5話 窮鼠猫を噛めど歯は立たず
ライラにミナトの案内を任せてから、リトは自室に戻っていた。
夕食の席にふさわしい落ち着いた上品な服に着替え直し、他にもいくつか用事を済ませてから王城へ向かった。
煌びやかな食堂には既にアルとキラリが座っていた。
リトが部屋に入ると、アルは咎めるような視線を送った。キラリはその場の雰囲気に戸惑っているようだが、それをできるだけ顔に出さないようにしていた。
そんな視線を気にした様子もなくリトは席に着いた。
「こんばんは、聖女様。アル兄さんも。」
「遅い。また城を抜け出していたようだが、どこに行っていたんだ?」
「ちょっと探し物をね。兄さんが城から追い出したっていう子を見つけてきたんだよ。」
アルの眉がぴくっと動いた。リトの突飛な行動はいつものことだったが、毎回アルの意表を突いてくる。
料理が運ばれてくるが、アルはリトを睨んだまま手をつけようとはしなかった。
「…は?」
アルの表情を見てリトはにこっと微笑んだ。
上品に魚のテリーヌを切ると、フォークに刺してアルに向けた。
「いや、だってかわいそうでしょ?僕が見つけた時には、彼、カツアゲされそうになってたよ?」
「…そうか。好きにしろ。何かあった時の責任は自分で取れ。」
アルはグラスの水をあおり、黙って食事を始めた。眉間にしわが一本増えたその表情は、リトにとって見慣れたものだ。
キラリはミナトの話を聞きながら、慣れない手つきで食事を口に運んでいた。
わずかに体を強張らせて、リトの方を見た。
「あ、あの、ミナトくんは今お城にいるんですか?」
「うん、僕の宮にいるよ。…お友達が心配?」
キラリは目を泳がせた。指が強張る。
リトは、俯くキラリの反応を細かく捉えていた。
「あ、えっと、友達ってほどじゃないんですけど。同じクラスだったので、少し心配です。…後でミナトくんの話を聞いてもいいですか?」
リトはキラリの方をじっと見た。彼女は案じているような目をしているが、友人を心配しているだけにしては、不安の色が濃い。
人当たりの良い笑みを浮かべてリトは答えた。
「もちろん。聖女様の頼みなら断る理由もないしね。兄さんもいいでしょ?」
「好きにしろ。」
アルは黙ったまま食事を進めていた。
やがて、食堂での会話はリトとキラリの二人の声だけで進められていく。
ミナトを見つけた時の話、キラリがこちらにくるまでは何をしていたのか、アルとリトの家族構成など。
「へえ、お二人は他に兄弟は居ないんですね。ご両親は?」
「母はもう亡くなってるよ。父上は最近寝込みがちであまり外には出てこない。」
「あ、そう、なんですね…。」
反応に詰まってしまい、所在なさげにキラリが茶髪を耳にかけた。
キラリが何か言おうと口を開いた時、それを横目で見ながら、食事を終えたアルが立ち上がった。
「…俺はもう行く。」
リトはアルを見て手を振った。
「はーい。またね、兄さん。」
「あ、えっと、ありがとうございました。」
顔をあげたキラリが礼を言うのを見て、しばらく間を置いてからアルが言った。
「何かあったら部屋のメイドに伝えてくれ。」
それだけ言うと、規則正しい足音と共に食堂を離れた。
「兄さん、忙しいんだよ。僕が手伝おうか?って言うと嫌な顔するから、僕は暇なんだけどね。」
リトはゆっくりとデザートのアイスを口に含んだ。
「…あの、こうやって豪華な食事を出してくれるのって、私が聖女だから…ですよね?」
キラリの持つスプーンがアイスの表面をなぞり、溶けた部分だけを集める。
リトはその手元を見てから、柔和な笑みをキラリに向けた。
「そうだね。みんな君に聖女としての役割を期待している。だから良い待遇をする。」
「聖女の役割…」
キラリのスプーンが止まる。スプーンの上で溶けたアイスが、ぽたりと皿の上に垂れた。
「あ、あの、リトさん。ミナトくんには気をつけてください。」
意を決したように、真っ直ぐにリトを見た。
リトが面白そうに目を細める。
「気をつけるって言うのは…具体的には?」
「あ、えっと…その、私、召喚された時に感じたんです。ミナトくん、何か様子がおかしいなって。私を見る目が怖かったし、その、なんか変な、なんとなくなんですけど、危険な力を持ってるような気がして。」
少しだけ目を見開いて、リトは笑みを深めた。
「へえ、そっか。聖女様の感覚ってやつ?…分かった。聖女様の言う通り、気をつけるよ。悪いものは野放しにできないし、僕が見ておいてあげる。何かあったら君に相談しても良い?」
リトは首を傾げた。相手からすれば少し上目遣いになる角度。
こうすれば大抵の人が警戒を解くことを、リトは知っていた。
「あ、は、はい!私にできることなら!」
少し頬を染めて大きくうなずいたキラリに、リトは満足げに微笑んだ。
リトはキラリを部屋に送り届けると、自分の宮に戻った。もう夜も深まってきている。
「聖女様ってどんな人なんすか?やっぱすげえ高潔な感じ?」
リトの部屋で、風呂から上がったリトの服を片付けながら、ライラがリトに問いかけた。
微炭酸の果実酒を口に含んだリトが、無表情にソファに深く寄りかかりながら答える。
「いや?普通の女の子だよ。」
「はあ、普通の女の子っすか。」
「そ、普通の女の子。でも、何か隠してるみたい。」
リトが背もたれから上半身を起こした。グラスをテーブルの上に置く。
「ミナトに悪いものの気配を感じるんだってよ。」
ライラが振り返った。リトの薄ら笑いが目に入って露骨に嫌そうな顔をした。
「…あ、そうすか。」
「すごいよね、聖女様はまだ魔法の使い方もわからないのに、そういうのは感じ取れるらしい。」
リトはおかしそうに笑った。それをライラは呆れた顔で見ていた。
「信じてないんすね。確かに私から見てもあの子は悪い子には見えませんでしたね。…で、どうするんすか?」
「うーん、このまま手元に置いて様子を見ようかな。ライラも、あの子には好意的に接してね。」
ライラは嫌そうな顔をした。リトと違って、誰かに愛想を振りまくのはライラの得意とすることではない。
「…わかりました。最低限のことはやるっすよ。」
バタン、と大きめの音をたててクローゼットを閉めると、ライラは部屋のドアの方へ向かった。
「じゃ、もう寝るっす。おやすみなさい。」
「うん、おやすみ。」
静寂が王城を包んだ。
キラリは枕を抱きしめながら不安げに、ミナトは天井を眺めながらも安堵して、リトは上機嫌に、それぞれの夜が更けていった。
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