第70話 落ちぶれた元リーダーに、鍬を一本渡して終わりにした
昨日、俺を追放した男が、刃のない剣で襲ってきた。
馬蹄一枚で足を止めて、明日村に来いと言って別れた。
俺のスキル『鑑定』は、ものの価値を書き換えられる。ただし、書き換えないで読むだけでもいい。
朝、門は開けておいた。
§ § §
昼を過ぎて、坂の下に人影が出た。
背は高い。だが、遠くから見ると、そうでもなかった。
肩が落ちているせいだ。
ニナが門の柱によじ登って、目の上に手をかざした。
「りょうしゅさま。大きい人が来たよ」
「大きいか」
「うーん。ふつう」
§ § §
ガイは、門の手前で止まった。
畑には、三十人が並んで鍬を入れている。
粉ひき小屋から白い粉が舞って、炊事場から湯気が上がっていた。
§ § §
ネロが、鍬を持ったまま顔を上げた。
目が合って、ガイが一歩下がる。
「……頭」
「その呼び方はやめてくれ」
ネロが、鍬の柄を握り直した。
「俺ら、あんたに殴られた。三月ぶんな」
「そうだな」
「殴り返してえけど、飯の時間だから、あとにする」
§ § §
ガイは何も言い返さなかった。あの声で怒鳴り返すと思っていたが、怒鳴らなかった。
布はもう巻いていない。武勇伝みたいに見せていた頬の傷が、今日はただの古い傷だった。
§ § §
ダレンが、杖をついて広場に出てきた。
「杖を折られたのは、俺だったな」
「……ダレンか」
「その節はどうも。おかげで新しいのが手に入った」
杖の先を軽く鳴らして、それだけで下がっていく。言いたいことは済んだらしい。
§ § §
ルミナが、井戸のほうから走ってきて、途中で止まった。
両手を胸の前で握って、しばらく黙っている。
「……お腹、空いていますか」
最初の一言が、それだった。
ガイの喉が動いた。
「相変わらずだな、お前は」
「はい。相変わらずです」
§ § §
グレタの鍋から、椀が一つ運ばれてきた。
ガイは受け取らずに、俺のほうを見た。
「先に、話がある」
「どうぞ」
§ § §
ガイが、帯から刃のない剣を抜いて、地面に置いた。
磨いた折れ口が、昼の光を返している。
枠が浮かんだ。
[鋼の長剣『竜牙』(破損)]
価値 銅貨0枚
刀身の三分の二を欠損
柄の赤石=染めた硝子(三つとも欠け)
銘『竜牙』=あとから彫られたもの
現在の売値 なし
§ § §
「書き換えろ」
「……」
「貴様の力なら、こいつを聖剣にできるのだろう」
「できるよ」
「なら、やれ」
§ § §
俺は、剣に触らなかった。
「やらない」
「なぜだ! 俺を笑うためか!」
「違う。これを書き換えたら、あんたの剣じゃなくなるからだよ」
「意味が分からん」
§ § §
「名前も、性能も、俺には選べない。聖剣が出るかもしれないし、鍋敷きが出るかもしれない」
「……」
「出たものは二度と直せないんだ。あんたが四年、毎晩磨いてたものを、俺の運で潰すのは違うだろ」
§ § §
ガイが、しばらく地面を見ていた。
それから、震える声で言った。
「なら、俺を書き換えろ」
俺は首を横に振った。
「生き物は無理なんだ。人も、魔物も。ずっと前から、そこだけはできない」
「……そうか」
「あんたを変えられるのは、あんただけだよ。ずるいこと言ってるのは分かってる」
§ § §
コハクが、俺の後ろから出てきた。
尻尾は振っていない。垂れ耳が、片方だけ持ち上がっている。俺の袖を握る手だけが、あたたかい。
「あなたが、ご主人様を捨てた人ですか」
「……そうだ」
「コハクは、あなたが嫌いです」
「だろうな」
「でも、ご主人様が飯を出すなら、コハクも出します」
§ § §
俺は、厩の壁に立てかけてあった鍬を一本取って、ガイに渡した。
新しいやつだ。ハーグが替えたときに、余った一本。
「これ、持っていけよ」
「施しはいらん」
「施しじゃない。畑を起こしたぶんは、麦で払う。ここの賃金は、そういう決まりだ」
§ § §
ガイが、鍬を受け取った。
受け取った両手が、剣を握るときの持ち方をしている。持ち替えるのに、ずいぶん時間がかかっていた。
「……三十人ぶんの飯を、貴様が出しているのか」
「村が出してる。俺は粉が増える石臼を置いただけだよ」
「鑑定が、飯を出すのか」
「出すよ。前にも言っただろ。鑑定は、役に立つ」
§ § §
ガイは椀を一つだけ受け取って、門の外の石に座って食べた。中には入らなかった。
食べ終わると、椀を洗って、炊事場の縁にきちんと伏せて置いた。四年前は、やらなかったことだ。
§ § §
折れた竜牙は、置いていった。鍬だけを担いで、坂を下りていく。
北の畑は、まだ半分しか起きていない。あっちで一日いくらか稼ぐんだろう。
背中は、俺の記憶より一回り小さかった。
§ § §
「追いかけないんですか」
ルミナが、俺の横で坂の下を見ていた。
「追いかけて、どうします」
「……村に、いてもらうとか」
「あの人、ここじゃ飯が喉を通らないですよ」
「はい」
「腹が減ったら、また来ますって」
§ § §
その晩、村の広場で鍋を囲んだ。
三十人ぶんの椀が並んで、それでも鍋の底は減らない。
ハーグが、新しい鍬を膝に立てて座っていた。
「お領主様。村を焼こうとした男に、うちの鍬をやってしまわれた」
「一本くらい、いいだろ。うちは鍬が余ってる」
§ § §
セシリアが、扇を閉じて隣に座った。煙と麦の匂いの中に、白薔薇がひとつ混ざる。
「あなた、あの男に一言も嫌味を言わなかったわね」
「前にも同じこと言われましたよ」
「二度目だから言うのよ。効きすぎるもの、あなたのそれ」
言ってから、扇を開いて顔の半分を隠した。隠れていないほうの耳が、火より赤い。
§ § §
置いていかれた折れた剣は、村の粉ひき小屋の壁に掛けた。
書き換えない。売らない。ただ掛けておく。
畑が二十町ぶん起きて、街道が三本つながって、粉の袋が七十を超えた。
俺を道端に捨てた男に、飯を一杯と鍬を一本。
貸し借りは、これで終わりでいいや。悪くないよね。




