第53話 麦を買い占めに来た隣国の商隊を、麦袋ひとつで追い返した
昨日、井戸に投げ込まれた毒の壺を、水を清める霊壺に書き換えた。
村人は、水を飲むたびに元気になっている。
俺のスキル『鑑定』は、ものの価値を書き換えられる。書き換えた通りに、現物が変わる。
その次に来たのは、毒でも兵でもなく、金だった。
§ § §
朝、街道に荷馬車が十台並んだ。
どれも空の荷台で、御者が金の首飾りをじゃらつかせている。
先頭の男が、革袋を放って寄越した。中で金貨が鳴った。
「ヴァルガの穀物商だ。この村の麦、全部買う」
§ § §
「全部」
「全部だ。市の三倍で買う。今日刈った分も、明日実る分もな」
男が、指を三本立てて笑った。
村人が、ざわついた。三倍は、大きい。
§ § §
ハーグが、俺の袖を引いて小声になった。
新しい鍬を、体を支えるように握っている。
「お領主様。悪い話ではありませんぞ」
「今日はな」
「今日は、とは」
「明日、村に食う物がなくなる」
§ § §
セシリアが、扇を閉じて商人の前に出た。
顎を引かない立ち姿で、荷馬車を上から下まで見る。
「十台で足りるの。この村の収穫、王都の直轄領と同じ量よ」
「足りなければ、また来る。毎日でも来る」
「毎日、三倍で。どこにそんな金があるのかしら」
§ § §
商人は答えなかった。
答えなくても、荷馬車の車輪を見れば分かる。
どれも同じ鍛冶の刻印で、揃いすぎている。軍の荷馬車だ。
ダレンが、隈の濃い目でそれを見ていた。
「商隊じゃないな。輜重隊だ」
「輜重って」
「軍に飯を運ぶ部隊だよ。買った麦は、そのまま兵の腹に入る」
§ § §
つまり、こういうことらしい。
この村の麦で、この村を攻める軍を養う。
しかも代金は、市の三倍。断りにくいように作ってある。
コハクが、俺の前に立ちはだかるように腕を広げた。垂れ耳が、後ろに倒れている。
小さい背中から、お日様みたいな匂いがした。守られているのは、たぶん俺のほうだ。
「ご主人様。売っちゃだめです」
「売らないよ」
「わふっ。でも、村の人が困ります」
§ § §
そこが問題だった。
三倍で売れる話を断れば、村人は損をする。
断って恨まれる領主は、たぶん長くもたない。
なら、三倍より旨い話をこっちで作ればいい。
§ § §
俺は、足元に置かれていた麦袋をひとつ持ち上げた。
昨日の収穫の、売り物にならない屑麦の袋だ。
枠が浮かぶ。
[屑麦の袋]
価値 銅貨2枚
効果 なし
「じゃあ、書き換えるか」
§ § §
触れるのは価値の数字だけだ。名前は向こうが決める。
[屑麦の袋]
価値 銅貨2枚
↓
価値 銅貨300000000枚
銅貨100枚で銀貨1枚、銀貨100枚で金貨1枚。数字が勝手に繰り上がる。
価値 金貨30000枚
枠が消えて、また浮かんだ。
[万倉の種袋]
価値 金貨30000枚
効果 中身が尽きない・撒いた土地が一晩で実る
§ § §
袋の口を開けて、傾けた。
黄金色の麦が、地面にざあっと流れ出す。
流しても流しても、袋は軽くならなかった。
村人が、袋のまわりに集まってきた。
§ § §
「ハーグ。この麦、村の蔵に入れてくれ」
「入りきりませんぞ」
「じゃあ、蔵を増やそう。麦のほうは尽きないから、急がなくていい」
ハーグが、口を開けたまま袋を見ていた。
それから、腰の曲がった背中で、思い切り頭を下げた。
§ § §
商人のほうを向いた。
「悪いけど、麦は売らない」
「三倍だぞ。四倍出してもいい」
「うちの袋、値がつかないんだ。尽きないから」
「尽きない、だと」
「見ての通り。いくらでも出るものに、四倍の値なんてつけられないだろ」
§ § §
商人の首飾りが、揺れて止まった。
空の荷馬車を十台連れてきて、積むものが一粒もない。
「……この話、将軍に上げる」
「将軍がいるのか、商隊に」
商人が、口を閉じた。閉じるのが遅かった。
セシリアが、扇の陰で笑っている。切れ上がった青い目が、細くなっていた。
§ § §
荷馬車が、来た道を空のまま帰っていった。
村の広場に、麦の山が残る。
ニナが、山のてっぺんに座って足をぶらぶらさせていた。
「りょうしゅさま。これ、食べていい?」
「炊いてからにしろ」
「じゃあ、おかあさん呼んでくる」
§ § §
ルミナが、麦の山を眺めて手を合わせた。細い肩が、上下している。
「これで、冬も大丈夫ですね」
「冬どころか、来年もですね」
「じゃあ、わたし、パンの焼き方を覚えます」
言いながら、麦をひとつかみ手に取って匂いを嗅いだ。細い指が、粉で白くなっている。
「聖女様が」
「今日は、村の人ですから」
§ § §
夕方、蔵の壁が一枚立った。
村の男が三人がかりで運んだ板を、コハクが一人で担いで運んでいる。
「ご主人様! コハク、力持ちになりました!」
「水のおかげじゃないか、それ」
「じゃあ、もっと飲みます」
板を担いだまま、尻尾が得意げに大きく振れた。褒めてほしいのが、耳の角度で丸わかりだった。
村を飢えさせるための金が、麦袋ひとつで無駄になった。悪くないよね。




