第54話 国境に現れた斥候部隊を、錆びた角笛ひとつで追い返した
昨日、麦を買い占めに来た隣国の商隊を、尽きない麦袋ひとつで追い返した。
空の荷馬車が十台、そのまま帰っていった。
俺のスキル『鑑定』は、ものの価値を書き換えられる。書き換えた通りに、現物が変わる。
その翌日、北の砦から報せが来た。
§ § §
伝えに来たのはデン本人だった。
白髪混じりの髭に霜がついて、槍を杖のようにして立っている。
城塞になった砦を、一人で守り続けている男だ。
「峠の下に、兵が出ております」
「何人だ」
「三十。旗は掲げておりません」
§ § §
「旗なしって、どういう意味だ」
「どこの兵でもない、ということにしたいのです。攻めても、戦ではないと言い張れます」
デンが、槍の石突きで地面を突いた。
「盗賊に襲われた。そういう扱いになります」
§ § §
馬を出して、峠まで上がった。
城塞の櫓から、下の道がよく見える。
三十人。革鎧に、統一された歩調。盗賊はあんな揃った歩き方をしない。
コハクが櫓の縁から身を乗り出して、垂れ耳をぴんと立てた。
「ご主人様。あの人たち、匂いが同じです」
「同じ釜の飯を食ってるってことだな」
§ § §
セシリアが、扇の先を下の道に向けた。
風で縦ロールの一房が頬に落ちて、そのままになっている。
「斥候ですわね。押し込むのが目的ではなくて」
「じゃあ何が目的なんだ」
「こちらの守りを数えに来ているのよ。何人いるか、どんな装備か」
「見せてやればいいのか」
「見せたら、次は本隊が来ますわ」
§ § §
こっちの兵は、実際には一人だ。
デンしかいない。門は破壊不能でも、中身は空っぽに近い。
数えられたら、それが全部向こうに伝わる。
ダレンが、櫓の柱にもたれて、隈の濃い目を細めた。
「数えさせなきゃいい。数えたのに数が合わない、が一番効くぞ」
「兵を増やせってことか」
「増やせるだろ、お前なら」
§ § §
生き物は書き換えられない。人も魔物も無理だ。
でも、増やす方法はもうひとつある。
俺は、櫓の隅に転がっていた金物を拾った。
錆びて、緑色になった角笛だ。デンが五年前から吹けずにいたやつらしい。
§ § §
枠が浮かぶ。
[錆びついた守備隊の角笛]
価値 銅貨1枚
状態 管が詰まり音が出ない
「じゃあ、書き換えるか」
触れるのは価値の数字だけだ。名前は向こうが決める。
§ § §
[錆びついた守備隊の角笛]
価値 銅貨1枚
↓
価値 銅貨400000000枚
銅貨100枚で銀貨1枚、銀貨100枚で金貨1枚。数字が勝手に繰り上がる。
価値 金貨40000枚
枠が消えて、また浮かんだ。
[万軍招来の角笛]
価値 金貨40000枚
効果 吹くと一万の軍勢の足音・喊声・鎧の音が響き渡る(音のみ)
§ § §
錆が落ちて、銀色の角笛になった。
「音だけかよ」
ダレンが、初めて声を出して笑った。
「音だけで十分だ。斥候は目で数えるが、耳のほうを先に信じる」
「そんなもんか」
「そんなもんだ。夜なら、なおさらな」
§ § §
デンに渡した。
「あんたの角笛だ。吹いてくれ」
「私が、ですか」
「五年吹けなかったんだろ」
デンが、錆びた鎧の胸に手を当てて、深く息を吸った。
§ § §
櫓の上で、角笛が鳴った。
低い音が、峠の谷にまっすぐ落ちていく。
そこから、足音が始まった。
石畳を打つ靴、鎧の擦れる音、槍の柄が地面を突く音。
何千という数の音が、砦の後ろから湧いて、前へ流れていった。
§ § §
姿は、どこにもない。
音だけが、山の腹を回って何重にも重なる。
下の道で、三十人が止まった。
誰かが指を差し、誰かが後ろを振り返る。
列が、崩れた。
§ § §
「引いていきます」
デンが、角笛を口から離して言った。
「走ってますな。あれは、報告に走る足です」
「一万いたって伝わるかな」
「伝わります。私が向こうなら、二万と書きます」
§ § §
コハクが、櫓の上で耳を押さえていた。
「ご主人様、うるさいです……!」
「悪い。耳、痛かったか」
「痛いですけど、かっこよかったです」
琥珀色の目が丸くなって、尻尾が振れている。
「じゃあ、我慢した甲斐があったな」
§ § §
ルミナが、村から上がってきて、櫓の下で立ち止まっていた。
銀の髪が風で顔にかかって、それを指で押さえている。
「戦になるかと思って、走ってきたんです」
「ならなかったですよ」
「誰も、怪我をしていませんか」
「音しか出してないので」
ルミナが、胸の前で手を合わせて、そのまま座り込んだ。
肩が上下している。走ってきたぶんだけ、石鹸の匂いが濃かった。
§ § §
日が暮れて、峠の道が静かになった。
デンが、角笛を布で拭いて、櫓の壁に掛けた。
「これは、砦の物にしてよろしいですか」
「もちろん。あんたが拾って持ってた物だし」
「五年、ただの錆でした」
「今日から一万人だな」
誰も血を流さずに、三十人が帰っていった。悪くないよね。




