緊急招集
「ええっ!? 柏葉さん、転職するんですか!?」
「いえ。違います……」
こいつはまた何なんだ。
少し頭が痛くなってくるのを感じながら、所長に向かって首を横に振った。
「転職は特に考えていませんが、それはどうして……」
「実にいい判断をされました」
だから、いったい何を。
「柏葉さんは、どうせなら回収班に骨を埋めたほうがいいですよ。もし戦闘班からスカウトが来ても、見向きもしないでください。あんなところに行ったところで、何がいいっていうんです。せいぜい無駄にちやほやされて、金をがっぽり稼ぐくらいのもんでしょう。港区のタワマン最上階で、ふんぞり返りながらな」
「いや……。はい?」
「ちょっと腕が立つと思ったら、どいつもこいつも戦闘班に行くとか言って、妙な真似をするから言ってるんです。そんなの、熊にピアノを弾かせるようなもんじゃないですか? まったく、何が大事かもわからず、見当違いなところで才能を無駄遣いしてばっかりだから、発展が……!!」
「はい……。わかりましたから、落ち着いてください」
「はぁ、はぁ……。あ、久しぶりに大声を出したら、息が……」
詳しいことはわからないが、回収班の人材が戦闘班へ流れていく件で、相当鬱憤が溜まっていたらしい。
たかがちょっと声を張り上げたくらいで、首の後ろを押さえて息を切らしている氷室を少し待ってから、話を続けた。
「それで、この神器はどうなるんですか?」
「ああ、それはですね……。コホン、ちょっと待ってください」
短く咳払いをした彼は、息を整えると再びモニターに目を向けた。
「えっと……。基本的に、回収された神器は研究所に届け出たあと、いくつかの確認手続きを経ます。神器の能力や使い方、危険度。まあ、そういったものですね」
「では、あちらにあるものも、ここで研究中の神器ですか? ずいぶん数が多いようですが」
「ああ、あれですか?」
さっきから目が向いていた機械のほうを指さした瞬間、彼の濁っていた目に、ぎらりと光が宿った。
真ん中に穴の開いた大きな機械の周りに、さまざまなアクセサリーや万年筆、手袋、コップといった物が置かれていた。
「ええ。まだ契約の済んでいない神器なので、ここで保管しながら研究用に使っています。正確には、神器のほうがまだ契約者を選んでいない状態ですね」
「契約者を選んでいない、というのは……」
「そのままの意味ですよ。神器が自分の気に入る人間を見つけられていないってことです」
肩をすくめた彼が、言葉を続けた。
「そもそも神器が契約者を選ぶ基準っていうのが、あまりにも気まぐれなうえに、研究でわかることも何もなくてですね。神器の気持ちなんて、こっちには知りようがないですよ。あれが喋るわけでもあるまいし」
「なるほど」
そう言いたくなる所長の気持ちは、なんとなくわかる気がする。
実のところ、形が物に変わっただけで、本質的にはもともとここにいた神格たちの残滓が溶け込んだ品じゃないか。
この世界にいるほかの人間たちには知る由もないだろうが、上位存在という連中がどんな性分なのか知っている俺の立場から考えてみれば……。
(相当気難しくて面倒くさいんだろうな……)
やっぱり、少し離れていたほうがいいな。
「まあ、せっかくここまで来たんですし、少し見て回りますか?」
「……はい?」
所長の言葉を聞いた俺は、思いきり渋い顔になった。
下手に近づいて、運悪く妙なことに巻き込まれでもしたら、戦闘班送りにされるんじゃないか?
「ああ、神約者になったからといって、必ずしも戦闘班に行くわけじゃないんですよ。よほど高等級か、戦闘特化型でもない限り、そういうことはごく稀ですね」
「そうなんですか?」
「はい。それに実際、現場で働いていれば、これから神器にはしょっちゅう触れることになりますよ。勤続年数の長い職員は、大半が神器の一つくらいは持っていると思っていいですし」
(そういえば)
柳と東雲も神器を一つずつ持っていたな。
だとすれば、今からわざわざ心配する必要はないのか。
「どのみち、今出してあるのは全部、分析装置で安全だと判定されたものだけです。見るくらいなら、まあ」
「はい。では……」
所長に案内されるまま、機械の前へと近づいた。
分析とやらをどうやるのか気になっていたが、あの機械に神器を入れると画面に分析結果が表示されるようだった。
(肉眼で見る限り、特に変わったところはないな)
「うわぁぁ……!」
俺が神器をざっと見渡している間、結城はいつの間にかテーブルに顔をぐっと近づけたまま、感激の面持ちで目を輝かせていた。
あのままだと、よだれでも垂らしそうだな。
「おかげで、いいものを見せていただきました。ありがとうございます」
「いえいえ。これからここにはよく来ることになるでしょうし、今後のご活躍、期待してますよ」
やはり低等級の神器ばかりだからか、これといって何かを感じることはなかった。
そうしてしばらく見て回ったあと、所長にぺこりと頭を下げ、再びドアへ向かおうとした、そのときだった。
――コトッ。
「……?」
視界の隅に引っかかった何かに、一瞬、足が止まった。
今、何か……。
(……動かなかったか?)
