永劫の罪
目の前にある巨大な石像は、無表情に足元を見つめている。
そして、もう一つ。
【同期中……(20%)】
(やっぱり、これが正解だったか)
災害への進入を境に、同期速度が加速度的に上がる。
石像を見ていた結城が小さな声で呟いた。
「二つの器が、天にも地にも触れなくなる……ということなら……」
「水平でしょうね。ここにいる全員が、それぞれ左か右の皿に乗って、天秤を水平にすればいい」
「そこまではこっちもわかってる。問題はその先だ」
東雲が不満げな顔で舌打ちした。
今ここにいるのは、全部で八人。
その全員が天秤に乗らなければならず、組み合わせはどう変えても構わない。
そうして天秤さえ水平になれば終わる、一見すると単純なパズル。
「最初に考えたのは、体重でした。あまりにもありきたりな答えですが、ひとまずほかにこれといった手がかりもありませんでしたから」
その瞬間、前に出てきたのは、見覚えのある顔だった。
さっき血まみれになった10班の新人二人を引きずって連れ出してきた、あの男だ。
「ところが、どうやっても水平にならなかったんですよ。はは」
(今回の4班の新人の中で、唯一生き残ったって言ってたか)
さっきも思ったが、あんな目に遭ったというのに、どこか不自然なくらい穏やかな顔だ。
「あ、自己紹介が遅れました。回収4班の森谷一輝です」
「はい。私は……」
「知ってます。柏葉さんですよね? 三次試験の一件で有名になったんですから、知らないほうがおかしいでしょう」
「……」
どうやらしばらくは、どこへ行っても同じことを言われそうだ。
「あ、はじめまして! 僕は……! あれ?」
「……?」
結城が笑顔で握手を求めた、そのときだった。
彼は結城には目もくれず顔をそらすと、俺たちの横を通り過ぎて4班のいるほうへ戻っていった。
(何だ?)
無視?
「あはは、気づかなかったみたいですね。まあ、挨拶はまた今度でいいですから!」
意図はわからなかったが、結城は少し目を瞬かせただけで、特に気にした様子はなかった。
俺を振り返った彼が屈託なく笑った。
「あの、柏葉さん! 昨日は助けていただいて、本当にありがとうございました! なぜか出る直前の記憶がまったくなくて、もしかして僕、またパニックになって、ご迷惑でもおかけしたんじゃないかと……!」
「そんなことはまったくありませんでした。心配しなくて大丈夫です」
「あ、い、いえ! どうしても僕のほうからお礼を言いたくて!」
「はい?」
お礼と言われても、別にそこまでのことをした覚えはないんだが。
そう思った瞬間、結城が目を輝かせ、ぐっと拳を握った。
「聞きました! 僕が倒れている間に、柏葉さん一人で神器を二つ回収したって!!」
「あ」
「そんな中でも、気絶した僕のことまで、ちゃんと連れて帰ってくださって……。仕事を全部押しつけたみたいで、申し訳ないです! でも、本当にすごいです!!」
「いえ。仲間として、やるべきことをしただけですよ」
とにかく、〈記憶編集〉は無事に適用された。
俺を見る結城の目に、どことなく昨日とは違う尊敬のようなものが宿っていた。
(記憶は削除されたとはいえ、それにしたって一度気絶して目を覚ましたのに、相変わらずこのテンションとは)
なんというか、警戒心がなさすぎる性格だ。
「とにかく、体は大丈夫そうで何よりです。ひとまず、パズルのほうに集中しましょう。早く答えを見つけるのが先ですから」
「はい!」
彼が元気よく頷き、俺は再び4班のほうを見た。
(先に入って得た情報があるはずなのに、話すつもりはなさそうだな)
俺たちと協力すべき立場だろうに、情報を共有するどころか、平然とした顔で黙ってこちらを見ているだけだ。
こっちの実力を試そうとでもしてるのか。
「とりあえず、ちょうど四人と四人だから。軽く試してみよっか~。4班は左。うちの3班は右に乗ってみるってことで。どう?」
天秤の左右にある二つの皿は、床から一メートルほど浮いたまま水平を保っていた。
そしてその間には、皿の上に上がれるよう、低い階段が設置されている。
「確認して損はないだろ。4班、左側へ」
東雲が短く返し、4班の全員が順番に左の皿へ乗っていく。
しかし天秤は水平を保ったまま、ぴくりとも動かなかった。
「え? これ、動かないんですけど……?」
「全員が乗るまでは動かない仕組みです。うちのほうで、もう確認済みですから」
「一人ずつ乗せて重さを測る小細工は通用しないってことね。えー、めんどくさい~」
続いて、俺を含む3班全員が右の皿に乗る。
――ガコン。
そして、俺が立っている3班側の皿が、床まで沈み込んだ。
『4』
(……?)
