2話 知らない世界
気が付くと、見慣れない建物の中にいた。隣には同じクラスのキラリの姿。
周囲は、何やら神官らしき人々が騒いでいる。
少年は、訳も分からぬうちに神殿の隅に追いやられ、身元不明な者を城には置いておけないと言われ、お金だけ渡されて城を追い出された。
お金の入った袋と、もともと持っていた鞄。そして冬の制服姿。それだけで、右も左もわからない異世界に放り出された。
幸い、会話は通じるようだったが、周囲を見渡しても文字が全く読めない。店に入ろうにもなんの店なのかわからない。
スマホの電源をつけてみたが、当然電波なんてない。
SNSでメッセージをおくっても、エラーが出るだけ。
あたりにはまばらに人通りがある。
少年は勇気を振り絞って、震えた声で近くにいた人に声をかけた。
「あ、あの、すみません。」
城下町に住む三十代くらいの女性が振り返った。少年の制服を見て、眉を顰める。周囲とは明らかに違う浮いた服装に警戒されているのだろう。
「何か用?」
女性は無愛想に少年を睨むように見た。
その視線に、少年はびくっと肩を震わせた。
「あ、え、えっと…、なんでも、…ないです。」
もともと人見知りする性格なのだろうか。消え入るような小さい声で言うと、その場を足早に立ち去った。
人の気配のない路地裏まで来て、息を整える。
思い出したように、先ほど渡されたお金の入った小袋の口を開けて覗き込む。
金色の硬貨が十枚と銀色の硬貨が十数枚。手に取って眺めてみると、何か数字が彫ってあるが読めない。
城でこの袋を渡されたとき、一か月分の生活費くらいだと言われた。だが、高校生の少年にはその金額がどれほどの価値なのか、正確に想像するのは難しかった。
少年はため息をついてしゃがみ込み、冷たい路地裏の壁に背中を預けた。
建物と建物の合間に切り取られた空は赤らみ始めていた。
雲の高さも見慣れたものとはまるで違って、異世界に来たことをじんわりと実感する。
少年は鞄の中を探って、何か役に立つものはないか探し始めた。
教科書、ノート、筆記用具。定期や財布はもう使い道がないかもしれない。
ハンカチを取り出すと、家の柔軟剤のにおいがして懐かしくなった。涙が出そうになるのをこらえて、ハンカチをしまった。
特別役に立ちそうなものといえばスマホくらいだが、電源が切れたらおしまいだ。
ライトにはなるだろうし、カメラロールは幸い見返すことができる。電源を温存するためにスリープモードにした。
現状を整理して少しだけ冷静になったのか、少年は立ち上がった。
空腹を感じ、今日のご飯をどこかで手に入れなければ、と動き出す。
城の前から下を向いて歩いてきたせいで、今自分がどこにいるのかわからない。
路地裏から顔を出すと、何人かが少年の服を物珍しそうに見る。その視線を避けるように、身をすくめながら店を探した。
しばらく歩くと、いかにも居酒屋といった見た目の建物がある。
店の前にはテラス席が置いてあるし、店の中でも多くの客が飲み食いしている。
たくさんの笑い声が聞こえてきてにぎやかだ。
肉の焼ける匂いが風に乗って鼻腔を撫でる。少年のおなかが鳴った。
とにかく、ここで何か食べて、泊まれるところがないか店員さんに聞いてみよう。鞄を持つ手に力が入った。深呼吸してから店に足を踏み入れる。
数名の客がこちらの様子を物珍しそうにうかがっているのを感じる。
店の奥から若い女性の店員が少年に声をかけた。
「一名様ですか〜?カウンターで良ければすぐに案内できますよ!」
「あ、じゃあ、カウンターでお願いします。」
女性は親しみやすい口調で少年を案内すると、メニューを渡した。まだ成人前と思われるおかしな服を着た少年が一人でいることに違和感は感じたようだが、女性はわざわざ聞かなかった。
「注文が決まったら呼んでくださいね。」
少年はメニューを見て、再び文字が読めない問題に直面する。
「あ、あの!おすすめとかって、ありますか?」
立ち去りかけた女性を呼び止めて、メニューも開かずに聞いた。
女性は一瞬虚を突かれたような顔をしたが、すぐに営業スマイルに戻る。
「おすすめは山鳥のステーキですね!あとはビールですけど…、こっちのベリーのジュースもおいしいですよ。」
「じゃ、じゃあそのステーキとベリーのやつでお願いします。」
「はーい、少々お待ちください~!」
店員は読まれてもいないメニューを再び受け取ると、立ち去って行った。
少年は一人で落ち着きなく待っていた。周囲からの視線が痛かった。
何人かの酔っぱらった客がこちらを見ながら何やら話しているようだったが、周囲の音がうるさくて何を話しているかまでは聞こえない。
料理が届くまでの時間がひどく長く感じられた。
笑い声も、食器の触れ合う音も、自分には向けられていないはずなのにひどく突き刺さってくるように思える。
早く食べて立ち去りたい。
ステーキとジュースが運ばれてくると、口に詰め込むようにして食べた。
見た目はとてもおいしそうだったが、どんな味がしたのか覚えてはいなかった。
ベリージュースの余韻だけが残ったまま、会計を済ませて店を出る。
代金は聞いたことのない単位でよく分からなかったが、銀貨を二枚出したら銅貨のお釣りをもらった。
少なくとももらったお金で何とかなったことに安堵した。
少年は店を出てから、宿について聞くことを忘れていたことを思い出した。
店に戻って聞こうかと迷ったが、酔った客からの目線を思い出して足がすくんだ。
代わりに、通行人に声をかけた。
少年に声をかけられた男性は、今までの人と同じように好意的な反応ではなかった。
「あの、泊まれるところってこのあたりにありますか?」
人から怪しげに見られることにも少しずつ慣れてきたようだ。今回は思い切って聞くことができた。
「…あっちの通りの猫の看板の宿屋がある。」
無愛想だが、方角を指さして男が教えてくれた。
教えられた宿に到着し、また慣れないながらも代金を支払って部屋に入った。
ベッドに倒れこむ。
今日は知らない人に声をかけて、知らない場所で食事と宿にありつけるなんて、自分にしては頑張った。そう思うと、少し口角が上がった。
お金の入った袋をのぞき込む。まだ金貨は九枚、銀貨は八枚に減っていた。
明日は服を買いに行こう、と思いながら、疲労に任せてそのまま眠りに落ちてしまった。




