第5話 宿屋のまずい飯を三ツ星に書き換えたら、行列ができた
昨日、コハクが酒で酔っ払った。
俺のスキル『鑑定』は、ものの価値を書き換えられる。書き換えた通りに、現物が変わる。
あのあと、俺は死ぬ気でコハクに服を着せた。
今泊まっているのは「三日月亭」という宿だ。女将はグレタという。
俺とコハクがこの街に来た最初の夜、この人は何も聞かずに部屋を開けてくれた。俺は素性の知れない追放者で、コハクは奴隷市から出てきたばかりだったのに。
「事情なんざ聞かないよ。腹が減った子どもを追い出す趣味はないんでね」
そう言って、二人分のスープを出してくれた。
そのスープが、正直に言ってまずかった。
§ § §
で、昨晩はグレタが出した果実水に、誰かが悪ふざけで酒を混ぜていたらしい。
「コハク、しばらく酒は禁止な」
「……はい」
耳が、ぺたんと寝た。
翌朝、コハクはけろっとしていたが、なぜか一日中しょんぼりしていた。
§ § §
「グレタさん、客が少ないですね」
朝の食堂は、俺とコハク以外に誰もいなかった。
グレタが太い腕で鍋をかき混ぜながら、鼻を鳴らす。
「うちの飯がまずいからさ。自分でも分かってるよ」
「材料ですか」
「そうさ。安い肉と、しなびた芋と、古い塩。それしか買えないんだ。三軒隣に新しい宿ができてね、客はみんなそっちだ」
鍋の中を見せてもらった。
灰色の肉が、灰色の汁に浮かんでいる。
コハクが匂いをかいで、耳を寝かせた。
「ご主人様……コハク、これ、食べます。食べますけど」
「無理しなくていい」
「食べます。グレタさん、いい人ですから」
グレタが手を止めた。
「あんた、いい子だねえ」
俺は肉の塊を手に取った。
枠が浮かぶ。
[三日たった安肉]
価値 銅貨2枚
鮮度 悪い
「じゃあ、書き換えるか」
俺が触れるのは、価値の数字だけだ。名前も、味も、鮮度も、こっちでは選べない。
[三日たった安肉]
価値 銅貨2枚
↓
価値 銅貨20000枚
銅貨100枚で銀貨1枚、銀貨100枚で金貨1枚。数字が勝手に繰り上がる。
価値 金貨2枚
枠が消えて、また浮かんだ。
[王宮料理長も認める極上牛肉]
価値 金貨2枚
鮮度 最高
「おっ、当たりだ」
灰色だった肉が、赤く艶を持った。脂が白く網目に走っている。
匂いが変わった。
コハクの尻尾が、勝手に振れ始めた。
「わふっ、わふっ! ご主人様、これ、すごいです!」
グレタが目を丸くして肉に触れた。指で押して、跳ね返る感触に手を引っ込める。
「なんだいこれ。うちの肉かい?」
「うちの肉です」
俺は芋も拾った。価値の数字を同じだけ盛る。しなびた芋が、土のついた[大地の恵み芋]になった。
塩の壺も書き換えた。[古い塩]が[海の女神の塩]、価値は金貨2枚。
全部で三つ。名前は毎回、向こうが勝手に決めてくれる。
「便利だなあ、これ」
§ § §
グレタはいつも通りに鍋を作った。材料が違うだけだ。
できたスープは、金色に澄んでいた。
一口飲んで、グレタが黙った。
二口目で、玉じゃくしを落とした。
「……あたし、五十年こんなの飲んだことないよ」
コハクは器を両手で持ったまま、犬みたいに一気に飲んだ。実際に犬耳だ。
「おかわり!」
俺も飲んだ。
うまい。理屈抜きにうまい。
鍋の匂いが、開けっ放しの戸から通りに流れ出していく。
最初に入ってきたのは、通りがかりの荷運びの男だった。
「おい、女将。今なんか、すごい匂いが」
「……スープだよ。銅貨三枚」
男は座って、一口飲んで、椅子から落ちた。
「なんだこれ! なんだこれは!」
男は走って出ていった。
十分後、仲間を六人連れて戻ってきた。
§ § §
昼には食堂が満席になった。
夕方には、店の外に列ができていた。
グレタは鍋を三つ同時に回して、汗だくで叫んでいる。
「並んでな! 逃げやしないよ!」
コハクが皿を運んでいた。誰も頼んでいないのに、勝手に手伝っている。
「わふっ、お待たせしました!」
客が笑って、コハクの頭をなでた。撫でられた耳が、くすぐったそうにぱたぱた動く。
隣の席の冒険者が、器を置いて連れに言った。
「暁の剣、まだ迷宮から戻らないらしいぞ」
俺はスープをすすった。うん、味は変わらない。
隅の席から、その騒ぎをぼんやり眺めていた。
しなびた芋と安肉が、王宮の味になった。悪くないよね。
§ § §
列が途切れたのは、夜も遅くなってからだった。
グレタが銅貨の詰まった箱を抱えて、椅子に沈み込んだ。
「一日で、ひと月分稼いだよ」
「よかったですね」
「あんた、何をしたんだい」
「材料を良くしました」
「良くしたって、あんた」
「凄いのは俺じゃなくてスキルなんで。あの鍋を回したのはグレタさんだよ」
グレタは赤らんだ顔のまま、俺をじっと見た。それから、笑った。
「まあ、いいさ。うちの飯がうまくなった。それが全部だ」
「そういうことです」
「宿代はいらないよ。一生いていい」
「金なら払いますよ。腐るほどあるので」
「じゃあ倍取ってやる」
グレタが箱を叩いて笑った。
コハクが俺の隣に座って、四杯目のスープを飲み始める。
「ご主人様」
「なんだ」
「コハク、今日、たくさん、ありがとうって言われました」
「そうか」
「うれしいです」
頬をほんのり赤くしたまま、耳が立って、また倒れて、また立った。忙しい耳だ。
「ご主人様、すごいです。人を、たくさん、しあわせにしました」
「飯をうまくしただけだよ」
「それが、すごいです」
俺はスープの残りを飲み干した。
やっぱりうまい。
外の通りには、明日の分を並ぼうとしている気の早い客が、もう二人立っていた。




