08❊聖皇教会からの申し出
王城内の政務室――。
現在抱えている国の情勢は、下町に溢れている汚染問題と貧困層による軽い暴動で、この程度ならどの国も抱えている些細な問題だ。
そんなことよりも、一番の問題は我が国より東に位置する中央都市、そこにある聖皇教会からの申し出だった。
パトリックは宰相に向かって、「それで教会は何だと言ってる?」と最終確認の言葉を発した。
「……オメガの撲滅を掲げている反乱軍を抑えるためにも第二王子だったレヴィン様を教会の天神者として〝定期的〟な参拝を、と仰っております」
「天神者ねぇ」
妙な肩書にパトリックは、「くっ」と思わず笑いが込み上げた。
こちらの様子を見ていた宰相はすかさず、「おそらく天神者と言う名の生贄ですね」と涼し気な顔で言う。
「あれは私の最愛の弟だぞ……、飲まず食わず、一日中〝神〟に祈れと言いたいのか」
「……それよりも、もっと酷い事になりそうですが」
「は、聖職者のくせにオメガを欲するとは欲にまみれているな」
目を眇めたパトリックは、「どいつもこいつも」と呆れたように溜息を吐いた。
数年前から聖皇教会は階級制度の見直し運動をしている。その教会を支持する一部の過激派が穢れたオメガを撲滅するという運動をしているせいで、今回のような伺書が頻繁に届くようになった。
実際はそれを支持しているのは聖皇教会全体だというのに、過激派のせいにしているのだから呆れたものだ。
そもそも、オメガと言っても普段は特に害はない、問題は発情期に発せられる特有の誘惑香だけだ。
あの理性を奪う香りにより、アルファ属性は発情を促され、我を忘れてしまう。ある種の麻薬と同じで、誘惑香を吸いながらの情交は通常時に得られる快楽の数百倍だと言うのだから、男でも女でも一度でも味わえば手放せなくなるだろう。
それを〝悪〟だと掲げて正義を気取っている教会だが、実際は自分達でオメガを飼育したいだけだ。
ましてやレヴィンは高貴な生まれ、しかも〝稀有な誘惑香〟を発する。そんな生い立ちのオメガが発情に狂い、ひざまずき、懇願する姿、それを見るだけで人の心は満たされるのだろう。
「馬鹿々々しい申し出だ。参拝には他のオメガを行かせる。参拝後、そのオメガは好きにしていいと伝えてくれ」
「畏まりました」
他国の事情に介入はしたくないが、中央都市の聖皇教会に関しては世界中に信者がいるため無視することも出来ない。本当に面倒なヤツらだ、とパトリックは持っていた書類を指先で弾いた。
「他は?」
「あとは他の大臣にお任せ下さい」
こくっと軽くうなずいたパトリックは内政室から出た。
色々と言いたいこともあるが、結局のところ父王の判断を優先させる動きが強い。そんな状態でパトリックが好き勝手に動けば悪い印象を与えてしまうだろう。今はまだ慎重に行動する必要があった。
――けれど、それもあと少しの辛抱だ。
自分が国王になれば、口を出しても煙たがられることもなくなるだろう……、そんなことを考えながら、自室へと向かっている最中、ふと中庭の薔薇の花が目に留まった。
自分の背後にいる護衛騎士に、「少し一人で見て回る」と伝えたパトリックは、花が咲き誇る中庭へと方向を変え、薔薇が植えられている垣根へと向かった。
手入れの行き届いた中庭は枯れた葉や花など一輪もなく、どれもこれも生き生きと咲き誇っている。その美しい花々のおかげで幼少期のレヴィンのことを思い出した。
――レヴィンに初めての発情期が訪れたのはこの場所だったな……、火照りきった身体を震わせ、必死に抗おうとする姿が忘れられない。
あの日、あの時からパトリックの心はレヴィンに囚われたままだった。
外見は儚く美しいのに、性格は王妃に似て気が強く負けず嫌いで、いつだって弱音など吐かない子だった。だが発情期に見せる弱々しい姿は、このうえなくパトリックの心をかき乱した。
当時、パトリックは十七歳、レヴィンは九歳、年の離れた弟は必然的に庇護すべき対象だった。
けれどあの子がオメガだと己の身をもって体感した瞬間、性の対象に変わるのに時間はかからなかった。
