管理者の権限のもとに
「え? そんなに早く? この手がかりだけで?」
「確実です。これ以外に考えられる候補はありません」
ベースになっているのは、仏教系の神話。その中でも、地獄道の等活地獄を舞台にした空間。
そして、人間である結城の理性を曇らせ、『悟り』に近づくのを妨げるような神器の効果まで。
「仏教における第六天魔王を考えてみてください。さっき結城さんが置かれていた状況と、つながるところがあると思いませんか?」
「え? ええと、どうでしょう。第六天魔王っていうと……。あ、その、修行してるときに現れて邪魔する!」
「そうです」
第六天魔王――マーラ・パーピーヤス。
そして仏教神話において、一般的に最もよく知られているその役割は、仏陀が悟りを得るのを妨げること。
「つまり、理性と平静を取り戻させないための手段として、恐怖が使われているとしたら?」
「……あ!!」
そこでようやく何かに気づいたらしく、結城が目を大きく見開いた。
俺は、足元に広がる地獄道を見下ろした。
「一般的に、閻魔大王は地獄の管理者。そして第六天魔王は、欲界の王とされています。今私たちが立っている八熱地獄も、欲界の一部に含まれます」
「ああ……! じゃあ、閻魔大王が県知事なら、第六天魔王は総理大臣ってことですね! だからここも、第六天魔王が管轄してる地域ってことで。うわ、わかりました!」
「……県知事……。ええ、まあ。はい。そんな感じです」
どうも意図していたのとは少し違う受け取り方をされたようだが、どんな形であれ、わかったならいい。
(そして今、俺がやるべきなのは、ここで何とか神器を見つけて外に出ること。残りの先任二人と合流するのは……どうも難しそうだし)
かなり歩いてきたのに出会わなかったところを見ると、あの二人は最初から地獄道の別の領域に落ちた可能性が高い。
結城も似たようなことを考えたらしく、少し不安そうな顔で口を開いた。
「じゃあ、ここから出る方法はないんでしょうか? もし出口だけじゃなくて、外から入ってくる入口まで閉じてるなら、戦闘チームが到着しても、こっちには入ってこられないと思うんですけど」
「出る方法は一応あります」
「わあ、やっぱり柏葉さん! 一体どんなすごい方法が!」
「等活地獄で500年耐えれば、次の地獄である黒縄地獄に進めます。そこで1000年耐えれば、その次の衆合地獄にも進めますし。これを繰り返して、八つの地獄を全部回るんです」
「……」
「冗談です。そんな目で見ないでください」
いくら俺でも、ここで合計何万年もの時間を過ごすつもりはない。
そして状況から考えるに、ここはおそらく『特定の攻略法が存在する』タイプの災害。
つまり、神器を回収すれば災害が消えるのではなく、先に災害を攻略して初めて神器を回収し、外に出られる構造だ。
「結城さん。第六天魔王がどうして修行者の悟りを妨げるのか、知っていますか?」
「え……。もともと悪い存在だから、ですか?」
「いいえ。修行者が悟りを得れば、マーラの存立基盤そのものが揺らぐからです」
「そんりつ……きばん……。え……うーん……はい?」
「……つまり、説によっては、第六天魔王の宮殿そのものが消えるとも言われています。もうおわかりですか?」
「あ! はい! うわ、そう言われるとわかります! 理解しました!」
「……」
どうしよう。
こいつの将来に大して興味はないが、この知能だと先行きが少し暗くないか……。
ともかく、ようやく結論にたどり着いた結城が、ぱっと顔を明るくして目を輝かせた。
「うーん、つまり、ここで悟りを得れば抜け出せる、ってことですよね?」
「はい」
「でも、いきなり悟りを得ろなんて言われても……。うわっ!」
――パラパラッ!
その瞬間、彼が立っていた場所のすぐ横の土が崩れ落ちた。
そもそも、大人の男二人が立つには、あまりにも狭い場所だった。
たぶん、このままじゃ長くはもたないだろう。
「ここが崩れたら、また下に落ちて、さっきと同じことを繰り返すことになります。それは嫌でしょうし」
「う、うわぁ……」
さっきの状況を思い出したらしく、結城の顔が青ざめた。
ごくりと唾を飲み込んだ彼が、俺を振り返った。
「じゃあ、僕たち二人とも悟りを得ないと、ここから出られないんでしょうか? それとも、一人だけでも……?」
幸い、それなら確かな答えがあった。
「二人とも悟りを得れば抜け出せます。一人だけでは駄目です」
「え? どうしてそこまで確信を……」
俺は顔を向け、怪訝そうな顔で立っている結城を見た。
「一人分は、もう埋まってますから」
「……はい?」
「それでも脱出できないところを見ると、たぶん二人とも悟りを得ないといけない構造なんでしょう。なら、とりあえず試してみるしかない」
「あの、さっきからそれ、どういう……?」
何か妙な気配を感じ取ったのか、結城がぽかんと目を瞬いた。
俺は、静かに袖をまくり上げた。
「心配しなくても大丈夫です」
「え? ちょ、ちょっと……」
ゆっくりと歩を進め、彼に近づいた。
じりじりと後ずさっていた結城玲央が石につまずき、ぺたりとその場に座り込んだ。
俺の人差し指が、彼の額に触れた。
「痛いのは少しのあいだだけで、寝て起きたら、記憶は全部きれいに消えてるはずだから」
【〈管理者権限〉を実行します。】
【〈記憶編集〉を開始します。】
注ぎ込むのは、『俺』のすべての記憶だ。




