第55話 敵将が投げつけた宣戦の手袋を、破れない誓約書に書き換えた
昨日、国境に現れた三十人の斥候を、音だけの角笛で追い返した。
向こうには、一万の兵がいると伝わったはずだ。
俺のスキル『鑑定』は、ものの価値を書き換えられる。書き換えた通りに、現物が変わる。
三日後、その一万を確かめに、本人が来た。
§ § §
城塞の門の前に、騎馬が並んだ。
先頭の男だけ、兜を小脇に抱えている。
赤い外套。胸当てに、金で獅子と槍の紋章。
馬から降りると、地面が鳴った。それくらい重い装備だ。
§ § §
「ヴァルガ王国、北方軍総司令。バルカスだ」
声が、門の石に反響した。
白髪を短く刈って、首が異様に太い。
両手の甲に、革の手袋をはめている。
§ § §
「ラズ領のレインだ」
「貴様が、鑑定卿とかいう小僧か」
「そう呼ばれてるらしいけど、俺は領主だよ」
「領主。荒地の、な」
バルカスが、城塞の門を見上げて、鼻で笑った。
§ § §
「一万の兵がいると聞いた。どこにいる」
「見せる義理はないな」
「見せられんのだろう。斥候は音しか聞いておらん」
バルカスが、俺の後ろを見た。
いるのは、デンが一人と、コハクとダレンとルミナと、セシリアだ。
§ § §
「兵が一人。あとは女子供と、病人のような魔法使いか」
ダレンが、隈の濃い目のまま、面倒くさそうに手を上げた。
「病人ではない。夜型なだけだ」
「口の減らん男だ」
「減らすと商売にならんのでな」
§ § §
セシリアが、一歩前に出た。
顎を引かない立ち姿のまま、扇を閉じてバルカスを見上げる。鉄と馬の匂いの中で、白薔薇だけが引かない。
「リーゼル王国第三王女、セシリアです。将軍が国境を越えるのは、戦の意思と受け取ってよろしくて」
「越えてはおらん。石より手前だ」
「越えられないのでしょう。あの石には、嘘つきは触れませんもの」
§ § §
バルカスの太い首が、赤くなった。
白い境界石のほうを、一度も見ようとしない。
「小細工だ」
「ええ。小細工に負けて、ここで止まっていらっしゃるのね」
「王女。口を慎め」
「慎むのは、そちらでは」
§ § §
バルカスが、右手の手袋を外した。
外して、俺の足元に投げた。
厚い革が、石畳に落ちて鈍い音を立てる。
「ヴァルガの流儀だ。手袋を投げれば、宣戦になる」
「拾わなかったら」
「拾わずとも、七日後に軍が来る。三万だ」
§ § §
三万。
こっちは、城塞ひとつと、村ひとつだ。
ハーグが、麓から上がってきて、その数字を聞いて立ち止まった。皺の深い顔が固まっている。
「お領主様……三万とは、王都の軍より多うございます」
「多いな」
「逃げる支度を、しますか」
「六年ぶりの祭りをやった村から、逃げるのか」
§ § §
ハーグが、鍬を握り直した。
ニナが、その隣で俺を見上げている。靴の先で、投げられた手袋をつついた。
「りょうしゅさま。これ、ゴミ?」
「今はな」
「じゃあ、りょうしゅさまのだね」
いいことを言う子だ。
§ § §
俺は手袋を拾った。
枠が浮かぶ。
[宣戦の投げ手袋]
価値 銅貨5枚
効果 投擲により開戦の意思を示す
「じゃあ、書き換えるか」
§ § §
触れるのは価値の数字だけだ。名前は向こうが決める。
[宣戦の投げ手袋]
価値 銅貨5枚
↓
価値 銅貨700000000枚
銅貨100枚で銀貨1枚、銀貨100枚で金貨1枚。数字が勝手に繰り上がる。
価値 金貨70000枚
枠が消えて、また浮かんだ。
[不破の誓約書]
価値 金貨70000枚
効果 投げた者と拾った者の間に誓いが成立する・破った側の武具が持ち主の手に従わなくなる
§ § §
革の手袋が、俺の手の中で薄くなった。
伸びて、広がって、一枚の羊皮紙になる。
文字が、勝手に浮かび上がった。
バルカスの名前と、俺の名前が、並んで書いてある。
§ § §
「なんだ、それは」
「あんたが投げた手袋。誓約書になったらしい」
「誓約など、結んでおらん!」
「投げて、俺が拾った。あんたの国の流儀だろ」
バルカスが、羊皮紙に手を伸ばして、途中で止めた。
§ § §
「破った側の武具が、手に従わなくなるって書いてある」
「読み上げるな」
「一応言っとくけど、破るのはそっちの自由だよ。七日後に来ればいい」
バルカスが、俺を睨んだまま馬に乗った。
外套が翻って、獅子の紋章が半分隠れる。
「七日後だ、小僧」
「待ってるよ。手袋、返さなくて悪いな」
§ § §
騎馬の列が、峠を下っていった。
コハクが、俺の腕にしがみついたまま、まだ震えている。垂れ耳が、べたりと寝ていた。
腕に伝わる体温が、思ったより高い。甘い焼き菓子みたいな匂いも、いつもより近かった。
「ご主人様。あの人、こわいです」
「こわいな」
「ご主人様も、こわいですか」
「こわいよ。でも、七日あるから」
§ § §
ルミナが、羊皮紙を覗き込んで、文字をなぞった。
「これ、破ったら本当に効くんでしょうか」
「効くと思いますよ。書いてあるので」
「じゃあ、将軍さんは、来ないほうがいいですね」
言いながら、銀の髪の毛先を指でくるくる巻いている。淡い緑の目が、羊皮紙と俺の顔を何度も往復した。
「来ますよ。ああいう人は来る」
§ § §
その晩、城塞の広間で地図を広げた。
七日ある。手袋は誓約書になって、こっちの手元にある。
向こうが約束を破った瞬間から、向こうの武具が言うことを聞かなくなる。
宣戦布告を、向こうから届けてくれたわけだ。悪くないよね。




