第29話 九層の双子騎士を、息を合わせて倒した
昨日、俺とコハクは八層の書庫を突破した。
十層の魔獣の王を討てば、呪いの根は枯れ、コハクの命は助かる。
俺の『鑑定』は、ものの値を書き換えれば現物が変わる。生き物の肉体には効かない。だから、残すところあと二層。
朝、コハクの右頬に黒い筋が到達していた。
右耳の付け根の皮膚まで、うっすらと鉛色に濁って冷え切っている。
「……見ないでください」
茶色のくせ毛で右頬を隠そうとして、うまく隠れず、琥珀の目が伏せられた。
「見るよ。どれだけ進んでるか、俺も把握しておきたい」
「進んでます……すっごく」
「なら、今日中に九層を片付けて、明日一番に最下層へ突撃する」
§ § §
地下九層は、すり鉢状の観客席が暗闇の中にそびえ立つ、巨大な古代円形闘技場だった。
砂埃が厚く積もった中央の石畳に、二体の鋼鉄の守護騎士が背中合わせに直立している。
足を踏み入れた瞬間、騎士の兜の奥のスリットが、ギチギチと軋みながら血のように紅く発光した。
「動きました!」
コハクが飛び退く。右半身の痺れのせいで、着地の足取りが明らかに重く乱れている。
二体の鋼鉄騎士が、寸分違わぬ連携で同時に身の丈を超える大剣を構えた。
[双子の守護騎士]
特性 一体を攻撃している間、もう一体が死角を完璧にカバーする
「無敵の連携ガードか」
「ご主人様、二体同時は一人じゃ捌ききれません!」
俺一人で正面から突っ込めば、必ず背後からもう一体の大剣に挟み撃ちにされる。
頼める相棒は、目の前のコハクしかいない。だがそのコハクは右腕が動かない。
「コハク」
「言ってください!」
「片方の注意を引いてくれ。攻撃しなくていい、避けるだけでいい」
答える前に、コハクの耳がピッと真っ直ぐに立った。
「やります」
「無理だと思ったら、その場ですぐに地面に伏せろ。俺が全部片付ける」
「はい! 伏せます!」
「返事が早くて助かるよ」
「早く終わらせて、ご主人様と山盛りの肉を食べたいですから!」
§ § §
コハクが身を低く沈め、左の騎士に向かって砂塵を蹴立てて疾走した。
大剣が唸りを上げて叩きつけられる寸前、小柄な身体を翻して紙一重で跳躍してかわす。
「わふっ! こっちです! コハクはここですよ!」
左の騎士の紅い双眸が、完全にコハクへ向いた。
その隙を突いて、俺は右の騎士の死角へ回り込む。
足元に転がっていた、砕けた鉄盾の破片を拾い上げた。
枠が浮かぶ。
[割れた盾のかけら]
価値 銅貨0枚
「じゃあ、書き換えるか」
[割れた盾のかけら]
価値 銅貨0枚
↓
価値 銅貨700000枚
銅貨100枚で銀貨1枚、銀貨100枚で金貨1枚。数字が勝手に繰り上がる。
価値 金貨70枚
枠が消えて、また浮かんだ。
[裁きの円盤]
価値 金貨70枚
攻撃力 120000
投げた相手だけを、正確に狙う
「狙い撃ちのチャクラムだ。頼むぞ」
盾の破片が、眩い白銀の光を放つ鋭利な回転円盤へと変貌した。
振りかぶった、まさにその瞬間だった。
コハクの足が、砂に足を取られて激しくもつれた。
呪いの侵食が進む右脚の踏み込みが、半歩ぶん遅れたのだ。
左の騎士の巨大な鋼鉄剣が、無慈悲に真上からコハクの頭上へ振り下ろされる。
「伏せろッ!!」
コハクが言われた通り、全身を縮めて石畳にペタリと伏せた。
ガギィィィンッ!と凄まじい火花が炸裂し、大剣の刃がコハクの耳先の毛を数本削ぎ落としながら、石床に深く突き刺さった。
俺は叫びながら円盤を投げ放った。
狙ったのは右の敵ではない。コハクの真上にいる左の騎士だ。
白銀の円盤が空気を切り裂いて飛び、大剣を突き立てて無防備になった左の騎士の胴体を、バターのように真っ二つに両断した。
残された右の騎士が、連携の片翼を失ってピクリと動きを止めた。
「コハク、伏せたままでいろ!」
俺は腰の聖剣を一気に抜刀し、正面から渾身の居合いを一閃した。
純白の光の太刀筋が闘技場を駆け抜け、右の騎士もガラガラと崩壊して砂に沈んだ。
§ § §
砂煙の舞う石畳に駆け寄り、伏せていたコハクをそっと抱き起こした。
明るい茶色の耳の先の毛が、ひと束パラパラと地面に散らばっていた。
「耳の毛が……」
「毛は……また生えてきますから平気です」
「本当に生えるのか」
「生えます。犬ですから!」
そう強がって笑ったあと、コハクはゲホッと激しく咳き込んだ。
俺は革の水袋の口を開け、コハクに差し出してゆっくりと飲ませた。
「悪かった。囮なんて無茶を頼んで」
「ご主人様」
「ん」
「コハク、ちゃんと役に立ちましたか……?」
俺はコハクの頭をポンポンと優しく撫でた。
「お前が囮になって引きつけてくれなきゃ、二人とも大剣で叩き潰されてたよ。お前のおかげで勝てたんだ」
「わふっ……!」
コハクの尻尾が、ボロボロになりながらも嬉しそうにパタパタと振れた。砂で汚れた頬が、ぽっと赤くなっている。
§ § §
最深部・十層へと続く漆黒の大階段の前で、俺は短剣で壁に九本目の深い傷を彫り込んだ。九層、突破。
並んだ九本の刻み目を、コハクが左手で一本ずつ愛おしそうになぞる。
「ご主人様。九つ、全部彫りましたね」
「彫ったな」
「明日で……本当に最後ですね」
「明日で全部終わらせて、地上へ帰るぞ」
階段の底から、今までとは比べ物にならないほど冷たく重い、死のプレッシャーが吹き上がってきていた。
俺はコハクのマントの襟を立てて、頬の呪痕を隠してやった。
「今夜はここでしっかり体力を回復するぞ。飯にしよう」
「お肉ですか!」
「とっておきの干し肉だ」
「わふーっ! お肉です!」
毛先の欠けた耳が、それでも元気にぴんと立った。
割れた盾の破片ひとつで、難攻不落の双子騎士を討ち倒した。
いよいよ明日、最下層。すべてを終わらせにいく。悪くないよね。




