『主人公』は、俺なんだよ
――ジャラララ……。
柳の手に巻きついた鎖が、大理石の床の上を引きずられる音が聞こえる。
(……あれが柳班長の契約した神器か?)
まるで血で汚れたかのように、奇妙な赤黒い光を放つ鎖から、不気味な気配が漂ってくる。
しかし、質問している時間などなかった。
『罪人を、罪人を……!』
――ヒュオオッ――!!
柳の指先から、鞭のように伸びた鎖が弧を描きながら超常体の間を縫うように走った。
『処刑せよ、処刑――……!』
――ガシャン――!
「……!!」
空間全体に入り乱れて張り巡らされた鎖が、波打つようにうごめいたのは、まさにそのときだった。
――ミシッ、ミシミシ……。
数十体を超える超常体に幾重にも巻きついたまま、血の色をした金属が強い力で締まり始める。
そして……。
――ブシャアッ――!
文字どおり、一瞬だった。
――ベチャッ――!
「……うわ、結構気持ち悪い光景ですね。これ」
「……同感です」
圧力に負けた超常体の形が歪み、同時に四方へ赤い液体が飛び散った。
隣に立つ森谷一輝が顔に飛び散った血を拭いながら呟く間、俺は短く答えて正面を見据えた。
「……」
数メートル先は、もう完全に形もわからないほど潰れた何かで埋め尽くされている。
あっという間に片づいてしまった状況を前に、五人が集まる空間に奇妙な静寂が降りた。
この瞬間、俺の頭の中に浮かぶ疑問は一つ。
――どうして、あんな人間が回収班に残っているんだ?
「……死ぬ必要のないことでした」
そして、静寂を破ったのは柳紫雲だった。
「少しだけ、ほんの少しだけ待っていれば……」
「万が一に備えたんだ。柳紫雲」
ついさっき、たった一撃で数十体もの超常体を引き裂いた人間のものとは、到底思えない顔。
揺れる眼差しで唇をぐっと噛みしめる彼を見て、東雲は平然と眉をつり上げた。
「あの状況で班長クラスが死にでもしたら? それは取り返しのつかない損失だ」
「……それで、先にここに入ったほかの人たちも、ああやって死に追いやったんですか?」
「結果的には正しい判断だった。どうせ10班は、いてもいなくても変わらない班だっただろ?」
これ見よがしに片足に重心を預けた彼女が、斜めに首を傾げた。
明らかに、柳を自分より下に見ている眼差しだ。
「この際、何の仕事もせずに他の班にたかって寄生してるクズどもを少し片づけたと思え。むしろ私に感謝するべきことじゃないか?」
(ずいぶん露骨だな)
徹底した実力主義、そして成果主義。
予想どおりの人間だ。
いや、もしかするとそれ以上。
「それに正直、そっちにそんなことを言われるこの状況が、私にはちょっと笑えるんだよな」
「……」
「私が何を言ってるか、わからないわけじゃないだろ。なあ?」
二人の班長の間に冷ややかな空気が流れる中、迂闊に口を開く者はいなかった。
「同じように罪人に分類されてここに落ちてきたくせに、一人だけ上品ぶるな。反吐が出るんだよ」
東雲が無表情のまま、トントン、と自分の首にある烙印を叩いた。
首に刻まれていた赤い烙印は、いつの間にか徐々に消えつつあった。
詳しい事情はわからないが、二人の仲がよくないのは確かなようだ。
(いや、それよりも……)
俺は素早く視線を移し、東雲を見た。
彼女はあの場で、同じ班の部下である真壁の代わりに、そばにいた俺を突き飛ばすこともできた。
だが、そうしなかった。
……なぜ?
「私は有能な奴は嫌いじゃない。3班の新人」
そのとき、俺の視線に気づいたらしく、東雲がこちらを振り向いた。
「能力があるなら、十分に生き残る価値がある。さっき死んだ奴らは、その『能力』が足りなかったし」
「……」
「こんなザマになった世界で生き残る能力、な」
「……褒め言葉として、ありがたく受け取ります」
もちろん感謝の気持ちなどまったくなかったが、適当に返事をして顔をそらした。
そのまま歩を進め、微動だにせず立っている柳に近づいた。
「班長」
「……大丈夫です」
前髪をかき上げた彼が、静かに両手で顔をこすった。
間近で見た柳の顔は、どこか今にも崩れそうに歪んでいる。
「……死ぬ必要のないことでした」
「……」
「……無駄にためらったせいで死んだんです。私が、判断を誤ったために」
小さく呟いた彼が、深くうなだれた。
一方、そんな空気の中でも4班は、いつの間にか平然とした顔で辺りを見回していた。
「それより、超常体を全部片づけたのに、自動でさっきいた場所に戻されないんだな。自分で外に出てみないと駄目か?」
先ほどの空間とは違い、ここには低い階段の上に、外へ通じていそうな大きな扉があった。
短く舌打ちした東雲が、俺と森谷に向かって顎をしゃくった。
「そこの新人二人」
「はい」
「私たちは先に出てみるから、お前らはこの部屋をもう少し調べてから出てこい。手伝いは要らないだろ?」
「わかりました」
慣れた様子で命令を下した彼女が、副班長とともに扉の向こうへ消え、やがて柳も静かにその後を追って法廷を出ていった。
「はは、これはまた。なんだかんだで、こうして二人きりになりましたね」
「はい。そうですね」
森谷が照れくさそうに頭をかいた。
今回も、少しわざとらしいくらいに無害そうな笑みだ。
「とりあえず少し見て回りましょうか? うーん、これは――」
