第71話 畑を食い尽くしに来た黒い羽虫の大群を、壊れた風見鶏で吹き飛ばした
昨日、落ちぶれた元リーダーに飯を一杯出して、鍬を一本渡した。
貸し借りは終わった。畑は二十町ぶん起きて、粉ひき小屋は今日も回っている。
俺のスキル『鑑定』は、ものの価値を書き換えられる。書き換えた通りに、現物が変わる。
その朝、空の色がおかしかった。
§ § §
北の空に、赤い霧が横に伸びていた。
雲じゃない。雲は、あんなに端がまっすぐにならない。
ニナが門の柱に登って、指をさした。
「りょうしゅさま。空、赤いよ」
「赤いな」
「きれい?」
「きれいじゃないほうだと思う」
§ § §
昼前に、音が来た。
じじじ、という音が、北の畑のほうから膨らんでくる。
コハクの垂れ耳が、両方とも立った。先の白いところが、細かく震えている。
「ご主人様。虫です。すごい数です」
「どのくらい」
「数えるのが無理な数です」
§ § §
黒い帯が、峠を越えて下りてきた。
羽虫だ。一匹が親指ほどある。
降りた場所から、麦が消えていく。穂だけを、きれいに削っていく。
ネロが鍬を振り回して走ってきた。粉まみれの顔で、頬がこけたまま息を切らしている。
「レインさん! 叩いても叩いても減らねえ!」
「叩くのはやめとけ。手が食われる」
§ § §
ハーグが、腰を曲げたまま畑の縁に立っていた。
新しい鍬を杖にして、動かない。
「六年前に、一度来ました」
「そのときは」
「三日で、村がなくなりかけました」
§ § §
ダレンが火を投げたが、帯が割れて、また閉じた。
目の下の隈が、光でいっそう濃く見える。
「焼いても中身が減らん。数が多すぎる」
「風はどうだ」
「俺の風では、この面積は無理だ」
§ § §
俺は納屋の裏に走った。
屋根から落ちたまま、去年から転がっているものがある。
錆びた鉄の風見鶏だ。羽根が二枚もげて、軸が曲がっている。
枠が浮かぶ。
[壊れた風見鶏]
価値 銅貨0枚
羽根欠損・軸が曲がり回転せず
「じゃあ、書き換えるか」
触れるのは価値の数字だけだ。名前は向こうが決める。
§ § §
[壊れた風見鶏]
価値 銅貨0枚
↓
価値 銅貨5000000枚
銅貨100枚で銀貨1枚、銀貨100枚で金貨1枚。数字が勝手に繰り上がる。
価値 金貨500枚
枠が消えて、また浮かんだ。
[北風の見張り鶏]
価値 金貨500枚
効果 嘴の向いた方角へ風を吹き続ける・羽ある魔物を風下へ運ぶ
§ § §
曲がった軸がまっすぐ伸びて、羽根が生えた。
鶏の嘴が、ぐるりと回って北を向く。
風が来た。俺の後ろから、髪が全部前に流れるくらいの風だ。
黒い帯が、麦の上から剥がれた。
§ § §
剥がれた虫が、そのまま北へ流れていく。
羽があるぶん、地面より速く運ばれる。
峠の上まで戻されて、赤い霧の中に吸い込まれて消えた。
コハクが尻尾を千切れそうに振って、俺の腕にしがみついた。琥珀の目が、まん丸になっている。
「ご主人様! 虫が、帰りました!」
「帰したな。自分の足じゃないけど」
§ § §
風見鶏を、粉ひき小屋の屋根に据え直した。
嘴は北を向いたままだ。以後、羽のあるやつは村に入れない。
食われた麦は、二町ぶんで済んだ。
§ § §
ルミナが、畑の縁で虫に食われた者の手を診ていた。
銀の髪を耳にかけて、傷の数を数えている。まばたきが多い。
「三人だけです。指を少し」
「間に合いましたか」
「はい。あと半時遅かったら、腕でした」
「じゃあ、間に合ったってことにしましょう」
§ § §
夕方、デンが槍を突いて坂を上がってきた。錆びた鎧の縄を、結び直したばかりらしい。
「北の砦から報せです。峠の向こうに、旗が見えたと」
「旗」
「黒地に、白い角が三本」
§ § §
ダレンが、その旗の名前を知っていた。
「魔王軍だ。角三本は、先遣の印だな」
「なんで攻めてくるんだ」
「魔王だからだろう。理由を聞いた者はいない」
「そうか」
§ § §
その晩も、広場で鍋を囲んだ。
三十人ぶんの椀が並んで、鍋の底はまだ見えない。
セシリアが扇を閉じて、隣に座った。金の縦ロールの一房が、風で頬に落ちている。
「怖くないの」
「虫のほうが多かったですよ、たぶん」
§ § §
屋根の上で、鉄の鶏が北を向いて鳴っている。
畑の麦は、十八町ぶん残った。
壊れて捨ててあった鶏一羽で、村が一つ食われずに済んだ。悪くないよね。
§ § §
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