第58話 川をせき止めて水攻めに来た軍を、流木一本で押し返した
昨日の夜、燃え殻ひとつを昼の光に書き換えて、夜襲の三万を追い返した。
峠には、捨てられた武器だけが残っている。
俺のスキル『鑑定』は、ものの価値を書き換えられる。書き換えた通りに、現物が変わる。
その翌日、村を流れる川の水が減った。
§ § §
最初に気づいたのは、洗い物をしていた村の女たちだった。
膝まであった流れが、くるぶしになっている。
河原の石が乾いて、白く並んでいた。
コハクが、川底に降りて鼻を近づけた。垂れ耳が、ぴくりと動く。
「ご主人様。上のほうで、土の匂いがします」
§ § §
馬で川上へ上がった。
半刻ほど走ると、木と土の壁が見えた。
川いっぱいに、丸太を組んで土を詰めてある。
その向こうに、水が溜まっている。溜まりすぎて、湖のようになっていた。
§ § §
壁の上に、ヴァルガの兵が並んでいた。
その真ん中に、赤い外套がある。
バルカスが、太い首をこちらへ回した。
「小僧。水は足りておるか」
「足りてないな。あんたの仕業か」
「川は誰の物でもない。溜めただけだ」
§ § §
「溜めて、どうするんだ」
「切る」
バルカスが、堰の底を指差した。
「ここを切れば、水はまとめて下る。村も、貴様の畑も、麦の蔵も流れる」
「城塞は流れないぞ」
「城塞に籠もったところで、養う畑がなければ落ちる。戦とは、そういうものだ」
§ § §
言い分は分かった。
誓約書のことを持ち出そうかと思って、やめた。
あれは向こうが破ったときに効くもので、今はまだ武具に手をかけていない。
ダレンが、馬の上で堰を見上げていた。隈の濃い目が、細くなっている。
「あの水量だと、村まで届くのに数えて三十だな」
「三十」
「数える暇があるうちに、なんとかしろということだ」
§ § §
河原に、流木が転がっていた。
上のほうから流れてきて、乾いて白くなった一本だ。
抱えると、腕にちょうど収まるくらい。
枠が浮かぶ。
[乾いた流木]
価値 銅貨1枚
効果 なし
「じゃあ、書き換えるか」
§ § §
触れるのは価値の数字だけだ。名前は向こうが決める。
[乾いた流木]
価値 銅貨1枚
↓
価値 銅貨800000000枚
銅貨100枚で銀貨1枚、銀貨100枚で金貨1枚。数字が勝手に繰り上がる。
価値 金貨80000枚
枠が消えて、また浮かんだ。
[逆流の水門柱]
価値 金貨80000枚
効果 立てた地点より下流へ水を通さない・せき止めた水を来た方向へ返す
§ § §
流木を、河原に突き立てた。
根元が、勝手に岩まで潜っていく。
柱の上に、水の膜のようなものが立ち上がった。
川幅いっぱいに広がって、そこで止まる。
§ § §
堰の上で、バルカスが手を上げた。
「切れ」
兵が、丸太の根元に斧を入れた。
土の壁が崩れて、溜まった水が一気に落ちてくる。
地面が震えた。
§ § §
水は、俺の立てた柱に当たった。
当たって、止まった。
膜を越えられずに、盛り上がって壁になる。
そこから、来た方向へ折り返した。
§ § §
自分たちが流した水が、堰のほうへ戻っていく。
崩した堰は、もう止める役に立たない。
壁の上に並んでいた兵が、足元をすくわれて次々に落ちた。
バルカスの赤い外套も、腰まで水に浸かっている。
§ § §
流れの底が浅いのが幸いした。
誰も、押し流されはしなかった。
全員が、膝や腰まで水に立ったまま、こっちを見ている。
俺は、水の来ないほうから声を張った。
「川は誰の物でもないんだろ。返しただけだよ」
§ § §
バルカスが、水を跳ね上げながら岸に上がった。
白髪から水が滴っている。
「小僧……貴様、何をしても効かんな」
「効かないんじゃなくて、拾って書き換えてるだけだよ」
「拾う。その辺の木をか」
「その辺の木でも、値をつければ、そこそこ働くんだ」
§ § §
バルカスは、それ以上何も言わずに馬を引いていった。
濡れた兵が、その後ろを黙って歩いている。
セシリアが、俺の横で川面を眺めていた。縦ロールの先が、跳ねた水で濡れて重くなっている。
濡れたぶん、白薔薇の香りが強くなった。本人は気づいていないらしい。
「あなた、いま将軍に手を貸したわね」
「貸してませんよ」
「浅いところへ返したでしょう。深いところへ返すこともできたはずよ」
「……人は書き換えられないんで、流したら戻せないでしょ」
§ § §
村へ戻ると、川の水は元の高さに戻っていた。
女たちが、また洗い物を始めている。
ハーグが、河原で柱を見上げていた。新しい鍬を、地面に立てて休んでいる。
「これは、抜けませんな」
「抜かないでくれ。抜くと村が流れる」
「命に代えても抜きませんとも」
§ § §
ニナが、柱の根元でしゃがんでいた。
水の膜に、指を当てて遊んでいる。
「りょうしゅさま。これ、さわれる」
「触れるんだな、それ」
「うん。ぷるぷるしてる」
ルミナが、その隣にしゃがんで、同じように指を当てた。
「本当ですね。……冷たくて、気持ちいいです」
淡い緑の目が、子どもみたいに丸くなっている。ニナと二人で、同じ顔をして膜をつついていた。
「聖女様まで」
「今日は、村の人ですから」
§ § §
夕方、川の音が戻った。
流されるはずだった畑で、麦が今夜も実る。
水攻めに使われた水は、全部向こうの足元に返っていった。
拾った流木が一本あれば足りる話だった。悪くないよね。




