第27話 七層の反魔法の霧で、道具が全部消えた
昨日、俺とコハクは六層の暗闇を突破した。
残り四層。最下層の魔獣の王を討てば、コハクの右腕を蝕む呪いは完全に解ける。
俺の『鑑定』は、ものの値を書き換えれば現物が変わる。生き物には使えない。だから、この足で下へ進む。
地下七層へ降り立った瞬間、ねっとりと重い紫色の冷たい霧が、足元から這い上がってきた。
コハクの左手にあった光石が、パチッと音を立てて光を失った。
「ご主人様……光石が、ただの石になっちゃいました……」
コハクの左腕の白銀の腕輪も、くすんだ灰色のただの鉄に戻っていく。真実の眼鏡も、踏破板も、面布も、すべての魔力が泥水に沈むように急速に失われていく。
鑑定してみる。
[反魔法の霧]
効果 書き換えによる効果を、この階層限定で無効化する
「反魔法の霧、か」
今まで作ってきたチート道具が、この層では完全に沈黙する。
コハクが眼鏡を外し、ただの黒い小石に戻った光石を見つめた。耳が力なくぺたりと垂れ下がる。
「ご主人様……じゃあ、コハクの腕の呪いも、止まりますか」
俺はコハクの服の襟元をそっとめくって確かめた。
黒い呪痕は、うなじから顎の下、喉仏のすぐ手前まで、黒い毒蛇の鱗のようにくっきりと回っていた。
紫の冷たい霧の中で、そこだけが皮膚を突き破らんばかりにドクドクと赤黒く脈打っている。
「……止まってないな」
「そうですか……」
「あれは外部の魔法効果じゃない。この迷宮そのものの呪詛だ」
道具の力は死に絶え、呪いの浸食だけは加速している。理不尽極まりない罠だ。
§ § §
コハクが、湿った岩肌にガクンと膝をついた。
今日は、痛みを隠す強がりの笑顔すら作れなくなっていた。額に冷たい脂汗が滲んでいる。
「コハク」
「……歩けます……っ」
「歩けるやつは、息を切らして膝をつかないんだよ」
「……ご主人様。もし、最下層に着くのが間に合わなかったら……コハク、死んじゃいますか」
「そんなこと言うな」
焦りから、声が低く尖ってしまった。
俺はしゃがみ込み、不安で揺れるコハクの濡れた瞳をまっすぐ見つめた。
「あの日、俺は勇者パーティを追い出されて、道端で錆びた鉄剣を拾って書き換えた」
「はい……」
「あのとき諦めてたら、俺は野垂れ死んでた。お前とも出会えてない。俺は強くなんかない。ただ拾って、書き換えて、泥臭く前に進んできただけだ」
コハクの琥珀色の瞳に、少しずつ光が戻ってくる。
「あと四層だ。お前の命を諦める理由なんて、どこにもない」
「……わふっ」
コハクの尻尾が、床の冷たい岩を一度だけ小さく叩いた。汗で額に貼りついた前髪の下で、目元がじわりと赤くなっている。
§ § §
紫の濃霧の奥から、ブオオオオンという不気味な羽音が響き、黒い羽虫の群れが津波のように押し寄せてきた。
持ち込んだ道具はすべて沈黙している。
なら、この場で新しく拾って書き換えるだけだ。
足元の泥に埋もれていた枯れ枝を素早く掴み取った。
枠が浮かぶ。
[枯れ枝]
価値 銅貨0枚
「じゃあ、書き換えるか」
霧の中でも、鑑定の数字は鮮やかに青白く輝いた。
[枯れ枝]
価値 銅貨0枚
↓
価値 銅貨250000枚
銅貨100枚で銀貨1枚、銀貨100枚で金貨1枚。数字が勝手に繰り上がる。
価値 金貨25枚
枠が消えて、また浮かんだ。
[風神の鞭]
価値 金貨25枚
攻撃力 60000
振るうと同時に、周囲すべてを薙ぎ払う
「よし、暴風の鞭だ」
ただの枯れ枝が、鮮烈なエメラルドグリーンの光の鞭へと変質した。
霧が無効化するのは「持ち込んだ道具」だけだ。この場で生み出された力は、生きたまま威力を発揮する。
ビュオッ!と一閃。
全方位へ刃のような突風が円状に炸裂し、虫の大群が一撃で塵となって吹き飛んだ。
「わふっ! 一振りで消えました!」
「道具を奪われても、足元に石や枝が転がってる限り、俺は絶対に詰まないんだよ」
「ご主人様、すっごくかっこいいです!」
伏せていた耳が、両方いっぺんに跳ね上がった。
§ § §
霧の渦巻く中心に、巨大な紫の蝙蝠の翼を持つ魔獣が立っていた。七層の主、ナイトメアバットだ。
怪物が鋭い鉤爪をむき出しにして、弾丸のような超スピードで真上から急降下してきた。
鞭を構え直す隙がない。
コハクが痛む身体で咄嗟に俺の腰へ体当たりし、横の岩陰へ突き飛ばした。
バリィッ!と激しい音が響き、鋭い爪がコハクの背中のマントを切り裂いた。
石床を転がりながらも、コハクは歯を食いしばって立ち上がる。
「ご主人様、無事ですか!」
「俺は無事だ! お前、背中……!」
「かすり傷です! 左腕はまだ元気です!」
この健気な相棒を、絶対に死なせるわけにはいかない。
俺は足元の硬い花崗岩の破片を鷲掴みにした。
枠が浮かぶ。
[石]
価値 銅貨0枚
「じゃあ、書き換えるか」
[石]
価値 銅貨0枚
↓
価値 銅貨500000枚
単位が勝手に上がる。銅貨、銀貨、金貨。
価値 金貨50枚
枠が消えて、また浮かんだ。
[晴天の弾]
価値 金貨50枚
攻撃力 100000
着弾点の魔法的な効果をすべて吹き飛ばす
「晴天の弾だ。この鬱陶しい霧ごと吹き飛べ!」
石ころが澄み渡る青空のようなスカイブルーに輝き、蝙蝠の怪物の胸元へ吸い込まれた。
ドォォォォンッ!と台風のような超突風が吹き荒れ、七層を満たしていた紫の反魔法の霧を根こそぎ吹き飛ばした。
蝙蝠の主も青い光の嵐の中に溶けて消滅した。
コハクの手の中で、光石が再びパッと眩しい太陽の輝きを取り戻した。腕輪も、眼鏡も、すべての道具が蘇る。
「……よかった、光が戻りました!」
光石を頬に押し当てて、コハクが目を細めた。白い耳の先が、ふるりと震える。
§ § §
八層への下り階段の前で、俺は短剣で壁に七本目の深い傷を刻み込んだ。七層、突破。
コハクが抱えた荷物を整理し、不要な道具を石段の上に丁寧に置いた。
「地上に戻ったら、この道具たちをギルドに寄付しよう。次にここを通る冒険者たちの命を救えるようにな」
「はい! みんなの役に立ちますね!」
コハクが軽くなった荷袋を背負い直し、引き締まった瞳で階段の奥を見つめた。
「残り、三層です!」
「あと三日だ。一気に駆け抜けるぞ」
すべての道具が無力化されても、足元の枯れ枝一本で道を切り拓いた。悪くないよね。




