第24話 四層の重い扉を、指一本で開けた
昨日、俺とコハクは三層の鏡の迷路を突破した。
残り七層。コハクの右腕を蝕む呪痕が肩を越えて心臓へ達する前に、最下層の主を仕留めねばならない。
俺の『鑑定』は、ものの値を書き換えると現物が変わる。だが生き物の肉体だけは、どうしても書き換えられない。だから、急ぐ。
地下四層の通路は、そびえ立つ絶望的に巨大な黒花崗岩の巨扉によって塞がれていた。
天井まで届く数トンの石扉の脇に、古びた苔むした石板が深く穿たれている。
〈力ある者のみ、先へ進め〉
「力試しの扉、か」
扉の前の冷たい石床には、折れた槍やへし曲がった大斧の残骸がいくつも無残に散乱していた。ここで力尽き、絶望して引き返した歴戦の冒険者たちの置き土産だろう。
試しに俺が両手で体重をかけて押してみたが、指の皮が擦れるだけでミリ単位の軋みすら起きない。
§ § §
コハクが、扉の冷たい岩肌に小柄な肩をギュッと当てた。
「コハクが……コハクが全力で押します!」
「無理するな、やめとけ」
「押します!」
左肩を岩にめり込ませ、奥歯をギリリと噛み締めて踏ん張った。
だが、扉はピクリとも鳴らない。
焦ったコハクは、激痛で動かないはずの右腕まで無理やり扉に添えて、全身全霊で体重を浴びせかけた。
バチッと呪痕から火花が散り、次の瞬間、コハクはガクンと膝から冷たい石床に崩れ落ちた。
「コハク!」
「……だ、大丈夫……大丈夫です……」
大丈夫なやつは、激痛に顔を歪めて床の冷たい埃に額を擦りつけたりしない。
俺は膝をつき、コハクの右袖をめくり上げた。
ドス黒い呪痕が、肩の付け根を通り越して鎖骨のあたりまで黒い蔦のように這い上がっていた。
腕全体の半分以上が、すでに呪いに侵食されている。トクトクと肌の下で毒々しい熱を帯びて脈打っていた。
「なんで無理して押したんだ」
「……ご主人様ばっかり、危険な戦いも書き換えも一人で背負ってるから……」
コハクの声が、今まで聞いたことがないほど掠れて低かった。
「コハクは……重い荷物を運ぶのと、驚いて騒ぐことしかできないから……何の役にも立てないから……っ」
俺は、その痛切な悔しさに強烈な覚えがあった。
四年間、勇者パーティの最後尾で重い荷袋を背負わされ、毎晩冷たい地面の上で自分を責め続けていたあの日の俺と、まったく同じだ。
「あのな、コハク」
「……はい」
「俺、四年間ずっとただの役立たずの荷物持ちだったんだよ」
「知ってます……」
「だけどな、その惨めだった四年間の荷物持ちがあったからこそ、落ちてるガラクタの価値を誰よりも見極められるようになった。だから今、お前を助けにここまで来られてる」
コハクがゆっくりと顔を上げた。琥珀色の大きな瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちて石床の埃を濡らす。
「運ぶことは、絶対に無駄じゃない。誰よりも荷物を背負ってきた俺が、胸を張って保証する」
「……わふ……」
濡れた睫毛の下で、琥珀の目がまばたきをくり返している。鼻の頭まで赤かった。
「立てるか」
「立ちます……っ!」
§ § §
足元の折れた武器の山の中に、赤錆びた太い鉄の輪が転がっていた。
枠が浮かぶ。
[錆びた鉄の輪]
価値 銅貨0枚
「じゃあ、書き換えるか」
触るのは価値の数字だけだ。名前も効果も、俺には選べない。
[錆びた鉄の輪]
価値 銅貨0枚
↓
価値 銅貨40000枚
銅貨100枚で銀貨1枚。数字が勝手に繰り上がる。
価値 銀貨400枚
枠が消えて、また浮かんだ。
[巨人の腕輪]
価値 銀貨400枚
効果 装着者の膂力を無限に引き上げる
「膂力強化だ。今一番必要なやつが来た」
赤錆がパラパラと砂になって剥がれ落ち、純白の白銀に輝く神聖な腕輪へと変質した。
俺はその腕輪を、コハクの動く左腕にカチリとはめてやった。
「えっ……?」
「押してみろ」
「でも……これは、ご主人様が使うべき大切な――」
「いいから、お前が開けるんだよ」
コハクが恐る恐る、小さな左手の人差し指を巨大な黒花崗岩の扉に当てた。
トン、と軽く触れるように押す。
ズズズズズズッ……!と大地を揺るがす轟音とともに、数十トンもの巨扉がまるで紙細工のように軽々と奥へ押し開かれた。
コハクが、自分の小さな指先を見つめたまま唖然と固まった。
「……あ、開きました……!」
「開いたな」
「コハクの指で、大きな扉が開きました!」
尻尾が、床をバンバンと激しく叩いて左右に大きく振れた。垂れ耳まで一緒に跳ねている。
§ § §
扉の奥は、ドーム状の広大な岩山のようなボス部屋だった。
中央に積まれた巨岩がガラガラと音を立てて組み合わさり、山のように巨大な岩石の番人が立ち塞がる。四層の主、ストーンガーディアンだ。
番人が地鳴りとともに、馬車ほどもある巨大な岩の拳を振り上げた。
コハクが腕輪の光る左手をギュッと握りしめる。
「ご主人様! コハク、この怪力パンチであいつを殴り飛ばせますか!」
「殴れるだろうけど、やめとけ」
「どうしてですか!」
「反動でお前の腕が痛むだろ。今日は俺が投げて片付ける」
俺は足元に転がっていた、ただの小石を拾い上げた。
枠が浮かぶ。
[小石]
価値 銅貨0枚
「じゃあ、書き換えるか」
[小石]
価値 銅貨0枚
↓
価値 銅貨200000枚
単位が勝手に上がる。銅貨、銀貨、金貨。
価値 金貨20枚
枠が消えて、また浮かんだ。
[星砕きの弾]
価値 金貨20枚
攻撃力 50000
直撃した相手を粉微塵にする
「星を砕く弾丸だ。岩くらい一瞬で消し飛ぶ」
小石が太陽のように黄金の輝きを放ち、指先からビュンと放たれた。
番人の巨拳が振り下ろされるより先に、一本の光条が胸の核を貫通した。
爆発音すらなく、巨大な岩石の怪物はサラサラと白い砂時計の砂のように崩れ落ち、跡形もなく消滅した。
§ § §
五層への階段の前で、俺は短剣で壁に四本目の深い傷を刻み込んだ。四層、突破。
コハクが腕輪を外そうとしたので、手でそっと止めた。
「ずっと着けとけ」
「でも、これ、ご主人様の……」
「俺には剣がある。お前には、あの重い扉を開けた立派な実績がある」
「じっせき……」
「一番重い扉を開けたお前が、この先も俺の荷物と未来を運ぶんだよ」
コハクが白銀の腕輪を左手で抱きしめ、ぽろぽろと涙を拭って笑った。
「……コハク、どこまでも運びます!」
涙で濡れた頬が、笑うと林檎みたいに赤くなった。
「頼りにしてるよ」
「残り、六層です!」
「あと六日だな。絶対に間に合わせるぞ」
錆びた鉄の輪ひとつで、閉ざされた扉と、傷ついた犬の耳が誇らしげに上がった。悪くないよね。




