生きて戻ったのに、なぜか死にかけ扱いです
強張った森谷の顔から、いつも浮かべていた笑みはとうに消えていた。
(やっぱり、俺に死んでほしかったんだな)
察しはついていたが、他人を死に追いやることにためらいのない人間だ。
彼が青ざめた顔で動かずにいるあいだに、結城に続いて駆け寄ってきた天道と柳が、どっと俺を取り囲んだ。
「柏葉さん、大丈夫なんですか!? 話は聞きました。中で、事故があったと……!」
「……事故?」
「そう! 4班と一緒に変なところに落ちたんだって!? 超常体たちに囲まれて一人だけ抜け出せなかったって聞いて、すっごく心配したんだから!! でも無事に戻ってきて本当によかった――!!」
「はい。でもとりあえず、手を放していただいて……。め、めまいがします。ちょっと、天道副班長……!」
天道が俺の肩を掴んで、前後に狂ったようにガクガクと揺さぶってきた。
なんだか、俺が死んだとでも思っていたらしいが。
無事に生きて戻ってきたことに感激しているのはわかるが、これ以上こうしていたら、本当に吐きでもしそうだ。
「それより柏葉さん、血、血がすごく……! 大丈夫ですか!?」
「うわあっ!? ほんとじゃん!! 出血、多すぎない!? どれだけ怪我したの!?」
「……ああ、まあ、はい。大丈夫です」
結城の悲鳴と同時に、血に染まった俺のシャツに一斉に視線が集まった。
前回とは違って、今回は本物の傷だ。
事情を知らない者たちの目には、きっと戦闘の末に負傷し、かろうじて生きて戻ってきたように見えるだろう。
これなら成功だ。
「……はは、柏葉さん」
そして、俺を取り囲んでいた班員たちの背後から、聞き覚えのある足音が近づいてきた。
「無事に戻ってこられてよかったです。とても心配しましたよ」
「……ああ」
本当によかったとばかりに、安堵した表情で微笑んだ森谷一輝が、俺の前で立ち止まった。
なるほど。そう出るわけか。
(他の人たちに何と言ったかは、大体見当がつくな)
『事故』、か。
そう、厳密に言えば、それも事故と言えるだろうな。
だがな。
「――いやあ、森谷さん。本当にびっくりしました」
「……はい?」
この状況に、別に腹は立たなかった。
そりゃそうだ。
「さっきは私が足を踏み外したみたいです。すぐ後について出るべきだったのに、ご迷惑をおかけしたみたいで申し訳ありません」
「……」
蟻に手を噛まれたからといって、その蟻に本気で怒る人間はいないではないか。
「森谷さんも無事に脱出されてよかったです。私たち二人とも、運がよかったですね」
「あ、はは、は……」
ぎこちなく笑う森谷一輝の顎に、ぐっと筋が浮き上がった。
何を考えているのかは、手に取るようにわかる。
『どういう魂胆だ?』 ……まあ、そんなことでも考えているんだろう。
「緊急事態の中で、状況判断力が素晴らしかったですよ。もともと三次試験の首席だったとおっしゃってましたよね?」
「……ああ。はい」
「森谷さんから学ぶことが多そうです。何卒、これからもよろしくお願いします」
蟻に腹を立てる必要はない。
だから、ひとまず放っておく。
ただ、つけあがり続けて神経を逆なでする蟻には、適切な罰が必要だろう。
(今すぐではなくても、な)
でも今は、その前に……。
「副班長」
「ん? 霖也くん? どうしたの?」
かすかに視界がちらつくのを感じながら、俺は落ち着いて言った。
「今から約5秒後に気絶しそうです」
「うんうん。……え? 何?」
「では、後は、頼……」
「え? ええっ!? ちょっ――……!!」
――ドサッ!
喧騒の中で世界が傾くのを最後に、目の前が暗転した。
◇
「――班長~。まだ目を覚ましてないんですか? あれ、玲央くんは?」
「もう少しいたらまた泣きそうだったので、脱水が心配でついさっき上に行かせました。……それとこちらは、ご覧の通りで」
超常災害対応協会本部3階、医務室の片隅。
カーテンを開けて入ってきた天道が、小さくため息をついてベッド脇の椅子に座った。
「はああ~。どうしたらいいんでしょう、班長~」
「……」
「すぐ体を酷使しちゃうじゃないですかー。やる気がありすぎるのか。何でも一生懸命やるのは悪くないけど」
眉間にしわを寄せた彼女の視線が、死んだように横たわっている目の前の後輩へと向いた。
一瞬でぐらりと崩れ落ちていった体と、それから何時間も微動だにせず閉じている目。
これでもう二度目。血に濡れてぼろぼろになったまま、辛くも災害から生還した勤務2日目の新人。
――『では、後は、頼……』
――『え? ええっ!? ちょっ――……!!』
最初は、本当に死にでもするのかと思った。
タイミングよく医療班が到着したおかげで、すぐに協会の病棟へ連れてくることができたが、あの時の騒ぎは相当なものだったから。
「霖也くんって、試験会場で何人も助けたじゃないですか? それで初日から有名になったし」
「はい」
「昨日は3級災害で神器を二つ回収。で、今日は自分から名乗り出て準2級に入ってパズル攻略。……まあもちろん、そのせいで体はあんなことになっちゃいましたけど」
重く沈んだ銀色の瞳が、柏葉霖也をじっと見つめる。
「……きっと無理してるはずだけど、なんであんなに平気なふりをするんでしょう?」
たった2日目。
協会内では、柏葉霖也についての話が、すでに無数に飛び交っていた。
初日から一人で神器を二つ回収した話題の新人。
