第23話 三層の鏡の迷路を、一発で見破った
昨日、俺とコハクは二層の毒霧を電撃戦で突破した。
残り八層。コハクの右腕を蝕む呪痕が肩を越えて心臓へ達する前に、最下層の魔獣の王を討つ。
俺のスキル『鑑定』は、ものの価値を書き換えれば現物が変わる。ただし人にも魔物にも効かない。だから、この足で一段ずつ下へ駆け下りるしかない。
地下三層は、四方の壁から天井までがすべて磨き抜かれた鏡張りの回廊だった。
冷たい青白い鉱石の光が鏡面で無数に乱反射し、視界のあちこちに虚像の自分が何十人も映り込む。平衡感覚が狂い、三歩歩いただけで激しい目眩が襲ってくる。
コハクが足を止め、眉をギュッと寄せた。
「ご主人様……道が、何十本も四方八方に伸びてます」
「本物の通路は一本だけのはずだがな」
試しに右側の通路へ進んでみると、すぐにゴツンと冷たいガラスの壁にぶつかった。振り返れば、今歩いてきたはずの足跡すら鏡の反射の中に紛れて消え失せている。
「幻惑の迷宮か」
ギルドの資料にあった通り、ここで空間感覚を狂わされ、飢えと渇きで命を落とす冒険者が後を絶たない難所だ。
§ § §
ふと見ると、コハクが大きな鏡の前に立ち止まっていた。
震える左手で袖をまくり、鏡に映った自分の右腕をじっと見つめている。
漆黒の呪痕は、すでに肘の関節を完全に越え、二の腕の真ん中まで黒い蔦のように這い上がっていた。血管のように脈打つ黒い筋が、鏡の中で冷酷に浮き彫りになっている。
「ご主人様」
「見るな」
「見ます……。減ってるか、増えてるか、コハクもちゃんと見ておきたいので」
尻尾が、冷たい石床を擦るくらい力なく垂れ下がっていた。小さな肩が、恐怖で微かに震えている。
俺はコハクの隣に立ち、鏡の中に自分の顔を並べて映した。
黒髪のつむじのあたりが、ぴょんと外側に跳ねている。
「見ろよ、俺のこの頑固な寝癖」
「……はい?」
「毎朝いくら撫でつけてもこれだ。お前の腕の痣より、こっちのほうがよっぽど不治の病だぞ」
コハクが目を丸くし、それから口元を手で押さえてクスクスと吹き出した。
痛む腕をかばいながら、顔を綻ばせて小さく笑う。
「ご主人様、ひどいです……すっごく真面目な顔で言うから……」
鏡の中で、青白かった頬にほんのり赤みが差した。
「大真面目だよ。四年直ってないんだからな」
「わふっ」
コハクの尻尾が、床からパタパタと嬉しそうに持ち上がった。張り詰めていた空気が、ふっと和らぐ。
§ § §
足元の床に、割れた鏡の鋭い破片が落ちていた。
枠が浮かぶ。
[割れた鏡の欠片]
価値 銅貨0枚
「じゃあ、書き換えるか」
なぞるのは価値の数字だけだ。名前も効果も、向こうまかせになる。
[割れた鏡の欠片]
価値 銅貨0枚
↓
価値 銅貨15000枚
銅貨100枚で銀貨1枚。数字が勝手に繰り上がる。
価値 銀貨150枚
枠が消えて、また浮かんだ。
[真実の眼鏡]
価値 銀貨150枚
効果 幻影を透かして、本物だけを映す
「よし、透視眼鏡が出た。今一番欲しいドンピシャだ」
鋭利なガラス片が滑らかな丸レンズになり、繊細な銀フレームの眼鏡へと変化した。
装着してみる。
視界に溢れていた無数の偽物の通路と乱反射が一瞬でスーッと透明になり、鏡の奥にあった本物の石壁が輪郭を現した。
残された本物の道は、左奥へとまっすぐ折れる一本の薄暗い通路だけだ。
「見えたぞ。本物はこっちだ」
「ご主人様、他の道は全部ニセモノですか?」
「全部ただの鏡の絵面だ。ほら、触ってみろ」
コハクが試しに右側の鏡に触れると、ツルリとした冷たい感触にゴツンと当たった。
「ほんとです! 硬い壁です!」
§ § §
左の通路を迷わず駆け抜け、突き当たりの巨大なドーム状のボス部屋に出た。
四方を囲む巨大な鏡の壁のど真ん中から、水銀のようにぬるりと人の形をした怪物が這い出してきた。
全身が鏡面装甲で覆われたミラーゴーレム。三層の主だ。
ゴーレムは俺の姿を完璧に反射して映し出し、まったく同じ姿勢、同じ重心で対峙してきた。
俺が右へ一歩踏み出せば、寸分の狂いもなく完全に同調して合わせてくる。
「真似が上手すぎて鬱陶しいな」
コハクが左手で短剣の柄を握りしめた。
「ご主人様、攻撃を仕掛けたら、同じ攻撃を返されます!」
「そうだな。なら、真似できない物を出せばいい」
俺は足元に転がっていた、ただの石ころを拾い上げる。
枠が浮かぶ。
[ただの石ころ]
価値 銅貨0枚
「じゃあ、書き換えるか」
[ただの石ころ]
価値 銅貨0枚
↓
価値 銅貨120000枚
単位が勝手に上がる。銅貨、銀貨、金貨。
価値 金貨12枚
枠が消えて、また浮かんだ。
[破鏡の弾丸]
価値 金貨12枚
攻撃力 35000
鏡面のものを、まとめて砕く
「鏡の特効アイテムだ。遠慮なくいくぞ」
石ころがプラチナのように鋭い白銀の光を放つ弾丸へと変質した。
俺はスナップを利かせて思い切り指先で弾き飛ばした。
ゴーレムは俺の投擲モーションを完璧に真似しようとしたが、その手の中には何も握られていない。拾うべき弾丸そのものを複製することはできないからだ。
パシィィィンッ!と弾丸がゴーレムの胸部コアに直撃した。
キィィィィン……!と耳を劈く凄まじい金属的な高周波がドーム内に反響した瞬間、ゴーレムの全身が蜘蛛の巣状にヒビ割れ、一瞬で何万個ものガラス粉塵となって爆散した。
さらに、部屋を囲んでいた壁面の巨大な鏡までが連鎖反応を起こし、パリンパリンと一斉に粉々に砕け落ちた。
幻惑の迷宮が、埃の舞う素朴な石造りの広間へと戻った。
§ § §
四層への下り階段の前で、俺は短剣で壁に三本目の深い印を刻んだ。三層、突破。
真実の眼鏡を外し、コハクの鼻の上にちょこんと乗せてやった。
「持っとけ。お前のほうが目がいいからな」
「わふっ! コハクの目、頼りになりますか!」
銀のフレームの向こうで、琥珀色の目がまんまるに広がった。
「耳も鼻も頼りになるぞ。俺は寝癖が跳ねてるだけだからな」
「もう、まだ言ってます!」
頬をふくらませたが、耳の先の白いところがぴこぴこ動いていた。
コハクが大きな丸眼鏡を両手で押さえながら、嬉しそうに暗い階段の先を見つめた。
「残り、七層だな」
「はい、あと七層です!」
割れた鏡の欠片ひとつで、幻惑の迷路を一瞬で駆け抜けた。
コハクの笑顔を取り戻しながら、俺たちは冷気の深まる地下四層へと駆け下りていった。悪くないよね。