そもそも、周りに溢れているオメガは男も女もたいした〝誘惑香〟ではないことに気が付いたのも、その時だった。
もしかすると、言い伝えのオメガとアルファには唯一無二と言える〝番〟が存在するという伝承のせいなのかもしれないと当時は思っていた。
けれど、そうではなくレヴィンが特別なのだと知ったのは、医師が漏らした一言だった。
『レヴィン王子の誘惑香は特殊ですね。おそらくですが、属性のない人間にも効果があるのではないでしょうか』
特別なオメガだと知り、ますますパトリックの欲求は強くなった。
当時、すでに婚約者がいたが、跡継ぎさえ産める高貴な身分の娘なら誰でも良いと宰相に選ばせた。つまりは、どうでもいい相手だったため、婚約を破棄することも考えていた。
――王妃と陛下の許可さえあれば……。
王族のオメガとアルファの近親婚は珍しいことではないし、我が国は親族同士の婚姻を禁忌として取り扱ってはいない。だから、まずは父に話をした。
『レヴィンが成人したら婚姻すると言うのか?』
『ええ、オメガとアルファなら近親婚も問題はないと聞きました』
『まあ、確かに問題はないが……』
『駄目でしょうか?』
『うーむ。アレが何と言うか……、私は王妃とは揉めたくはないからな、まずは王妃の許可が先だ』
父である陛下は特に問題はないと言ってくれたが、普段から王妃と対立することだけは避けていたため、王妃が首を縦に振らない限りは駄目だと言われた。
それから幾度となく、王妃にレヴィンとの婚姻をせがんだことがあったが、頑なに拒否され続けた。
結局、レヴィンが十歳になったと同時に王妃は仰々しく〝誓の間〟を使い、国中のアルファ属性の子息と令嬢を呼び寄せると当人に婚約者を決めさせたのだ。
――本当は手元に置いておきたかったのにも拘わらず……。
王妃が笑みを浮かべるのはいつもレヴィンを見る時だけだった。
その差別はパトリックが青年へと成長しはじめた頃からで、どうやら若い頃の国王陛下にそっくりだという理由からパトリックを見る時だけ苦々しい顔を向けるようになった。
当時、国王陛下は王妃以外の側妃と過ごすことが多く、王妃とは公務の時に顔を合わせる程度で疎外されていた。
つまり、陛下に風貌が似てきた自分が憎らしく見えたのだろう。対するレヴィンは王妃譲りの容姿に付け加えて、何もかも王妃の言うことを聞く従順な息子だ。そんなレヴィンのことが可愛くないわけがない。
――だからこそ、陛下に似た自分にレヴィンを渡したくなかったのだろう。
パトリックから遠ざけるために僅か十歳という年齢で婚約者選びをさせたのがいい証拠とも言える。
ふつふつと沸いてくる王妃への嫌悪感を抑えるように、パトリックはぐっと自分の胸ぐらを掴んだ。その時カサっと紙が擦れる音がし、レヴィンから手紙をもらっていたことを思い出した。
――ああ、忘れていたな……。
懐から取り出した手紙を読み、書いてある内容に笑みがこぼれるが、問題は思っていた以上に〝幸せそう〟だということだ。
ふと、辺りを見回したパトリックは大きな木に向かって、「いるんだろう? 出て来い」と声を出した。
物音なく人影が現れると、「お呼びでしょうか」と跪く。
目深に被ったフードの隙間から鋭い眼光を光らせる男は、こちらが次の言葉を発するのを待っていた。
「それで? 何かあったか?」
「……カール様からは特に報告は受けておりません」
「は……、やはり役に立たない側仕えだな、私の側近を付けるべきだったか」
レヴィンのためにも馴染みの者の方がいいと思い、カールを一緒に連れて行かせたが、あまり役には立ちそうにないな、と奥歯を噛みしめる。
「どう致しますか? 何か指示を出しますか」
「まあ、今はいい」
来年には戴冠式が控えており、それが済めば成婚が待っている。
そもそも結婚などしたくもない相手を妃として迎えるのは苦痛だが、レヴィンが戻って来たら後宮に送ればいいだけのこと、それにセルジュに関してもいくらだって方法はある。
パトリックは、「引き続き監視を」とだけ言い残し、そのまま思い出の残る中庭の景色を堪能した――――。




