勤続500年は伊達じゃない
【通信接続エラー】
――ブツン!
高速で文字を吐き出していたシステムウィンドウが、突然ブツンと音を立てて消えた。
【データを正常に読み込めません。緊急復旧作業を開始します】
【同期中……(1%)】
直後、目の前に浮かんだのはエラー通知。
だが、必要なものはもう全部見た。
「――こっち!!」
「ひっ、うわあ……!!」
――ゴゴゴゴ――!!
猛然と迫る攻撃をかわして、すぐさま隣にいたボブヘアの女を引っ掴み、別の瓦礫の陰へ身を隠した。
「……はっ、い、今、本当に死ぬところ……!」
(舞台は21世紀の日本。今の状況を見る限り……たぶんスタンピード。一ページ目が開いた以上、シナリオも最初から始まると見ていい)
ここから出るには、シナリオを正常に終了させるしかない。それはもう確定だ。
そしてこちらに入る直前、緊急呼出ボタンは確かに押した。
係員たちにも信号は届いているはずだから、状況を把握すれば、きっと応援が来るだろう。
(こっちと向こうじゃ時間の流れが違うから、それまでどれだけかかるかわからないのが問題だが)
「……とりあえず、今どういう状況なんですか? これは一体、何なんです」
「は……? あなた本当に大丈夫ですか?」
「頭を打って記憶がないんです。まあ、そういうことにしておきましょう」
「え? ほ、本当に?」
雑な言い訳なのはわかっているが、とりあえず図々しく押し通すしかない。
彼女は青ざめた顔で荒い息をつくと、すぐに困ったようにこめかみを押さえた。
「採用試験会場で、試験用の超常災害が暴走して、中にいた超常体が飛び出してきたんです。たぶん、先に入ったチームが何か事故を起こしたみたいで……」
[87―佐伯千穂]
ボブヘアの女の胸元に、ピンで留められた紙が目に入った。
唇を噛んだ彼女が、涙声で言葉を続けた。
「このために勤めてた会社まで辞めて、半年以上も試験勉強してきたのに……。こんなことになるなら来なきゃよかった。ここで犬死にしそうです……。うぅ、お母さん……」
「とにかく、説明はわかりました。泣いても何も解決しないので、とりあえず泣くのはやめてください」
「うぇぇ……慰めなくていいです。どうせ死にそうなんだから……」
「いいえ。そんな大声を出されたら、私まで見つかって死にそうだから言ってるんです。死ぬなら一人で死んでください」
「この人、本当に頭おかしいんじゃないの?」
とにかく、ここは典型的な探索者協会に近い何か。
だが、採用試験の最中に想定外の事故が起き――。
(この憑依体はその場で死亡。その結果、自動的に俺の憑依媒体になった)
[33―柏葉霖也]
視線を落とすと、俺についている番号札に書かれた名前は、すでに俺のものに置き換わっている。
管理者と憑依体のデータ同化、〈上書き〉が完全に済んだってことだ。
つまり、もう抜け出せない。
「伏せてください」
「……!! あっ!」
――ゴゴゴゴ――!!
「げほっ、げほっ……!」
(転生まであと8年しかないってところで、現場派遣とは。……くそ、なんだこの状況は?)
