第52話 井戸に投げ込まれた毒の壺を、水を清める霊壺に書き換えた
昨日、隣国が運んできた偽の国境標石を、本物の境界石に書き換えた。
使者のレクターは、その石に触れることもできずに帰っていった。
俺のスキル『鑑定』は、ものの価値を書き換えられる。書き換えた通りに、現物が変わる。
次の朝、井戸の水が濁っていた。
§ § §
村の真ん中の井戸だ。
尽きない水が湧く、村の命綱になっている。
その水面に、緑がかった膜が浮いていた。
桶で汲むと、鼻を刺す匂いがする。
§ § §
ハーグが、桶を覗き込んで顔を上げた。
皺の深い日焼け顔が、いつもより白い。
「これは、水ではありませんな」
「飲んだ奴は」
「朝いちばんに、二人。今、寝かせております」
§ § §
ルミナが、その二人についていた。
銀の髪を耳にかけて、袖をまくっている。細い手が、額の布を替えていた。
「熱が上がっています。……治癒魔法は、効いてはいるんですけど」
「けど」
「井戸の水を飲むたびに、また同じことになります」
§ § §
コハクが、井戸の縁に鼻を近づけて、すぐに離した。
垂れ耳が、べたりと後ろに倒れる。
「ご主人様。この匂い、昨日の馬車と同じです」
「石を運んできた馬車か」
「わふ。同じ油の匂いがします」
§ § §
ダレンが、桶の水に杖の先を浸した。
痩せた肩がローブの中で揺れて、隈の濃い目が細くなる。
「魔獣の胆を煮た毒だな。井戸に一壺で村が全滅する」
「詳しいな」
「魔法学院で習うんだよ、こういうのは。使うためじゃなく、見分けるためにな」
§ § §
セシリアが、扇を閉じて井戸を睨んだ。
顎を引かない立ち姿のまま、声だけが低くなる。
「戦を始める前に、水を断つ。教本通りですわね」
「隣国がやったって証拠は」
「ありませんわ。だから、こういうやり方をするのよ」
§ § §
証拠を集めても、寝ている二人の熱は下がらない。
村人は、水を飲まずに一日を過ごすことになる。
なら、やることはひとつだ。
井戸には縄を下ろした。前に書き換えた井戸そのものには、もう触れない。
一度書き換えた物は、二度と書き換え直せない。それが俺のスキルの決まりだ。
引き上げた縄の先に、素焼きの壺が引っかかっていた。
ニナが、靴を履いた足で駆けてきて、袖を掴む。
「りょうしゅさま、それ、なに」
「投げ込んだ奴の忘れ物だな」
§ § §
枠が浮かぶ。
[魔獣胆の毒壺]
価値 銅貨1枚
効果 水源を汚染する
「じゃあ、書き換えるか」
触れるのは価値の数字だけだ。名前は向こうが決める。
§ § §
[魔獣胆の毒壺]
価値 銅貨1枚
↓
価値 銅貨120000000枚
銅貨100枚で銀貨1枚、銀貨100枚で金貨1枚。数字が勝手に繰り上がる。
価値 金貨12000枚
枠が消えて、また浮かんだ。
[清めの霊壺]
価値 金貨12000枚
効果 浸した水の毒を分解する・その水を飲んだ者の病と傷が癒える
§ § §
壺が白くなって、口から湯気のようなものが立った。
縄をつけて井戸に沈めると、緑の膜が下から押し上げられる。
膜は縁からあふれて、地面に流れて消えていった。
残った水は透き通っていて、匂いもない。
§ § §
ハーグが、汲んだ水を手のひらに受けて、しばらく眺めていた。
それから、飲んだ。
「……甘いですな」
「毒じゃないな」
「毒だったら、わしはもう倒れております」
§ § §
ルミナが、寝ていた二人に水を運んだ。
一人が、一口飲んで、目を開けた。
もう一人は、起き上がって、自分で桶を持った。
ルミナが、両手を胸の前で合わせたまま、動かなくなった。
「わたしの魔法より、早いです」
「魔法じゃないですけどね、これ」
「じゃあ、ずるいです」
頬をふくらませて、こっちに一歩寄ってくる。石鹸の匂いと一緒に、目だけが笑っていた。
§ § §
村の年寄りが、列を作り始めた。
腰の痛い者、目のかすむ者、去年から咳の止まらない者。
順番に飲んで、順番に驚いて帰っていく。
コハクが、列の整理を始めた。琥珀色の目が真剣で、尻尾が忙しく振れている。
「並んでください! 水は尽きません!」
「係になったのか」
「なりました。コハクの仕事です」
§ § §
夕方、井戸端に灯りが灯った。
水を汲みに来た村人が、そのまま座って話し込んでいる。
毒を入れた側は、たぶん明日の朝に村が死んでいると思っている。
明日の朝は、たぶん昨日より元気になっている。
§ § §
セシリアが、俺の隣で桶の水を覗いていた。
縦ロールの一房が、水面に映って揺れている。
「あなた、怒らないのね」
「怒ってますよ」
「顔に出てませんわ」
「出さない方が、向こうは怖いでしょ」
§ § §
ダレンが、井戸の石に腰を下ろして、水をひと口飲んだ。
「隈が消えたら報告しろと言われたんだが」
「消えたか」
「消えん。これは毒じゃなく、生活のせいらしいな」
毒を投げ込んだ壺が、そのまま村の薬になった。悪くないよね。