「とにかく、ご心配なく。この神器は、そりゃもう念入りに、隅々まで調べさせていただきますから」
「……あ、はい。では、よろしくお願いします」
だが振り向いたとき、機械の前に置かれた神器は、さっきと何も変わらないままだった。
見間違いか。
「やっぱり、実物を見るともっとすごいですね、神器って……! まだ心臓がバクバクしてます! 僕もいつか契約できたらいいのになあ!」
「これから機会はたくさんあるでしょうから。結城さんなら、きっと素晴らしい神器に出会えるはずです」
「そ、そうですかね!? へへ、考えただけでもすごくワクワクします……!」
神器をたっぷり見て回ったせいか、結城はさっきよりも熱意に満ちた顔をしていた。
ちょうど自動ドアの外へ出た瞬間、背後から研究員たちの声がかすかに聞こえてきた。
「ああ、3級の神器……」
「研究対象が二つも……。ああ、楽しみだ。どのデータから取ろうか……。ふ、ふふふ……」
「……」
どこか狂気じみた声を無視して、そのまま歩を進めた。
やっぱり、今のは聞かなかったことにしておこう。
◇
それから数日間は、初日と2日目の騒ぎが嘘のように、静かに過ぎていった。
その間、万が一に備えて天秤も何度か追加でテストし、インベントリには『すり替え』に必要になるかもしれない物も詰めておいた。
そして、2級災害への突入まで、残すところあと一日。
(いよいよ明日か)
今では少し慣れてきた仕事を終えて帰宅した俺は、ソファに座ってスマホをいじっていた。
初日と2日目の現場派遣を除けば、協会の基本的な業務というのは意外と普通だった。
ごく一般的な会社員らしい、書類整理や報告書の作成、現場派遣の準備など。
しかも、もともと現場仕事がメインの部署だけあって、そういったデスクワークもさほど多くなく、普段はわりと暇なほうだった。
(まあ、今日は少し休んでおくか)
すっかり暗くなった窓の外をちらりと見て、軽くスマホの画面をスクロールした。
ここに来てもう一週間以上経つが、そのあいだ、この憑依体宛ての電話やLINEが来たことは一度もなかった。
たまに届く広告やスパムメールを除けば、文字どおり、友人や知人からの連絡は、ただの一件も。
(いったいどんな人付き合いをしてたんだ、この憑依体は)
しかも、もともと記録をつけるタイプではなかったのか、スマホに残っているメモや日記も皆無。
どんな性格だったのか、どんな生活をしていたのかもまったくわからなかった。
ここまで情報のない憑依体は初めてだな。
(とにかく、近いうちに一度、元の住まいに寄らないといけないだろうな)
そこを引き払う必要もあるし、残っている荷物の中に何か使える物があるかもしれないから。
そう考えながら、連絡先を閉じ、ニュースアプリを開いた、そのときだった。
【速報】2級超常災害でスタンピードの兆候確認 超常災害対応協会「迅速に対応する」
「……?」
なんだ、これ。
「……2級超常災害、スタンピードの兆候?」
時間をもう一度確認する。
今は、夜の11時。
……あれ、まさか……。いや、まさかな。
嫌な予感を覚えつつ、記事をタップしようとした、そのとき。
――ヴーッ、ヴーッ――
指が画面に触れるより先に、振動とともに画面が切り替わった。
『090-XXXX-XXXX』
「電話? ……こんな時間に?」
この憑依体のスマホに、初めての着信。
発信元は、連絡先に登録されていない番号だ。
少し迷ってから、通話ボタンを押した。
「もしも……」
『もしもし、霖也くん!? 霖也くんの番号で合ってるよね!? うわあぁ――! 起きててよかったぁ!』
「……天道副班長?」
声を聞いた瞬間、反射的にがばっと身を起こした。
待て、本当に嫌な予感がするんだが。
これ、まさか……。
『――柏葉さん、こんな時間にすみません』
スピーカーの向こうでカタッと音がしたかと思うと、慌ただしく電話を代わった相手は柳だった。
落ち着いて言葉を続ける彼の声が、どこか普段より低く沈んでいた。
『緊急招集です』
「はい?」
『今すぐ協会本部に来てください。つい先ほど――』
ごくり、と小さく固唾を呑む音が聞こえた。
『2級災害が、予定より早くスタンピードの兆候を見せ始めました』