また轟音とともに飛んできた瓦礫をかわし、呼吸を整えた。
「あれ、どうにか閉じる方法はないんですか?」
「な、ないです。超常戦闘班が来るまでは、実質できることは何も……」
「わかりました。逃げるしかないってことですね」
(キーワードは『現代ダンジョン』『主人公最強』。そして目の前にいるのは、トンボ型のモンスター)
これは典型的なシナリオの『導入部』だ。
だとすれば、きっとこの世界の『主人公』も近くにいるはず。
(それまでは、どうにか安全な場所へ逃げて持ちこたえるしかない)
予測。
そう。あのトンボの動きさえ予測できればいい。
(こういう類のモンスターなら、数え切れないほど相手にしてきた。全部、数百年前の話ではあるが)
問題はない。記憶はちゃんと頭に残っているから。
それも、鮮明に。
「よく聞いてください。パターンがあります」
「パターン……? 何のパターンですか?」
「この状況でパターンと言えば、普通は何だと思います? あのトンボです。よく見てください」
「……うわっ、き、気持ち悪っ……」
思いきり顔をしかめた佐伯が、どうにかトンボに目を凝らした。
(トンボは徹底して狩りに特化した昆虫だ。狩られる側からすれば、恐ろしいことこの上ない)
周囲360度を捉える視野角。
そして四枚の翅を独立して動かすことで得る、高い飛行速度。
そのせいか、他の受験者たちも本能的に捕食者への恐怖を感じ、身を隠したようだった。
だが……。
「トンボの飛行パターンは完全にランダムに見えますが、実際には一定のパターンがあります。8の字飛行、ループ、急停止なんかを繰り返してます」
「え? ってことは……」
「そのパターンさえ見抜ければ、次の動きを十分予測して動けます。もちろん、多少足が速くないといけませんが」
「……あ!」
佐伯が小さく息を呑み、はっと顔を上げた。
その視線が、何かに取り憑かれたように素早くトンボの動きを追う。
そしてすぐ、彼女の口から呆けた声が漏れた。
「今見えるのは八匹……。それに、トンボごとにずっと旋回してる範囲があります。8の字に飛んで、一度急停止。その次が下降。それからまた上がって……同じパターンを繰り返してます。たぶん、人間を探してるんだと思います」
(……なかなか、いい観察力だ)
これは予想外の収穫だ。
俺は少し目を見開いた。
「だいたい、どう動くのかわかった気がします。周りに遮蔽物もあるし、タイミングさえ合わせれば、見つからずに動けるかも……」
「いいですね。じゃあ、その途中で周りの受験者たちも連れて、安全な場所へ移動しましょう」
「え? 他の人たちまで……!?」
「嫌ですか?」
「いえ、そういうわけじゃ……」
もじもじしていた佐伯が、気まずそうに視線を逸らした。
「正直、そのまま見捨てて行こうって言うのかと……」
「私を何だと思ってるんですか」
俺だって、別に好きでやっているわけじゃない。
普段なら、エキストラ程度はそのまま放っておいただろう。
だが今は、取扱注意の『神格もの』が完結後に再生されてしまった異例の状況。
(あとで責任を問われるような材料は、作らないほうがいい)
「でも、どうしてそんなに冷静なんですか? も、もしかして神約者なんですか?」
(……神約者?)
この状況では予想もしていなかった言葉だった。
今この世界には上位存在がいないはずなのに、神約者?
「いえ。そういうわけではありません。……では、出発します」
「はい!」
どういうことかはわからないが、ひとまず適当にぼかしておいた。
佐伯が力強く頷き、俺たちは素早く瓦礫の陰から飛び出した。
そのまま点々と転がる瓦礫の間に身を隠しながら、他の受験者たちへ近づいていった。
「……ひぃっ! ひぃぃっ! こ、来ないで! 下手に集まって、あのトンボに見つかりでもしたら……!」
「見つかりません。むしろ、そっちが大声を出してるせいで見つかる可能性のほうが高そうなので、黙れ……いや、静かにして、言うとおりに動いてください」
「……! ん、んっ」
もちろん途中で何度か危ない場面はあったが、とにかく無事に近くの人間たちを連れ、空き地の端まで逃げることに成功した。
ここまでにかかった時間は、およそ五分。
「うっ、脚、脚が……」
「だ、大丈夫ですか? もう少ししたら治療してもらえるはずです。すぐに協会の人たちが……」
助け出した人たちの中には負傷者もかなりいたため、佐伯はおろおろしながらも、彼らを安心させようとしていた。
そして、そのとき。
――ピシッ……。
「……!」
「……あ! あれ!」
遠くを飛んでいた巨大トンボの胴体が突如、綺麗に真っ二つに裂けた。
――ゴゴォン――!
「あ……!!」
(これは……)
真っ二つになったトンボが、重い音を立てて地面へ墜落する。
背後の人々から安堵の混じった歓声が上がった瞬間、砂煙の向こうに、一団の人影が見えた。
数百年ぶりに覚える、馴染みのある感覚。
エラーのせいでステータス画面すら出なかったが、それでも本能的にわかった。
「超常戦闘班……! き、来た! もう助かります、助かった!」
「万歳!!」
「すみません! こっち、こっちです! 助けてください!!」
この派生宇宙が指定した、『主人公』の登場だった。