法廷の中央にあるのは、さっきの空間にあったものと同じ大きさ、同じ形の石像だ。
ただ、違うところがあった。
「この石像が持っている天秤は水平じゃないですね。傾いてますけど、あっちの皿の上に何か……。あ」
「……剣ですね」
天秤の片方の皿が床まで下がっており、その上にさっき石像たちが持っていたのと同じ剣が載っている。
「それに、刃に何か付いてますけど、これは……。……血?」
近づいて調べた彼が、妙な表情で眼鏡の位置を直した。
「もしかして、これも水平にしないといけないんでしょうか?」
「それにしては、この石像にはさっきのような文言は見当たりませんね」
「そうですね。うーん、こっちの皿を押してみても動きもしませんし」
森谷が剣の載った側とは反対側の、宙に浮いている皿の上に乗ってみたが、何も変わらなかった。
「ただの飾りみたいですね。柏葉さんも一度乗ってみますか?」
「いえ。私は大丈夫です」
「うーん、じゃあまあ」
その後も壁沿いに続く小部屋を見て回ったが、特にこれといったものがないのは同じだった。
「神器はこちらにはないんでしょうね? さっき青い烙印を刻まれた方たちのほうにありそうですけど」
「はい。私たちを『罪人』に分類して脱落させたのなら。おそらく」
あえて、断定せずに可能性を残しておく。
「はい。うーん、それより――」
俺の言葉を聞いた彼が、何かを考えるような素振りを見せた、その次の瞬間だった。
「……はは、ははっ! あ、やっぱり、すごいですね。期待以上です」
「……?」
唐突に笑い出した彼が、俺を見ながら愉快そうにぱちぱちと拍手した。
……いきなり?
「実は私、柏葉さんにかなり興味があるものでして」
「はい?」
「一次、二次の筆記試験もものすごい高得点で、事実上の首席だったと聞きました。ただ、三次試験の点数は意外にも基準に届かなかったとか」
「……あ、はい」
適当に返事はしているが、必要以上に距離を縮めたくはないタイプの人間だ。
「うーん。実は、今期の次席は私なんですよ。もともとは首席になる予定だったんですけどね」
「……もともとは、というのは?」
「ああ、三次試験、最短タイムで攻略したのは私でして。一次、二次の筆記は柏葉さんのすぐ次でしたし」
「そうですか。素晴らしいですね」
(そういうことだったのか)
詳しいことは、聞かなくても大体わかった。
そもそも4班はエリートと呼ばれる班なのだから、採用試験の成績が優秀な新人だけを選んで送り込んだんだろう。
その優秀な新人たちも、今ではこの男を除いて全員死んでしまったけど。
「まあ、三次試験の点数まで含まれていれば、私が首席だったはずなんですけど、よりによってその試験の成績が全部無効になってしまったせいで~」
「……」
口数が、無駄に多い。
少し気に障るくらいに。
『……、……』
(終わってなかったのか?)
その瞬間、かすかな気配とともに、床に転がっていた超常体の残骸がぴくぴくと動き始めた。
そちらを振り返った森谷が、無邪気な顔で目を瞬かせた。
「あれ? また起き上がってきますね。早く出ないと」
「はい。では――」
頷いて扉へ続く階段を上っていた、まさにそのときだった。
「ところで、柏葉さん」
俺より数歩先を歩いていた彼が、ふと柔らかな声で口を開いた。
「本当に、あの時、三次試験会場でのあなたの活躍は見事でした。うーん……。はい、本当にすごかったです」
「……はい?」
ぴたりと、反射的に足が止まった。
どこか、空気がおかしくなってきている。
「だから、悪いけど……」
階段の最上段に立った森谷一輝が、振り返って俺を見た。
彼の顔に薄い笑みが浮かんだ。
「『主人公』は、俺なんだよ」
(……『主人公』?)
そして、次の瞬間。
――ドンッ!
「……!」
素早く迫ってきた手に突き飛ばされ、俺の身体がそのまま階段の下へ転落する。
――ギィィィ……。
にこりと笑う森谷の顔を隠しながら、ゆっくりと扉が閉まり始める。
その直後、俺の身体が完全に床に落ちたのと同時に――
――バタン――!
目の前で、扉が固く閉ざされた。
「……はぁ」
『……、……』
背後から、再生を終えた超常体たちが一体、また一体と身を起こす音が聞こえる。
骨と筋肉がねじれ、再びつながる音。
爪で黒板を引っかくような、ぞっとする鳴き声。
「……まあ、予想どおりと言うべきか」
最初から、胡散臭いとは思っていた。
ああいう怪しげな振る舞いをする糸目キャラってのは、もともとどこかしら裏があるものだからな。
だから――。ああ、そうだ。
【同期中……(25%)】
「――じゃあ、少し見てみるか」
むしろ好都合だ。
【データ破損を確認。復旧を試みます。】
【一部のエラーの修復が完了。更新が終了しました。】
『……人を、処刑、せよ。罪人を……』
――バチッ、バチバチ……。
システムウィンドウの向こうから、火花が散るようなノイズが聞こえてくる。
同期率は、現在25%。
【〈管理者権限〉を実行します。】
そしていつもどおり、人目がないのなら、気にするようなことなど存在しない。
――ピキッ、ピキピキ……。
俺の立つ場所を中心に、氷が張るような音が広がっていく。
ついに、空間を完全に飲み込んだ冷気とともに、
「――一時停止」
モノクロの世界が、目の前に広がった。




