第26話 真っ暗な六層を、光で照らし尽くした
昨日、俺とコハクは五層の罠地帯を突破した。
残り五層。迷宮最下層の主を仕留めれば、コハクの右腕を蝕む呪痕は解ける。
俺の『鑑定』は、ものの値を書き換えれば現物が変わる。だが生き物の肉体には使えない。だから、最短最速で下へ突っ走る。
地下六層へ降りる湿った石階段を降りきった瞬間、目の前が泥を塗りたくったような完全な闇に呑まれた。
松明の火すら闇の魔力に吸い取られて消え失せる。前後左右、自分の伸ばした手のひらすら見えない絶対の暗黒空間だ。
「ご主人様……っ、何も……何も見えません……」
いつも元気よく跳ねている語尾が、闇の中で細く怯えるように震えていた。
「落ち着け。俺の手を絶対に離すなよ」
「離しません……っ!」
コハクの冷たい左手が、俺の袖口を千切れんばかりにギュッと握りしめてきた。
指先がカタカタと小刻みに震えている。熱のせいだけではない、身体の芯からの恐怖だ。
「暗いの、怖いのか」
「……奴隷市で売られていたとき、狭い真っ暗な木箱の中に何日も閉じ込められていたので……」
消え入りそうな声で呟いて、それきり唇を噛んで黙り込んだ。
余計なことを思い出させてしまった。
§ § §
視界が漆黒に閉ざされていても、鑑定の半透明な枠だけは脳裏に青白く浮かび上がった。
物理的な目ではなく、魂の知覚で読んでいるからだ。
足元の泥まみれの冷たい地面を手探りすると、ツルリとした小石に触れた。
枠が浮かぶ。
[ただの小石]
価値 銅貨0枚
「じゃあ、書き換えるか」
暗闇の中でも、文字の枠と俺の指先だけは光を放っている。触れるのは価値の数字だけだ。
[ただの小石]
価値 銅貨0枚
↓
価値 銅貨60000枚
銅貨100枚で銀貨1枚。数字が勝手に繰り上がる。
価値 銀貨600枚
枠が消えて、また浮かんだ。
[無限の光石]
価値 銀貨600枚
効果 半径五十メートルを、太陽の明るさで照らし続ける
「よし、光だ。コハク、目をギュッと瞑ってろ」
掌の小石が、パァァァッ!とまるで小さな太陽のようにまばゆく発光した。
凍りついていた重苦しい闇が、一瞬で五十メートル先まで吹き飛んで消え去る。
「見えます! ご主人様、前が見えます!」
コハクの垂れ耳がピンと立ち上がった。光を浴びた琥珀の瞳が、蜂蜜みたいに透けている。
だが、真昼のような明るさに照らされたことで、コハクの襟足の異変が俺の目に飛び込んできた。
服の襟元から、禍々しい漆黒の呪痕が一本、這い出していたのだ。右腕から背中を回り、うなじの生え際まで黒い血管のように到達している。
コハクが俺の視線に気づき、慌てて左手で襟首を隠した。
「……ご主人様。最下層まで、あと何日ですか」
「あと五日で絶対に着く」
「間に合いますか……?」
俺はポカポカと温かい光を放つ光石を、コハクの左手に握らせてやった。
「間に合わせる。俺、四年間荷物運びやってて、納期に一度も遅れたことがないんだよ」
コハクが光石を両手で包み込もうとして、動かない右手を左手で支え、胸に抱きしめた。
「わふ……」
伏せた睫毛が光でふちどられて、目尻が濡れて光った。
小さく鼻をすする音が聞こえたが、俺はわざと振り返らずに前へ足を進めた。
§ § §
太陽の光に照らされた通路の奥で、無数の黒い蝙蝠のような影がジュウゥッと悲鳴を上げて蒸発していった。
「光石の光で、闇の雑魚どもが全滅していくぞ」
「わふっ! コハクの光で逃げていきます!」
「お前が持ってるから、お前の手柄だな」
コハクの尻尾が、黄金の光を浴びながら嬉しそうにパタパタと揺れた。
§ § §
通路の最奥、ドーム状の石室の真ん中に、人型の巨大な黒い影がゆらめき立っていた。六層の主、シャドウロードだ。
影の巨腕が、光を貪り食うように冷気を振りまいて迫ってくる。
俺は足元の石をもう一つ拾い上げた。
枠が浮かぶ。
[ただの石]
価値 銅貨0枚
「じゃあ、書き換えるか」
[ただの石]
価値 銅貨0枚
↓
価値 銅貨300000枚
単位が勝手に上がっていく。銅貨、銀貨、金貨。
価値 金貨30枚
枠が消えて、また浮かんだ。
[小さな太陽]
価値 金貨30枚
攻撃力 80000
着弾点から強烈な光を放つ
「金貨三十枚の太陽だ。食らえ」
石ころが灼熱の白熱光を放ち、影のボスの胸郭めがけて飛翔した。
ドッバァァァァンッ!と世界が純白に染まるほどの神聖な光が炸裂した。
シャドウロードは断末魔の叫びすら上げられず、太陽の光の奔流の中に一瞬で消滅した。
あとには、春の陽だまりのような温かい空気だけが心地よく漂っていた。
§ § §
七層への階段の前で、俺は短剣で壁に六本目の深い印を刻み込んだ。六層、突破。
コハクが光石をランタンのように高く掲げて、俺の隣を歩く。
「ご主人様。コハク、初めて暗い場所が怖くなくなりました」
「そうか」
「この光があれば、箱の中を思い出さなくて平気です!」
「じゃあ、その石はずっとお前の物だ。迷宮を出て、腕が治った後も大事に持っとけよ」
「治った後も、ですか?」
「夜、トイレ行くとき便利だろ」
「もう! いい話だったのに!」
コハクが膨れっ面をしながら、それでも光石を愛おしそうに左手でぎゅっと抱きしめた。ふくらんだ頬が、光で桃色に透けている。
「残り、四層です!」
「四日だな。絶対に駆け抜けるぞ」
小石ひとつで、底なしの暗闇と、幼い日の箱の中の孤独が消え去った。悪くないよね。
§ § §
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