9話 発想は会話から
それから五日ほどが過ぎた。
リトが自室のソファで昼寝をしていたところ、外の騒がしさで目を覚ました。
寝ぼけたまま廊下を覗き込むと、何人かの使用人がリトの部屋へ走ってくるのが見えた。
「どうしたの? 何かあった?」
「あ、リト様! それが、急に騎士団長様がいらっしゃって…。ど、どうしましょう! 何も準備できてないですよ!」
リトは苦笑いした。リトの宮の中は、急な来客に対応できるほど、いつも綺麗なわけではない。
「とりあえず僕が対応するから、その間に見えるところは片付けておいて。」
大きく頷いた使用人たちが走り去っていく中、リトは宮の入り口へ向かった。
そこでは、たまたま通りかかったのだろうか。ミナトがレイと向かい合っているのが見えた。
レイは今日はいつもの制服姿ではなく、私服のようだ。
私服といっても、レイも王族の幼馴染である以上、貴族の出身だ。上品な服を身に纏っている。
二人の間に会話はない。
お互いに何を話せばいいのか、思いあぐねているようだ。
ミナトの一歩後ろでは、ライラが遠くを見ながら立っていた。怒りを通り越して、もはや無表情である。
「……騎士団長様、お見えになる時は事前に一報いただけないと困ります。」
ライラが真面目な口調で淡々と告げる。それがむしろ、その場の空気を重くした。
そんな様子を見て、リトは困ったように笑ってから、レイに手を振った。
「やあ、レイ。君がわざわざこんなところまで来るなんて珍しいね。聖女様の護衛はいいの?」
「リト。久しぶり。とは言っても、数日ぶりか。この前は仕事中で、ゆっくり話す機会がなかったと思って。迷惑だった?」
リトがレイに向ける笑顔は、いつもの笑顔より少し優しい気がする。
ミナトはリトとレイの会話を横で聞きながら、二人の親しげな様子を観察していた。
「いや、迷惑じゃないよ。レイならいつでも大歓迎…って言いたいところなんだけど、今はちょっと大掃除してて。僕の部屋くらいでしかもてなせないけど、それでもいい?」
別に大掃除なんてしていなくても、リトの宮は散らかっている。
リトは、別にレイになら見られてもいいと思っている。
とはいえ、どんなところから噂が漏れるかわからないからと、ライラが嫌がるので、宮にいる使用人以外には隠すようにしている。
レイは穏やかな表情で頷いた。騎士団長としてではなく、プライベートらしい気軽さで。
「もちろんだ。急に来たのはこっちだしな。どうせアルと違って暇なんだろ?」
「酷い言い草だなあ。まあ、そうだけど。」
「ところで、この子がこの前言ってた異世界から来た子?」
レイの視線の先には、ミナトがいた。
ミナトはレイと目が合うと、小さく会釈した。自分のことを知っていることに驚いているようだ。
ミナトとレイは初対面なのだから、それも当然である。
「そうだよ。ミナトっていうの。最近はライラの仕事も手伝ってくれてるんだよ?」
「そうなのか。すごいな、まだ小さいのに。」
ミナトの身長は、確かにレイより低い。
単にレイが恵まれた体格をしていることもあるが、ミナトもまだ成長期の途中である。
「うん、僕の部屋の掃除をしてくれたり、庭のや…庭の手入れをしてくれたりね」
庭の野菜、と言いかけて飲み込んだ。
リトはレイを手招きして、自分の部屋へ案内し始めた。
ライラが礼をしたのを見て、ミナトもお辞儀をしようとしたので、ライラが背中を軽く叩いて止めた。
二人を見送った後、廊下に残ったライラに、同じくその場に立ったままのミナトが話しかけた。
「リトさんとすごく仲が良さそうな方でしたね。騎士団長さんって言ってましたけど、どんな人なんですか?」
「幼馴染らしいっすよ。私がリト様と知り合うよりも前からの付き合いみたいっす。悪い人じゃないんですけど、たまにリト様に似ているところがあるっす。」
リトに似ている、と言われて、ミナトは少し納得したように苦笑いした。
そのころ、レイがリトに続いて部屋に入ると、違和感を覚えた。
以前とは部屋の様子が少し違う気がする。
家具の配置が変わったわけでもなければ、新しいものが増えたわけでもない。
置いてあるものが、綺麗すぎるのだ。
「……ライラの掃除の腕が上がった?」
レイがソファに座りながら部屋を見回して言うと、リトはくすくすと笑った。
「いや、違うよ。ミナト。ミナトが掃除すると、異様に綺麗になるんだよね。」
レイが壁に掛けてある額縁を指さした。
「あれなんて、リトが生まれるよりも昔からあるやつだろ? なんで新品みたいな仕上がりなんだ?」
「さあね。僕にも詳しいことは分からないけど、普通に掃除したらああなるんだってよ。異世界の人って、掃除が上手なのかな。」
冗談っぽく言ったリトに、レイが呆れた表情を向ける。
「そんなわけないだろ。この前の聖女様とのお茶会では、怪しいところはないと言っていたが、嘘だったのか?」
「嘘なんてついてないよ。だって、彼は『普通に』掃除しているだけだもの。」
納得していない様子だったが、レイはこれ以上追及するのはやめたようだ。
「そうか。……にしても不思議だな。召喚の儀では魔力がないとされていたが、これだとまるでミナトは魔法を使えるみたいだ。もう一度魔力測定を受けてみたらどうだ?」
レイの向かいのソファに座り、以前より綺麗になったローテーブルの表面を指でなぞる。
指の影を綺麗に反射するほど磨かれた表面を満足そうに眺め、口角を上げながらリトは言った。
「それも考えたんだけどさ、せっかくなら、みんなにサプライズにした方が面白いかなって。」
レイは、リトのこの表情をよく知っている。
兄であるアルをからかう時の顔だ。
眉尻を下げ、軽くため息をつきながら微笑んだ。
「サプライズ、ね。何を考えているのか、なんとなく分かるけど…アルは最近忙しいんだし、ほどほどにね」
レイはいつも、この兄弟のやり取りを微笑ましく見守っているだけで、リトのことを止めることは少ない。
そこが、リトにとって居心地が良い理由の一つだった。
「もちろん。レイも兄さんには内緒にしててね。」
レイは頷くと、話題を変えた。
それから一時間ほど互いの近況について話すと、レイは帰っていった。
こういう気まぐれなところは、少しリトに似ている。
急な来客が何事もなく帰ったことに宮中が安堵したころ、リトの部屋にミナトがやってきた。
「あの、リトさん、今日教えてもらう予定だったところなんですけど…」
リトからもらった歴史の教科書を胸に抱えながら、遠慮がちに部屋のドアから顔を覗かせている。
「あ、そうだったね。でも今日はもう遅いし……あ、そうだ。明日早起きして一緒に出掛けない? 勉強は午後でいいからさ」
急な提案に、ミナトは少し面食らったような顔をする。
「え、明日ですか? どこに?」
リトの指が、鏡面のようなローテーブルの上をなぞった。
「んー、内緒。ちょっとした実験みたいなものだよ。来てくれる?」
ミナトはリトの真意を測りかねていたが、断る理由があるはずもなく、頷いた。




