第44話 倒れた柵を、魔物が近寄れない壁にした
昨日、落ちた谷の橋を、不落の大橋に書き換えた。
荷馬車が、二年ぶりに村の外へ出ていった。
俺のスキル『鑑定』は、ものの価値を書き換えられる。書き換えた通りに、現物が変わる。
その晩、村の外で、遠吠えが聞こえた。
§ § §
「狼です。麦の匂いに寄ってきたんでしょう」
ハーグが、折れた鍬を握り直した。腰は曲がっているのに、手だけは動く。
「毎年、この時期に来ます。去年は、山羊を六頭やられました」
「柵は」
「半分、倒れております」
§ § §
村の入口の柵を見に行った。
丸太が、根元から腐って傾いている。押すと、ぐらりと動いた。
これでは、狼どころか山羊も止められない。
ダレンが、ローブの袖から杖を出した。
「一晩なら、俺が結界を張れる。二晩は無理だ」
§ § §
「毎晩来るのか」
「麦がある限り、来ます。今年の麦は、去年の十倍ですから」
「十倍の匂いか」
コハクが、鼻を上げて風を嗅いだ。垂れ耳が、片方だけ持ち上がる。
「ご主人様。狼、四匹より多いです」
「数まで分かるのか」
「匂いの数です。……もっと、いるかもしれません」
§ § §
村人が、家の中から子どもを呼び戻していた。
ニナが、母親らしい女に腕を引かれながら、こっちを振り返る。ぼさぼさの髪が、風で顔にかかっている。
「りょうしゅさま、狼、こわい?」
「怖いな。普通に怖い」
「りょうしゅさまでも?」
「俺は剣より、拾い物のほうが得意だからな」
§ § §
だから、拾う。
俺は、倒れた柵の丸太を一本、地面から引き抜いた。
枠が浮かぶ。
[腐った柵の丸太]
価値 銅貨1枚
状態 腐朽・固定不能
「じゃあ、書き換えるか」
触れるのは価値の数字だけだ。名前は向こうが決める。
§ § §
[腐った柵の丸太]
価値 銅貨1枚
↓
価値 銅貨4000000枚
銅貨100枚で銀貨1枚、銀貨100枚で金貨1枚。数字が勝手に繰り上がる。
価値 金貨400枚
枠が消えて、また浮かんだ。
[忌避の白柵]
価値 金貨400枚
効果 魔物・獣が近寄れない・折れない・連なって村を囲う
§ § §
手の中の丸太が、白くなった。
地面に挿した途端、左右へ同じ柵が生えていく。
村をぐるりと囲って、入口の手前で止まった。
「囲うって、本当に囲うんだな」
§ § §
ハーグが、白い柵に手を当てた。
「入口が、開いておりますが」
「人は通したいだろ。効果欄には、魔物と獣が近寄れないって書いてある」
「では、狼は」
「入口が開いてても、近寄れないってことだと思う。多分な」
§ § §
その夜、確かめることになった。
遠吠えが、近づいてくる。
村の全員が家に入り、俺たちだけが入口に立った。
月明かりの下、草をかき分けて、灰色の影が出てきた。
一匹、二匹――十匹以上いる。
コハクが、俺の背中にぴたりとくっついた。怖がっているくせに、耳だけは前を向いている。
§ § §
先頭の一匹が、白い柵の手前で足を止めた。
鼻先を柵に近づけて、跳ねるように後ずさる。
牙を剥いたまま、それ以上前に出られずにいる。
「効いてるな」
「わふっ、狼が困ってます!」
「困らせるための柵だからな」
§ § §
狼の群れは、柵に沿って左右に走った。
どこも同じで、どこからも入れない。
最後に一匹が、開いた入口のほうへ回り込んだ。
入口の手前で、見えない何かにぶつかったみたいに、横っ跳びに逃げた。
「入口も駄目らしいぞ」
§ § §
群れが、山のほうへ引き上げていく。
遠吠えが、だんだん小さくなった。
セシリアが、柵の白さを月明かりで見ていた。顎を引かない立ち姿のまま、俺のほうを見ずに言う。
「王都の外壁でも、魔物は入るのよ」
「そうなんですか」
「ええ。だから今、わたくしは少し悔しいの」
扇の先で、胸元をとんとん叩いている。月明かりでも、頬が染まっているのが分かった。
§ § §
ルミナが、家々の窓を見上げていた。
灯りが、ひとつずつ点いていく。細い肩が、ゆっくり下がった。
「みんな、寝られますね。今夜は」
「六頭も食われた年もあったらしいですからね」
「はい。……こういうのが、いちばん嬉しいです」
銀の髪が、風で頬にかかっている。ルミナは、それを直さずに笑っていた。
隣に立つと、干したリネンみたいな匂いがした。夜の草の匂いより、ずっと近い。
§ § §
朝、柵の外に狼の足跡が残っていた。
柵から一歩の距離で、全部、外側へ向き直っている。
ニナが、足跡を数えていた。裸足の足を、わざと足跡の横に並べている。
「りょうしゅさま、狼の足、わたしより大きい」
「そりゃそうだろ」
「でも、入ってこなかった」
「入ってこないよ。もう来ないかもな」
§ § §
ハーグが、白い柵を撫でながら村を一周してきた。
戻ってきたときには、折れた鍬を担いでいた。
「今日は、畑仕事ができます。夜番をせずに済みますので」
「そりゃよかった」
腐った丸太一本で、村がまるごと囲えた。悪くないよね。