天才。規格外の超新星。
このままいけば、この先誰よりも早く昇進する道しか残っていないだとか。
そして、そんな話が出るたびにいつもついて回る、回収3班への評価も。
だが実のところ、天道凛にとって、そんなものはどれも何の意味もない言葉だった。
「……もしかして、私たちがプレッシャーかけちゃったかな? わざわざ協会で噂になってるの、耳に入れないようにすっごく頑張ったのにーー! うわああーー!」
「それ、気にしていたんですか?」
「えっ!? 当たり前じゃないですか! せっかく入ってきたかわいい後輩ですし!」
柏葉霖也は、ただ、彼女の後輩だ。
誰よりも真面目な優等生のようでいて、突如予想のつかない方向へ騒ぎを起こす、
おかしいくらい謙虚で、それでいて自分の主張だけははっきりしていて――
――そして、目いっぱい無理をしながらも自分の体のことはまるで気にしなくて、余計に気にかかる、
もう彼女にはたった二人しか残っていない、守ってあげるべき後輩。
その事実は、決して変わることはない。
「それに、もともと霖也くんみたいなタイプって、周りからすっごく頼りにされるじゃないですか? まあ、玲央くんはもうけっこう懐いてるみたいだし」
「それは、確かにそう見えましたね」
「あのですね。私は、霖也くんが有能なのは確かだと思うんです。本人がそれに自信を持つのも、いいことですし。でも……」
妙な表情を浮かべた天道が、語尾を濁した。
協会で危険等級に分類される、特1級から準2級までの超常災害。
そして、そこへ優先的に派遣されるのが、まさに回収4班。
それだけに新人の死亡率は最も高く、そこで長く生き残った古参たちは、誰もが認める正真正銘の『エリート』と呼ばれた。
今回の件で柏葉霖也に注目するようになったのは、まさにそういう人間たちだ。
「知ってるじゃないですか。あんなに周りから期待されながら無理して、うまくいったのを見たことは――」
「天道さん」
「……うう、はい、はい」
唇を尖らせた天道に向かって、柳が静かに言葉を続けた。
「目を覚ましても、あまり責めたりはせずに。……ひとまず、今はただ信じて待ってあげましょう。先輩としてすべきことは、きっとそれだと思います」
「新人だから、こういう時こそ支えが必要だ、ってことですかーー。ううーー」
「はい。もし行き過ぎるようなら、その時は私から話をしますので」
「はあ~。もう……。あれ?」
――ぴくり。
その瞬間、柏葉霖也の眉間にかすかにしわが寄った。
「え? 悪い夢でも見てるのかな?」
「……」
「表情がよくないですね。うーん――。夢の中でくらい、楽しいことだけあったらいいのに」
すっと手を伸ばした天道が、柏葉霖也の眉間を親指でぐっぐっと押し広げた。
再び医務室を出る前、最後に振り返った天道の顔に、複雑な笑みが浮かんだ。
「まったく、どうしたもんかなー。……この手のかかる新人を」
◇
疲れが溜まっていたからか、それとも別の理由からか、嫌な夢を見た。
およそ400年前の記憶だった。
「……ああ。くそ」
目を覚ますと夢の中の景色は跡形もなく消え、俺は消毒液の匂いがする狭いベッドの上に横になっていた。
見慣れた管理局本部ではない、病院のような空間。
(ここは……。協会の中にある病棟か)
どうやら、あのまま倒れてここへ運ばれたようだった。
(急所は外したと思ったんだが、位置を間違えたのか?)
いくらなんでも、まさか倒れるところまでいくとは。
どうやら、戻ったら臓器の位置について少し資料を調べてみる必要がありそうだ。
傷のあった場所を服の上からさすっていたとき、カーテンが開き、白衣を羽織った医療班の職員が顔を出した。
「気がつかれましたね。柏葉霖也さんでよろしいですか?」
「あ、はい」
「治療は無事に終わりました。ぎりぎり急所を外れていたのが幸いでしたが、それでも念のため、しばらくは気をつけてください。いくら治療が可能だといっても、しょっちゅう来るのはよくないですから」
「はい。ありがとうございます」
医療班の職員が去ったあと、ちらっと服をめくって確かめてみると、傷はきれいに塞がっていた。
(これも神器を活用したのか? ……なかなか便利だな)
やはり、医療目的の神器が別に存在するんだろう。
大体、よくある『ヒーラー』みたいな感じか。
「……はあ」
……頭が、少しずきずきする。
(しっかりしろ。ここは管理局じゃない。俺は今、壊れた神格ものの中にいる)
全部、このろくでもない状況のせいだ。
そもそも、この派生宇宙を担当する神格がちゃんと仕事さえしていれば、こんな事故は起きなかったはずなのに。
(こんな状態で出ていったら、無駄に人目につくのがオチだな)
窓ガラスに、疲れとストレスにまみれて少しピリついた顔が映る。
せめて、ついさっき見た夢の記憶だけでも、ないほうがましだ。
【〈管理者支援システム〉
選択した記憶を消去しますか?(Y/N)
※指定した領域内の記憶が削除されます。
※一度削除した記憶は復元できません。精神的な休息のため、どうしても必要な場合にのみ使用してください。】
俺は迷うことなく、記憶消去のボタンを押した。
◇
病棟を出たあと、廊下で顔を合わせたのは、予想外の人物だった。
「柳班長?」
「柏葉さん」
俺を待っていたのか、壁に背を預けて立っていた柳が、ゆっくりと背を離して姿勢を正した。
「少し、二人きりで話しましょう」




