第25話 罠だらけの五層を、罠ごと踏みつぶした
昨日、俺とコハクは四層の力試しの扉を突破した。
残り六層。迷宮最下層の魔獣の王を討てば、コハクの右腕の呪いは完全に解ける。
俺の『鑑定』は、ものの値を書き換えれば現物が変わる。だが書き換えないで、ただ『読む』だけでも十分にチートだ。今日はそっちの鑑定眼が本領を発揮する。
朝、冷たい石畳の野営毛布の上で、コハクの額にそっと手のひらを当てた。
じっとりと熱い汗ばみがあり、吐き出す息が小さく熱を帯びている。
「熱が出てきたな」
「……熱なんて、ぜんぜんありません」
「あるよ。俺の掌に熱が直に伝わってる」
「じゃあ、ご主人様の手が朝の冷気で冷たすぎるだけです……わふ」
言いながら、熱で赤い頬を俺の掌に押しつけてくる。耳がぺたんと寝ていた。
弱っているときほど、意地を張って憎まれ口を叩く。
§ § §
地下五層に足を踏み入れると、カビ臭い空気の中に、微かに機械油と焦げた火薬の匂いがツンと漂っていた。
通路の床一面に、狂気じみた精緻さで幾何学模様の石タイルが敷き詰められている。
かつて王都のギルドで、受付嬢のリサが平坦な声で警告していたのを思い出す。
『五層は、熟練の鑑定士が同行しないパーティは絶対に侵入してはならない絶対の死地です』
「ここが、その罠の迷宮か」
コハクが耳をピクッと動かして足を止めた。
「ご主人様……床のタイルの下から、カチカチと不気味な歯車の音が聞こえます」
「全部罠だな。床、壁、天井、歩幅のすべてに殺傷トラップが仕組まれてる」
足元のタイルを順に鑑定してみる。
枠が浮かび上がった。
[タイルA]
仕掛け 踏むと床が抜ける(落とし穴・深さ十メートル・底に毒槍)
隣のタイルも見る。
[タイルB]
仕掛け 踏むと天井から数十本の鋼鉄槍が落下
その隣も、さらに奥も。
[タイルC]
仕掛け 踏むと左右の壁から毎秒十本の毒矢が斉射
「全滅用の罠だ。安全な正規ルートが一枚も存在しない」
「ご主人様……じゃあ、どうやって前へ進めばいいんですか」
「地面を踏まなきゃいい」
§ § §
通路の壁際に立てかけられていた、埃まみれの古びた木の板を拾い上げた。
枠が浮かぶ。
[古い木の板]
価値 銅貨0枚
「じゃあ、書き換えるか」
触れるのは価値の数字だけだ。あとは、出たものを工夫して使う。
[古い木の板]
価値 銅貨0枚
↓
価値 銅貨30000枚
銅貨100枚で銀貨1枚。数字が勝手に繰り上がる。
価値 銀貨300枚
枠が消えて、また浮かんだ。
[万能踏破板]
価値 銀貨300枚
効果 どんな罠の上を歩いても、仕掛けを作動させない
「よし、この層を完全無力化できるソリ板だ」
ボロボロの板切れが、滑らかな白木のように磨き抜かれた特大のソリ板へと姿を変えた。
床に置き、コハクの手を引く。
「乗れよ。罠の上をスーッと滑らせて進む」
「わふっ! コハク、座って乗ってもいいですか」
「熱があるんだから、大人しく座っとけ」
コハクが板の上にちょこんと体育座りをした。
俺が後ろから板を押して、罠だらけの床をシューッと滑らせていく。
落とし穴の上も、毒矢の感知タイルの上も、仕掛けが一切作動することなく、まるで氷の上のソリ遊びのように軽やかに通過していく。
「ご主人様! 風が涼しくて、すっごく気持ちいいです!」
「熱冷ましにはちょうどいいな」
死のトラップがびっしり張り巡らされた悪名高い五層で、熱を出した犬耳の少女をソリに乗せて押していく。迷宮史上、もっとも間抜けで平和な光景だ。
コハクが嬉しそうにクスクスと笑い声を上げていた。茶色のくせ毛が風で後ろへ流れ、耳がぱたぱたはためいている。
§ § §
罠地帯の最奥、石の台座の上にポツンと置かれた豪奢な黄金の宝箱が見えてきた。
鑑定してみる。
[黄金の宝箱]
仕掛け 開けると超爆発(威力・迷宮のこの区画ごと崩落)
「開けた瞬間、天井ごと生き埋めにする即死トラップだな」
コハクが板の上で耳をぺたりと寝かせた。
「ご主人様、絶対に触らないほうがいいです……」
「触るだけで、開けはしないよ」
俺は宝箱の冷たい金装飾に、そっと指先を触れた。
枠が浮かぶ。
[黄金の宝箱(爆発仕掛け)]
価値 金貨1枚
仕掛け 開けると爆発
「じゃあ、書き換えるか」
[黄金の宝箱(爆発仕掛け)]
価値 金貨1枚
↓
価値 金貨500枚
枠が消えて、また浮かんだ。
[黄金の宝箱(安全)]
価値 金貨500枚
仕掛け なし
中身 金貨五百枚
「よし、爆破トラップが完全に消去されたぞ」
宝箱の金具から不穏な魔力の導線がサァーッと消滅した。
蓋をパカッと開けると、山盛りの眩い金貨がギッシリと詰まっていて、暗い洞窟内を黄金色に照らし出した。
コハクが目を輝かせ、動く左手でジャラジャラと金貨をすくい上げた。
「ご主人様! 本物の金貨がいっぱいです!」
金色の照り返しで、琥珀の瞳がいっそう明るく光っていた。
§ § §
革袋に金貨を詰めながら、コハクがポツリと尋ねてきた。
「ご主人様。このたくさんのお金、何に使いますか」
「まずはお前の腕を完治させて、迷宮を出てからだな」
「治ったら……何がいいですか」
「お前は何が食べたい」
コハクが真剣に考え込み、耳を片方だけピクッと持ち上げた。
「……お肉です」
「金貨五百枚だぞ。もっと高いものでも何でも買えるぞ」
「じゃあ……山盛りの、たくさんの、すっごく美味しいお肉です!」
「やっぱり肉一択かよ」
「ご主人様は、何が欲しいですか」
「俺か……」
考えてみたが、物欲なんて特に思い浮かばなかった。
四年間、自分のための買い物なんて一度も許されない荷物持ちだったからな。
「じゃあ、俺も一緒に山盛りの美味い肉を食うよ」
「わふーっ! ご主人様と一緒です!」
尻尾が、熱があるとは思えない勢いでブンブンと振れた。
§ § §
罠地帯を抜けると、静かなドーム状の石室に出た。
六層へ続く下り階段が口を開けている。ボスの魔物はおらず、罠そのものがボスの層だったようだ。
俺は壁の石肌に、短剣で五本目の深い印を刻み込んだ。五層、突破。ちょうど全行程の半分だ。
「残り、五層だな」
「はい、あと五つです!」
コハクが重い金貨袋を背負おうとしたので、ひょいと取り上げて自分の肩に担ぎ直した。
「俺が持つ。荷物持ちのキャリアは四年あるからな」
「わふぅ……ずるいです。コハクの仕事なのに……」
「今日だけは俺に荷物持ちをさせてくれ」
誰も踏み込めない即死の罠の層を、板一枚でソリ遊びのように素通りして、金貨五百枚。
コハクの熱っぽい小さな手を握り、俺たちは迷宮の折り返し地点となる地下六層へ向けて足を踏み出した。悪くないよね。




