第57話 夜襲に来た軍勢を、燃え殻ひとつで朝に変えて追い返した
昨日、投石機に撃ち込まれた岩を、撃ち返す礫に書き換えた。
四台の投石機は、自分の撃った石で全部骨組みになった。
俺のスキル『鑑定』は、ものの価値を書き換えられる。書き換えた通りに、現物が変わる。
その夜、峠の下から火が消えた。
§ § §
敵陣の篝火が、一つずつ落ちていく。
三万の軍がいるはずの斜面が、まっ黒になった。
デンが、櫓の縁で目を細めている。
「来ますな」
「なんで分かるんだ」
「火を消すのは、見られたくないからです。夜襲です」
§ § §
城塞の中庭に、村人が固まって座っていた。
子どもが泣かないように、大人が口を押さえている。
ニナが、母親の膝の上から俺を見上げた。靴を履いた足を、きちんと揃えている。
「りょうしゅさま。まっくらだね」
「暗いな」
「こわい人、見えないね」
「見えないな。それが向こうの狙いだ」
§ § §
こっちには、灯りが要る。
だが、松明を灯せば、こっちの位置だけが向こうに見える。
ダレンが、杖の先に小さな火を出して、すぐ消した。
「光魔法で照らすなら、俺一人で山ひとつは無理だ」
「どのくらいなら」
「門の前が、せいぜいだな。三万は照らせん」
§ § §
セシリアが、櫓の壁に背を預けて、暗闇を見ていた。
顎を引かない立ち姿は変わらないのに、扇を持つ手が動かない。暗くて顔は見えないのに、柑橘の香りでそこにいると分かる。
「夜襲は、数の多いほうが勝ちますわ」
「そういうものですか」
「暗いと、味方も敵も見分けがつかないもの。だから、多いほうが有利なの」
「じゃあ、暗いのをやめればいいのか」
§ § §
セシリアが、こっちを見た。
「……あなた、たまに、とんでもないことを言うわね」
「褒めてます?」
「褒めていませんわ。呆れているのよ」
言いながら、扇で口元を隠した。隠れていない目は笑っている。
§ § §
中庭の隅に、昨日の焚き火の跡があった。
燃え尽きて、白くなった薪の残りだ。
拾い上げると、指で崩れそうなくらい脆い。
枠が浮かぶ。
[燃え尽きた薪の殻]
価値 銅貨1枚
効果 なし
「じゃあ、書き換えるか」
§ § §
触れるのは価値の数字だけだ。名前は向こうが決める。
[燃え尽きた薪の殻]
価値 銅貨1枚
↓
価値 銅貨600000000枚
銅貨100枚で銀貨1枚、銀貨100枚で金貨1枚。数字が勝手に繰り上がる。
価値 金貨60000枚
枠が消えて、また浮かんだ。
[日輪の残り火]
価値 金貨60000枚
効果 一晩の間、周囲三里を昼と同じ明るさにする・熱を持たない
§ § §
白い燃え殻が、手の中で光り始めた。
最初は蝋燭くらい。次に篝火くらい。
そこから、目を開けていられないくらいになって、峠ごと白く塗り潰した。
§ § §
山の斜面が、まるごと見えた。
三万の兵が、革を巻いた靴で、腰を落として斜面を這い上がってきている。
全員が、同じ顔でこっちを見上げて、固まった。
§ § §
「……朝だ」
誰かが、下でそう叫んだ。
叫び声が伝染していく。
夜の明けない山の中で、真昼の光の中に、三万人が立っている。
隠れる場所が、どこにもない。
§ § §
コハクが、俺の袖を掴んだまま口を開けていた。
明るい茶の垂れ耳が、立ったまま震えている。
「ご主人様。あの人たち、全部見えます」
「全部見えるな」
「かくれんぼで、みんなの隠れ場所がなくなったみたいです」
言いながら、俺の袖を握る手に力が入る。手のひらが、じっとりあたたかい。
「向こうは今、そういう気分だろうな」
「わふっ。コハク、あれは泣きます」
§ § §
デンが、櫓の上で角笛を構えた。
「今度は、吹きますか」
「吹いてくれ」
低い音が、明るい山に落ちていった。
そこから、一万の足音が湧いた。
姿は見えない。音だけが、光の中を走り回る。
§ § §
見えるのに、いない。
三万の兵が、全員それを聞いた。
列の後ろから崩れて、坂を転がるように下りていく。
武器を捨てて走る者もいた。
§ § §
夜が明けるまで、山は昼のままだった。
村人が、中庭で立ち上がって、光の中で顔を見合わせている。
ハーグが、鍬を杖にして空を見上げていた。
「お領主様。夜は、どこへ行きましたか」
「明日の晩、戻ってくるよ。一晩だけの効果だってさ」
「では、今夜は、寝ずに済みますな」
§ § §
ルミナが、中庭の子どもたちに白湯を配っていた。
銀の髪が光を受けて、白く見える。手つきは、もう村の女たちと同じだ。
「レインさん、朝ごはんは、いつ作りましょう」
「もう朝みたいなもんですけど」
「じゃあ、二回作りますね」
「聖女様が」
「今日は、賄い係ですから」
§ § §
光が薄れたのは、本物の朝日が出てからだった。
峠の下に、捨てられた武器と、消えた篝火の跡だけが残っている。
三万人が、坂を上って、坂を下りていった。
燃え殻ひとつで、夜が村に来なかった。悪くないよね。