「うわっ、う、動きました!」
「へえー。こういうことなんだ。面白いね。こっちのほうが重いみたい!」
ふと、頭の中に響き渡るような声が聞こえてきたのはそのときだった。
「結城さん。今、何か聞こえませんでしたか?」
「え? いえ。全然?」
(俺にだけ聞こえるのか?)
周りを見回しても、さっきの音を聞いた者はいないようだった。
「組み合わせ、ちょっと変えてみよっか? そこの4班の新人と、うちの新人たち! 交代お願い!」
「はい」
「はい!」
そして、組み合わせを変えて、もう一度。
『3』
またしても、天秤は俺がいる側へ傾いた。
「これじゃないのかな? うーん、じゃあ今度は――」
『2』
その後、もう一度。
『1』
――そして、もう一度。
「……うわああああーっ!! 何これ? 全然仕組みがわかんないよー!」
「ああ。ちっ、こっちが手こずったのも無理ないだろ」
四回とも、結果は同じだった。
顔をしかめて言葉を交わす先任たちをよそに、俺を呼ぶ声が聞こえたのはそのときだった。
「あの……柏葉さん」
俺の肩を叩いた結城が、ごくりと唾を飲み込んだ。
それから周りの様子をうかがうように、俺にだけ聞こえる声で囁いた。
「気のせいかもしれないんですけど、あの石像……目が少し動いたように見えませんでした?」
「……はい?」
目が、動いたって?
「……」
俺は結城に続いて顔を上げた。
相変わらず微動だにせず、俺たちを見下ろしているような視線。
特に変わったところは見当たらない。
それを少し見つめてから、俺は静かに口を開いた。
「班長、副班長」
「ん?」
「こうして闇雲に試すより、少し休みながら天秤の原理を分析したほうがいいと思います。それと……」
周りを見回してから、声を落とした。
「少し離れていたほうがいいと思います」
「え? 急に? え?」
天道が不思議そうに目を瞬かせたが、俺はそのまま歩き出し、天秤から降りた。
「……この辺で一度、途中経過を確認しましょう。少し休憩を取ります」
柳が4班側に休憩を告げると、すぐに俺を追いかけてきた結城が横にぴたりとついて囁いた。
「柏葉さん……! 何か心当たりでもあるんですか?」
「はい。たぶん」
「候補は二つだよね? 法の女神テミスか、それとも正義の女神ディケーかな~」
それに続いて、天秤から軽く飛び降りた天道が俺の言葉を拾った。
俺は小さく頷いて答えた。
「はい。それに、ここまでの流れを見る限り、たぶんディケーでしょうね」
「え、二人って何か違いがあるんですか?」
「ディケーは正義と道徳的秩序を司り、特に人間の不正を裁く側面が強いんです。石像の下の文言は人間の罪と潔白を問うものでしたから、テミスよりはディケーだと考えるのが妥当でしょう」
「うわあっ、さすが筆記首席……! 神話って、ほとんど全部知ってるんですか!? すごいです!」
「そこまで持ち上げてもらうほどじゃありません。ただ、ちょっとした雑学を知っている程度で」
「謙遜まで!!」
結城は何やらとんでもない勘違いをしているようだったが、謙遜でも何でもなく、ただの事実だ。
何百年も敬いながら仕えてきた上司たちなんだから、知りたくなくても、知ることになる……。
「あ、それなら、ここで量ってるのは!」
「はい。……『罪の重さ』です」
「なかなかやるじゃないか、3班の新人」
いつの間にかこちらまで来ていた東雲が、片眉をつり上げた。
「思ってたより出来るな。何の役にも立たなかった10班の連中とは違って」
「え? それって、どういう……?」
「ああ、まだ知らないのか」
結城のほうを見た彼女が、ゆっくりと瞬きをした。
「回収10班は、もともと成果を一番出せない班として有名だったんだよ。簡単に言えば、お荷物ってやつだな」
「……」
「ここじゃなくても、どうせ長くは生きられなかったクズどもだ。つまり――」
その瞬間、天道の目が冷たく沈むのを感じた。
きっと、東雲が何を言おうとしているのか、もうわかっているんだ。
そして、それは俺も同じだ。
「――ただ死に場所を探しに行っただけってわけだ。そうだろ?」
「……! ちょっと待ってください、それはあまりにも……!」
「結城さん。抑えてください」
「でも……!!」
反射的に前へ飛び出そうとした結城を、すぐに掴んで引き止めた。
東雲が表情一つ変えずに天秤を顎で示した。
「とにかく、あれこれ組み合わせを試してみても、どうにも水平にならないんだよ。さっき見た通りな」
「……そうですか」
彼女に続いて、俺も巨大な石像へ視線を向けた。
そうだ。
本当に『罪の重さ』を量っているのなら、これは……。
「……」
答えを出すのは難しくない。
けれど、いつだって問題はその先にある。
この瞬間、はっきりと浮かんだ、一つの確信。
(……ああ、最悪だな)
俺がこの空間にいる限り、あの天秤は決して平衡には至らない。
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