全くです。第一、あなたが神であるという証拠もない。それにあなた達が何者であろうと、僕らは被害者です。襲撃された時点で僕達の中でのあなた達への信頼はゼロなんですよ」
クラウドのみならず、ウエーバーも静かに怒っている。二人とも言っている事が正論で、なおかつ理路整然としている。シエラは鳥肌が立った。
「……そうか。拒むか。ならば、実力行使も致し方あるまい。セイスタン、ビルダ、ショコラ、グラベボ……殺れ」
その一言で、四人は一斉に動き出す。あまりの速さにシエラの肉眼ではついていけなかった。恐らく魔法を使っているのだろう。その速さは人間の領域を超えている。
「っ!!」
気づいた時には、ビルダの拳が鳩尾に叩き込まれていた。何とか気力で気絶を免れるが、そのまま倒れこみそうになってしまう。
「……ちょろいわねぇ」
すぐ近くで聞こえるビルダの声。そして地面から浮く感覚。どうやら、ビルダに持ち上げられているようだ。朧な意識の中、シエラはアンを焦点の合わない目で見つめる。腹部には激痛がはしり、口元からは血が流れている。
「シエラッ!!」
「くそっ!!」
ウエーバーとクラウドの声が遠くに聞こえ、戦いの物音が再び炸裂する。身体の芯が熱くなるのは何故だろうか。
「まずは、貴様からだ」
アンの無機質な声では次に何をされるのか分からない。
ビルダは抱えていたシエラをアンに差し出す形で脇から支えるようにした。シエラの胴体はアンに向けられ、心臓が大きく跳ねる。鼓動が聞こえるのではと想うほど、脈打っていた。
――熱い。宝玉が、熱い。
共鳴してシエラの体内に溶け込んでいる宝玉が何かを拒絶している。心臓が破裂してしまう錯覚すら起こす。ゆっくりと伸ばされるアンの手を払いのけたいのに、身体は動いてくれない。そして、液体に身体を突っ込んだかのような音と共に、アンの腕は容赦なくシエラの中に入ってきた。
――気持ち悪い……ッ!!
異物が入ってくる感覚。シエラは荒れ狂う苦痛に、歯を食いしばり耐えようとする。けれど、あまりの激痛に呼吸すら忘れてしまう。息を吸おうと口を開けた途端、意図せず叫びが漏れた。
「……アァアアァァアァア!!!!!!」
――嫌だ、痛い、気持ち悪い、死んじゃう……!!
純粋なる恐怖がシエラを支配する。身体の中に腕をつき立てられ、抉られるなど普通は経験しない。アンは容赦なく宝玉を抜き取ろうとし、しかし宝玉はそれを拒み、シエラの身体から出ようとしない。
「……くそっ!!」
助けに入ろうとクラウドとウエーバーは動くが、それをジルたちが阻む。
シエラの額には大量の汗が噴出し、拒否反応の大きさが尋常ではない事は一目瞭然だ。
クラウドとウエーバーはジルやグラベボを相手にしながら、どうにかシエラの元に向かおうとしていた。
シエラの意識はもう朧すぎて、クラウドとウエーバーの二人すら視界に入っていない。
そして、終わらない苦しみに、シエラは一刻も早い解放を願う。けれど、拒めば拒むほどアンは深く腕を突き立てる。
――痛い。イタイ。イタイ、痛い、痛い痛いイタイイタイ痛い痛い痛い……!!!!
離せ。その腕を私の身体からどけろ。これ以上は入ってくるな。
シエラは霞んだ視界でアンを睨みつけながら内心で呪詛を吐く。 自分はもう駄目だという気持ちと、アンの腕を抜き取りたいという思い。諦めと意地がシエラの心を分かつ。
朦朧とした意識に走る激痛に何度も気が遠くなる。シエラはそれでもアンを睨んだ。するとそれが気に食わなかったのか、アンが眉をぴくりと動かした。
「アァアァァアアァア!!!!」
「そうだ、それでいい。貴様はそれでいい」
再び悲鳴をあげたシエラに、アンは満足そうに頷く。
いよいよ、本格的に意識が飛びそうだった。クラウドとウエーバーが名前を呼んでいるような気もしたけれど、定かではない。
――二人とも、ごめん。
内心で詫びて、シエラは目を疑った。いつの間にか、アンの真横に、漆黒の衣を纏った男が――冷淡な瞳を向けて立っているのだ。
――誰だろう……。
せめて彼が敵でない事を祈るばかりだ。そんな思いを抱きながら、シエラは気を失った。